第19話  カルガモの学校

カルガモの学校

                  三崎伸太郎 11・08・09


 筒のようなビルがニョキニョキと立つ世界的に有名な会社オラクルのまえで、カルガモの親子が歩いていた。 どうやら近くに池があるようだ。 オラクルのように余裕のある会社の従業員は、こういった野鳥にも寛大だ。 皆、意地悪などはしない。 母カルガモはそういったことを心得てか、いつしか此処で子を宿す事になった。 

母カルガモは八匹の雛を連れて車道の端を歩き、そして歩道に足をかけてあがった。 歩道は手の平の横幅ほど上がっている。 雛たちもピョンと行儀よく順番に飛び上がった。 しかし、一羽だけ上がれない雛がいた。 何度繰り返しても上がれない。 他の雛たちは全て歩道に上がり、母カルガモの背後にせいぞろいした。 一匹の雛だけが未だ車道にいる。 ピョンとジャンプを繰り返すのだが小さなからだは歩道の縁に当たり転げ落ちる。 母カルガモにはなすすべも無い。 ネコや犬のように子供を口でくわえて連れ歩くなど、あの鴨の嘴(くちばし)ではできない事だろう。 ただ、雛が上がるのを黙って見ている。 営業のため、オラクルに入っているソデックソ・マリオットに来ていた私は、手をかしてやろうと思ったが此処はカルガモの雛の試練である。 手を出さないでいた。 雛はあきらめることなくピヨピヨ叫びながらピョンピョンと、何度もはねては転びはねては転びしていた。 そして、とうとう運良く縁にひかかり前につんのめったが歩道の上だ。 嬉しそうに起き上がると待っていた母鴨や兄弟たちの列に加わった。 ふたたびカルガモの行進は始まった。


私は、今年の九月サンホセにある日本語学校の新任教師になり、十一名の生徒を受け持った。三ヶ月間、自分の教案で生徒を教えてきたが昨日、一人の生徒に「もうリーディングはいやです」と、いわれ困惑した。 サンクス・ギヴィングを後一週間後に控えているせいか、今日のクラスには集中力がなかった。

「きみたちは、何しにこの日本語学校に来ているんだ」私の声が少し高くなった。 クラスがシーンとなった。 

「授業中に漫画を描き、ボールで遊び、時間を無駄にしているではないか。 一体、君たちは此処で何を学びたいんだ。 良いアイデアがあったら教えてくれ。 又、わたしの授業が難しいと思うなら教務主任に話して、クラスをもっと簡単なクラスに変えてもらうので、必要な人は先生に言いなさい」私は、自分だけがしゃべり子供たちの意見を聞いていない。 英語なので、私の下手な英語で分かりにくいかもしれないと思いながら話している。

「せんせい、ごめんなさい」一人の生徒が言った。 

私は言葉を続けた。

「どうだ、何を学びたい?」

「グラマー(文法)とか・・・パーティクル(小詞)」

「教えているよ」と黒板を手で示す。 実際、何度も参考文あげては前置詞や接続詞など、日本語の冠詞を教えていたがある日、このようなものを教えても結局時間の無駄で、それよりも基礎となる短文を記憶させて自然に日本語の文法を理解させたほうが良いと考えた。 だから最近アラウド・リーディング(音読)を主とした教え方をしていた。

そして今日、アメリカの昔話で「ウサギのしっぽ」という文を一節ずつ生徒に読ましていたときのことだった。 中国系の女の子がリーディングはもう否だと言いだした。 私も、内心一部の生徒を除いては、こういった長文を読む訓練は早すぎるだろうと思っていたのでこの辺りが限界だとは感じた。つまずいたカルガモを思い出した。

「先生は、君たちのご両親に申し訳ない気持ちだ。 君たちが此処に入る間も、君たちのお母さんやお父さんは一生懸命働いていらっしゃる。 それに、高い授業料を君たちのために払っておられる。 しかし、君たちは此処で時間を無駄にしている・・・」

「せんせい、ごめんなさい・・・」白人の女の子が私の顔を見て言った。 ああ、俺はなんて事をしているんだ。怒る必要は無かったではないか・・・それに・・・とかんがえていると「せんせい、もうしません。 ごめんなさい」と又、女の子だ。 『ごめんささい』とあやまるのは、俺にでなくて、君達の親に謝るべきだ・・・などど、心の中で良心がざわめいている。

そして、他の生徒たちはだまって私の顔を眺めていた。 私は生徒達にしゃべりながら自分の授業の仕方が間違っているのかもしれないという不安を持った。 しゃべっている私の英語も語彙の貧しいもので、生徒たちの心を傷つけないようにする配慮に欠けていた。

