6.相棒との決別

 レヴィエールが街中で暴れられるのを嫌がり、領主館にある大きな中庭へと案内してくれた。


 芝生が均等な高さで刈られ、手入れが行き届いているのが分かる。

 踏みにじるのがもったいなく感じる場所だが、ジェスターは遠慮することなく中央まで歩いていく。


「エリオット……」


 アズが僕の服を引っ張り、制止を試みる。


「大丈夫」


 自信があるかと言われると、半々だった。

 ケルベロスの力を手に入れたとはいえ、昨日のような使い方ができる感じはあまりしない。

 なんとなくでしか、内に潜む獣の扱い方が分かっていないのが現実だった。

 

 わずかな不安を見透かしたように、シェンフーさんがアドバイスをくれる。


「普段と同じように動いてみな。それだけで違いが分かるはずだ。お灸をすえてこい」

「……ありがとうございます。シェンフーさん」


 深呼吸を一度して、僕も芝生の中へと踏み入る。


「シェンフーまで……エリオットを焚き付けないでください」

「まあそう言うな。少年はアズリエルのためにご立腹なんだから、ここは見守って差し上げろ」


 腕を組んで見守るシェンフーさんは、どちらかと言うと楽しんでいるように見えた。



 二人を背後に見送って、僕はジェスターの前に立った。


「手加減なんざしねーぞ」


 剣を一振り。ぶおんと風切り音を鳴らす。


「僕が勝ったら、アズ――巫女に謝ってもらうぞ」


 僕の強気な発言を、ジェスターは鼻で笑う。

 

 

 ――侮れる相手ではない。



 ジェスターは七英雄に連なる騎士――ハイランド家の次男だ。

 剣士として名高い彼の父と同様、ジェスターも相当の実力を持つ。

 ハウンド団で、組手と称してかわいがり稽古を幾度となく受けた事があるが、その中で一撃も彼に打ち込めたことはなかった。


 だが、それだけがジェスターの強みではない。


「来い。『ティンダロス』」


 彼が手をかざすと、周りの空気が歪む――


 歪んだ空間から飛び出すように、黒い墨で描かれたような肌を持つ猟犬が飛び出してきた。


 一匹、二匹、三匹。


 次々と現れ、四匹の猟犬がジェスターの横に並ぶ。


『ティンダロス』の猟犬


 それが彼の宿した神獣だ。


「使役型か。なるほど、それで『ハウンド団』ね」


 背後からシェンフーさんの感心するような声が聞こえた。


「『ワンちゃん』対決……面白いじゃないか」


 ジェスターの持つ『ティンダロス』は彼の言う通り、使役する形で現れる。

 その動きは俊敏で、どこまでも追尾し、一度食らいつけば離さない。

 ジェスターと連携し、獲物を狩り出す姿は、文字通りのハウンドだ。


「美人だよな。その女」


 僕の背後にいるアズを剣で示すと、ジェスターは下品な笑みを浮かべる。


「その女の前でさ、ティンダロスに食いつかれて泣き叫んでる情けない姿を見せてやるよ。手足の一本や二本じゃ済まねえからな」


 彼の言葉と共に、ティンダロス達が僕へと唸りを上げ始める。

 よだれを垂れ流しながら鋭利な牙を見せ、じりじりと僕を取り囲み始める。

 四匹のティンダロスを相手にするのは、初めてだ。

 大きく広がるようにして、取り囲まれると、どれに集中していいのかわからなくなる。

 意識を分散させるために、ジェスターがそう指示しているのだろう。


 

 彼は本気だ。本気の布陣で僕の前に立っている。


 ジェスターが細身の湾曲した剣、カトラスを伸ばした左手を添えるようにして構えた。

 彼の家系が行う独特の構え。


 僕も腰からショートソードを抜き、構える。

 なんということは無い一般的な構え。




 お互いに、間合いを詰めるきっかけを探し――空気がひりつく。






 ガオン!!



