第一章 おなかすいた!

 ここはシェブジーア。


 大きく五つのエリアに区分できる謎に満ちた広大な地。


 春のファネリカ。

 夏のラマベリカ。

 秋のスロデリカ。

 冬のグノムリカ。

 四季のオルゲリカ。


 それぞれの地はその季節の気候しか持たず、オルゲリカのみ四季がある。

 が、一つだけ例外の地があった。


 そこの名は、フェクヌリカ。

 ざっくり言ってしまうと幻想の森みたいなもので、普通の人間や生き物であれば、入れば最後、二度とは出てこれないといわれる迷いの森だ。

 傾斜の酷い山かと思えば平坦な地へ出たり…

 生い茂る木の中を進んでいたはずが湖に出て、振り返ったらもうフェクヌリカからでてる、なんてこともしばしば。


 しかし、そんな森の中を自由に動ける人間がいる。

 それが、フェクヌリカの地下にあるアフヴァール大聖堂で暮らす子供たちだ。


 フェクヌリカのどこかにあると言われるエンゲルの大門という門から階段を使って地下へ下ると現れる緑豊かな大庭園と、見上げるほどの大聖堂。

 地下にもかかわらず明るいその場所は、まさに地底の天界。

 そしてそこに住む子どもたちは、今日も元気に一日を過ごす……



「うわぁあタイム、タイムーー!!」

「無理やぁあぁ!!」


 ドガン!!


「痛ったぁ!?」

 ふ、ふっとばされた…!

 ったく、この体力おばけめ…

 ただの追いかけっこだったはずがどんどんエスカレートし、拳も足も飛んでくるようになったアグレッシブな戦いの終止符は、彼の回し蹴りによって打たれた。

 とっさのガードもむなしく、僕は芝にガッと手をつく。

「はい俺の勝ちー」

 そういう勝者の笑みときたらもう…

 この上なく悔しさを掻き立てられる。

「くっそー…じゃああれだ、今晩の戦術試験で勝負だ!!」

 僕は僕の得意分野で…!

「…俺そういうのできひん」

 なんやとぉ!?

「ちぇっ、アホなやつ」

「うっせーなおんどれ」

 ぎりぎりといがみ合う僕らの耳に、聞き馴染みのある声が届く。

「はいはい、二人ともそこまで…」

「最高のタッグなのにもったいないねぇ」

 へらへらと笑いながらこちらへ歩いてくる二人はよく知った顔…だがしかし!

 その言葉だけは訂正を…っ!!

