稽古五日目

 稽古を開始して5日目。放課後に三羽黒が私の机の前にやってきて、張り手の構えをした。


 ん?


「ごっちゃんです」


 ………………。


「……なんですか?」


「挨拶ですわ。おほほほ。どうでしょうか? 力士らしかったですか」


「三羽黒様、『ごっちゃんです』の意味はご存じですか?」


 三羽黒は、首を傾げながら考える。そして、にこりと満面のお嬢様スタイルで言った。


「いいえ。存じあげてません。どういう意味なのでしょうか?」


「知らないのに使っちゃ駄目ですよ。ちなみに『ごっちゃんです』は『ごっつぁんです』ともいいます」


「なるほど、言い方が何通りかあるのですね。奥が深いですわ。芸能界にもシースーなどの色々な隠語があると聞きますが、角界にもあるのですわね」


「まあ、奥が深いかどうかは知りません。それにしても、よく耳にする言葉ですよね。実を言うと、私もよく知らないのです。『ごっちゃんです』だなんて、そのような言葉、日常生活で実際に使ったことなんて一度もありませんからね」


 『ごっちゃんです』。相撲取りの代名詞みたいな言葉のイメージがあるが、どんな時に使うのだろうか。ふと、横から夜赤竜が話しかけてきた。彼女と私は同じクラスで、席が隣同士なのである。


「私が推測しますに、『こんにちわ』的な挨拶を意味していると思うのでゴザイマス。ごっちゃんでゴザイマス。ほら、挨拶のように聞こえるのでゴザイマス」


 それを聞いた私は、提案した。


「挨拶ですか。なるほど、その線が濃厚ですね。では、どうでしょう。今後、ごっちゃんです、を私たちの挨拶にしませんか?」


「それは素晴らしい!」


 どうやら、2人は賛同してくれたようだ。


「ではそろそろ、稽古部屋にでも行きましょうか」


「そうでゴザイマスね」


 南の富士と臼鴇は隣のクラスだ。声をかけようと廊下に出て彼女らのクラス内を見るも、いないようだ。


 どこに行ったのだろうか。


「あれ? 南の富士様と、臼鴇様のお姿が見あたりませんね?」


「おほほほ。あの2人でしたら、すでに稽古部屋に行っておりますわ。ワタクシ、妙に張り切っておられるお姿を見ましたわ」


「おお。そうですか。自主的に早く始めようとしているのですね。でしたら私達も、こうしてはおられません」


「そうでゴザイマスね。私達も負けてはおられません。早く稽古をするのでゴザイマス。私、今日こそは腹筋を1回だけ、やり遂げてみせるつもりでゴザイマス」


「おほほほ。夜赤竜様。1回といわずにもっと高みを目指してみてはどうでしょう。ワタクシなんて、昨日は3回もできるようになりました。おかげで、お腹の筋肉がつってしまいましたわ」


「さ……3回もでゴザイマスかっ! なんという強靭な肉体になられたのでゴザイマスかああ」


 ………………。


 とりあえず、私も褒めておく。


「それはすごい進歩ですね。しかし、忘れないでください。一般平均からしたら、1回も出来ない人も、3回しかできない人も、どちらも脆弱な部類にいるのです。私達はこれでも格闘家。どちらも最低10回まではできるようになりましょう」


「じゅ、10回もっ!」


 2人は、ぶるぶると震えだした。


「大砲様、あなたはなんとお厳しい方でしょうか。鬼ですわ! 鬼にしか見えません! ワタクシはすでにくじけてしまいそうです。どうでしょう。9回にまけていただけませんか?」


「……分かりました。では9回に……まけます」


 ………………。


 私は、三羽黒の頭の中を覗いてみたいと思った。その後、私達は稽古部屋に向った。稽古部屋は裏山にあるので、校舎から一旦、出ることになる。


 歩きながら夜赤竜が訊いてきた。


「大砲様、今日はどんな稽古をするのでゴザイマス?」


「実は今日からは実戦で役立つ稽古も取り入れようと思っております。健康ランドから戻ってきて一昨日と昨日。私達全員が足の筋肉痛になって動けず、なにもできませんでした。しかし、それも本日までです。全員、回復したのですから」


「人体の神秘、素晴らしいでゴザイマス」


 今日は部活動としての相撲の稽古を開始して5日目。相撲で強くなるために、まだ私はどのような稽古をすればいいのか知らない。なので、筋肉トレーニングを中心にやってきた。しかし、本格的な相撲の稽古も取り入れるつもりだ。私達の目標は、楽しく青春を謳歌することではない。もちろん、結果として、楽しめるにこしたことはないが、目指すは全国大会に出場して、優勝することである。話し合って、そう決めたのだ。


