第13話 パイロット

パイロット

             三崎伸太郎   08162021


隔週の土曜日に、12歳の息子を日本語学校に連れて行く。もちろん、日本語を学ばせる為だ。

そして、昨日息子が日本語学校からプロジェクトをもって帰ってきた。日系企業主催の夏休みの理科の研究コンテストだった。

私は、結構論文は得意な方だ。息子に「塩」について考え見ようと提案した。

「お父さん、塩って海で採れるのでしょう?」息子が聞いた。

「そうだよ。しかし、塩は岩塩と言ってね、石からも採れる」私はキッチンにある数種類の塩をテーブルに取り出すと、塩の作り方等を簡単に説明した。

そして、その週末の日曜日、私はサンフランシスコ空港近くにある塩田に息子を連れて出かけた。フリーウエイから車をベイ(湾)の方に入れていくと白、赤紫、青緑、黄色、灰色など様々な色の区画が見えてきた。

早速、息子は私に塩田の色について質問した。あらかじめ勉強していた私は、色は微生物とか小さな海老の色から来ていると説明しながら、車を塩田横の広場に停めた。車から出て外に出ると、直ぐ近くの海岸に白い塩の山が見えた。ベルト・コンベアで塩が運ばれている。ブルトーザーが塩の中で行き来していた。

「わっ、こんなに塩がある!」息子が言った。私も少々、驚いていたが父親としての立場から冷静さを装いながらも「すごいなあ・・・」と、短い言葉をだしていた。

その時、塩の山を見ている一人のアジア人男性の姿が私の目に止まった。塩は、日本でも沢山製造されている。まさか、日本人がサンフランシスコの塩に興味を持っているとは思えなかった。

男性の白髪が白く光る塩の山と妙に重なっている。

私は息子を連れて男性の方に歩いた。彼は気づいたのか私達のほうを振り返った。

「日本の方ですか?」と、私は聞いてみた。

「はい、そうです」相手は答えた。年齢は八十歳を超えているだろうか。知的な風貌に頑健そうな風体だ。観光でサンフランシスコに来たに違いない。しかし、この辺りは観光する地域ではなく、どちらかと言うと人はあまり来ないような場所だ。彼は、微生物か何かの研究者かもしれない。

「塩田に興味をお持ちですか?」と、私は一般的な質問をしてみた。

相手は、ゆっくりと自分の顔を湾のほうに向けると「塩田ですか・・・」と、言葉を洩らした。

「私は、子供の理科の研究で塩田を子供に見せに来たのですが、塩田の色が様々なのに驚きました」と、先ず感想を言ってみた。

「そうですねえ・・・」と、彼は答え「昔と変わらない色です」と言った。

「昔、ここに来られた事があるのですか?」

「ええ、飛行機から見たのです」

「飛行機の中からですか・・・ああ、そうかもしれない。私も飛行機がサンフランシスコ空港に着陸する時に見た覚えがあります」

「霧が覆っていたのです」

「?」相手は、変なことを言った。霧が覆っていて、湾は見えないだろう。

「朝霧に覆われていたのです。視程は1.5キロメートル。霧の高さは90メートルでした」と、相手は感慨深そうに言った。私は、この時点で相手が航空関係者だと理解した。私は、プライベート・パイロット・ライセンスを持っている。かって、ロングビーチ空港から霧に覆われたサンタ・モニカ空港に着地を試みたことがあった。サンタモニカに近づくとすごい霧だ。私はVFR(有視界飛行)からIFR(計器飛行)に切り替えた。管制官の指示に答えながら高度を徐々に落として行った。思いのほか霧高は低く、計器を見ながら風防から下を除くが白い霧が横切る。アプローチ(進入)に移ると、タワーから「滑走路が見えたら、連絡せよ」と指示があった。私は操縦輪(YOKE)を握りなおした。滑走路が見えた時は高度90メートル。機種はパイパーPA-34セネカ、軽飛行機で双発の古い機種だった。カンが頼りでいつものようにトリムとラダーを調整しながら軽く操舵輪を引いていく。車輪が滑走路に接触した感覚が無いようなソフト・ランデングだった。霧の日は気流が弱く無風に近い。

「では、あなたはパイロットだったのですか?」と、私は彼に聞いた。

彼は、かるく頷いた。その時、私の脳裏に一つの航空機事故が思い出された。

1968年の11月に、日本航空の002便がサンフランシスコ湾に着水事故を起こした。パイロットは計器の数値が正確ではなかったと報告したが運輸省航空事故調査委員会は調査結果として「パイロット・エラー」とした。パイロットにとって「パイロット・エラー」で事故を起こすことは屈辱である。

「ここに着水した、日本航空の?」と、私は直接彼に聞いてみた。

「そのとおりです。残念ながら・・・しかし、未だに納得がいかない。私は機長でした。霧を抜けた時、私の目に飛び込んできたのは海面でした。サンフランシスコ空港にILS(計器着陸装置)で進入を開始してしばらくすると、霧の破れから白い塩田が見えました。計器は正常でした」

パイロットが操縦している飛行機の高度を見誤ることは稀だ。飛行場に進入する際には常に高度を副操縦士と声を出しながら確認している。最近はオートコールアウトと呼ばれる装置がアウターマーカー(電波標識)を認識して自動で高度がコールアウトされる。

「もう一回、飛んでみませんか?」と、私は彼に聞いた。

「えっ? この空をですか?」

「そうです。事故当時と同じようにアプローチして、塩田がどの様に見えたのか。そして、高度計の誤作動はあったのか。飛んでみれば分るかもしれないし、わだかまりもなくなると思いますが・・・」