「「どこが!」」

 …って、ちょっと。

「…かぶせてこないでよ」

「おめぇやろがい」


 僕の名前はシア。フェクヌリカのアフヴァール大聖堂で暮らす16歳の男だ。

 そして今僕といがみ合ってるこの男はカフ。アフヴァール随一の運動神経の持ち主のくせに戦略が練れないどアホ。

 まぁ戦略なんていちいち練らなくたって、感覚で上手いことやっちゃうんだろうけど。

 こうしてお互い毛を逆立てていても、赤ん坊のころから一緒にいるんだ、どこかで二人ともお互いを尊敬しあってる。

 …そして僕はこいつの、アフヴァールに一人しかいない白髪がお気に入り。

 そう考えながら、カフとは対照的な自分の真っ黒の髪を触る。


「だって、シアが戦略立てて、そこにカフの運動神経とセンス、あと二人の武器の扱いの上手さが加わったら最強じゃん?」

 そう言う彼女はナナ。全くと言っていいほど運動ができず、いつもカフに馬鹿にされていたが、大人数規模での戦略を立てることの上手さを評価されて、重宝されている。

「ナナの言う通りだよ~、それに美男同士だしねぇ」

「僕はともかくカフは顔だけで中身ぼろぼろだよ」

「お前に言われたないわ」

 カフがつっこんできた気がするけど気にしない。

 いつだってみんなを褒めてくれる彼女はウロ。自慢の紫髪をツインテールにしていて、いつもどこかふわふわしているけれど、これでも銃撃の才能がある。

 ウロの照準合わせの正確さは本当にすごいのだ。

 僕たちは四人とも同い年。

 みんな小さいころから同じ釜の飯を食ってきた仲だ。


「にしてもカフのファンすごいから、ひょっとしたらシア、下級生に嫉妬されてるかもねぇ?」

「うへぇ、女ってこえぇや…」

「そう見えちゃうか。って、もうすぐ鐘鳴るころじゃない?」

「あっ、確かに」

 そしてナナの予想通り、鐘が鳴る。


「カフ」

「ん」

「おんぶでダッシュ」

「誰がするかあほんだら」

 ふん、つれない奴め。

 こうなったら今日の晩御飯ぶんどってやる。



 *



 僕たちの暮らす大聖堂は、大きく四つの棟にわかれている。

 勉強をするための中央棟。

 食べ物を食べたり、お風呂に入ったりするための東棟。

 睡眠をとったり、年齢ごとに分けられた部屋のある西棟。

 運動をしたり、鍛えたりするための北棟。

 ちなみに西棟は一番大きく、天井がガラスになっており、中に四つの建物が建っている。


 そしてこの夕方六時に鐘の音で呼び出された時、行かなくてはならないのは中央棟。

 僕たちの育て親である修道女二人の話を聞くのだ。

 二人の名は、ヴィルリアとレグオム。

 僕たちはみんな、ヴィルさん、レグさんなんて呼んでいる。

 ヴィルリアは髪が長く、首から下げられたロザリオの装飾が白い方。

 レグオムは髪が短く、ロザリオの装飾が黒い方。

 二人とも頭のベールから下がった白い布で顔が見えないため、色の違う所持品で見分けている。あとは身長。レグオムさんのほうが高いのだ。

 そして、レグオムさんはなぜか喋ることができない。

 つまりは、言葉を一つも発しないのだ。


 そして僕たちはそれまでいた大きく広い中庭から屋内へ上がり、夕日に煌めくステンドグラスに照らされた通路を歩きながら、年齢別に決められた席へと向かう。


 ここアフヴァール大聖堂では、子供たちはいろいろな分け方をされている。

 0歳から5歳までは花部かぶ、6歳から10歳までは羽部うぶ、11歳から15歳までは離部りぶ、16歳から19歳は天部てんぶといったものだ。

 花部に学年はないが、以降三部には最年少から数えて五つ学年がある。

 なぜか天部にだけは五年生という学年がなく、四学年のみなのだが…


 途中、羽部の一年生の子たちにつつかれたり話しかけられたりしたが、僕ら四人はなんとか自分の椅子に腰を下ろした。


「なぁカフ」

「おー」

「今日は何の話されるかな」

「さあ」

「また兄さんや姉さんが戦いに呼ばれるとかかな」

「しー」

 僕とカフがそんな話をしていた途中で、前に座っていた最年長である19歳のリド兄さんが人差し指を立ててこちらを振り返った。

 こちらがすみません、と目線を下げると、彼は「いいんだよ」と一言、にこりと笑ってまた前へ向き直る。

 リド兄さんは優しい。そして強い。

 だからいつも何か事あるごとにヴィルさんに頼み事をされるのだ。

 そしてリド兄さんの横に座っている、彼の双子の兄であるネオ兄さんもまた強い。

 カフは憧れたりしないらしいけど、僕はすごく憧れている。

(…そういえば、カフが誰かに対して憧れる、なんて言ってるの聞いたことないな)

