5.厄災の魔物と門

 

 事情を聞くために、領主館の応接室に招かれた僕は、そこで――僕を刺した少年と再び顔をあわせた。



「なんでお前……」



 ジェスターの言葉はそれ以上は続かなかった。

 目を見開き、愕然とした表情。

 それも当然か。

 『役立たずのエリオット』とまで呼ばれた人間が、あの状況で生きているとは誰も思わないだろうから。


 罵ってやりたい気持ちはあった。

 だが、事情を知らないアズやシェンフーさんが居るこの場で、そのような事をする気にはなれなかった。

 ただただ、早く時間が過ぎ、この場から立ち去れることだけを願っていた。




「ご足労をかけます。巫女様」


 領主が深々とお辞儀をする。


「わたくし、この街エリスを統治している、レヴィエールと申します。以後、お見知りおきを」

「巫女のアズリエルです」


 アズは腕を前で組み、お辞儀して返した。


「いやはや、助かりました。このような辺境の街に厄災の魔物が出るなど……前例がないものですから、一時はどうなるかと」


 気持ちがこもっているのか、いないのか分からない起伏のない喋り。


「いえ、街に被害が出る前に祓う事ができ、こちらも安心しております」

「こちらのハウンド団リーダー、ジェスターからもお聞きしたのですが、魔物は突然――現れたのですか?」


 ジェスターは心底、バツが悪そうに顔を背けた。


「現場に着いたのは、出現した後でしたのでそこまでは。ただ、兆しらしいものが無かったのは確かです」

「そうですか」


 ふむ。と領主、レヴィエールは困った顔をする。


 それもそうだろう。

 厄災の魔物がいつ現れたのか分からないという事は、次がいつ、どこで起きるかも分からないという事なのだから。



「近頃、このような症例がいくつか、確認されているともお聞きします。『門』に何らかの異変が起きている可能性があるかと」

「『門』……『やつら』が通ると言われる、あの『門』の事ですな?」


『門』。


『厄災』の魔物がまるで何かを『通って』現れるため、そう呼ばれていた。

『魔のいずる国』と『この世界』を繋いでいるともささやかれている。


 その原因や、存在自体は全くつかめていないが、この世界のどこかに、元となる『門』があるとは大昔からずっと――語り継がれていた。



「はい。彼らは神出鬼没ではありますが、このように短い間隔、様々な場所で現れるのは恐らく初めてかと思います」


「巫女様は、その調査でこの街へ?」

「いえ、この街に来たのは――偶然です」


 アズは一瞬だけ、僕の方を見た。



「困りましたな。また現れても、うちには対抗する手立てがない」



 レヴィエールは顎を触りながら、ジェスターの方を見た。その瞳には、失望と侮蔑の念が込められている。


 その視線に気づいたジェスターは静かに歯を食いしばって、怒りに耐えていた。

 彼が悔しさに打ち震えているのは、同じハウンド団に居た僕にも理解できる。


 冒険者として名をあげ始めたハウンド団が、ギルドを経由してこの街、エリスの警護団として任命されたのはごく最近だ。

 街一つの警護を任せられるとなれば、それなりに大きな仕事も舞い込み、報酬も多くなる。なにより、街からの支援がもらえて、箔がつく。


 さらに上を目指すための足掛かりを築き上げたその矢先――


 文字通りの『厄災』がハウンド団に降りかかった。


 ハウンド団は壊滅した。だから、『エリスの街の警護団は存在しない』。

 レヴィエールの言葉から、彼がそう認識しているのは明白だった。


 僕にも悔しい気持ちがある。

 裏方ばかりとはいえ、4年間、必死になって築き上げたパーティだ。

 無かったものとして扱われるのは納得がいかない。

 リーダーを務めていたジェスターならなおさら……


「巫女様。一つ提案があるのですが」

「提案……ですか」


 レヴィエールは表情を変える事なく、容赦なく告げた。


