稽古六十二日目

 『食事稽古』を始めてから一ヶ月が経った。数日前に、私達女子相撲部の全員が、ついに同年代の平均体重値に到達した。しかも、運動部に所属する女子のだ。これによって『食事稽古』は成功に終わった。


 また、体重を目標値まで増やしただけではない。この一ヶ月の間に『ライバル』もできたのだ。


 もちろん、恋のライバルなどではなく、相撲のライバルである。私は相撲部の実力を底上げするために、ライバルの存在が必要不可欠だと考え、出稽古の予定を組んだ。


 私達は遠征し、5×5の親善試合的を行った。その結果、5連敗という大敗北を喫した。


 この日、私達は初めて相撲で泣いた。悔し泣きだ。そして、強くなろうとみんなで決心し合った。


 なお、ライバルには負けたその日のうちに再戦を依頼していた。そしてさっき、その返答がきた。


 内容は――。


 くっ。舐めている。私達を完全に舐めている。


 休み時間、私が憤りながらスマホを睨みつけていると、私の机の前に臼鴇がやってきた。両手を順番に突きだしてから、合掌しておじぎする。


「どすこい。ごっちゃんでしゅ」


 ………………。


「臼鴇様、どうしたのですか? 突然、斬新な挨拶を受けてしまい、私はどう返事していいのかわからず動揺しております」


「えへへ。それは嬉しいでしゅ」


「いえいえいえいえいえ、褒めてはいません。むしろ逆です」


「とりあえず、大砲様も挨拶を返してほしいでしゅ」


「……どすこい。ごっちゃんです」


 先程の臼鴇の身振りをそのまま真似ると、臼鴇はぴょんぴょんと飛び跳ねて喜んだ。


 私はライバルからの舐め腐ったメールを読んで怒髪天のごとくに苛立っていたのに、臼鴇はのんきそのままだ。


「実は、相撲のルールや仕組みを覚えたのでしゅ。なので大砲様に、その報告をしに来たのでしゅ」


 私は椅子の背もたれに寄りかかって叫んだ。


「いまさらですかー!」


「はいでしゅ」


 臼鴇は満面の笑みを見せる。


 ………………。


「まあいいです。では臼鴇様、その覚えられたことを私に教えてください」


「わかりましゅた。まず私は『番付』について学びましゅた。相撲中継を子どもの頃からちらちらと目にしておりましたが、ずっと力士の人数は無限に近いくらいにいると思っていましゅた。しかし、なんとでしゅね! 幕の内力士という一軍選手らは、たったの三十人から五十人くらいの定員で定められているそうではないでしゅか! おったまげましゅた!」


「ちなみに幕の内力士の定員は42人です。相撲部部員として、是非ともちゃんとした数は覚えておきましょう」


「ちなみにでしゅね、角界のそれら一軍選手たちが『幕の内』と呼ばれる由縁についても学びましゅたよ」


 臼鴇は元気に挙手しながらいった。私は再び訊いた。


「ほおおー。では、『幕の内』と呼ばれた由縁について、お教えしていただけますか?」


 臼鴇はにんまりと笑った。知識を披露することは楽しいことだ。


「昔々、あるところにお殿様がおりましゅた。ある日、相撲観戦をする際に、お殿様は幕を張って相撲を観戦なされましゅた。その幕の中で相撲をとることが許された一流の力士たちを『幕の内』の力士と、呼ばれましゅたとさ。めでたしめでたし」


「それで現在まで、その呼び方が続いているわけですね。なるほど、これは勉強なされましたね~。ちなみに、どうして昔話口調だったのかな? 『めでたしめでたし』って、一体なにがめでたしだったのですか?」


「さあ?」


 臼鴇は首を傾げた。


「これは竜頭蛇尾の『蛇尾』というのです。細かいようですが、レディ―は余計なフレーズをお尻につけません」


「まあ! お尻だなんて、はしたないでしゅねー、大砲様は」


「……ちなみにたった今の臼鴇様が仰られたのは、蛇尾ではなく、『一言余計』というものです。覚えておいてください」


 臼鴇は再びよく分かっていないように、首を傾げた。


 まあいいや……。


「そうそう、大砲様。幕の内力士さんのお給料も調べましゅたよ。年収は1千万円を超えているそうでしゅね」


「へえ。よく調べられましたね」


「はい。本に書いてありましゅた」


 臼鴇は、私が以前に購入した、間違った四股の踏み方を紹介していた相撲の漫画本を出してきた。


「この本ですか! この本は嘘偽りも多いので、注意しましょうね。ちなみに幕の内には特級階級があります。上から横綱、大関、関脇、小結と呼ばれています。年収は上位の力士であるほど高いでしょうね」