 もっとも、カフは自信に満ち溢れている!なんて訳じゃないんだろうけれど。

 僕のヒーローはリド兄さんなのだ。

 それに、リド兄さんは僕に名前をつけてくれた人。

 ここでは新しい子供が生まれるたびに、上級生が名前を付ける。

 僕も、今は離部の二年生のテオに彼が小さい頃名前を付けてあげた。


 そうして二度目の鐘が鳴り、黒い修道服い身を包んだヴィルさんが前へ立ち、手を叩くと、みなの顔が真剣なものに変わった。

「こんばんは、アフヴァールの可愛い子供たち」

 緩やかにヴィルリアさんの薄い唇から、落ち着いたハスキーな音が紡がれる。

 幼い頃から聞いてきた、暖かい声。

 そして時に、凍えるように冷たくもなる声。


「今日はどんな一日でしたか。特に天部一年生は中庭で遊んでいたようですが…それはさておき、今日はみなさんに大事なお知らせがあります」

 そしてどこかお堂の空気が変わる。

(あぁ…)

 彼女の顔は布で見えないが、どんな表情をしているかなんて一瞬でわかる。



 …今日は良くない日だ。



「この後もう二時間もすれば彼ら…龍たちが動き出します」

 龍。

 それは、シェブジーアのここ、フェクヌリカ以外の四つの地に生きる、奇妙で恐ろしい生き物。

 大きいものは龍、小さいものは仔竜こりゅう、龍と人間のハーフを竜人こりゅうという。

 一般に龍は昼間、太陽の出ている間は動けず、まるで石像のようなすがたで決まった場所に鎮座している。

 仔竜は頭領とされる龍のいる地に住んでおり、昼間でも動ける。が、基本的に気が弱く、力も人間に劣るため、我々の前に姿を現すことはない。

 竜人、彼らは一番よくわからない。

 ただ龍には子を作る機能がないので、恐らく仔竜と人の間にできた子供なのだろうが…

 そう考えると、彼らの気の弱さにも説明がつく。


 そして、僕らアフヴァールの子供に課されているのは、龍の討伐。龍狩りだ。


 無論、子供たちは討伐の理由を知っている。

 

 しかし事実、過去に龍を討伐しに行った年長者の天部生は一度も龍を倒せたことが無いというのに、倒すも何もそれ以前にフェクヌリカは愚か、他の地も含め、龍による被害なんてものは出ていない。

 被害もないのに一体どうしてわざわざ倒すのか、と思う子供は勿論いる。

 だが、自らを育ててくれたヴィルさんやレグさんの言葉に反抗できず、みな揃って龍狩りへ赴くのだ。


 そして……

 これまでに19歳、天部四年生という最高学年になり、龍狩りに行った子供たちは…


 ───誰一人として、アフヴァールに帰ってきていない。


(みんな龍にやられたんだ…)

 もうここ数年、毎年大好きだった兄さん姉さんの骨ばかり見ている。

 だからこそ……


「今晩、現天部四年生は総じて、金龍…レリを狩りに行きなさい」


 この言葉を毎年聞くのが辛い。


 ヴィルさんの一言に、まだ小さく、上級生がまさか骨として帰ってきているなんて知らされていない羽部生たちは「えぇ〜、お兄ちゃんたちだけずるいよ」なんて文句を垂れている。

 仕方が無いんだ、と宥める離部生。

 だが、彼らもまた離部に進級した最初の年にこの説明を受けるため、死の事実を知りながら宥めているのだ。


 きっといつか、天部四年生が生きて帰ってくる時は来る。


 誰もがこう信じて、いつも見送りをする。

「天部四年生、立ちなさい」

「「「「「はい」」」」」

 素早く立ち上がった彼らは、五名。

 リド兄さんに、ネオ兄さん。

 そしてペレ兄さん、イオ姉さん、サラ姉さん。

 ペレ兄さん、イオ姉さん、サラ姉さんは三人とも秀才で、リド兄さんとネオ兄さんは二人揃って銃撃の天才だ。


 このメンバーならきっと…と、皆が思う。

 が、これまで過去、この期待が常に裏切られ続けたのだ。

 天部まで進級してきた僕らに至っては、そんな淡い期待すらもう抱かなくなってしまった。

(確かにリド兄さんはずっとヒーローみたいに強くてかっこよかった…ただ)

