稽古二日目

 稽古二日目となる土曜日の午後。私はとある特訓メニューを考え、部員4人を寮の前に集合させた。ちなみに、私たちの寮はかなりゴージャスな概観になっている。なんといっても、海外にあった本物の城を分解して運び、こちらで組み立て直したものらしい。一般人の感覚からいえば、とても馬鹿げている。そんな寮をバックに、私は4人に言った。


「皆様、お集まりになられたようですね。では、行きましょうか」


「大砲様、どちらに行かれるのでしょうか?」


「そうでしゅ。私たち、まだ目的地を聞いてはいないでしゅ」


 三羽黒と臼鴇が訊いてきたので、私は答える。


「申し遅れました。目的地は近くの健康ランドです。本日はそちらの『流れるプール』にて稽古をするのです。うふふふ」


「今日からいよいよ、お相撲の稽古をするのでゴザイマスね? しかし、稽古と『流れるプール』はどのような関連性があるのでゴザイマスか?」


「うちらに、水着を持参するように言いはったのは、プールに入るためどすよな?」


「同時に御返答します。現在の私たちの実力はクソムシ以下なのです。昨日の稽古でよーく分かりました。なので秘策を考えました。詳しいことは到着時、お伝えします」


 私たちは、待機しているリムジンに乗車し、近場にある健康ランドに向かった。なお、リムジンは臼鴇が手配した。鉄道王と呼ばれる彼女の家が営む会社は、陸運全般にも手を広げており、その一人娘の臼鴇が執事に電話をするだけで、無料で乗り物の手配を行える。


 それにしても、リムジンに乗っていると、私は少々気分が悪くなってきた。臼鴇が心配そうに話しかけてきた。


「大砲様、大丈夫でしゅか? 車酔いでしゅか?」


「いいえ……大丈夫です。お気になさらずに……車酔いではありません。リムジンに乗っているがゆえに発病しかける、私の自病です……」


「そうでしゅか?」


 しばらくして、目的地の健康ランドに到着した。


 入館の手続きを済ませた後、すぐに脱衣所に向かい、水着に着替えた。こうした大衆施設への入館が初めてだからか、4人は興奮気味に館内を見回していた。そして、プールエリアに来たところで、私は彼女たちに本日の稽古メニューを伝えた。


「さーて、まわりましょう。本日は、まわってまわってまわりまくるだけです」


「まわる?」


 全員が、首を傾げる。


「その通り。といっても、流れるプールと同じ向きにグルグルとまわっては意味がありません。流れに逆らって、逆向きでまわるのです」


 4人は、目を真ん丸にして私を見つめてくる。三羽黒が言った。


「ほ、本気で言ってるのですか? ワタクシ、幻聴が聴こえました。もしくは聞き間違えでしょうか」


「それ、相撲とどんな関係があるのでしゅか?」


「そうどす!」


 予想通り、文句を言ってきた。しかし、いちいち構ってはいられない。


「ぶつぶつ言わずに、やるのです! さあ、お入りなさい」


 三羽黒と臼鴇の腕を掴むと、プール際まで引っ張り、投げ込んだ。


 2人はどぼん、と落ちる。


 振り向いて、残りの2人を見た。どちらも眉を八の字にしていた。


「暴力反対でゴザイマス。反対でゴザイマスっ!」


「そうどす。無理矢理はダメどすえ」


「おだまりなさい! あなたたちも、つべこべいわずに入るのですっ」


 私は、夜赤竜と南の富士を睨めつけた。


「ひぃーわかりましたー」


 2人もプールに入った。それを確認すると、私もプールの中に入る。運がよいのか、利用客があまりいなかった。


「皆様、私の考えと稽古の意図についてお話しましょう。本来、山にでも行って、リアルな川に飛び込もうと思っていました。上流からの水圧に耐え抜いて、鯉のごとく『川登り』をするのです。足腰を鍛え上げるためです」


「えーーーー」


「しかし、今のあなたたちでは、そのようなことをしたら、あっという間に流されてしまうでしょう」


「そうどす。そんなことをしたら数分後には水死体となるどす。下流域でどざえもんとなって発見されるどす」


 私は、頷いた。


「なので、私は考えました。皆様はまだ、リアルな川での特訓はさすがに時期尚早だろうと。なので、それに近しい稽古……。そして楽しい稽古。この流れるプールぐらいであれば、水流に逆らっても前に進めるのではないかと。足腰を鍛えるのに丁度良いと思ったのです」


「少しばかり、大砲様のお考えに、びっくりしたでしゅ。でも、流れるプールの流れに逆らって歩いたくらいで、足腰が鍛えられるのでしゅか?」


「……さあ。そんなの、知りません」


「そんなの無責任でゴザイマス。プールを逆流して歩くなんて、恥ずかしいのでゴザイマス」


「しかしながら、やらないより、やる方がマシ! さあ、皆様。日が暮れるまでの6時間。びっちりとやりましょう」


「6時間もでしゅかっ?」


「さあ、始めっ!」


 私は手をパンと叩いた。


 4人は、しぶしぶといった感じで、流れるプールの逆走を始めた。6時間、ぶっ続けでやるとは言ったが、日本の法律では、定期的にプールの中からあがらなくてはいけないと定められているので、時折の休憩を挟みながら行うことになる。みんなまじめにやっていた。