 ――合図らしい合図もなく、ティンダロスが一斉に動き出す。



 四匹がほぼ同時に僕へと飛び込んできた。

 猟犬が飛び込むのに合わせ――ジェスターも身を低くして矢のように迫る。


 見事な連携だ。

 ティンダロスに対処しようとすれば、ジェスターに。逆を狙えばティンダロスにその隙を突かれるだろう。


 ティンダロスの砥がれた刃ような牙が、四肢を食いちぎらんと大きく開かれる。



 危険を感じ取るや否や、僕の身体を甲冑が覆い始めた。


 ガチガチガチと瞬く間に僕の身体を覆う。

 それが全身を包み込むよりも先に、僕はケルベロスに急かされるようにして身をねじった。


 


 ――回転を利用して右手の裏拳で猟犬の顔面を殴りつける。

 一匹が吹き飛ぶよりも速く、勢いそのまま二匹目を、左手のショートソードで斬り落とす。


 イメージしたとおりの動き――いやそれ以上の動きでティンダロスを迎撃。

 ケルベロスの力が、僕の身体を思い通りに動かせるよう強化してくれる。




 ――残り二匹と一人。


 瞬時に確認して、ジェスターへと目線を戻す。



 彼はもう僕の目の前にいた。

 殺意のこもった目がしっかりと僕を見据えている。

 一瞬で間合いをつめるその速度は、彼が一流の剣士であることの証明。


 ジェスターがためらうことなく僕の肩口に目掛け、カトラスを振りぬく。

 すかさず、ティンダロス二匹も僕の太ももへと、牙を立てる。



 しかし――そこには僕はいない。



 空振りに終わったジェスターだが、その優れた動体視力で僕の位置を追う事が出来ていた。



 すぐさま振り返り――見上げる。



 直前で飛び上がって避けた僕を、しっかりと目で追っていたのだ。

 だけど、空中に居る僕を捕捉しているその顔には、ありありと驚愕の色がにじみ出ていた。



 ジェスターを飛び越すよう形のまま僕は両手を広げる。

 その両の手が捉えるのは、遅れて僕に気づいたティンダロスの猟犬だ。


 ジャララララララッ――


 金属音を唸らせ、両手の手甲から鎖が射出される。矢のように飛翔した鎖は、そのままティンダロス二匹を貫く。

 着地と同時に、僕はぐいと後方へ、鎖を引っ張りあげた。


 鎖と共に貫かれたティンダロスが持ち上がり――僕のはるか後方へと放り投げられる。





 残るは一人。ジェスターだけだ。


「なんだ……その鎧は……?」


 一瞬の出来事に理解が追い付いていないようだった。

 四匹のティンダロスは黒い煙を上げながら、ゆっくりとかき消えていく……


「ティンダロスがやられた……? 馬鹿な……」

「あとは君一人だ。ジェスター」


 狼をかたどった兜から、グルルルとケルベロスの唸り声が聞こえる。

 右目の眼光が鋭い光と共に彼を見つめた。


「ふざけんなっ!!」


 彼が再度カトラスを構え、素早い動きで振りぬいた。

 だが、動揺を抱えたままの動きは最初の一撃よりも鈍く、僕でもその太刀筋を見切ることは容易かった。

 彼のカトラスが僕に届くよりも速く、左手を振り上げ――

 カトラスの柄をショートソードで叩き、天高く打ち上げた。



 ヒュンヒュンヒュン――




 風切り音を何度か鳴らし、彼のカトラスがどすりと、ジェスターの隣へと突き刺さった。


「そんな……馬鹿な……」


 痺れる右手を抑えながら、ジェスターはぽつりとつぶやいた。


 今まで一度として、たったの一撃すら貰わなかった相手。

 その相手に負けたという事実を受け入れられていない様子だった。


 役立たずのエリオットに手も足も出なかった。

 そんなはずはない。

 ジェスターがその事実を受け入れようとせず――拒否する。



 茫然自失になるのは当然だろう。



 正直に言えば、彼のそんな顔を見て、胸がすく思いだったのは否定できない。

 彼に勝てた事もだが、何より今までの自分と決別できた事への満足感が大きかった。

 僕の力ではなく、ケルベロスの力のおかげだ。それは間違いない。

 だが、役立たずと言われた僕にも戦う事が――

 戦う『力』が僕の中にもあったんだ。


 ようやく、一歩踏み出せたような気がした。



「違う……お前は役立たずのエリオットだ! 俺の方が――『上』なんだ!!」



 ジェスターは叫ぶと、素早くカトラスを拾い上げた。

 怒りで我を忘れた彼が剣を振るう――

