休養中2
臼鴇に関しては、空きが出たという最高級のスイートルームに部屋変えしてもらい、そこに滞在しているという。病院の最上階にその部屋があり、みんなで見学しに行くことにした。
部屋の中に入ると、私が寝泊まりしている一般病室とは月とスッポンな、リゾートホテルといっても差支えがない内装になっていた。
一体、一泊で何万円するのだろうか。
「素晴らしい病室ですわね。ワタクシもお父様に頼んで、スイートルームに移動させてもらおうかしら」
「私も移動させてもらうでゴザイマス。空きはあるでゴザイマス?」
「空きが無ければ、工事して作ればよろしいのですわ。おほほほ」
「うちもお願いするどす。大砲様も、そうするどす?」
「や、やめてください。私がこうした部屋で寝泊まりしているのを想像させないでください。そんな話をされると食中毒とノロウイルスが、ようやく落ち着いたところなのに持病が悪化し、更なる入院が必要となるかもしれませんから……」
「も、申しわけないどす。大砲様は、『勿体無い病』に感染しているのどすよね。現代の奇病。この病院に精神科がありますので、通われてはいかがどすか?」
私はすでに4人に、自らの特殊な病気について、打ち明けている。
『勿体無い病』とは、便宜的に名付けられた病名だ。イップスの一種とでもいおうか、尖端恐怖症やアパートの床が抜け落ちて死ぬのでないかと日々怖がって生活している精神病患者と同じように『勿体無い』と私が認識することにより発病し、体がガタガタ震えだして精神の安定を保てなくなるという、とても厄介な病気だ。
他の精神病と違って、この病気はさらに厄介な点があった。私が精神科に通うという行為そのものを『勿体無い』と認識しているところだ。
すなわち、精神科に通ったところで、治るわけがないと思っている私は、金の無駄遣いになると捉え、精神科医に診断してもらうことそれ自体が、発病条件となるのだ。
「そんな勿体無いことできません。精神科に通ってお金を払うくらいならば、根性で治してみせますわ。モッタイナイです。モッタイナイです。モッタイナイです。モッタイナイです。モッタイナイです。モッタイナイです。モッタイナイです。モッタイナイです。モッタイナイですわ。モッタイナイですわ。モッタイナイ。モッタイナイ。モッタイナイモッタイナイモッタイナイモッタイナイモッタイナイモッタイナイ!」
ゼーハーゼーハー。
やってしまったようだ。気がつけば我を忘れて床をのたうちまわっていた。
4人とも愕然とした目で私を見つめてくる。とはいえ、これまでにも何度か見ている光景なので、取り乱したりはしていない。
………………。
「テ……テレビをつけますわね? ワタクシ……テレビが視たく思っておりますの」
「それはいい案どすなあ。さあ、大砲様。テレビを一緒に観て落ち着きましょう」
「大砲様、上半身を起こして、ゆっくりと息を吐いて、出して、吐いて、出してを繰り返すのでゴザイマス」
体調が悪かったが、私はツッコんだ。
「そ、それはどっちも同じ行為ですよ、夜赤竜様。空気を口から吐くのも、出すのも。吸うという行為が抜けていまーす」
「……日本語、ムズカシイのでゴザイマスデース」
いやいや、あんた日本語に堪能しているじゃないか。しかし、おかげで落ち着いてきた。
「強引に話を終わらせようとしている感がありますが、お陰様で平常心に戻りました。いやいや皆様、お見苦しいところを見せてしまい、申しわけありませんでした」
「大砲様、いいではありませんか。人間は誰しも弱きところがあるのです。ワタクシは大砲様が人間らしく思え、良いと思いますわ」
「では、テレビを点けましゅね」
臼鴇は、テレビを点けた。すると、今話題の一人の女店長が映っていた。
「し、しかし運が悪いでしゅよね。たまたま入ったお店が、あのような事件を起こしたお店だったなんて」
カメラのシャッターがきられる中、女店長は突然、正座した。そして頭を下げ、土下座する。
「す、すす、すみませんでしたぁ!」
テロップには、食中毒で6人死亡とある。やはり、私達は死なずに済んで運が良かった。
「本当に私たちは死ななくてラッキーでしゅたね。とはいえ、こちらに運ばれてからの数日間は生死の狭間をさまよい続けましゅたけどね。うぅぅ。もう二度と経験したくないでしゅ、あの苦しみっ」
