稽古五十日目

「どすこーい。どすこーい」


 ………………。


「どすこーい。どすこーい」


 ………………。


「私、質問がございます。臼鴇様は、どうして食事中に、そのような掛け声を……出してるの?」


「なぜなら、食べることも強くなるために必要だからでしゅこーい。これも訓練なのでしゅこい」


 臼鴇は私が作ったちゃんこ鍋を、がつがつと食べている。残りの3人も負けじと食べている。


 私は一枚で数千万はする受け皿に鍋の具をいれて、雷電くんにあげた。なお、雷電くんとは相撲部で飼っている豆ブタの名前だ。ちなみに『雷電』という力士は、史上最強といわれる伝説の大関だそうな。そんな力士の名前をもらった雷電くんは、妙に私に懐いており、可愛がっていた。


 私も自分の皿に鍋の具をよそった。


「皆様からやる気を感じます。私も負けておられませーん。どすこーい」


 パクパク。


「こちらも同じく、どすこーい、でゴザイマス」


 パクパク。


 味付けはばっちりだった。実は4人には伝えてないが、私の作る料理は賞味期限が当日で切れる食材のみで作られている。


 私は、通常では考えられない幼少期を送ってきた。そのため、見切り品や半額のシールが貼られた食材での料理でなくては、どうも心から食べ切った、という気がしない。普通の食材を使った場合、遠慮の心がでてくるのだ。そういう体質なのだ。これも全ては父の影響だ。知らずのうちに父のドケチを引き継いでしまった。


 しかし一つだけ、引き継げなかったものがある。それが、お風呂だ。


 お風呂が暖かいものだと知ったのは、小学5年生の頃だった。臨海学校に行った際、カルチャーショックを覚えた。


 幼い頃、私はいつも父にお風呂にいれてもらっていた。


 ある日、一度だけお風呂に入りたくないとだだをこねた時があった。


 気温が0度近くまで下がった真冬日だった。うちの風呂は、万年水風呂だった。


「お父様ぁ。ちべたーい。今日はおふろにはいりたくなーい」


 裸の私は体をばたつかせた。4,5歳の頃だっただろう。


「ばかもの! 由緒正しき財閥の娘が、何を言っている! 風呂はレディーのたしなみだ。入らずしてどうする! どれ、パパが見本をみせてやる」


 父は「心頭滅却火もまた涼しっ!」と叫ぶと、大理石の風呂に入った。


 なぜかは分からないが、父の肩から湯気があがった。その湯気をじっと見つめていると、父は私の体を抱き上げた。そして、そのまま水中にいれた。死にそうな思いだった。


「お父様、やだやだ。ちゅめたーい、ちゅめたーい」


「おろかものめ! 冷たいと思うのは最初だけだ。さあ、体を動かせ。体を動かしながらこのたわしで体をこするのだ。暖かくなるぞー。ほーら、あついあつい」


 父は私の体をたわしでゴシゴシ擦ってきた。確かに熱かった。


「いたいいたい。ひりひりするーよお」


「これが摩擦熱というものだ! 人は直発熱ができる。これからは自分でするのだぞ。お風呂を入るコツを教えてやろう。しきりに体を動かしてたわしでゴシゴシと擦ることなのだ! これは時間との勝負だ。時間内に老廃物をとり除くのだ!」


 この日、私はどんなに水温が低くても、寒さに耐えるコツを習得。そして、仕上げとして、一気に風呂に潜って、頭をごしごしと洗った。


「我々は一般庶民とは格が違う家系だ。一般庶民は風呂に入るのに金を使う。なんと愚かなことだろう。風呂に金を使うだなんて世の中で最も不浄なことなのだ。よーく覚えておくのだ」


「はいっしゅー!」


 私は元気に挙手した。


 そして、小学5年生の頃、臨海学校から帰ってきた私は父に訊いた。


「お父様! なぜですか。なぜ我が家のお風呂は水だったのですか」


「水で事足りるからだ」


「しかし普通、お風呂というのは暖かいものではないのですか? 水風呂に入っていると言ったら、クラスメイトたちにバカにされました。というか、それ以前に、信じてももらえませんでした」


「笑止っ! ガス代というものが、どれほどかかるか知っているのか! 数百円だ!」


「数百円ぐらい……いいではありませんかー!」


「うちの家訓を忘れたか?」


「お……お金は使うものにあらず、ですわよね」


「その通りだ。百円を笑う者は百円の角で頭を打って死ぬのだ!」


「お父様、百円に角なんてありません」


「あるっ!」


 父は財布を取り出して、百円を出した。それを私に見せてきた。


 百円玉は薄い円柱型である。父はその表面の周囲を指差しながらいった。


「ここに角があるだろう」


 た、確かにあったが……。


「お父様。そんなところで頭に打ったとしても死にませんっ!」


「甘くみるなあああああ!」


「ひいいいぃー」


 父は突然大声を出した。私はびっくりして後ずさった。


「昔の偉人は、豆腐の角で頭を打って死んだ者がいると聞く。へそで茶も湧かせた者もいるくらいだ! 百円玉の角で頭を打って死ぬなんて、それらの者たちに比べればよほど現実味がある」