 それは剣技と呼ぶには程遠く、癇癪を起した子供が木切れを振り回しているようだった。


 カトラスを振り回すその手をつかみ、制止させる。


「もう決着してる」


 僕の言葉を無視して、ジェスターはカトラスを振ろうとする。

 仕方がないので、掴んだ手に力を込める。


「ぎゃっ……」


 ちいさな悲鳴と共に、カトラスを握る手が開く。

 こぼれ落ちる剣を蹴りあげて――


 彼の手の届かない場所まで蹴り飛ばす。



 そこで、ようやく彼の戦意が折れるのが見えた。

 同時に――



「そこまで。勝負ありだ」



 レヴィエールが決着の合図を出した。



「……嘘だ。エリオットに負けるはずが……」


 ジェスターは力なく膝をつく。

 ぶつぶつとつぶやきながら遠くを見つめるその姿を、事情を知らないエリスの住人が見た時、彼がハウンド団のリーダーだと気づけるだろうか。

 あの自信たっぷりに警護団を任せられたと言っていた、あのジェスターだと。

 決闘の結果よりも、彼が受けた心の傷は深そうに見えた。


 僕を刺したあの日と、立場が逆転した構図に近い。


「お見事」


 レヴィエールが拍手をしながら僕の前へと歩み寄った。

 鎧を解除しながら、彼を見る。


「ハウンド団で一番の実力者はジェスターだと聞いていたが、間違いだったようだ。……君、どうだね、君だけでも残ってこの街の警護人にならぬか? 報酬ははずむぞ?」


 彼はアズに聞こえないように、小声でささやいた。

 ずる賢いというか、諦めが悪いというか。


「いえ、彼女との約束がありますので。お受けできません」


 ショートソードを腰に納め、僕は首を横に振った。

 レヴィエールも勧誘が成功するとは思っていなかったようで、残念だ――と一言つぶやき、あっさりと引き下がった。

 決闘の決着はついた。




 できればジェスターには、約束通り、アズへと謝罪の言葉をのべてほしかったが。

 今の彼では、それもできないだろう。

 このまま、黙って立ち去るのが無難だ。






 だが、立ち去ろうとした僕を引き留める人物がいた。



「待て……待ってくれ」



 

 ジェスターだ。



「ハウンド団をもう一度……いや。俺もその旅に連れて行ってくれっ」


 彼の言葉に僕は耳を疑った。

 置き去りにして、見捨てた相手に頼める言葉ではない。


 本心で言っているのか?


 見下ろす先には、プライドも何もかもかなぐり捨てたジェスターが居た。

 先ほどと違い、捨てられた子犬のように僕を見つめる。


「頼む。頼むよ……俺はハイランド家を継ぐんだ……こんな所でつまづいてちゃダメなんだ……」

「……」

「なあ、『相棒』。お願いだ、もう一度チャンスをくれ」


 まるで、命乞いをしているかのようだ。


 こんなにも惨めなやつだったのか?

 4年間、一緒にやってきたジェスターは偽物だったのか?

 膝をつき、懇願する彼は、別人のようだった。

 あまりにもみじめな姿だ。


 怒りよりも、物悲しさが僕の心に広がっていく。

 ジェスターが僕を刺し、逃げだしたあの日。

『死んだ』のは、彼の方だったのかもしれない。




 このまま去れば、彼はもう立ち直れないだろう。

 彼が語り続けていた夢も、叶わなくなるかもしれない。





「――悪いが、ここで終わりだよ。ジェスター」


 だけど、越えてはならない一線というものがある。

 彼はそれを踏み越えたのだ。


 もしも、これが僕一人の旅であれば――許してしまっていたかもしれない。

 だが、これはアズ――巫女、アズリエルを守る旅だ。

 アズに危害を加える可能性だってある。

 いや、手をあげたのだ。また、必ず同じような事をするだろう。

 仲間を裏切る者を、連れてはいけない。



 絶望に打ちひしがれている彼に背を向け、僕はその場を立ち去った。







★  ★  ★


神獣『ティンダロス』 ―使役型―


黒い墨で描かれた身体を持つ神獣。

複数体で一つの神獣となっており、宿主の力によって呼び出せる数が決まる。

群れで獲物を襲い、鋭利な牙で食らいつく。

一度、敵とみなした相手には執念深く追い続けて逃がさない。

宿主の意志で自在にコントロールできるので、様々な連携が可能。



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