「どうか、ここに留まり、この街の『守り巫女』となってはくれませぬか。報酬も生活支援もすべて街から支給させていただきます」


 その言葉は、一度聞いたことのある内容だった。


 ジェスターに向けて、警護団を依頼するときに放った言葉とほぼ同じ内容。

 ハウンド団が壊滅した矢先に聞かされる言葉としては、あまりにもむごい内容だ。

 ジェスターが何かを言おうとしたが、その前にアズが告げる。


「ありがたい話ではありますが、お受けすることはできません」


 アズはきっぱりと言い切った。レヴィエールが何故?と眉をひそめる。


「私は『門』を閉じるために、巫女の旅をしております」

「『門』をですか? ふふふ、これはこれは……」


 レヴィエールが笑う。まるで面白くない冗談を聞かされ、無理やり笑うようだった。


「『門』を目指した巫女様は多くいましたが、未だかつてたどり着いた者はいないと聞きます。……大半が過酷な道中に諦めてしまうか――帰らぬものとなるとか……」

「……存じています」

「そのようなリスクを負うより、私の街で守り巫女をして暮らす方が、良い人生を送れるかと思いますがね。お若いのですから、将来は子供も……なども考えておいででは?」

「……」


 レヴィエールの不遜な口ぶりに、アズが視線を落とす。

 仮にも街を救ってくれた巫女へ、あまりにも失礼な物言いだ。


「あまりうちの巫女殿をいじめないで頂きたい」


 シェンフーさんがポンとアズの頭に手を置きながら、間に入った。


「うちの巫女殿は、たいそうお人よしでね。『門』を閉じると決めたのも人々の平和を願っての事。あんたみたいな打算的な考えは持ち合わせてないよ」

「シェンフー……」

「とにかく、俺らは『門』を閉じる大事な役目があるのでね。『守り巫女』はお断りさせていただく。明日にも街は出ていくつもりだ」


 らちが明かないと踏んだのだろう。

 シェンフーさんはこれ以上、交渉する余地はないとレヴィエールへ言い放つ。

 挑発的ともとれるその言葉に、レヴィエールは眉一つ動かさずに小さく、頭を下げた。


「失礼しました、巫女様。残念ですが、他を当たる事に致しましょう」


 レヴィエールが、ふと僕へと目線を向ける。

 知り合いではないが、何度か見たことのある顔に疑問を持ったのだろう。


「ところで、こちらの少年は? ……見覚えがあるのですが」

「彼は、私の護衛騎士です」


 アズが答えると、シェンフーさんが少し、驚いた顔を見せた。

 まだ話していない事だったから仕方がない。


「そうなのですか。確か、ハウンド団に同じような少年が居ましてね。『彼』以外、死んだとお聞きしたものですから……」


 レヴィエールが視線を誘導するようにして、呟いた。


 ――ジェスターに全員の視線が集まる。


「違う。そいつは……死んでるはずなんだ。生きてるなんて、知らなかったんだ」


 目を泳がせて、後ずさる。レヴィエールが追及する。


「全員死んだのを見た。と、私は聞いたのだがね。もしや、仲間を置いて――」


 その言葉をジェスターはさえぎった。


「違う!!」


 ハウンド団のリーダーは仲間を思いやる、素晴らしい人間だ。

 それがこの街での、ジェスターの評価だ。

 あの時までは、僕もそう思っていた。


 だが、それは――まやかしだった。


「死んでるはずなんだ。生きてるはずがないんだ」


 そうだろう。

 自分が生き残るため、おとりにしたはずなのだから。

 眼前に迫った魔物から、あの状況で生き残れたのは、アズとシェンフーさんのおかげだ。

 それを知らない彼は、不思議でたまらないだろう。


「彼は――」


 僕を刺して、逃げだしました。

 そう言おうとした。

 だが、言えなかった。


 今のジェスターはあまりにもみじめで、小さく見えたからだ。

 必死に取り繕う彼にあの日の面影はなく、それがとても悲しくて、言葉を続ける事が出来なかった。


