稽古二日目2

 私は、みんなに訊いた。


「どうですか? 足腰は鍛えられていますか? 水の中でのウォーキングは、思った以上の運動になるかと聞きます。スポーツジムでも、こうしたウォーキングのプログラムはどこにでもあるのです。今回は、水流に逆らってのウォーキングをしてますので、より確実に筋肉がついてくると思うのです」


「まさにその通りどす。大砲様……うち、もう筋肉痛で足が痛いどす。もう終了してもいいどすか?」


「夜赤竜様、筋肉痛になるのが早過ぎでしょう。あまりにも早過ぎです! 嘘をついてますねっ!」


「う、嘘じゃないどす。たぶん……」


 南の富士の目が、泳いでいる。


 嘘、確定。


「でも大砲様、他の利用者のみなさま方が、うちらを見つめる目、何かが引っかかるのどす」


「南の富士様。それはきっと、美しいワタクシたちに見惚れているのですわ。おほほほ」


 と三羽黒。


「その可能性も無きにしもあらずどすが、なんだか……珍獣をみるような、そんな目で見つめてくるんどす」


 私は、頷いた。


「でしょうね」


「えっ?」


「普通、流れるプールを逆走するのはマナー違反なのです」


「な、なんですって!」


 みんな、目を点にして私を見つめてきた。


「本来なら、このような場所で、流れに逆らって歩くことはマナー的に駄目なことでしょう。けれど、ちょうど、こちらを運営されている会社の経営者さんと、私の父が知り合いでして、利用客が少ないことを条件に、本日だけ特別に逆行を行ってもよいと、許可を得たのです。係員さんも、だからこそ注意してきません。来館者が多くて、迷惑になりそうなら止めようと思ってますが、今日はそれほど混雑していません。それに、皆様はご存じですか。逆走は逆走でも、自転車で路上を右側通行して走る行為の方が、よほど危険なのです。その逆走は事故を起こす可能性があります。それに比べて、私たちが流れるプールを逆走して誰かが死ぬとでもいうのでしょうか? いえ、決して死にません」


「それはそうだと思いますが。ワタクシ、何だか論点が、違っている気がしますわ」


「三羽黒様、あなたも含めた私たちは、これまでろくに運動をしてこなかった究極の箱入り娘です。そんな私たちが強くなるためには、人の目を気にしていては駄目なのです」


 夜赤竜が、挙手して質問してきた。


「プールを逆走したら、強くなれるのでゴザイマスか?」


「なれます。私たちのあだ名の元になった横綱くらいには強くなれます」


「おおー。それは素晴らしいです」


 3人は、手を合わせて微笑んだ。私の説明を信じたようだ。


 ふいに、いい匂いがした。隣のテーブルを見ると、カップルが飲食物を持って席に座ったところだった。


「おやおや、あの客人、何か美味しそうなものを食べようとしておられましゅね」


「ここは、プールエリアがそのままイートインにもなっているのですよ」


 三羽黒が、じっと隣のテーブルを見つめている。


「あれは、なんという食べ物なのでしょうか?」


「なんでしゅかね。見たことがありませんが、どこかの国の由緒正しき料理なのでしょう」


「なんという食べ物なんどすかな? いい匂いがするどすえ」


「え、えええ?」


 彼女達の反応を見て、私はつい声を漏らした。


「どうしたでゴザイマスか? もしかして大砲様は、御存知なのでゴザイマス?」


 彼女たちが見つめているのは《たこ焼き》だ。


「皆様は、本当に、あの食べ物の名前を知らないのですか?」


 ………………。


 無反応だ。本当に知らないようだ。


「ど、どうしたのでゴザイマスか?」


「い、いえ……」


 ふと、私の中で悪戯心が芽生えた。


「うふふ。皆様、ご存じがないのでしたら、お教えて差し上げます。あれは『た・こ・や・き』という食べ物です」


「たこやきっ!」


「たこ焼きは、一般庶民に親しまれている日本を代表する食べ物で、れっきとした和食なのですよ」


 三羽黒が眉を寄せながら、言った。


「ワタクシ、懐石料理を頻繁に食べておりますが、あのような料理は見たことがありません」


「たこやき……いい響きデス。どのようなお味なのでゴザイマスかね。美味しそうでゴザイマス」


「じゅるっるるるる。そうどすよ。味が気になるどすえー」


 4人は、たこ焼きに興味を示したようだ。一方の私は、日本で普通に生きている彼女達が、たこ焼きの存在を知らないことに、非常に興味を持った。


「私はですね、自分で作ったことがあります。簡単なようで、案外難しいのです。まるで……そう、寿司を握るような難しさです」


「寿司というのは、シャリとネタを握って合わせるだけの料理でゴザイマスね。されど、私は寿司職人が一人前になるには5年ほどの修行が必要だと聞いたことがアリマス。たこやきも、一人前の職人になるには、それだけの年月の修行が必要になるのでゴザイマスか?」


「その通りです、夜赤竜様、ご名答です。ただし寿司はシャリとネタを一緒に握るだけですが、たこやきを作るその工程は、寿司を握るどころではありません。倍の修業期間……10年は必要になるかもしれないでしょう」


「じゅ……10年も!」


「是非とも、食べてみたいでしゅ」


 うふふふ。


 冗談で言ったのに、本気にしている。ここのプールの定められている休憩時間は、1時間のうち10分間のようだ。時計を見ると、まだ時間に余裕があった。私は彼女達が、たこ焼きを食べた時の反応を見てみたいと思った。


