稽古百二日目
早朝、病院のエントランスをこっそりと抜け出た。なお、ベッドには自主的に仮退院するゆえの手紙をそれぞれ残してきた。
外には、内密に呼んでいたタクシーが停まっている。乗り込むと私は行先を告げた。
「いやあ、全員無事に仮退院ができてよかったですわね」
「隠れてコソコソ、無理矢理にでしゅけどね……」
「ところで、ワタクシ……大砲様にお願いがあるのです。皆様にもご意見を訊きたいのですが……」
「なんでしょう?」
「今後、ちゃんこ鍋は肉系はやめて魚系のちゃんこを主体にしてはいかがでしょうか」
「ああ。なるほどでゴザイマス。生肉の刺身を食べたせいで、今のような状態になったのですから、それはそれは真っ当な気持ちでゴザイマス。私も賛成でゴザイマス」
ヤバい菌のついたお肉を食べたせいで、生死の淵をさまよったわけだから、肉に対してトラウマが芽生えたのだろう。私も、病院食で出される肉には、まだ手をつけれていない。とはいえ、しばらくすると、またお肉を食べたくなってくるのだろうけどね。
「分かりましたわ。では、今後は魚を主体にしてちゃんこ鍋をお作りしましょう。しかしながら、皆様、本来なら食事当番はルーティーンなのですよ? そこのところをお忘れなく」
「はーい」
初日に調理をした三羽黒しかり、私以外の部員もそれぞれ鍋を作ったことがあったが、これまでのところ、みんなが失敗作を生み出している。結局、食材を無駄にするのは勿体無いということで、私が食事当番を続けているのだが、いつかは彼女らにも任せたいと思っている。私だって自由時間が欲しいから。
「それにしてもワタクシ、あの小学生のクソガキたちに早く目にものを見せてやりたいですわ。強くなって、土俵の外にぶん投げてやって、泣かせてやりたい! おほほほ」
「本来なら大人げないと非難するところですが私、三羽黒様に強く同意しましゅ!」
「そうでゴザイマス。私も同じく、でゴザイマス!」
私は頷いた。
「気持ちは同じようですね。これから向う場所は浜辺なのですが、そちらで存分に特別稽古をいたしましょう」
「えっ? 浜?」
「私たちは病み上がりでありますが、力士は怪我した時にも痛み止めの注射を打ち、テーピングし、場所に出場する場合があります。これぞ、観客の胸を熱くさせるファイティングスピリッツ! 私達も今日は、そのような力士の仲間入りを果たすのです。違いは、怪我と食中毒&ノロウイルスの点のみ!」
「かなりずれているような気がしてならないのですが、ワタクシたち、確かに飽きるくらいに病院内で燻ぶりましたものね」
「大砲様、浜辺で一体、何をするのでしゅか?」
「それは到着してからのお楽しみです」
しばらくして浜辺に到着した。
昨日、三羽黒にお願いして用意してもらった器材が、すでに置かれていた。私は皆に言った。
「皆様、お聞きください。本日の稽古メニューを発表いたします。本日は2種類の稽古を用意しました。その名も『鉄砲ランニング』と『勝ち抜き稽古』です」
「どんな稽古なのでしょう?」
「なぜ小学生に負けたのか、私は生死の境から戻ってきてから、ベッドで横になりつつ、ずっと考えておりました。それはつまりは投げ技を知らないから! おそらく、本気で勝とうと思えば、すぐに彼らに勝てるとは思います。私達も投げ技を習得すればいいだけなのです」
「なるほど~大砲様、分かりましたわ。ワタクシたちがこれからするのは、投げ技の特訓なのですわね」
「でしたら、投げ技を学ぶのでゴザイマス」
目を輝かせている彼女を見つめて、私はかぶりを振った。すまん。これからするのは、投げ技の稽古ではないのだ。
「皆様、しかしながら、それで勝てたとしても後に続くでしょうか?」
「どういうことどす?」
「私達は押し相撲で勝たなくてはいけないのです。前に前に出るという相撲の基本だけでも勝てるようにならなくてはなりません。想像してみてください。野球のピッチャーを。ストレートボールだけで勝てるピッチャーがカーブも使うようになったらどうなるでしょうか。恐ろしい投手と怖れられ、ドラフト1位も夢ではありません! 一方、ストレートボールで小学生相手に勝負もできないピッチャーが、目先の勝利のためにカーブを覚えて勝てたとしても、そのピッチャーのこの先は、たかが知れている、とは思いませんか?」
「野球のルールには詳しくないどすが、なんとなく、一理あるような気もするどす」
「投げ技は所詮は小手先の技術です。私たちには、まだ3年早いっ!」
「3年経ったら、もう卒業していますわっ!」
………………。
「3年は言い過ぎでしたが、どちらにせよ、投げ技の修得は小学生相手に勝てるようになってからです。それまでは押し相撲限定でいきますよ。そこで、あれです!」
浜辺には5つのドラム缶が置かれていた。ドラム缶の下には大きなソリがあり。このソリとドラム缶は溶接されて一体となっていた。三羽黒の会社の技術者は優秀である。私の要望に一晩で応えてくれた。