「ワタクシのお父様とお母様は、私が意識を戻さない時、もう駄目だといって泣き崩れていたらしいのですわ」
「当たり前でゴザイマス。娘が死ぬか生きるかの瀬戸際だったのでゴザイマスから。うちの両親も来日して、すぐに駆けつけてくれたでゴザイマス。その頃、私は三途の川を彷徨っていたのを覚えているのでゴザイマス」
「うちらはいい両親を持ったどすな。うちは、将来はうーんと親孝行したいとしたいと思ったどす。そういえば三途の川で夜赤竜様らしき人を見かけたどすが、まさか、あれは本当に夜赤竜様だったどすか?」
何をいっているのだろうか、この子たちは。私はかぶりを振る。
「怖いことおっしゃらないでください。気のせいでしょう。三途の川なんてものは存在しません!」
私は床から立ち上がると、臼鴇のベッドに腰掛けた。
「それにしても私達のかかった『腸管出血性大腸菌感染病』という病気は具体的には、一体なんなのでしょう」
「あら、大砲様は、お医者様のお話を聞いてなかったのでしゅ?」
「いわゆる食中毒どす。うちは食肉などの扱いを幼少の頃から詳しいどす。過去にも同じような事件があって、今回もユッケを提供した際、肉の表面をそぎおとす『トリミング』という作業をしていなかったのが原因といわれているどす」
「くわばらくわばら。食の安全は大事です。トリミングも大事です」
「しかも、今回の百貨店の飲食店、不正もしていたそうでしゅね。和牛ではないのに和牛と偽って外国産の肉を提供していたり、最低過ぎでしゅ」
「そういえば、夜赤竜様が美味しいと絶賛していたあのクルマエビはですね、実はブラックタイガーだったそうですわよ。夜赤竜様、クルマエビとブラックタイガーを見分けられなかったのですね。おほほほ。舌が麻痺されていたのではございませんか?」
「な、何をおっしゃられているでゴザイマスか、三羽黒様。あなたが絶賛されていた九条ネギですが、あれは、ブランドネギでもなんでもなく、近くのスーパーで購入してきた、ごくごく普通のネギだったそうでゴザイマス」
「え、ええー。そんな馬鹿な。ワタクシ、舌鼓を何度もうたされました」
「三羽黒様こそ、舌が麻痺しているのでゴザイマス。やーいやーいでゴザイマス」
「うぬぬぬ。夜赤竜様、うぬぬぬぬ!」
今回、私達を食中毒で病院送りにした百貨店の飲食店は、なんと、食品偽造も行っていたのだ。歴史は繰り返すというが、そんな事件の被害者となった私達は、とことん運が悪いと言わざる得ないだろう。
2人は睨み合う。私は溜め息をついた。
「おやめなさい、お2人とも。喧嘩はいけません。そもそも、命あるものに優劣をつけてはいけませんよ。動物も植物も、値段の高い低いも関係なしに、命を分け与えてくれた食べ物には、同じくらいの感謝を捧げて食べるべきなのです」
「そうでしゅ! そうでしゅ!」
………………。
気まずそうに三羽黒と夜赤竜は頭を下げてきた。
「すみませんでした――」
2人とも謝り合い、すぐに和解した。
「それにしても日本の食の信頼性はどこいにいったのでしょう。信用していた百貨店で食の偽造が行われるだなんて、残念でなりません」
「でも世界はもっとすごいと聞きましゅ。たとえば、韓国ではこういう事件があったらしいでしゅ。韓国のとある地域では販売期限を過ぎた肉は、販売業者の元に戻すシステムらしいのでしゅが、その肉屋は販売先から戻ってきた肉を、なんと水でゴシゴシ洗って、新鮮な肉として再出荷していたらしいのでしゅ」
「まあ。アンビリーバボーでゴザイマス! 本当なのでゴザイマスか?」
「販売業者は否定しているとかしていないとか……」
「日本でもカレー屋さんの冷凍カツの廃棄を請け負った、廃棄業者がスーパーマーケットに横流ししていたことがありましたね」
「どちらも、すごい事件どすね。でも、中国にはさらに度肝を抜かす事件があるどす。何しろ賞味期限が一ヶ月過ぎていたとか、そういうレベルではないのどす。46年過ぎた肉を売っていたというではないどすか」
「46年?」
「なんでゴザイマスかその話は? 尾ひれがついているのではゴザイマセンカ?」
「尾ひれなんてついてないどす。化学薬品などを使って保存していたらしいどす。警察による摘発で、事件が表に露出したそうどすが、うちはずっと気になっているどす。一体、どのような味がするのかと。肉は真っ白になっているそうどすが、食べることはできるそうどす……じゅるるるる」
食べたいのかいっ!