 それが、いけなかったのかもしれない。

 ジェスターの中で、何かがはじけた気がした。

 そう感じたのは、彼の目に憎悪の炎を感じたからだ。


「……そうだよ。役立たずのエリオットが、生きのびれるはずがないんだ。それなのに、巫女の護衛騎士だって……?」


「な、なにを」


 レヴィエールが初めて慌てるそぶりを見せた。

 シェンフーさんも反応して、身構える。

 なぜなら――ジェスターが応接室の中で剣を抜いていたからだ。


「巫女だかなんだか知らないけどよ。こいつはろくに戦えもしない『無能』なんだ。俺の下で荷物持ちでもしてる方がよっぽどマシな存在なんだ」


 血走った目で僕を睨みつける。


「今からそれを証明してやる」


 たぶん、彼が言った言葉が、本心なのだろう。

 ハウンド団の仲間が何度となく、僕を追い出そうとしてもジェスターが庇ってくれたのは。

 きっと自分の自尊心を満たすため。


 ショックは大きかったが、何となくそんな気もしていた。

 彼が僕に笑顔をむけるとき、その奥底にある『それ』をうっすらと感じてはいた。

 気づかないふりをしていたのは、冒険者を続けていたい気持ちと――捨てられたくないという恐怖があったから。


 今、完全に僕の中でハウンド団への――ジェスターへの思いは途切れた。


「おやめなさい」


 しかりつけるような言葉と共に僕の前へ、アズが割って入った。


「仮にもここは領主様の館です。場所をわきまえなさい」


 鋭利な刃物を前にして、彼女は少しもひるむ様子はない。

 凛とした態度は、とても誇り高く、美しいものに見えた。


 だが――


「うるせえよ、アマ」


 ジェスターは容赦なく、剣を持たない左手で彼女を殴りつけようとした。






 その動きには一切手加減は感じられなかった。

 当たれば怪我どころではすまない。


 ――声が出るよりも先に、身体が動いてくれた。


「――っ」


 瞳をつぶり、痛みに耐えようとしている彼女の眼前で、僕はジェスターの拳を受け止めた。

 気づけば、シェンフーさんもジェスターの腕を掴んでいる。


「ハウンド団ってのは、女にも手をあげるような集まりなのか? 少年」


 静かな怒りを感じさせ、シェンフーさんが僕をちらりと見た。

 正直に言えば、目の前の男が、あのジェスターとは思いたくなかった。


「そいつのじゃねえ……俺のハウンド団だ」


 手を払いのけながら、ジェスターが唾を吐く。

 怒りで我を忘れている――とは考えにくい。

 これがジェスターの本来の姿なのだろう。



「いいよジェスター。やってやる」


 僕の中で、ふつふつと何かが沸き上がってくる。

 この怒りは、彼のこの態度を見たからではなく――


 アズに手を上げようとしたからだ。


「え、エリオット」


 アズが心配そうに僕を見つめる。


 ここまで怒りが燃え上がるのは、初めての経験だった。

 僕の中のケルベロスが、興奮しているようにも思える。

 力が目覚めた今にして思うと、三つ首の獣と共に、この感情も抑えられていたのかもしれない。

 目の前で、女の子――しかもアズに手をあげようとした人間を見て、黙っていられるほどお人よしではない。


「やってやる? やってやるだと?」


 ジェスターがゲラゲラと笑う。

 役立たずのエリオットが歯向かってきたことがとてもおかしいらしい。

 以前なら手も足も出ないだろう。

 だが、今の僕には獰猛な三つ首の獣、『ケルベロス』がいる。

 アズに手をあげたことを後悔させてやる。



「若い子は血気盛んでいけませんな……」


 落ち着きを取り戻したレヴィエールが僕らの間に立つ。


「街で暴れられても困ります。いい場所を用意しましょう」

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