授業が終わり、不安な気持ちのまま生徒たちを見送る。

クラスを出ると、廊下でもう一つ上のクラスを受け持っているベテランの男性教師に会った。

「リーディングに問題がありますねえェ」というと、クロぶちのメガネをかけている彼は「そうですかあ」と、あたりさわりのない返事だ。 彼は一度、PTA会長から親御さんがもう少し、難しい事も教えてほしいといってられますよと、勧告されたが今になって思うことは、やはり生徒の能力の問題で、難しい事を教えると私のクラスのように嫌になる生徒が出てくるからだろう。 それ見ろ、と彼のクロぶちメガネが私に言っているような思いがした。

職員室に戻ると、数人の先生に話してみた。

「としごろかも、しれませんよ」とベテランの女教師が言った。

「そうでしょうか・・・」

「一時レベルをおとしてみたらどうですか? 例えば、しりとりをやってみるとか」と教務主任が口を挟んだ。

「しりとりですか・・・」幼稚園児ではないんですがと思いながら、生徒たちは外国語を習っているという事を忘れていたような気持ちになった。

生徒の中には、折紙をしましょうとか歌を歌いましょうとか、言った子もいたっけと思いながら、授業の質を落とさなければならないと思うと、自分のプライドに触った。 IBという中級クラスなのにカタカナの分からない生徒もいる。 内心、誰が何を教えてきたんだという感情もあった。

「たとえば、テストをし成績の良い子にはエンピツをあげるとか」他の先生の意見だ。「ニンジンが必要ですか・・・」

「そうですよ。 生徒のやる気を出すのは、これが一番」

「そうですか・・・」自分のプライドが崩れ行くようだった。 もちろん、プライドで授業はしていないつもりだったが学園長が面接の際に、この方は、もっと上の大人を教えるのには良いかもしれないが生徒には・・・と、戸惑いを見せられた。私のことを良く見抜いておられたなと自覚した。



次の土曜日の前日、本来の仕事である輸出の仕事が多くあり残業となった。 家に帰ったのが夜中の十時半、そして夜食を食べ、本来酒は飲まないが妻が料理用に買っている日本酒をコップで飲んだ。 よく睡眠をとらないと日本語学校の授業が上手く出来ない。 酒は、思ったとおりの動きをし熟睡できた。

朝、午後から雨が降るかもしれないというテレビの気象予報を聞き空を見上げた。 層積雲の合間に青空がある。

車を日本語学校に走らせた。 喉がいがらっぽいのでのど飴をしゃぶりながら北に向かう。 サンホセの日本人町の歴史は1890年まで遡る。 兎に角古い歴史があるが残っている歴史的概観は少なくスブロック四方に過ぎないがその中にサンホセ仏教会の経営する日本語学校があり80人ほどの生徒がいた。 建物は二階建てで二階は第二次世界大戦の時に強制収容所から解放された日系人たちの住居として使うため、一回の建物の上に二階の部分をくっ付けたらしいですと、永禄輔に似た校長兼PTA会長が言っていた。 私のクラスは二回の26号室だ。 横は職員室。 階段を上がりクラスに入ると暖房のスイッチを入れた。 冷え込んでいたので、生徒が来る前に教室を暖めておきたかった。 職員室に入ると教務主任と二三の先生が既に来ていた。 授業が始まる十五分前に職員会議がある。 

職員室のホワイト・ボードに議題が書いてある。 スピーチ・コンテストとか年賀状とかで、年賀状とはと聞くまえに、先生たちが去年はどうであったとか話し出したので大体内容の察しがついた。

「先ず最初、高岡先生の言っておられた岡山へのホームスティの件ですがこれは問う学園とは関係がありません」と、教務主任が切り出した。 そういえばE-mailで日系アメリカ人の先生が企画している内容を各先生に知らせてきた。

「園長に話してみたのですが別院は、関係ないので誤解を招かないようにして下さいとのお話でした。良い企画ですがこれはあくまでも高岡先生個人の企画ですのでね、間違わないようにして下さい。 そして、園長先生はあまり色々な事にかかわりたくないそうですので、ま、園長先生のおっしゃる事も無視できないのでよろしくおねがいします、ネ」

「そうだったのですか・・・」一人の女の先生がつぶやく。 私の左横は、アメリカの高校教師をリタイヤした70過ぎの先生、右横はスポーツ紙の編集長の仕事を持つ先生、どちらとも無表情でノートを見ている。

私はオラクルで見たカルガモの親子を思い出していた。


了 2009年に書いていた作品を見つけたので掲載。

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