4.約束

「僕は世界を旅するんだ! 悪い魔物をやっつけて、死の火山を越え――伝説の街を見つけて、そこで、すごい宝石を見つけるんだ」


 僕はお手製の聖剣をかかげ、高らかに語った。

 木の枝では思ったように作れなかったが、それでも僕にとっては立派な聖剣だった。


「いいなぁ……私も一緒に行きたい……」


 『あの子』は羨ましそうに、僕を見上げた。

 いつのまにか一緒に遊ぶようになった『あの子』は、いつも僕の後ろをついて回った。


「一緒に行こうよ! 見つけた宝石は首飾りにしてあげる!」


 僕が『あの子』の手を握る。彼女が嬉しそうな笑顔を見せるが――すぐに、『誰か』の言いつけを思い出し、うつむく。


「でも、私……」


 彼女が、危険な目にあわないよう、大事にされているのは僕も知っていた。こっそりと家を抜け出してくるたび、彼女はこっぴどくしかられていた。


「大丈夫っ。僕が守ってあげるから――だから、大きくなったら一緒に旅に出よう!」


 その時の僕は、心の底からそれが出来ると信じていた。

 冒険者になり、旅に出れると。

 『あの子』と一緒に、旅に出れると。


 小さな頃の、淡い思い出。

 藍色の髪を揺らし、『あの子』が太陽のような笑顔を見せると――


 そこで、夢は終わりを告げた。




 ●  ●  ●




 目を覚ますと、木材作りの天井が見えた。

 なんだか見知った部屋の天井のようにも見える。

 何度か泊まった事のある宿場の一室のようだ。

 僕は確か……


 そこではっとなって身体を起こす。

 そうだ。

 僕は、『厄災』の魔物と戦ってそれで――


 身を起こすと、女性が見えた。

 僕が目を覚ましたことに気づいたのだろう。

 視線があうと、にっこりと優しい笑顔を見せる。


「おはようございます」

「お……おはよう……ございます」


 思わず目覚めの挨拶を返してしまった。


 藍色の巫女。

 首元で編んだ三つ編みが印象的な、同年代の少女。

 改めて見ても、とても綺麗な女性だ。いや、綺麗に成長したというべきかもしれない。


 ――彼女は『あの子』だ。この笑顔がそれを確信させる。


「もしかして……思い出してくれましたか!?」


 僕の表情を読み取ったのかもしれない。

 彼女はベッドに駆け寄ってくると、前のめりに僕の顔を覗き込む。


「ええと、昔、"あの"森でよく一緒に遊んだ――」


 僕の父と母がまだ生きていた頃、よく遊んでいたあの子。名前は確か――


「アズリエルです! 覚えていてくださったのですねっ――エリオット様!」


 彼女は歓喜のあまり、瞳をにじませる。


 正直、名前までは覚えていなかった。でも彼女のたまらなく嬉しそうな表情を見ると、そうとは言えず目をそらす。


 エリオット……様か。様づけなんて初めてだ。

 自分には不釣り合いすぎて、背筋がかゆい。


「エリオット様……?」


 不思議そうに名前を呼ばれて、視線を戻す。心配そうに見つめる顔が目の前にある。

 美しい顔。甘く熟した果実のような唇は、思わず触れてしまいそうなほど、魅惑的だ。

 それが後、数センチの距離にまで来ている。

 心臓が太鼓のように鳴り響く――


    