「強さだけが勝てる理由にはならへんねやろな」

「っ、カフ…!」

「だってそうやんか。強い上級生なんて今まで何人も見てきたがな」

 そう言うカフの瞳は、まるで感情がないような冷たい色をしていた。

 そうして、ちら…とリド兄さんの方を見上げようとして、気付いた。


 彼の手が震えていたのだ。


 小さく、微かに。

 だが確実に、死に怯えて。

 その大きく頼れる背中も、逞しい身体も。

 人というものは死を前にすると、こうも小さく見えるものなのか。


 しかし、不意にこちらを見たリド兄さんの目は、確かに強い意志を…龍を倒す、という誰よりも強い意志を宿していた。



 僕はもう、それ以降リド兄さんと目を合わせられなかった。



 *



「おい、シア。起きろ」

「ん…」

「お前ずっと寝とったんか」

 僕はあれから天部四年生の見送りをして、皆が夕食を取りに行く中、誰もいない中央棟で一人、意識を手放していた。


 何もできなかった。


 もうあれ以上、あんなに綺麗な目は見たくなかった。


 だって今頃は…

「しっかりせぇよ。ほれ、ああだこうだ言うとってもしゃあないねん。部屋戻って服持って、さっさと風呂行くで」

 カフに思いっきり頬をつねられた。

「あとお前風呂終わったら飯食え。な?残しといたったから」

「…わかったよ」

「今日のは冷めてもいけるぞ。美味いで」

 そう言って椅子から立ち上がった瞬間、僕の体は浮いた。

「え」

「え~、まもなくシアのぐずぐず列車が発車いたしまーす。そ~れ、がたんごとーん」

「ちょ…!」

 …おんぶされてしまった。

 こういう時にしてほしいんじゃないのに…

 とは思ったけれど、体いっぱいに感じるカフの少し低い体温が、はやった僕の心を冷ましてくれるようで、今はとても心地よかった。



 そうして着いた、西棟。

 ここが僕らの寝泊りの場、自由の場だ。

 一面ガラスの三角屋根の、全ての棟の中で何よりもダントツで大きいこの西棟の中には、五つの建物が建っている。

 まさに言うなれば、ハウスインハウスだ。

 花部生が暮らす花宮かぐう、羽部生が暮らす羽宮うぐう、離部生が暮らす離宮りぐう、天部生が暮らす天宮てんぐう、そして修道女二人の暮らす看宮かんぐう

 それぞれの建物の内部構造は簡素で、真正面の入口から伸びる通路の両脇に、奥に二部屋、上に二部屋の、計四部屋。

 上の部屋へは階段で上がれる仕様になっており、ちゃんと扉や仕切りもある。

 ただ、花宮だけは年少者がほとんどのため、花部四年生が分担して、花部一年、二年、三年生の部屋で一緒に寝泊まりしている。(つまり本来の花部四年生の部屋は空き部屋状態になっている)