 臼鴇と南の富士は、朝から妙にやる気を見せていた。いち早く稽古部屋に行き、どのような自主トレをしているのか、見るのが楽しみだ。


 私達は稽古部屋のドアを開けて、元気に挨拶した。


「ごっちゃんでーす!」


 しかし、部屋の中を見て私はすぐに絶句することになる。稽古部屋の内装が、変わっていたのだ。


「は……臼鴇様! そこで何をしているの!」


「盆栽をしておりますでしゅ。私、この部屋が殺風景だと思いましゅて、気合が入るように盆栽で埋め尽くしたいのでしゅ」


「やめてください。ここは稽古場です。稽古に関係ないものは一切合切、いりません!」


「そんな……生け花を飾るだけでは、寂しいでしゅ……」


「盆栽同様に、『生け花』も必要ありませんっ!」


「えええっー」


 隣の三羽黒と夜赤竜も含め、4人全員が驚愕した。


 ……私は何か、間違ったことを言ったのだろうか?


「まあ、生け花も盆栽も……2、3つ程度でしたら構いません。ただし、邪魔にならない場所においてください。いいですね? 臼鴇様」


「わかったでしゅ。では持ってきた167つの盆栽……実家に送り戻したほうがいいでしゅ……か?」


「当たり前です。すでに稽古部屋ではなく、植物園になっています! 現時点で足の踏み場もないではありませんか! こんな場所で、どうやって稽古するというのですか! そして、南の富士様……あなたにも説明を求めます。これはどういうことでしょう?」


「あー、バレちゃったどすか」


「バレちゃうも何も、目の前でウンチしてるじゃないですか。臭うではありませんか。なぜ、この部屋に子豚がいるのですか?」


 子豚が、とことこと私の足元まできて、クンクンと匂いを嗅いできた。


「マスコットどすよ。プロ野球チームにはマスコットがいるどすえ。うちは畜産関係の仕事をしているから、子豚をこの稽古部屋でマスコットとして飼ったらどうかなと思って、持ってきたどすが……ダメどすか」


「……うん。だめです」


「この子、非常食にもなるどすよ。有能な奴どすよ。子豚の丸焼き。じゅるるるる」


「そんな目で見るのなら、余計だめでーす」


 情が移ったらどうするのだ。


「仕方がないどす。だったら、今晩の晩御飯にするどす」


「えええっ?」


「うち、料理はできないどすが、豚や牛などの解体は得意どすえ。血まで全部、食べ尽くしてやるどすえー。じゅるるるるる。丁度うまい具合に肉切り包丁も持参してきたどす」


 子豚は殺される運命だとも知らずに、私の足の匂いをクンクンとかいている。三羽黒が眉を寄せながら南の富士に抗議した。


「ワタクシ、こんな可愛い子を食べるなんてできません。外国の方は、日本人のクジラやイルカの漁を残酷だといっておりますが、ワタクシ気がつきました。確かにその通りでした。ただし、ブタを食べるのも同様に残酷です! 人間は知能ある全ての可愛い動物たちを殺して食べることをやめるべきです! クジラも牛も鳥も豚も、食べるのは可哀想! 狂気の沙汰です。非人道なのです!」


 と、三羽黒。


 おいおい……。


「私は、ベジタリアンになりたいとは思わないでしゅが、どうでしょう。大砲様。この子をうちで飼ったらどうでしゅか?」


「おお! それは賛成です!」


 みんな、息をピッタリと合わせた。私は稽古部屋で子豚を飼うつもりなど、まったく無かったが、特にデメリットはないだろうと考える。


「分かりました。ただし稽古部屋では飼いませんよ。外に小屋を建てましょう。三羽黒様、できますか?」


 建築王の娘である三羽黒に頼むことで、彼女の親が営む会社に、無料でこの稽古部屋を建ててもらった。子豚の小屋を建てるのも、わけないだろう。


「おほほほ。もちろんですわ。でしたら、執事に電話をし、手配をさせておきます」


「おねがいます。世話は南の富士様責任を持ってやってください。学園への飼育許可もお願いします」


「了解どすえ」


 この後、盆栽を片付けて、子豚にも首輪をつけた。なお、この子豚は、子豚のまま大きくならない豚である、豆シバならぬ『豆ブタ』というまだ市場に出回っていない品種だそうな。食用ではなく、愛玩用として誕生したらしい。