「強制ギブスが摺り足強化用の秘密兵器とすれば、これは鉄砲専用の秘密兵器です。私達は鉄砲を極める必要があります。そこで、この『鉄砲ランニング』を考案しました」
私達はドラム缶に近寄った。5つのドラム缶には、各自の名前が書かれてあり、それぞれが前に立つ。
「これは一体……どうするのでしゅか? この見た目から、なんとなく予想は付きましゅが。一応、聞かせてほしいでしゅ」
私は説明する。
「私達にとっての鉄砲というのは、稽古部屋の柱を何度も押すという内容ですよね。しかし、柱を押したとしても、結果が目に見えないので、面白くはありません」
「あの……どうして、浜辺でやるのでゴザイマスか?」
「いい質問です。後々はこの『鉄砲ランニング』は、グラウンドの隅をお借りして、そちらで稽古をしたいと考えておりますが、今回これを浜辺でやりますのは、いわゆる演出です」
「演出?」
「潮風に体を打たれながら、ロマンチックに夕日をバックに鉄砲をする。これこそ青春ではありませんか?」
「全然、ロマンチックだとも青春だとも思えませーんっ!」
全員一丸となって抗議してくる。しかし私は聞く耳をもってない。
とりあえず、ドラム缶を普段鉄砲する柱に置き換えて、実際に鉄砲をしてもらった。
目標距離地点は約5キロ先に見える灯台そばのテトラポットだ。そこまで砂浜が続いている。この稽古は、ドラム缶を『鉄砲』のみで動かしていくというシンプルな稽古内容だ。柱に向って行う鉄砲よりも、実際に結果が形となって現われるので、面白いと思ったのだ。ドラム缶の中へ砂を入れて負荷を増すことも可能だが、今回は最初だし、病み上がりということもあり、ドラム缶の中を空の状態にして行った。
が……。
それでも、まだまだひ弱な部類に属する私たちにとって、しんどい稽古となった。
まず、数メートル後ろにいる三羽黒が言った。
「ワタクシ……し、死んでしまうかもしれません。病院から仮退院したばかりなのに、こんなハードなことをするなんて、しかも病院服です……しかし……なんという、演出でしょうか。いつのまに、このようなものが貼られていたのでしょう……止めることができません」
「うふふふ。やる気を引き出すためですよ」
「私も、やる気を引き出されましゅた。稽古を止めて病院に帰りたい気持ちも、この写真を見ると、消えるでしゅ! おらでしゅおらでしゅ! おらおらおらおらおでしゅ!」
「憎たらしい『アイツラ』の顔写真をドラム缶に貼るだなんて大砲様……粋なことをしてくれるでゴザイマス」
「ストレス解消にもなるどすなあ」
ドラム缶には、各自のライバルたちの顔写真を貼っていた。
私達はドラム缶に向かって鉄砲をしながら、灯台の近くまで到着。人間、やろうと思えば大抵のことができるようである。なお、ここまでくるのに6時間もかかった。時刻は午後3時といったところだ。
「皆様、よく頑張りましたね。では、ドラム缶の下にありますソリの方向を逆に変えまして、今度はスタート地点まで同じように鉄砲ランニングで戻りましょう。それで本日の特訓はおしまいです」
「そ、そんなああ。また戻るどすか? うち、ここまで来るのに、殆んどの気力を振り絞ったのに、もはや、くじけてしまいそうどす」
南の富士はぺたりと横に倒れた。南の富士だけではなく、三羽黒も夜赤竜も臼鴇もみんな倒れた。
「うふふふ。その前に『勝ち抜き稽古』という稽古もやりますよ」
「『勝ち抜き稽古』とはなんでしゅか?」
私は説明する。
「私たちは小学生相手に手も足も出ない状態です。投げ技を習得していないこともその要因としてあげれますが、経験値も足りませんでした。『勝ち抜き稽古』とは私たちがガチンコで取組を行うという内容の稽古です」
「おお! これぞ、病院をこっそりと抜け出したかいがあったというものでゴザイマス。素晴らしい稽古法を考えられましたデスネ! しかしながら、もう腕も足もがパンパンでゴザイマス」
「だからこそ、今からするのです。今、あなたたちは『押す』という行為を口から息を吸う如くにできる状況にあるといえるでしょう。『勝ち抜き稽古』のルールをお伝えします。まず、2人で相撲をとります。そして、勝った者は土俵に残り、負けた人は土俵から去る。そして、新たな挑戦者が、勝者に挑む。それをエンドレスで行うというシンプルな稽古内容です」
「お、面白そうでしゅ。やってみようでしゅ!」
「ただし、皆様。取組で負けた場合は罰ゲームをして頂きます」
「なんでしゅか?」
私は笑顔で言った。
「毛をむしり取りまーす。負け過ぎたらツルツルになるので、ご注意を!」
「はっ?」
「ごっそりと毛根ごと抜きます」
「大砲様、当然ながら冗談で言ってるのだと思いますが……真顔でいうのはよしてください。ワタクシ……大砲様がそら恐ろしく思えてきました……」