 看宮は主に怪我をした時や体調を崩したとき、困ったときにのみ入ることがほとんどなのだが…

 その部屋の中ででも、修道女二人が顔の布をとっているところは誰も見たことがない。


「あっ、カフ…とその後ろのはシアかな?」

「あぁウロ、ちょうどよかった、こいつ寝とってんよ。俺もまだやし、これから一緒に風呂行ってくるわ」

 僕はまだ少しぼんやりする頭をぶんぶん振って、カフの背を降りる。

「あの…ありがと」

「運賃300円になりまーす」

「誰が払うか!」

 全く…

 微睡んでいたのに一気に意識が覚醒した。

「えへへ仲いいねぇ~」

「「よくない!」」



 *



「もう誰もいないね」

「そりゃあもうみんな入ったでなぁ」

 僕とカフはがら空きの大浴場を眺めていた。

 花部の子たちがつかったであろうアヒルのおもちゃがぷかぷか浮いているだけで、人の気配は一切しない。

「さぁて洗車しよかねぇ」

「お前は車か」

 …言っても車なんて見たことないけど。

 どっこいしょ~と言いながら風呂の椅子に座ったカフの後ろ姿は、細いのは変わっていないのに、小さい頃と比べて随分骨ばっていた。

 僕なんてまだこんなに小さくて弱っちい体なのに。

「カフ」

「おー?」

 カフは話しかけた僕の方へ目線をやりながら、出していたシャワーを止める。

 いつもだったら気が乗らないけど…

「…久しぶりに髪、洗ったげよっか」

 カフのその濃い黄色の目がこちらをしっかりと捉えたと思うと、そのつり目は驚きの形に少しだけ見開かれた。

「…まじ?」

「まじ」

 カフは依然、きょとんとしたまま。

 僕は「まぁまぁおとなしくしててよ」と言いながら彼の背後に回った。

 スッと毛束を持ってみると、その白の毛は浴場の電気に照らされてきらきらと輝く。

「相変わらず綺麗なのに寝癖はあるんだね」

「うっせー」

 僕はそのままシャンプーを手に取って彼の髪を洗った。

 髪の毛を持つ僕の力で引っ張られて、時折頭がゆらゆら揺れる。

(今度は僕が洗ってもらおうっと)


 そうして誰もいない大浴場から出て、湯冷めしないように少しだけ速足で天宮へ向かった。

「おかえり~」

 天宮へついて扉を開けた時、偶然飲み物を取りに僕らの二階の部屋から降りて来ていたナナににっこり微笑まれた。

「もうウロが半目だよ、二人も早くいかなきゃ電気消されて何にも見えなくなるよ」

「えっ、ウロもう寝るの」

「そりゃあちっさい頃からウロが一番早くに寝て一番遅くに起きるじゃん」

 そういえばそうだ。

 もっとも、僕らの代は僕ら四人だけなので、花部一年生の頃からずーっと一緒。

「そんでもって俺は別に電気消されてもかまわんでな」

「カフはチートすぎるって…」

 そう、カフは夜目がきく。

 昔からみんなと違う瞳孔の形をしているし、それもあるのだろうが…

 何よりこの事実はほかの子供たちにはもちろん、修道女二人にも内緒。

 だって、夜目がきくのがバレたら利用されるから。

「はいはい、二階へあがりますよ~」

 そうこうしている間にナナは水をコップに入れ終わり、三人そろってウロの待つ自室へ戻った。


「おっそいよ~ウロ眠いよ~」

 扉を開けてすぐ、布団に芋虫の如くくるまるウロの嘆きに出迎えられた。

「もうおねんねでちゅからね~」

 慣れた調子でナナにそう返されたウロは赤ん坊のように転がる。

「うっわでっけぇ赤んぼやな」

「誰がでっけぇよ失礼な」

 …これで本当にみんな16歳なのか。

「ちょっとシア、今これでも16かよって思ったでしょ」

 ぎくっ…

「そ~れ地獄落としじゃ~!」

「おわぁぁ!」

 ものの数秒で見抜かれた挙句、布団に引きずり込まれてしまった。

 いつの間にかナナまで「地獄じゃぞぉ」なんて渋い声を真似て参戦している。

「おら寝るぞクソガキ共」

 どたばた暴れるこちらをよそに、さらっと酷いことをいってそそくさと電気を消すカフ。

 高見の見物しやがって…

「よし、地獄ごっこ終わり!…ってあれ、わ、私の布団どこ…」

「ウロは数秒で眠る神……」

 そんなことを言いながら、二人とも布団に入って本当に一瞬で寝てしまった。

(はっや…こういうとこ変わってないよな)