「お父様、嘘です……それらは、単なる皮肉で使われるフレーズに過ぎません!」


 父は地団駄を踏み出した。


「ええい。ええい。親に口答えするというのか。なんという親不孝者だ」


「そ、そんなああーめちゃくちゃですー。お父様あああ。めちゃくちゃすぎますー」


 後日、母からこっそり教えてもらったが、ずっと水風呂に入っていた理由を私が納得できる形で説明出来なかったため、父はめちゃくちゃなことをいって煙に巻いただけに過ぎなかったらしい。


 結局のところ、ケチな父がガス代をケチりたかっただけだったのだ。


 そしてこの日、母の裏切りも発覚した。母はこっそり、ずっと暖かい湯船に浸かっていたというのだ。


 へそくりよりヒドイと思った。隠し金庫ならぬ、隠し風呂を家の敷地内に作っていたというのだ。家の敷地はべらぼうに広いため、そのようなものが作られていたとしても、父や私が気づかなくても不思議でない。


 母から風呂への行き方を教えてもらった。その日から私の風呂事情は水から湯へと改変した。未だに大理石の風呂場で水に入っているのは、何も知らない父のみだ。


「大砲様、どうしましたか?」


「えっ?」


「ぼーっとしてらっしゃいましたわ」


「そうでしたか? ついつい、お父様との思い出に浸っていました」


「そうでしたか。ところで、よろしいでしょうか……」


 三羽黒が三杯目をおかわりを所望してきた。


 私は、お椀を受け取ると、よそってやる。


「この稽古は楽ですわ。『4種類』と同じぐらいに厳しいと脅かされましたが、ワタクシこれならいくらでもできます。増量、増量。身長も大きくなーれ」


 三羽黒は、ガツガツと食べ始めた。


 臼鴇も、おかわりを求めてきたので、よそってやった。


「それにしても、大砲様のお父様、昨年もはいってましゅたよね。世界に影響を与えた人物トップテンに。世界各国の首相や大統領と共に名をつらねるってすごいでしゅ」


「そうどす。羨ましいどすよ。そんなすごいお父上を持っていて。大砲様は恵まれているどすなー」


 南の富士もお椀を差し出してきたので、よそってやった。


「そうですか? 私は他人の家庭が羨ましくて羨ましくて、妬みだらけの目で見ていたことも一度や二度ではありませんでしたよ」


 正直に言った。


 しかし、冗談だと受け取られたようで「あははは」とみんな笑った。


 夜赤竜もお椀を差し出してきたので、私はよそってやる。


「何をおっしゃられているのでゴザイマスか。我々の中で一番のお金持ちは、大砲様の家ではゴザイマセンか。いえ、失礼。私達の中だけではありません。なんといっても世界ナンバーワンの資産家でゴザイマスからね。ここだけの話、私の両親は、大砲様と仲良くなってパイプを作るようにしきりにいってくるのゴザイマス」


「そういえば、うちでも大砲様との関係などをしきりに聞かれたりするでしゅ。やはり世界一の資産家でしゅからでしょうか?」


「世界一位の資産家とはいわれていますが、それが私には全く実感できません。私の家ではずっと数百円のガス代をケチって、水風呂だったくらいです。お父様が仰るには、暖かいお風呂に入ると、百円玉の角に頭をぶつけて死ぬというのです」


 ……………………。


 一時の沈黙の後、「あははははは」と大笑いが巻き起こった。


「大砲様はご冗談がお好きでしゅね。水風呂に入っていたでしゅと? 現代日本で、そんな家庭あるはずないでしゅ。私、言い切れましゅ。大砲様は冗談を言っていると」


「……いえ、だから本当に水風呂だったのです。小学校5年生まで……。信じていただけないのは理解できておりますが……」


「おほほほ。おほほほ。おほほほ。大砲様、ツッコミどころ満載な冗談ですわ。そもそも百円玉の角ってなんですか。百円玉は円型なんですよ。角なんてあるわけないではありませんか」


「いえ、あるのですよ」


 私はバッグから財布を取り出して、百円玉を取り出した。皆に見せてやる。


「ほら。ここです。ここに角があるでしょ?」


「おー。本当だっ!」


 4人は目を丸くして驚いた。


 百円玉に、角はある。


「家にお金があれば、裕福な暮らしができるというわけではありません。我が家の家訓は、お金は使うものにあらず、ですから」


「はあ? お金は使うものではないのですか? それでは生活ができないのではありませんか? ワタクシにはよく分かりませんが」


 4人はクエスチョンマークを頭の上に出していた。私は、ずずずっと鍋をすすってから言った。


「さあ、それよりも稽古です。この『食事稽古』を続けましょう。私たちは体を大きくする必要があるのです。皆様、まだお気づきではないかと思いますが、これは大変苦しくハードな稽古なのですよ? 『4種類』よりも辛いかもしれません」


 私達は今、ただ夕食を楽しんでいるわけではない。『食事稽古』の真っ最中なのだ。

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