稽古五十二日目
放課後。稽古部屋にみんなが集まるや、私は彼女らに言った。
「そろそろ。他の稽古も、しましょうか?」
「おお! 賛成です」
みんなが一同に頷いた。とても嬉しそうだ。私は持ってきていたノートを広げた。
好奇心いっぱいな顔で、臼鴇が訊いてくる。
「一体、何をされるのでしゅか?」
「よろしければ、《ぶつかり稽古》というものを皆様でやってみようかと思っております。前回の相撲部屋に来訪しました際、そちらの力士様が、《ぶつかり稽古》をよくやると仰っていたのをメモしておりました」
「ぶつかり稽古?」
「そうです。毎日、基礎体力の稽古では飽きますものね。そろそろ実戦的な稽古をやってみたいとおっしゃられていたので、ぶつかり稽古を行うことにしたのです。ぶつかってぶつかって、ぶつかりまくる、という稽古です」
夜赤竜が目を輝かせた。
「それは面白そうでゴザイマス。どうするのでゴザイマスか?」
予想していた質問だ。
私は、ノートを閉じながら言った。
「実は……分からないのです。具体的な中身については、力士様に聞きそびれておりました。私の想像ですが、まず《受ける側》と《ぶつかる側》に分かれます。受ける側はぶつかってきた側を投げ飛ばします。そして、そのまま受け身の稽古に移行する――という流れでではないでしょうか……」
「なるほど、ぶつかり稽古というのは、受け身の稽古ということどすな?」
「うーん、だと思います……。あくまでも私の想像に過ぎません。小学生の頃、力士の稽古の特集がニュースで流れていました。そこではぶつかっている側の力士が、受けている側の横綱に、ポンポンと投げられていたのです。『カワイガリ』とも呼ばれていたよーな記憶もあります」
「大砲様、ちょっと待っていただけませんか? それだと、名前がおかしくはないですか? ぶつかり稽古ならぬ、《受け身稽古》ではありませんか? ぶつかる稽古なのですから、『ぶつかる』がメインの稽古である、とワタクシは思いますの」
なるほど。一理ある。
私は純粋に頷いた。
「三羽黒様の意見にも一理あります。うむむ。分からなくなってきました……」
私が悩んでいる時、臼鴇が口を開く。何かを知っているような顔だ。
「私も曖昧な記憶なので申しわけないのでしゅが、《ぶつかり稽古》とはこういうやり方ではないでしゅかね。確か……土俵の端から始め、ぶつかる側が受ける側を押して押して押して押しまくりましゅ。そして、受ける側が、土俵の反対の端まで到着して1回とカウントするのでしゅ。ぶつかり稽古は、例えばそれ10回を1セットとして、決められたセット数をやるのではないでしゅか?」
「臼鴇様がご説明されたやり方が、それっぽいどすな。とにかく、やってみようどす!」
「賛成でゴザイマス」
まずは臼鴇が受ける側で、夜赤竜がぶつかる側になった。
土俵の端に臼鴇が立って、摺り足をするような体勢で構える。
「よし、来るでしゅ。私を押しゅでしゅよ」
「ではいくでゴザイマス。臼鴇様、えいや~、でゴザイマスっ!」
夜赤竜が、腰をかがめて、レスリングのタックルのように臼鴇にぶつかった。
ドン。
衝突音がした。
そして――。
「ふにゃああああー」
臼鴇、後ろにコテンとひっくり返った。夜赤竜もバランスを崩し、臼鴇に乗りかかる姿勢で倒れた。私達は目を細めて、彼女らを見つめる。
「臼鴇様、受ける側がそんなに簡単にひっくり返っちゃ駄目どすよ」
臼鴇と夜赤竜が立ち上がる。臼鴇は先程と同じように構えた。
「もういっちょうでしゅ! くるでしゅ!」
今度は私が夜赤龍の代わりに、臼鴇と向かい合った。
「よーし。今度は私がぶつかりますね。準備はいいですか? 臼鴇様!」
「大砲様、いいでしゅよ。さあ、はっきよーい、こいでしゅ!」
私は、勢いよく臼鴇にぶつかった。
すると――。
コロン。
再び臼鴇は後ろに尻から倒れ、私も彼女に覆い被さるように倒れた。南の富士たちが、私達に手を差し伸べてくる。
「うーむ。どうしたものどすかな」
「おほほほ。今のやり取りをみてワタクシ、閃きましたわ。臼鴇様は重心が前に傾いていないのです。なので、すぐに倒れる。片足を後ろに引いた体勢で受けをやられてはいかがでしょう。踏ん張りがきくはずです。どれ、今度はワタクシが受け役をやってみましょう」
三羽黒は、土俵の端に立った。そして摺り足の体勢をとる。先程の臼鴇との違いは、片足を後ろにひいて、やや前かがみになっている点だ。
「では、私がぶつかり役をするのでゴザイマス」
「どうぞ、夜赤竜様。ワタクシがワイルドかつ華麗に受けて差し上げますわ。おほほほ」
「いくでゴザイマス。えいや、でゴザイマスっ!」
夜赤竜は先程、臼鴇を倒したのと同じようなタックルをした。
お互いの体がぶつかり合う瞬間、三羽黒は足を踏ん張り、さらに上体を前に倒した。