 そうしてカフはカフで、僕に「飯食っとけよ、ちょっと電気つけといたるで」なんて言って、もぞもぞと布団に潜り込む。

 僕はみんなのそんな姿を見ながら、枕元に置かれたパンとシチューの乗った膳を手繰り寄せ、なんとなく窓の方へ目をやった。


 今頃、リド兄さんたちは戦っているのだろう。


 それなのに僕たちと来たらなんて呑気な、と思われるかもしれない。

 が、これがある意味、アフヴァールでの暗黙の了解なのだ。

『基本的に天部四年生が戦いに行っても、落ち込むのは控えなさい』

 これがあるからこそ、僕はあえて誰もいない中央棟であんなに時間をつぶしていたのだ。

 …誰にも見つからぬように、どうにもならない虚しさに沈むために。

(…でも、カフにはバレバレだったんだろうなぁ)


 気を紛らわすために、がつがつと急いでご飯を食べてみたが…

 体は正直なのだろう。

 はっきり言って胃が受けつけなかった。


 諦めて電気を全て消し、布団に入ってぐるんと寝返りをうってみる。

 すると向いた先に、窓からの光に照らされたカフの綺麗な寝顔があった。

 汚いものなんて何もついていないような、まるで天使のような寝顔に、「黙っていれば天使なのに」なんてこぼしてみる。

 …が、返事は当然なく、ただ呼吸で彼の体が静かに上下しただけだった。



 *



「金龍め!今日こそ決着をつけてやる!」


 ん…?なんだ…?


「レリとか言ったな!今日でお前を終わらせる!」


 リド…兄さん……?


「金龍、レリ…貴様が我が同胞たちを殺した罪、許されたものではないぞ」


 …?あれは…もうひとつ前の代の天部四年生…?


「私の刀の錆にしてくれよう…!」


「私たちの怒り、今ここでぶつけさせて頂戴!」


「自由まで奪われてたまるもんか!今日こそぶちのめしてやる!」


「そなたの力、どれほどか見せてもらおう…!」


「はは、いい度胸だとでもいいたげだなぁレリさんよぉ!!」


「わしに歯向かうなど考えん方がよいぞ金龍…!!」


 なんで…今まで見送りしてきた天部四年生が…ここに…?


 そうだ…奴はどこだ………!


 どんな姿をしているんだ…


 なぁ…


 金龍……いや、レリ…!!!




『妾はお前を待っているぞ。お前と、××の××もな』





「…っ!?」

 ガバッ…!