「――コホンッ」




 咳払いが聞こえ、現実に戻される。

 彼女もはっと気づいて、顔を真っ赤にしながら引っ込めた。

 その声が無かったらたぶん……


「お二人さん。俺が居るってこと忘れてないかね?」


 僕の妄想をかき消すように、含み笑いがこもった声で男は言った。


 前髪を後ろに撫で付けてた白髪。

 窓辺で腕を組んで立つ彼は細身ではあるが、がっしりとした筋肉がついているのが服の上からでもわかった。


「まずは、お礼申し上げるよ、少年。『厄災』の魔物を祓う事ができた」

「いえ、お役に立てたなら……幸いです」

「それはこちらが言うべき言葉だぜ。おっと、名乗ってなかったな。俺はシェンフー、そちらにいる巫女殿の護衛をやってる」


 片手を広げて、一礼する。

 ガラの悪そうな風貌をしているが、その立ち振る舞いはところどころ、気品を感じさせた。


「エリオットです」

「お噂はかねがね。巫女殿からノロケ話を耳が痛くなるほど聞かされてるよ」

「しぇ、シェンフー!」


 あわあわと巫女、アズリエルが立ち上がって彼の口を塞ごうとする。

 ノロケ話とはなんだろう。

 一緒に楽しく遊んでいた記憶しかないので、僕には心当たりがない。

 アズリエルの妨害を、ひょいと避けると彼は部屋の扉の前へと移動した。


「まあ、積もる話もあるようなんでね。ゆっくり二人で親睦を深めてくれたまえ」


 楽しそうに、ごゆっくりと一言告げると部屋から出ていく。



 ――なんだか、気まずい空気が流れる。


 彼女は頬を赤らめながら、ちらりとこちらを見ると、そそくさとした仕草でベッドの隣に立てかけられた椅子へ、ちょこんと座った。


「……元気そうだね」


 この空気をかえたくて、僕は当たり障りのない話をきりだした。


「……はい。エリオット様」

「エリオット、でいいよ。様をつけられると、変な感じだし」

「……では、わたしも昔のようにアズと」


 指を突き合わせながら俯き、僕を上目づかいで見る。胸がきゅんとする可愛らしい仕草。

 昨日、見せた巫女としての凛々しい姿はなく、ここにいるのは年相応の乙女のようだ。


「……了解、アズ」


 少し恥ずかしいが、そう呼ぶと彼女はぱぁっと明るくなった。

 だが、何かを思い出したかのように、すぐに表情を曇らせる。


「その……エリオット。わたしはあなたに謝らないといけません」

「謝る?」


 何のことだろう。

 謝られるようなことを、子供のころにした記憶は――特にない。

 昨日だって、傷を癒してもらったのだから、むしろ感謝したいところだ。


「その、"ケルベロス"の力です。十年ほど前の……あの日。わたしを守るために……傷ついたあなたを、助けるため――父が授けた力です」


 あの日。彼女の言葉で、うっすらと記憶が蘇ってくる。

 記憶にあるのは幼かった彼女を魔物から守るために、盾になったことだけだ。

 右目にできた傷はその時のものだというのは覚えている。

 だがその時に、ケルベロスの力を授けられたというのは、まったく覚えていない。

 彼女の父の顔すら、思い出すことはできなかった。


 覚えていないのは――たぶん、その日が父と母を失った日でもあるからだろう。

 魔物に村を焼かれ、孤児となった日だ。

 彼女と一緒にいた楽しい思い出は、僕の平和を奪った辛い過去を思い起こさせるものでもある。

 だから、心の奥底にしまい込んでいたのかもしれない。


「幼かった私は、どうすることもできず、父に連れられて村を離れ……エリオットのお父様とお母さまが亡くなられていた事を知ったのはつい、最近のことです」


 彼女はうつむき、綺麗なスカートをぎゅっと握りしめる。


「巫女となるまで、私は外の世界を知らずに生きてきました。それまでエリオットが沢山の辛い思いをしているとも知らず……」


 声が震えている。


「巫女としての旅を始める前に、どうしてもエリオットに……一目だけでもいいので、会って謝りたかったのです。あの日の事と、その力を授けて何年も放っておいた事を」