「よろしければ、私たちも食べてみましょうか? まだ休憩時間が残っていますからね」


「ワタクシ、賛成ですわ。食べてみましょう」


 私は、プールの端にある屋台風のたこ焼き販売店に向かった。腕のリストバンドのバーコードを読み取られた後、人数分のたこやきを持って、元の座席に戻った。それを各自に渡す。たこ焼きは出来立てほやほやな熱々で、かつお節が躍っていた。


 みんな、たこ焼きをじっと見つめる。


 南の富士が、唇を舐めながら呟いた。


「たこやき。初体験どす。じゅるるるるるる」


 私は、手を合わせながら言った。


「では皆様。私がたこやきの正しい食べ方を教えて差し上げましょう。まず、細い棒があるはずです」


 夜赤竜が、爪楊枝を見ながら頷いた。


「ゴザイマス。確かにゴザイマス。これは一体、なんなのでゴザイマスか?」


 それを受けて臼鴇が言った。


「私は知ってるでしゅ。これは『爪楊枝』というものでしゅ」


「おおおー」


 驚きの声が上がる。


 ………………。


「爪楊枝は、歯に詰まった食べかすを取るための道具でしゅ。しかし、おかしいのでしゅ……私が使ったことのある爪楊枝は、もっと絵柄が描かれてあったり、着色がなされていたのですしゅが……」


「臼鴇様、それはおそらく手作りで高価な爪楊枝です。専門の職人が作ったものでしょう。一方、これは全ての工程を機械で大量生産した爪楊枝。爪楊枝の用途は、確かに歯の掃除にも使われますが、口に運ぶための食器としても使われるのです」


 臼鴇は、ぱん、と手を叩いた。


「なるほど。食器としても使うのでしゅね。初耳でしゅた」


 どうやら、彼女の中で疑問が解決されたようだ。私は続ける。


「では、時間もまだ残ってますので、私が正しいたこ焼きの食べ方を実演しましょう。これから実際に『たこ焼きを食べる』という行為に入ります。皆様、私に倣ってください。まずは、たこ焼きを見つめます。恋人を見るように愛情をたっぷりと注いで見つめてあげてください。そして心の中でこう呟きます。『アイ・ラブ・ユー』と」


 心の中で呟くように言ったが、4人はぶつぶつ声に出して言っている。


「ではここで、爪楊枝を利き手で持ちましょう。そして、どれでもいいので、たこやきの1つを見つめて、こう囁きます。『私の棒をこれから君に突き刺すからね。痛いけどがまんしてね。痛いのは最初だけだからね』と」


 4人は再び、ぶつぶつと私の台詞を復唱した。


「さあ。これで私たちとたこ焼きの双方に覚悟ができました。私たちは食べる覚悟を。たこやきは食べられる覚悟を。突き刺したたこ焼きを、ゆっくりと持ち上げてください。そして優しくふぅーふぅーと息を吹きかけてください。これで準備は完了です。口の中に運びましょう。あとは火傷しないように、気をつけて、本能のままに食べてください」


 私たちは、たこ焼きを口の中に入れて、もぐもぐする。


 そして……。


「おいしいー!」


 満面の笑顔が咲いた。夜赤竜が、ハフハフしながら訊いてきた。


「たこ焼きとは一体、どのようにして作るのでゴザイマスか? 大砲様は、たこやきを作られたことがあるのでゴザイマスよね?」


「これは、溶いた小麦粉にキャベツのみじん切りを入れ、ぶつ切りにしたタコと共に、専用の鉄板で焼けば完成です」


 臼鴇が、うなった。


「たかが小麦粉とキャベツとタコを混ぜて焼いただけでしゅのに、あなどれないでしゅね」


 頷いているのを見て、私は彼女らに言った。


「ところで折角ですので、たこやきと双をなす料理『お好み焼き』というものも、御存知なければ教えて差しあげましょうか?」


「おこみやきっ?」


「作り方は簡単です。私たちは幸運ですね。目の前にたこ焼きがあるのですから。このたこ焼きを平たく潰します」


 私は手の甲で、たこやきの一つをプレスした。


「あらら、勿体無い。どうして潰されたのですか?」


「いいえ。これは潰したのではなく調理したのです。ほら、これでミニお好み焼きが完成です! このペッタンコになったたこ焼きこそがお好み焼きなのです」


「おー! これが、おこのみやきっ」


 みんな拍手してきた。しかし、その中で三羽黒だけ、怪訝そうな顔をしている。


「ちょっと待ってください。ワタクシには、それはただ、たこやきを潰しただけのものにしか見えないのですが……。本当にこれがおこのみやきなのでしょうか? 私達をからかっているだけではないのでしょうか?」


 三羽黒はするどい。たしかに半分はからかってのデタラメだが、半分は正解でもある。私は説明した。


「そもそも、お好み焼きとはたこ焼きの平たいバージョンのことです。逆にたこ焼きとはお好み焼きの球型バージョンです。どちらも同じ材料ですから。前から見ても後ろから見ても、たこ焼きをプレスしましたこれは、お好み焼きといえますよ」


「なるほどー」


 三羽黒は、納得したように何度も頷いた。


「さあ、感謝の気持ちを示しましょう。小麦粉様に敬礼をしましょう」


 私達は敬礼した。

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