2.神獣覚醒

 



「よかった。間に合った……」


 僕を見下ろす藍色の女神様は、心底ほっとしたように、僕へ微笑みかけた。


 まるで彫刻のように整った美しい顔。慈愛に満ちた葵色の瞳。透き通るような肌。

 首元で結われた三つ編みが僕の頬を撫でる。サラサラとした毛質がとても気持ちがいい。


 女神様が僕を迎えに来たにしては、肌に触れる髪の感覚は人間のようだ。



「すいません。少し痛いと思いますが、我慢してくださいね」


 女神が心配そうに僕の頬を撫でる。すべすべな指先。

 その指先の感覚を味わいながら、眠りにつきたい。


「――ぐあぁっ!」


 夢から醒ますように、僕のわき腹から激痛が走る。

 目を向けると、女神が僕に突き刺さっていたナイフを引き抜いていた。


 その痛みでようやく僕も気づく。

 今、見てるのは、女神じゃない。そして僕はまだ――生きている。


「あ、あなたは」

「動かないでください。今、傷を癒します」


 身を起こそうとした僕を制止し、女神に見えた女性が血の滴る腹部へと優しく手を当てる。


 祈りを捧げるように、彼女はゆっくりと目を閉じる。

 ――と、彼女の手から淡い光が漏れ始めた。

 そして、じんじんと痛む、わき腹から暖かさを感じ始める。

 刺された時とは違う、何か優しさを感じる暖かさ。

 それが広がるにつれて、僕を襲っていた鋭い痛みがどんどんと和らいでいく。


「これで、ひとまずは安心です」


 彼女が、ふうと息を吐く。

 僕の痛みは、その息に運ばれるように、きれいさっぱりかき消えてしまっていた。


 ふと、彼女のそばから視線を感じて、首をあげる。

 彼女のか細い肩に、大きな鴉が鎮座していた。

 ただの鴉でないのは一目でわかる。

 眩い光を放ち、『三つ足』にはそれぞれ勾玉が握られているその鴉は、僕をじっと見つめていた。

 その鴉が『神獣』であることもすぐに理解できた。

 そして、『神の使い』を宿し、人々に癒しを与える事ができるのは――


「巫女様……?」


 僕の問いに反応して、彼女がにっこりと笑う。

 『破邪の巫女』。

 『厄災』を討ち払い、人々に平和をもたらす者――

 本物を見るのは初めてだ。


 その彼女は何故か、瞳を涙で潤ませている。


「やっと……やっと会えた……」

「あ、会えた……?」


 どういうことだろうか。

 たまたま、助けに来てくれたにしては、喜びすぎだ。

 ましてや、『厄災』の魔物は倒されていないのに。


 そうだ。


 僕がそれに気づくと同時に、彼女の背後から叱責の声が飛んでくる。


「感動の再会は後にしてくれ! こっちは結構――大変なんだ!!」


 視界の先に――鳥頭の大ナタを受け流す人間が見えた。

 いや、人間というよりももっと獣に近く……二足歩行をする虎のような……

 彼は身体をまさに猛獣のようにしならせて、アンドラスの猛攻を躱し続けている。



「は、はい! すいません!」


 白い毛並みの『人虎』からお叱りを受け、彼女は背筋をピンと正す。

 涙をぬぐい、真剣な表情で僕の手を握る。


「時間がありません。……力をお貸してください」

「力って……僕が?」


 そんな馬鹿な。

 言いかけて、口をつぐむ。


 僕には『魔』と対抗できる『神獣』は持ち合わせていない。

 その上、戦闘でろくな役に立たないのは、この4年間で嫌というほど思い知らされている。


『役立たずのエリオット』、その名がふさわしいとは自分が一番、感じていた。


 そんな僕に一体、何の力があるっていうんだ?


「残念だけど、巫女様。僕なんかじゃ役に立たないよ……人違いだ」


 まるで自分に言い聞かせるみたいだ。


 だけど、彼女は首をゆっくりと振り、否定する。


「いいえ。間違いありません。間違えるはずが――ありません」


 彼女が僕の頬へと優しく手を当てた。

 そして、ゆっくりと僕の右目に深くついた傷跡を撫でる。


 僕が冒険者を目指したきっかけ。幼いあの日、『あの子』を守ってできた名誉の傷だ。

『あの子』……そう、『あの子』も藍色の髪をしていた……


「信じてください。あなたは私の最高で、最強の騎士様なのです」


『あの子』によく似た彼女が、両手で僕の頬を包み込む。

 ほんの少し近づけば、触れてしまいそうな唇が、言い聞かせるように呟いた。

 まっすぐと僕を見つめる瞳。まるで心の奥底まで突き刺すような視線が、なぜか――なぜか僕の心に勇気を与えていた。


「今から、その眠りし力を開放します」

「眠りし力……?」

「ずっと昔に授けられた力です。ずいぶんと苦労をかけてしまいましたが……今、その楔を解き放ちます」


 僕の胸元に手を当てて、彼女は祈りを捧げ始める。


 ドクン。


 心臓が大きく波打つ。


 ジャラリ――


 胸元から鎖が垂れるような音がする。


「冥府の番犬よ。門の守護者よ。今こそ目覚めの時です――!」


 彼女が勢いよく、僕の胸元から鎖を引き抜いた。




 ――アオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!



 狼に似た、獣の雄たけび。それが三重になってこだました。


 引き抜かれた鎖の先から、三つ首をした、灰色の狼が飛び出すと――ぐるりと僕へときびすを返し、迫ってくる。


 鋭い牙をむき、勢いを増して、突進。


 ――僕の胸を突き抜けた。


 ――瞬間。


 僕の身体を灰色の甲冑が覆い始める。


 獣の毛並みが逆立つように。


 心臓から波紋が広がる様に。



 ガチガチと牙を鳴らすような金属音と立てて、瞬く間に全身を覆っていく。



 ――アオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!


 また獣の雄たけび。

 それは、僕を覆う灰色の狼を模した鎧からだった。


 僕はいつの間にか灰色の狼騎士へと変貌していた。


 そして――



 ガショリ



 甲冑の兜が独りでに降りると――




 右目の傷を模した深い溝から赤く、鈍い眼光が輝いた。

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