「うふふふ。髪の毛とはいっておりません。そんなところを抜いては、洒落になりませんものね。私たちはレディー。下の毛やわき毛……そういう毛を抜こうといっているのですよ。無駄毛処理できて一石二鳥っ!」
「嫌どすよ。そんな罰ゲーム嫌どす。普通、筋トレとかにおさめるのが一般的じゃないどす?」
「そうでしゅ! 毛を抜かれるよりも、筋トレのほうがもっと一石二鳥でしゅ」
「ワタクシもそう思いますわ。弱い者が負ける。負けた者は修行をする。そして、強くなって自分を負かした相手を打ち倒す。これぞ少年誌のスポコン漫画の無限ループ! 私たちもこの法則にあやかるのです。毛を抜くより、筋トレの方が有意義ですわ」
……………………。
私は、砂浜に円を描いていく。筋肉トレーニングも考えたには考えたが、不満の声があがるだろうと思って、罰ゲームを毛抜きとしたのだ。しかし、自分達で筋トレのほうがいいというのであれば、私はそれでも構わない。
「分かりました。負けた人は腹筋、腕立て、背筋をそれぞれ10回ずつ、というのはどうでしょうか」
「大砲様、あなたは鬼ですか! どれだけ取組を行うか分かりませんが、10回は多すぎです。考えただけで震えが止まりません。9回にしてくださいっ!」
「……それじゃあ、9回でいいです」
「大砲様、もう一声お願いしましゅ」
「そうどす! もうひと声!」
「……8回」
「ちょっと、皆様、やる気があるのでゴザイマスか? 私は皆様を批難せずにはいられないのでゴザイマス」
夜赤竜が眉間に皺を寄せながら、3人を非難した。
「おお。さすがは夜赤竜様。やる気があるのは夜赤龍様のみでしたか」
夜赤竜は3人に向かって片手を開いた。
「もっと、値切りませんと5回と!」
「おー」
「5回って、当初の半分ではありませんか! 勘違いした私が馬鹿でした。まあ確かに、私も適当に10回ずつと言いましたが、今にして思えば、かなり厳しいかと思います。わかりました、5回で構いません! 負けた人は腹筋、腕立て、背筋をそれぞれ5回ずつです。しかし、皆様。ご自身らが数を落とした手前、しっかりとやってくださいね~」
二時間後、私達は延々とこの稽古を続けた。これまで実際にガチンコでの取組稽古をしてこなかったので気付かなかったが、なんと、私たち5人の力は拮抗しているようだ。勝率はほぼ互角なのだ。
「今度はワタクシが勝ちましたわ。おほほ……ほ……」
「うーん、もう筋トレは嫌でしゅ。体中がパンパンでしゅ」
「臼鴇様、頑張ってください」
「腕立・腹筋・背筋を5回ずつだなんて、あなどり過ぎていたでゴザイマス。すでに限界を超えてて腕がやばいでゴザイマス。腹筋もやばいでゴザイマス。背筋がやばいゴザイマス。結局、体中がやばいでゴザイマス」
誤算だったことは、この稽古法はかなりのハードなものだったという点だ。罰ゲームの筋肉トレーニングもきつかったが、全身の筋肉を使う、取組自体も、かなりの筋肉トレーニングになっていた。勝てば楽になる、というわけでもないのだ。
私は空を見た後、そろそろ終わりにすることにした。もう、夕焼け時なのだ。
「『勝ち抜き稽古』はこれにて終わりまーす。さすがに、病院にいつまでも戻らなかったら、看護士さんたちも苛立つかもしれません」
「そうどすな。あー、有意義な時間だったどす」
「そうでしゅね。辛かったけれど、久々の稽古で、またひとつ強くなったような気がするでしゅ」
「早く戻って病院食を食べましょう。ワタクシ、お腹が減りましたわ。今日は何も食べていないのですもの」
「そうですね。さあ、では皆様、ドラム缶の向きを変えましょう」
「えっ?」
「朝、ここに来ました場所に鉄砲をしながら戻りましょう。人は限界を超える時に、真の力を出すのです。それに言ったではありませんか? 夕陽をバッグに鉄砲すると。今、その夕陽が出ています」
4人は唖然とした顔をした後に、一斉に叫んだ。
「無理ですー」
でも無理ではなかった。ただし、8時間かかった。
病院に戻った頃には深夜を越えており、看護士さんたちに見つかったところ、滅茶苦茶叱られた。
私たちは、まだ完治していないのに、体に無理をさせたためか、病気が再発。本当はすぐに退院できるはずだったのに、体調をこじらせて、さらに何日も余計に入院する羽目になった。
私はベッドで横になりながら今後、病気になった時は、運動なんてせずに安静にしていようと思った。
一学期もまもなく終わろうとしている。まだまだ弱い女子相撲部ではあるが、私は確信している。来年夏には全国大会で大暴れできるまでに力を付けられるだろう、と。私は次に行う稽古法を考えた。
花咲くオトメのおんな相撲~金持ち令嬢たちが相撲に挑戦するそうです~ @mikamikamika
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