「うぉおびっくりしたぁ…なんや脅かすなや…」

「はぁ…はぁ…っ」

 苦しい。

 苦しい苦しい苦しい。

 なんだっていうんださっきのは…

「ゆ、め…?」

「?なんや怖い夢でも見たか?」

「か、カフ…?」

「お?せやで?…しゃあないなぁ、俺の胸に飛び込むかいシアくんよぉ…って、うん!?」

 僕は必死の思いでカフに抱きついた。

「…おーおーほんまに来る思わんかったわ…大丈夫か?」

 本気で心配になったのか、カフの骨ばった暖かい手が僕の震える頭をなでる。


 今はとにかくそれが落ち着いた。



「ありがとう、ごめん…ほんとに怖くて」

 そうしてしばらくカフにしがみついていたが、やっとの思いでカフの手を離れた。

 カフはそれでも気持ち悪がらずに「ええねんで」と笑ってくれる。

「あれ…?まだ暗いの?」

 ふと、僕は外がまだ真っ暗なことに気付いた。

「おー、俺もなんか変でなぁ…寝て起きたらまだ夜中やってん。ほれ、まだあいつら寝とうやろ?」

 指さす先には、確かにすやすや眠るナナとウロの姿が。


「…カフ、外…行かない…?」

「こんな夜中にか?」

「うん…」

「…ええで、行こか」



 *



 仄暗い大庭園に、僕とカフの足音だけが響く。

 ここは地下だ。月明かりは届かず、外の様子は伺えない。

「リド兄さんたち…大丈夫かな」

「金龍のレリってやつやっけ、相手。なんやいっつもあいつとちゃうか?」

 そう。

 なぜ代々、龍の討伐は金龍のレリからなのかが疑問なのだ。

 僕らはそもそも花部から羽部に進級すると龍の勉強をする。

 シェブジーアのそれぞれの地に一体ずついるとされている龍は、全部で六種類。


 春のファネリカには、闇龍・ネム。

 夏のラマベリカには、光龍・ヒナ。

 秋のスロデリカには、砕龍・ゴダ。

 冬のグノムリカには、毒龍・ガド。

 そして四季のオルゲリカには、金龍・レリ。

 最後に…

 どこにいるのかわからず、修道女の二人でさえ見たことがない、獄龍・ゲゼ。


 この計六体だ。

 シェブジーア自体海に浮かぶ島とヴィルさんから聞いているが、フェクヌリカの森を唯一動き回れる僕らでも、その中を歩いていて海なんて出てきたことはない。

 どこまで行っても背の高く太い大きな木が視界を塞ぐばかりだ。

 フェクヌリカだけでも膨大な広さなのに、ほかの地へ足を踏み入れたことなんてないに決まっている。

 そのために、僕らは誰も本物の龍を自分の目で見たことがない。

 石となっている昼間の姿はおろか、動いている姿もだ。


 だからこそ、持っているものは龍の特性に関する知識だけで、倒す順番なんてものが決まっていたとしても知り得ることは無い。


 それに…

「ここの説明は、天部二年生になるまでできない…か」

「そういやそんなことも言うとったな、ヴィル」

 ここだ。僕らは後もう一年間、なぜずっとレリだけ相手にしているのかという理由を知ることは出来ない。

 ならば…

「見に行こうよ」

「は…?」

「レリ」

「はぁあ!?」

 足はないことは無い。

 アフヴァールの所有する移動用仔竜を使えばいいのだ。

「ヴィルさんの仔竜だけどいいかな」

「アホか、ヴィルの野郎怒んぞ」

「いいんだよカフ、まだ夜中の二時だ」

 僕はそう言って、ポケットから時計を取り出す。

 部屋を出る前にナナのポシェットから借りたのだ。

「お前…もしレリ見つけて、戦闘なんてことなったらどないすんねん」

「…僕とカフの力なら逃げられるはずさ。移動速度なら習った。そのままなら問題ない」

 僕はもうカフがなんと言おうと聞くまいか、と、仔竜の小屋へ歩く。

 背中でカフのため息が聞こえたが、ゆっくり足音が僕の後を追っているのが分かった。


「ソウ、ウト。久しぶり。実習以来だね」

 僕は小屋でこちらを見つめ、寄ってきた仔竜の顔を撫でる。

 水色の鱗のソウと、青の鱗のウト。

 二頭は兄弟で、順にヴィルさん、レグさんの仔竜だ。

「僕が君でいいかい?ソウ」

 そっと手綱を首に這わせ聞くと、ソウはグルル、と一鳴きし、こちらへ頬ずりしてきた。

「じゃあウトはカフでいいね」

 こちらも同様に一鳴き。

 大丈夫そうだ。

「じゃあ行くよ、まずエンゲルの大門をくぐる所からだ」