「へえ。なるほどでしゅ! みんなで年収アップを望んで横綱を目指すわけでしゅね」


「横綱は人数制限なしですが、大関・関脇・小結は2人以上はいますね。これは会社に例えると、社長・専務・部長とでもいえましょうか。大関が社長、関脇は専務、小結は部長クラス」


 臼鴇は再び挙手しながらいった。


「大砲様、横綱はなんでしゅか! 会社内では、横綱はどのような役職になるのでしゅか? 会長でしゅか?」


 私はゆっくりとかぶりを振った。


「神様です」


「ほーーーぉ。神様……でしゅか! すごいでしゅ。すごいでしゅ。横綱、すごいでしゅ!」


「格が違うのですわ。格がね!」


 私たちが相撲談議で盛り上がっていると、隣のクラスの三羽黒がやって来た。


「おーほほほ。耳にしておりましたよ。お二人の談義を、ワタクシの地獄耳で! ワタクシも仲間に入れてくださいませ。階級についてですが、ワタクシは『十両』という階級も知っておりますわ。幕の内を1軍と例えるならば、十両は2軍となるでしょう。彼らは太陽の光をたくさん浴びんがために1軍を目指し、日々の稽古を頑張り続けるのです」


 先程まで教室にいなかったのに、その地獄耳は、会話のどこから聞いていたのだ? 私は三羽黒の説明に付け加えた。


「ちなみに十両力士の定員人数は28人だそうです。1軍の42人に比べて、2軍はもっと多くいるのかと思いきや、28人という少なさを知った当時は驚いたものです」


「そうなのですかー」


 三羽黒と臼鴇は、うんうん、と頷いた。


 隣の席の、夜赤竜も声を掛けてきた。


「私も会話に混ぜてほしいのでゴザイマス。十両の下の階級は『幕下』というらしいでゴザイマス。彼らは3軍とでも申すのでしょうか。待遇がとても悪いらしく、結婚が許されていないそうでゴザイマス」


「夜赤竜様のおっしゃる通りです。幕下の定員は基本120人です。その下にさらに定員200人の『三段目』。定員無限の『序二段』『序ノ口』が続いています」


「しかし、結婚ができないのは本当でしゅか? ストライキとかは起きないのでしゅかねー。結婚が許されなかったら、日本の少子化に拍車をかける気もするでしゅ」


 南の富士もやってきた。


「面白そうな話をしているどすな。そういえば、野球では頻繁に耳にするどすが、力士たちがストライキを起こすのは、聞いたことがないどすえ」


 私は説明した。


「ハングリー精神を生み出すために、わざと格差のある生活をさせているのです。結婚についても、幕下力士には収入がありません。たとえ結婚しても、収入がなくては、妻と子を食べさせていくことは、できないでしょう?」


「なるほど。たしかにそうどすな」


 私は続けた。


「さらに、先輩方の付き人もしなくちゃいけないため、アパートから相撲部屋に通うことは殆んど無理なのです。例えば、先輩がおトイレで大をした時、お尻をトイレットペーパーで拭うのも付き人の役目だそうですよ」


「でしたら、私たち……弱いままでゴザイマシタら、ずっと結婚できないのでゴザイマスか? 先輩力士様のお尻様をトイレットペーパーで拭わなくてはいけないのでゴザイマスか……」


 夜赤竜たちが顔を真っ青にしている。。


「そ、そんなの嫌でしゅ!」


「ワタクシも同じですわ」


 ぶるぶる震え始めた。えええ~。どうして?

 ………………。


「待ってください。あなたたちは相撲で家族を養う立場になるつもりですか? とらぬ狸の皮算用。悩む時期尚早過ぎます! しかもこれは男性力士のケースです。付き人がお尻を拭くという情報も、現在もそのままなのかどうか、不明ですからね」


「では……結婚は、できるのどすな?」


「できますとも!」


「わーい」


 そう言って純粋に喜んだ。


 私はたまに、彼女らの発言を聞いて、本気で言っているのか冗談で言っているのか、区別がつかない時がある。


 もちろん、今のは彼女らなりのジョークだ。


 ……よね?

 真剣な顔で安堵している彼女達に、私は優しく微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る