今度は後ろに倒れない。
夜赤竜が懸命に押したところ、三羽黒の足がずるずると滑るように下がっていき、やがて土俵の反対の端についた。
私達は拍手した。
「おお。なんだか、それっぽいのではありませんか? 《ぶつかり稽古》っぽいです。よーし、臼鴇様がおっしゃるにはこれで1回とカウントするのですよね? 10回連続を1セットとして、3セット程を目標にやってみましょう。さあ、三羽黒様と夜赤竜様。ゴーゴー!」
どーん。
ズルズルズル。
どーん。
ズルズルズル。
どーん。
ズルズルズル。
どーん。
ズルズルズル。
どーん。
ずるずる……。
夜赤竜の押しが止まった。夜赤竜の顔は真っ赤になっており、息切れが激しい。
「う、動けないのでゴザイマス。ぜーはーぜーはー」
「まだ、たったの6回目でしゅよ。夜赤竜様、頑張って押すでしゅ」
「ふんがー。押すでゴザイマス。ふんがーふんがー!」
夜赤竜が必死の形相で押す。その時、三羽黒が軽く、夜赤竜の背中を上から押した。すると……。
コロン。
「あわわわあっわー」
夜赤竜が一回転した。
「す、すみません、夜赤竜様。ワタクシ……つい……」
三羽黒が慌てた様子で、夜赤竜の元に歩み寄り、手を手を取った。
私はそれをみて思い出した。
「この光景です。私が小学生の時にテレビで見たのはこの光景でした。なるほど、受けている側が、押している側の力が尽きたとみた時に、今のように転ばせると、受け身の稽古をしているように見えるのですね」
「よーし。交代交代にやっていきましょう。おそらくこれも筋肉トレーニングと一緒で、力が尽きるくらいの限界までやることで、効果が現われるに違いありません」
どーん。ズルズルズル。
どーん。ズルズルズル。
どーん。ズルズルズル。
どーん。ズルズルズル。
「おお、これはキツイでしゅ」
臼鴇は、はあはあ、いいながら大量の汗をかいて、私を押している。この稽古は暗くなるまで続いた。とても辛い稽古だったが、初めて相手とぶつかり合うという実戦に近い稽古だったので、みんな楽しそうだった。
私は、下準備を終えていた鍋に火を入れた。
「ちゃんこ鍋はすぐに用意できます。みなさん、待っていてください」
「ハッピーでゴザイマス。お腹が減りましたでゴザイマス」
「鍋ですわ。ワタクシ、鍋はなぜか毎日食べても飽きませんの。大砲様がいつも味付けを変えていられるからでしょう。味噌味、醤油味、とんこつ味、塩味、ゴマ味、キムチ味。今日は何味でしょう?」
「早く食べたいどす」
「あらあら、皆様昨日はギブアップしかけていたのに、そんなに嬉しそうな顔をなされて……。私も作り甲斐があります」
「ワタクシ、早く体重を増やして、もっともっと強くなりたいのです。食べますわよ」
「是非ともお願いします。今の私達は食べることも、稽古ですからね」
うまうま。
私達は、昨日のデジャブのように、ガツガツとちゃんこ鍋を食べた。
私の隣では雷電くんも鍋を食べている。
そしてしばらく経った後、三羽黒がぱたりと横に倒れた。
「も、もう食べられませんわ」
そんな彼女を見た私は、椀にご飯を大盛りにして彼女の目の前に差し出した。にっこりと微笑みかける。
「あらあら、三羽黒様。体重を増やしたいとおっしゃいましたよね。まだ《食事稽古》は続いているのです。それに、お昼のお弁当もまだ残っているのです。うふふふ。廃棄処分はもったいないので絶対にしません。食べなくちゃ。もしもですが、ご自身で食べられないのでしたら、私が胃の中に詰め込むのをお手伝いしてあげましょう」
「ひぃひひひひぃぃぃ。鬼です。大砲様、あなたは鬼以外の何者でもありません。勘忍してください。どうか、勘忍してください。ワタクシに大盛りお椀を持って近づかないで。そんな黒いオーラを出さないでっ!」
三羽黒は、お腹をぽっこりさせながら後ずさる。そして、壁に背中がついた。逃げ場はもうない。
後ろで、三羽黒と同じぐらいにお腹をぽっこりさせた3人がぶるぶると震えていた。
「……勘忍しません」
「そんなー」
「《食事稽古》は辛いのです。早く一般平均な体重にまで太ってください。三羽黒様はまだ3杯しかご飯をおかわりしていません。私、全員分をカウントしております。5杯はおかわりするように申し上げたので、有言実行させていただきます。さーて、胃に入れなくちゃ」
「もう駄目です、吐いてしまいそうです。せめて、もう少しだけ休ませてください。ワタクシ、自分で食べますので。絶対に食べますので、無理矢理はやめてくださいっ!」
この日、みんな5杯おかわりした。別途に昼間の弁当も完食。みんな、腹がポッコリした。
結果――全員、1キロ増。
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