第18話 たくあんの音
たくあんの音
三崎伸太郎 09162022
妻の恭子の歯が悪くなったのは、子供を持った後からだった。多分おなかの赤ちゃんにカルシュウムをとられたからだろうと私たちは話した。
子供が成長して二十歳を過ぎたころになると、恭子の歯は、歯茎(はぐき)に半分ほどしか残っていなかった。夫の一郎は恭子に部分入れ歯をすすめてみたが彼女は嫌がった。残りの歯を治療しながら今日まで来た。一郎は今年70歳を迎える。
アメリカには定年制がない。まだ会社で働いている。それでも、そろそろ定年を考える歳だ。彼は、医療保険の効く定年前に恭子の歯を直してやろうと考えた。
恭子は入れ歯を嫌がるのでインプラントしかない。調べてみると最近は医療保険もインプラントを受け入れるようになったらしい。
一郎が恭子に話すと、インプラントは医療費が高いから嫌だという。確かに一本が$4,0000ドル以上する。医療保険が$1,500ドルほどカバーするので、一本のインプラントは日本円で32万円ほどになる。確かに高い。しかし、一郎は妻の歯に長い間何かしら負い目を持ってきた。稼ぎも悪く、たびたびレイドオフ(首)にされて、恭子に迷惑をかけて来た。中間層の一番下にしがみついているような人生だった。
昨日、YouTubeで日本の童謡を偶然に見て、春の小川を歌っている恭子を見ながら一郎は決心をした。
歯を直してやろう、そう考えた。
一郎はできるだけ安くインプラントを行う歯医者をコンピューターで探し、無理やり恭子をインプラント・センターという歯医者に連れて行った。インプラントは歯茎に穴をあけてボイルトを固定し4,5か月後に模造の歯をボルトに取り付ける。
すべての歯の費用は高額になったが、会社の個人年金制度の一部を下ろして支払った。
夏も終わり秋になるころ、恭子の歯が出来上がった。
一郎は手鏡で嬉しそうに歯を眺める妻を見て、うれしかった。週の終わりに日本食マーケットに行くと、買い物カートの中に恭子が沢庵を入れた。
一郎は、今日まで妻の歯を思い沢庵を買うことを止めていた。
「タクアンか・・・」
夫の言葉に恭子は嬉しそうに微笑んで、安いからと言った。
一郎は首を振ってうなずいた。
その夜、ご飯のオカズには沢庵がついていた。
一郎は妻の口から軽くコリコリと軽快な沢庵を咬(か)む音を耳にした。嬉しかった。一郎も沢庵を取り上げると口に入れた。
「おいしいね」と、妻が言った。
コリコリコリと、夫婦の口から沢庵を咬(か)む音がしている。 了。
長い間書くことを止めていたが、今日は昨年亡くなった母の命日。7月30日なので、何か書いてみようと思い、昨年に題名だけ書いていた短文を5分で書いてみた。
7月30日、2023年。
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