「追いつきましたよー」


「わあ。また追いつかれてしまったでしゅ」


 個々で、歩いているので、個人差も出た。私は追いついた臼鴇に話しかけた。


「臼鴇様は、より足腰を鍛える必要がありますね。これまでに運動をなされたご経験は、それほどないのではありませんか?」


「お裁縫とか華道は嗜んできたのでしゅけどね。運動の経験は殆んどないでしゅ」


 頭をポリポリと掻きながらハニカんでいる臼鴇を見ていると……ふいに手が震え出した。頭では分かっているが、体が激しく反応しているようだ。自制しようとしたが、無意識に叫んでいた。


「そんなもの、いくら学んでもお金になりませーんっ! 勿体無い。勿体無い。勿体無い。勿体無い。勿体無い。勿体無い。勿体無い。勿体無い。勿体無い。モッタイナイ。モッタイナイ。モッタイナイ。モッタイナイ。モッタイナイ。モッタイナイモッタイナイ。モッタイナイ。モッタイナイモッタイナイモッタイナイモッタイナイモッタイナイモッタイナイモッタイナイモッタイナイモッタイナイモッタイナイモッタイナイモッタイナイモッタイナイモッタイナイ!」


 ぜーはーぜーはー、息切れする。


「ぴいいいぃぃぃぃ」


 私の豹変に、臼鴇が怯えていた。いけない。つい《アレ》が出てしまった。私は息を整えると、ニコリと笑った。


「……って私のお父様なら言いそうですわ。私のお父様って、芸術や伝統芸能などに全くの無関心ですから。むしろ、そういうものを習うことにお金を使うことは、悪行だと思ってるくらいです。なので私はそうした特技は持っておりません。羨ましいですよ臼鴇様が。そのような技能を学ばれていて。女性らしいですね」


「そ、そうだったのでしゅか。うちのママは、女の子は、そうしたものを嗜んでおきなさい、と常日頃から言ってるんでしゅ。無理矢理やらされてたんでしゅよ。あと、ピアノも弾けるでしゅ。舞踊も嗜んでましゅよー」


「へーえ。それは素敵ですね。やはりレディーとしては、そういった嗜みは備えておいた方がよろしいですよね?」


「今からでも遅くはないでしゅ。大砲様も何か、学ばれてはどうでしゅか?」


「いいえ。もはや私には到底学べるものではありません……」


「どうしてでしゅか? 学べばいいではありませんか?」


「物理的に無理なのですよ。そんなことをすると、持病が発病してしまうのです……。臼鴇様とは、この後も長いお付き合いをしていきたいと思っていますので、ある程度はさらけ出していきますが。私は特殊な病気持ちなのです」


「持病? 病気? 習い事をして……発病でしゅか?」


「その通りです。まあ、詳しい事はおいおい、お話していく機会があるかと思います」


「はあ……そうでしゅか?」


 臼鴇は、首を傾げて、不思議そうに私を見た。


 ん?

 何かが、こちらに向かってくる。


「あれはなんでしゅかねー」


「あっ! 三羽黒様だ」


 三羽黒だ。三羽黒が、水面にうつ伏せの状態で浮きながら、こちらに流れてきた。


 私たちは、彼女の元に駆け寄る。そして彼女に触れようとした直後、彼女は上体を起こした。


「ばああっ!」


 う、うわあ。


「な、なにをやっているのですか、あなたは」


「びっくりしたでしゅ」


「死んだ真似ですわよーん。なんちゃって。おーほほほ。ワタクシの演技に騙されてしまわれたのですね。おほほほ」


 こ、こいつ……。


 三羽黒は、手を口元にあてながら愉快そうに笑っていた。


「あれれ、あれれ。怒ってしまわれましたか? 流れるプールの利用は今回が初めてですが、ついついやりたくなったりは、しませんか? 死んだ真似」


「……やりたくなんて、ならないわ」


「三羽黒様は、本当に人騒がせでしょ。そんなプレイがしたいのなら、寮の風呂でやるでしゅ」


「いやいや、寮のお風呂でやられても洒落になりません。とにかく、遊んでないで特訓を続けましょう」


「はいでしゅ」


「あと、三羽黒様……」


「ワタクシに、何か御用時でしょうか?」


「今度、ふざけた真似をなされたら……ぶち殺します」


 ………………。


「す、すみませんでした。た、大砲様、そんな怖い顔で睨んでこないでください。本気で殺意を感じてしまいますわ。お、おほ、おほほほ……」


 三羽黒が顔をひきつらせた。その後、私たちは再びプールの逆走を始めようとしたが、休憩時間を知らせる合図が鳴った。私たち3人は、プールから上がると、夜赤竜と南の富士と合流する。


「お疲れさまでゴザイマシタ。休憩タイムでゴザイマスね」


「お疲れ様でしゅ、あこで皆で休憩するでしゅ」


 私たちは、パラソルがある洒落たテーブルに向かい、そこに座った。

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