「それでは気を取りなおして、本日から実際の稽古を始めていきます。皆様、筋肉痛の方は、もう大丈夫ですね?」


「はーい」


 よい返事だ。


 南の富士が訊いてきた。


「しかし大砲様。相撲の稽古の内容について、何をしたらいいのか分からないレベルだと言ってなかったどすか? それも昨日?」


「安心してください。『相撲マンガ』とその『DVD』を購入してまいりました」


 私は鞄の中から一冊の本とDVDを取り出した。4人は興味津々といった様子で本を見てきた。


「まず、『四股』というものが代表的かつ基本的な稽古法だそうです」


「ちなみに四股とは、どのようなものでゴザイマスか?」


「このマンガの登場人物がそれについて述べてます。DVDでも発言されているらしいので、実際に見てみましょう」


 稽古部屋にはテレビも設置されている。私たちは、実際の四股をDVDの映像で確認した。四股とは、相撲における基本的な動作であり、筋肉トレーニングの一種でもある。


「ふむふむ。こうしゅるのでしゅね、こうしゅるのでしゅね」


 臼鴇がアニメDVDで実演している力士の四股踏みの動作を真似た。それに対して、三羽黒が手を両目にあててながら言った。


「まあ、臼鴇様! 大股でなんですか。はしたないですわ。あーらら、臼鴇様はもう、お嫁にいけなくなりましたわ。あーらら、あーらら」


「そんなー。お嫁に、いけなくなるのでしゅか?」


 臼鴇は本気にしている。


 ………………。


 私の中から、猛烈な怒りが噴きあがってきた。


「三羽黒様、馬鹿なことをおっしゃらないでください。その口がでしょうか? どれどれ、二度と馬鹿なことを喋らないように、糸で縫いつけて差し上げます」


 ゴゴゴッゴゴゴ――。


 私は冷たい目で、三羽黒を見つめながらいった。三羽黒は、体をぶるぶると震わせる。


「ひぃぃぃぃぃいいぃぃいー。す、すみませんでした。ワタクシも四股をやりますので、そんな殺気のこもった目でワタクシのことをみないでください。本能が……本能が命の危険を感じます」


 ………………。


 分かればよろしい。


「四股をはしたない、だなんて愚弄してはいけません! これは足腰を鍛えるだけでなく、バランスのトレーニングでもあるそうなのです。今日は臼鴇様に倣って、四股をみっちりと練習しましょう。では皆様、立ち上がってください」


「はい」


 私たちはテレビ画面を見ながら、四股を踏んだ。


「ううぅ。足が張ってきたのでゴザイマス」


 コテン。


 夜赤竜が転んだ。そして、立ち上がらない。


「寝転んではいけません。サボってはいけません。早く立つのです。夜赤竜様」


「そんな事をいわれましても、もう動けないのでゴザイマス」


「あわ、あわわわ、私も辛くて、もう限界でしゅ……」


「私もどすー」


 臼鴇と南の富士がコテンコテンと倒れていく。


「全く……皆様。根性がありませんねぇー」


「ワタクシはまだまだできますわ。結構、簡単ではございませんか。おほほほ。皆様、ワイルドなワタクシを見習ってくださいませ」


 三羽黒は、四股を軽々と踏んでいる。が……。


「三羽黒様。あなたは、どうして内股になって四股を踏んでいるのでしょうか。それは四股とはいいません。いうならば、ヘンテコなダンス。見方によっては、奇行ともいえます」


「股を開くだなんて、はしたないですわ。陰毛が落ちるかもしれませんわ」


「パンティーを履いているのなら落ちません! 股を開いて、ちゃんとアニメDVDに出演している力士の四股を模倣をください!」


「ええー。気が乗りませんわ」


「エアロビクスだと思えば宜しいです」


「エ、エアロビクス……」


「そうです。はい、ワンツー、ワンツー」


 私は、リズミカルに手を叩いた。


「おお! エアロビクスでしたら恥ずかしくはありませんわ。ワタクシ、エアロビクスはよくしておりましたの。それ! ワンツー、ワンツー」


 三羽黒、ようやく四股らしい四股を踏んだ。しかし、すぐにコテンと倒れた。力尽きたようだ。


 ………………。


「ワタクシの足の筋肉が張って、動けません。助けてください」


「大丈夫でしゅか! 三羽黒様っ!」


 三羽黒と臼鴇が、寝そべりながらほふく前進して、手と手を組んだ。コントにしか見えない。十回ほど四股を踏んだだけなのに動けなくなるなんて想定外だ。


 私は先行きが猛烈に不安になった。


「まずいです。このままでは全くダメダメです。やはり、ちゃんとした指導者が必要なのでしょうか。自分たちだけの創意工夫で相撲の稽古をしていくのは、限界があるのでしょうかっ!」


 南の富士が寝そべりながら笑顔でいった。


「大砲様、うちにいい案があるどす」


「いい案、ですか?」


「師と仰げる人を探そうではないどすか? やはりうちらだけでは限界があることは疑いようがない事実どすえ」


 臼鴇と手と手を取り合って友情を育んでいる最中な、三羽黒も頷いた。


「ワタクシも賛同いたします。確かにこれまでの練習らしい練習といえば、流れるプールで、流れに逆らいながら歩いたことと今、四股を踏んだことぐらいですわ。うう……なんというレベルの低さなのでしょう」