「……いいよ、そんなの」


「で、ですが」


「……気にしないでいいってば。まあ、大変だったのは本当だし……神降ろしの儀式で何も起きなかったのは……ちょっとしたトラウマだけどさ」


 神降ろしの儀式は、冒険者を目指す者にとっては通過儀礼のようなものだった。

 自らを守護し、力を貸してくれる『神獣』を降ろす。

 強大な力を持つ『神獣』を手に入れる者もいれば、ごくわずかな加護しかない『神獣』を宿すこともある。

 その結果、冒険者になること自体、諦めてしまう人もいた。

 僕はその中で唯一、『神獣』が降りなかった。

 今となっては、それは当たり前だった。もうすでに『宿って』いたのだから。

 とはいえ、当時は相当ショックだったし、笑いものにもされた。

 でも――でもだ。


「僕が夢を――冒険者を諦めなかったのは……アズとの約束があったからだよ。また会えるとは夢にも思わなかったけどね」


 これは本心だ。

 忘れかけていたけれど、腐らず冒険者を目指し続けれたのは、彼女のおかげだ。

 その上、彼女の力が必要だったとはいえ、『神獣』が僕にもついていることが分かった。

 今まで悩んでいたのが、馬鹿らしくなるくらい――すっきりしている自分がいた。


「おかげで冒険者にもなれたし、こんなすごい力まで貰ってたんだから、謝る事なんか――何もないよ。ありがとう、アズ」

「……っ――うわあああああああああああああん!!」


 彼女は押し殺してきた感情を堪えきれずに、僕の胸でわんわんと泣き始めた。

 思いつめていた表情からは、恨み言の一つでも言われると思っていたのだろう。

 あの日もこんな風に泣いていたような気がする。


 僕はアズが泣き止むまで、優しく髪を撫でてあげた――幼い頃のように。






「すいません。エリオット……恥ずかしい所をお見せしました……ぐしゅん」


 真っ赤な目で鼻をすすり、アズは申し訳なさそうに僕の胸から離れた。

 どうやら少しは落ち着いたようだ。

 おかげで服がべちょべちょだけども。


「いいさ。気にしない、気にしない」


 照れ笑いを見せて、アズはもう一度だけ鼻をすする。


「ありがとう、エリオット。本当に。……そうだ、私に何かできる事はありませんか?」

「できる事?」

「はい。こんなわたしを許してくださった、お礼がしたいのです。どんな事でも構いません」


 彼女は、真剣なまなざしで僕を見つめる。その表情から、いかなる内容であっても拒まないという固い決意が感じられた。


「何でもって言われてもなぁ」

「なにかありませんか?」

「うーん……」

「些細な事でも構いません! か、仮にそれが……た、多少……は、破廉恥な事であっても、わたしは甘んじて受けます!」


 自分で言って、恥ずかしくなったのだろう。

 アズは耳まで真っ赤にしながら、しかし覚悟は決めているという表情でこっちを見つめる。

 思わず、視線を彼女の身体へ向けてしまう。

 年頃にしては大人びた身体、立派に成長し大きくたわわに実った二つの果実に目を奪われてしまう。

 幼い事に遊んだアズ以外では、今までほとんど女性とは接点がなかった。

 女性免疫が皆無な僕には、あまりにも凶悪な誘惑だ。


 だが、さすがにそんなお願いをするほど飢えた狼ではない。……たぶん。


「えーと、えーと……ああ、そうだ」


 必死に探して思いついたものがある。


「アズは巫女として旅をしているんだよね?」

「はい」

「じゃあ、その旅に僕もついて行ってもいいかな?」

「えっ……」


 嬉しさと、ほんの少しの迷いが混じった顔を、アズは見せた。


「約束したろ?一緒に旅をしようって……その約束を今こそ守るよ」

「で、ですが……」

「ずっとやってきたハウンド団にはもう……居られないしね」


 刺されて置き去りにされたから……とは、言えなかった。

 ジェスターの顔が脳裏に浮かび、少し心がざわついた。

 彼は僕が生きていると知ったら、どんな顔をするだろうか。