「もう一度、飛ぶ・・・か。どうやって飛べるのでしょうか?」相手は、少し間を置いて聞いた。

「古い機種ですが、セスナー172を持っています。若しよろしかったら、明日にでもご連絡します」

「本当ですか?」彼の目は輝いた。

「ええ、飛びましょうよ。楽しいと思いますよ」

私は、明日の十時ごろ迎えに行きますのでと、彼からホテルの名前と電話番号をもらった。そして、子供の理科の研究コンテストの為に彼からはなれて塩の山の方に向かった。

翌日、私は彼をホテルでピック・アップしてサンホセにあるリードヒルビュー空港に案内した。有名な女性飛行家アメリア・イアハートも使ったことのあるエアポートである。

飛行機を管理してもらっている飛行クラブで、FAAに飛行プランを申請した。

借りているガレージでセスナー172の内部と外部点検をチェックリストに沿って済ませた。彼は当時機長だったので機長席に座ってもらった。

「座席が狭いですから、適当にアジャスト(調整)してください」

「久し振りのセスナですよ」と、相手は言った。

「乗ったことがあるのですか?」

「もちろん。飛行機好きは旅客機の操縦だけでは物足らなくてね。良く飛んだ・・・」

「そうですか。それなら飛びやすい。私がタワー等との交信をしますので、操縦をお願いします」

飛行場を飛び立つと彼の腕の素晴らしさが分った。

昭和43年(1968年)に起きた日航機(DC-8-62)のサンフランシスコ湾への着水事故は、アメリカのNTSB(国家安全運輸委員会)の事故報告書によれば、機長が新しい飛行機の自動操縦の使い方に慣れていなかったためだと結論付けている。又、当時機長は自分の非を認めている。しかし、飛行時間一万を超える経験を持つパイロットは計器だけでなくカンでも飛行する。霧の中でも飛行機の位置が把握できる。滑走路を視認するまでは進入限界高度の211フィート(64メートル)を維持しなければならないという規則は、無意識にでも守られるはずだ。

私はベイ・アプローチに侵入の許可をもらうと、彼に方角を示した。飛行は「WEST・PLAN」と呼ばれている、日航機の着水事故と同じようなコースを取った。

「了解」と彼は答えて、予定しているコースに機体を乗せた。天気は快晴だ。風が強く、時々小さなセスナを揺すぶる。

サンホセの北に位置するフリーモントからダンバートン・ブリッジ上空に行き、サンフランシスコ湾を横切るように飛行すると下方には塩田の区切りが見えてきた。白、灰色、青・・・彼も、操縦しながら下方を覗き込んでいる。

「霧の合間に、塩田が見えたのですか?」私は彼に聞いた。飛行高度は2,000フィートを保っている。

「はい。ハッキリ覚えています。そのときは既にサンフランシスコ空港に進入を開始していました。赤い塩田が見えた・・・経験から高度は1,000フィートだったと思います。それから、副」と言って彼は言葉を切った。

「そうですね。普通、機長が操縦輪を握っていれば副操縦士が高度を読み上げますよね」

「・・・・・・」相手は何も答えなかった。

私は、事故のときと同じようなILS(計器着陸装置)コースを設定していた。標準到達経路は、サンホセのほうから山に沿ってサンフランシスコ空港のランウエイ28Lに進入するコースである。しかし、進入だけだ。サンフランシスコ空港に着陸するにはIFR(計器飛行)が要求される。

そろそろSTAR/Standard Terminal Arrival Route(飛行場に最終侵入するまでの飛行経路)が終わりになる。継続するにはIFR(計器飛行)に切り替える必要がある。

「飛行機の高度を下げて良いだろうか?」突然、彼が聞いた。

「構いませんが・・・」私は少し不可解だった。

飛行機はVFR(有視界飛行)で、飛行している。事故当時と同じ空港に東側から進入するILSコースに近づいていた。

「ほら、塩田がある近く・・・・・・私は、あの辺りを見ていました」と、彼は言った。

「すると、あなたは操縦輪を握っていなかったのですか?」

あいては、しばらく返事をしなかったが「訓練をしていました」と、低く答えた。

「訓練?」

「それだけで違反です。私の責任です」

「なるほど・・・・・・霧の日の着陸訓練ですか」

「塩田を見ていて、ふと気づくと遅かった。丁度この高度でした」高度計は200フィートを示していた。塩田が真下に見えていた。サンフランシスコ湾の海面は穏やかで、雲が映っている。実際の高度に比べて、より高い高度に見える。深い空が海と重なっていた。

「一度旋回して上昇しましょう」

セスナはエンジン音を上げると45度で旋回に移る。

「あの当時から、随分経ちましたが私の中では終わりがありませんでした。人生の終焉時には、あの時の事故の光景が蘇ると思いますよ」と、元パイロットは言った。

旋回を終えると上昇に移った。高度計のデジタル文字が過去の時間から現在の時間に代わっていくように、どんどんと数字を大きくしていく。「飛ぶのは、気持ち良いねえ」と彼が言った。下方を見ると塩田が光っていた。老パイロットの人生の終焉にフラッシュ・バックする光景なのだろう。

水溜りを覗き込むと、深淵の空間がある。下方の湾に見える光景が同じだ。フリードリヒ・ニーチェの格言を思い出した。“長い間、深淵をのぞきこんでいると、深淵もまた、君を覗き込む”

「色々なことがありますよね・・・」と、私は言った。

「そうだねえ」と、老パイロットは感慨深そうに答えた。


終り

十月二十四日

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