私は信じられない思いで、南の富士を見つめた。彼女は口から涎を垂らしながら、妄想しているようだ。
「私はどれだけ高利子でお金を借りてあげるといわれても、消費期限が46年も過ぎている食べ物を口にするのだけはお断りですわ。体に害がなかったとしてもです」
私たちは、臼鴇の病室のベッドに並んで座った。
「それにしても、早く稽古を再開したい焦燥感でいっぱいでゴザイマス」
「そうでしゅね」
「確か、ワタクシ……運動選手が休んだ場合、元に戻すのに同じぐらいの日数を要すると聞いたことがあります」
私達は、どんよりと暗くなった。私は意外だった。こんなにみんな、稽古をしたがっていたとは……。だったら部長として、応えなくてはならない。
「うふふふ。皆様、どうでしょうか。思い切って仮退院してみませんか? 別の言い方では『こっそりと抜け出す』ともいいます。病院を抜け出した後、さっと稽古をして、再び病院に戻るのです」
「はい?」
4人が私の提案を聞いて、ぽかーんとする。それもそうだろう。私だって自分で言いながら、何を言っているのだろうかと自分を疑う。
「まだ安静にしていなくてはいけないと言われ、退院日さえ教えて頂いておりません。しかし、今日私たちはこうして1人で歩くことができるようになりました。すなわち、医者の許可はもらっておらずとも、体は退院を許可したと受け取っていいのではないでしょうか? うふふふ。早く稽古がしたい。『アイツラ』にリベンジしたい。皆様はどうですか?」
臼鴇が真っ青な顔でかぶりを振る。
「待つでしゅ。お医者様の許可をちゃんと、取った方がいいでしゅ!」
そんな臼鴇の主張には、私ではなく三羽黒が応える。
「いいえ。臼鴇様、ワタクシ達がこうして寝転んでいる最中にも、あのクソガキどもは強くなっているのですわ。ワタクシ、それが許せません。大砲様に賛同いたしますわ」
「えー。三羽黒様、それ、本気でしゅか?」
「私も病室で毎晩のようにあの日の夢を見るのでゴザイマス。私よりも体が小さい子に、土俵際まで追い詰めて、押し出そうとした時、投げられてしまった時のことを。うぐぐぐぐ~、悔しいでゴザイマス。早く稽古がしたいでゴザイマス」
「うちも賛成どす。今度は安心・安全な料理を出してくれるお店で、反省会ではなく、祝勝会をしたいどす」
朝赤龍と南の富士も私の提案に乗っかってきた。これで、臼鴇以外は、稽古を行うことに全員賛成したことになる。
「わ、私は反対でしゅ!」
「臼鴇様は、このまま病院にとどまれたらよろしいです。ワタクシ達は行きますわ。臼鴇様は、今回は置いてけぼりにしますわ」
「お、置いてけぼり? 置いてけぼりは嫌でしゅ! 仮退院するのも嫌でしゅが、それならついていくでしゅ!」
翌日の早朝、私たちは退院することにした。無断で。私は三羽黒に、とある『器具』の用意ができるかどうかを打診した。どうやら、できるようだ。
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