 そんな彼と顔を合わせるかもしれないと思うと、この街に居るのも気が引ける。


 生き残ったのは、僕とジェスターだけ。

 ハウンド団は壊滅したと言ってもおかしくない。

 時間はかかるだろうが、ジェスターは一人でもハウンド団を再建することができるだろう。

 力を手に入れた今なら、復讐することも可能だ。だけど、それなら僕はこの街を出て、二度と会わないようにしたかった。

 そうしたいと思うのは、まだ、どこかで彼を信頼している僕がいるからだ。

 あれだけひどい目にあったというのに。


「と、とても嬉しい提案なのですが……その……」


 彼女は、言葉を濁す。巫女の旅は『厄災』を討ち払う旅だという。魔物との戦いも苛烈になる。

 だから彼女は、僕の身を案じてくれているのだろう。


「危険な旅なのは承知の上だよ。それでも約束したからさ、一緒に旅をして――君を守るって」

「……」


 小さな頃のたわいのない口約束だ。義理堅く守る必要はないと彼女は思っているだろう。

 それでも僕にとっては冒険者になるためのきっかけであり、原動力だった。

『厄災』の魔物に襲われた僕が今、こうして生きていられるのも彼女のおかげ。


 だから、僕の『力』を使おうと決めた。


 ――アズのために。



 彼女は何かを思い悩んで――視線を落とす。しばらくして、決心したように彼女はゆっくりと口を開いた。


「……わかりました。約束ですもんね……」


 迷いを吹っ切るように笑顔を僕へ見せる。


「よろしくお願いします、エリオット。しっかり守ってくださいね――私の最高で最強の騎士様」

「最高とか最強は……ちょっと言い過ぎだと思う」

「いいえ。エリオットは一番強くて、一番かっこいい騎士様ですっ」


 アズがいたずらっぽい笑顔を見せる。

 ここまで期待されているんだ。

 この笑顔を守るためにも、僕は頑張らないといけないな。


「わかったよ。そうなれるように……頑張る」

「はいっ」


 握手を交わす。僕の手をアズは確かめるようにしてぎゅっと握りしめた。


「それにしても、よく僕を見つけたね」

「それは――エリオットが、昔、仲間を集めたら、"ハウンド団"と名付けると、言っていたからですよ」

「ああ――そっか」


 そうだった。

 ジェスターに提案して、彼が気に入って正式採用されたんだったっけ……


「ハウンド団と名乗る、新鋭の冒険者パーティがあると風の噂で……皆、若者ばかりだと聞いたものですから、居ても立っても居られず……」

「おかげで助かったって訳だね」

「ふふ……そうですね」


 クスクスと笑うアズ。その姿はとても可愛らしかった。



 と――


 コンコン。



 ふいに、ドアをノックする音が聞こえた。


「どうぞ」


 僕が答えると、ドアの隙間から、シェンフーさんが顔を見せた。


「楽しい時間を邪魔して悪いが、この街の領主から呼ばれてね。厄災の魔物について、詳しく聞きたいそうだ」


 街の近くで、『厄災』の魔物が現れたのだ。

 すぐにでも事情を知りたいのは、統治する者としては当然だろう。


 アズと顔を見合わせて、頷きあう。

 ベッドから身体を起こして、立ち上がる。ふらつく様子もないので、身体に問題はなさそうだ。


「行きましょう、シェンフーさん」

「おう。ああ、それと」


 シェンフーさんが僕を見る。


「ハウンド団の生き残ったボスも一緒だ。良かったな、少年」


 彼の言葉にドキリとする。

 事情を知らない彼は、善意で知らせてくれたのだろう。

 だが、僕にとって、もう会いたくない相手だ。


 せめてもう少し、あの出来事を、心の中で整理する時間が欲しかった。

 しかし、その猶予は与えられる事はなく。



「さあ、行きましょう。エリオット」

「……ああ」


 心をざわつかせたまま――


 僕を刺し、逃げ去ったジェスターが居る、領主の元へと向かう事になった。

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