 私は三羽黒を見つめながら、顔を縦に振った。


「意外でした。三羽黒様は、ご自身のレベルの低さは自覚しておられたのですね。まあ、稽古方法についてのノウハウを全く知らずに、部を立ち上げてしまった私にも問題はあるのですが」


「大砲様、それはいいではないでしゅか。まずは動き出す。そして動き出しながら足りない点を補っていく。これこそが、世の中の成功者の基本的なマインドでしゅ。皆様はどうだか分からないでしゅが、私は楽しく毎日を過ごせればそれでいいんでしゅ」


「まあ……部活動の根本は有意義な学生生活を送ることですので、臼鴇様のお考えは間違ってはおりません。しかし、相撲の醍醐味はガチンコ勝負です。格闘技です。やはり、大会に出場して取組で勝てるようにならなくては、楽しくはありません」


 夜赤竜が手を叩いた。


「師を探すのは、おそらくそんなに簡単には見つからないでショウから、とりあえずは他校の見学に行こうではゴザイマセンか。近年の女子相撲の人気は華々しいものがゴザイマス。調べたところ近隣で、女子相撲部が立ち上がっていなかった学校は、私達ぐらいでゴザイマシタ」


 なるほど。


「夜赤竜様は、見学に行かれるということを推されると?」


 夜赤竜は頷く。そんな彼女に三羽黒が言った。


「おほほほ。ワタクシ、目から鱗が落ちましたわ。なるほど、そこで行われている事をそのまま真似て、私達の稽古内容に組み込んでしまえばいいわけですね。夜赤竜様はヒラメキのお人だったのですね」


「私も、それは素晴らしい案だと思いましゅ。守破離の考え方でしゅ」


「なんどすか、それは?」


「南の富士様、守破離を御存知ないでしゅと? 勉学が遅れておりましゅね。ぷっぷっぷ」


「ななっ! 臼鴇様、うちを馬鹿にしないでほしいどす!」


 私は、2人の間に分け入った。


「喧嘩はおやめになってください。臼鴇様、今回は言い方が臼鴇様の方が悪かったです。外から見ていると、挑発するような言い方でした」


 臼鴇は項垂れる。


「申しわけないでしゅ」


「しかし、南の富士様。無知はそれだけでも罪です。私はそれを身を持って体感しております。ですので、私が守破離について説明しましょう。まず、守破離とは『守』『破』『離』の三つの漢字に分けることができます。まずは師からいわれた型を『守』――すなわち守ることから始めます。その後、その学んだ型を『破』――破ることで自分に合った型を身に付けます。そこまでに到達すれば、最後は型という概念から『離』――離れていき完全な自分オリジナルな型を生み出するのです。まさに達人の領域」


「ぐーぐー」


「……南の富士様、聞いておられましたか? まさかですが、寝ておられましたか?」


「はっ! 申しわけないどす。途中から難しくて頭がショートしたようで、あっちの世界に行っていたようどす」


「……そこまで難しい話をしたつもりではなかったのですが」


 臼鴇が、南の富士に言った。


「南の富士様。どちらにせよ、まず最初は、真似ることから始めるわけでしゅよ。仕事にしても勉学にしても、そして相撲にしても、『真似ること』、それが全ての始まりとなるのです」


「要約すれば、臼鴇様のいう通りです」


 臼鴇はが立ち上がった。


「では、さっそく執事に近隣の相撲強豪校を探させるでしゅ」


 臼鴇は、執事直通の専用携帯を操作し始める。私はそれを止めた。


「臼鴇様、待ってください。どうせ学ぶのでしたら、わざわざアマチュアである高校生の稽古でなく、プロの稽古の見学に行って、そちらを参考にするのはどうでしょう。模倣は、より結果を出している方々を対象にするのがよいと思うのです」


「おお、ナイスアイデアでゴザイマスね。筋が通っているのでゴザイマス」


「たしかに、学生とプロフェッショナル……やはり手本にするのはプロフェッショナルのほうがよさそうどす。一流がよいどすなー」


「では、行きましょう。自家用ヘリの手配をするでしゅ」


 祝日である翌日、プロ力士の相撲部屋へ見学に行くことが決定した。この日はその後、筋肉トレーニングを行った。


 腹筋――みんな、連続で最低2回はできたようだ。


 なお、ちゃんこ鍋を作ったところ、肉は食べないと公言した三羽黒だが、すっかりと自分の発言を忘れているようで、ガツガツと食べていた。外はいつの間にか真っ暗になっていた。

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