 そうして僕らは大庭園を真っ直ぐ突っ切り、エンゲルの大門まで一気に石の階段を駆け上がる。

「はぁあ、こりゃ見つかったら殺されるで」

「見つからないようにするんでしょうが」

「うっせぇ、わーっとるわ」

「おっ、出ましたカフの口悪台詞」

「どつくぞポンコツ」

「どつくのは門にしてくれ」

 この階段がこれまた随分長いもので、僕とカフ、二人でからかい合いながら、階段脇に設置された照明に照らされ進む。

 それにしても誰が一体地下にこんなもの作ったのだろうか。

 もしかして…

「着いたぞ」

「あっ」

 まあいいや、とりあえずは門だ。


 エンゲルの大門。


 それはフェクヌリカのどこかにあるとされている、地下のアフヴァール大聖堂へ続く道のゲート。

 厳重に閉ざされたその門の開け方は、普通修道女二人、ヴィルさんとレグさんしかしらない。

 だが……

「…できるよね?カフ」

「まかせな」

 こいつはすげぇ奴だ。

 どんな種類の鍵でも大抵は開けられる。

 パッと見て、数秒考え込むだけで可能か不可能かの答えは出るのだ。

「…この鍵、暗証番号がいるのか…?」

 僕の見た限り、その典型的な南京錠のような形をした鍵にはダイヤルが付いているため、それを回すタイプの鍵だと思うのだが…

「……ハズレやな。下が取れるやつや」

「えっ」

 カポンッ!

「と、取れた……」

 なんと。

 開けてびっくりというやつだ。

 中身はただの南京錠だった。

「こんなん一瞬やて」

 そう言うカフは、持っていたキーピックで器用にその南京錠を弄り、あっという間に外してしまった。

 ゴトン、と鈍い音を立てて南京錠が落ちる…

「…いい?開けるよ?」

「おいこら、ソウとウトも手伝え」

「よいしょ……っ!!」


 ゴォオオオ─────



「おっしゃ開いたぁ!」

「やっべー久しぶりやなぁ外」

 重く重厚な門を開けた先には、たまにしか出して貰えず、しばらく目にしていなかった森が広がっていた。

「今日はここにでるんな」

 そう、カフの言う通り、この森は位置や方向なんてのがめちゃくちゃだ。

 ひょんなことから別の地に出てしまうなんてのも日常茶飯事。

 ただし、僕らアフヴァールの子供は違う。


「……ここ、大体ど真ん中よりファネリカ寄りに出れたね」

 そこに生えている草花、巨木、傾斜。

 そんなものからでもおおよその位置の特定が可能なのだ。

「一旦ファネリカ向きに進もか」

「うん!」

 そうして先陣を切ってウトを走らせるカフについて、僕も急ぎソウを走らせる。

 たちまち森の不思議な空気が鼻腔をくすぐった。


 そしてついさっき、カフが一旦、と言ったのも訳があるのだが…

「……変わった」

 咄嗟の急ブレーキ。

 そう、少し進んだところで現在地の場所が変わった。

「…でもここファネリカに寄ったよ。もうすぐそこだ」

 僕はその時に、ファネリカにしか生えていない植物がまばらに見えだしたところからそう判断し、カフへ伝える。

「ここまできたら十分やな。よし、森の隙つくぞ」

「いえっさー!」

 森の隙。

 こんなの、きっとアフヴァール大聖堂の人間しか知らないだろうな。

 森の隙とは言葉通り、システムの抜け目のようなものであり、そこを通れば森のイタズラに引っかからないというもの。

 だが、あえて最初からそこを通らなかったのは、意図的にファネリカ付近まで飛ばされる場所を選んで走ることで時間短縮を狙ったから、ということだ。



 そうして僕らは森を抜け、生まれて初めて見るファネリカに目を輝かせた。



「すごいよ、カフ」

「おう」

「図鑑でしか見たこと無かった」

 そこは本当に真新しい景色が広がっていた。

 しかし…

「思ってたより…変だね」

 おかしい。確かに図鑑とは似ている。だが…

「こんな近未来な建物ばっかなんか」

 そこは見たことも無い建物の密集地帯だった。

 フェクヌリカを抜けた地点よりファネリカのほうが低い位置にあるため少しは見渡せるのだが…

 図鑑で見たより遥かに建物が多い。


「でもあそこ」

「間違いあらへん、あれがレリを守っとる森やろ」

 少し遠くに、不自然に森が孤立しているのが見えた。

 住宅街の中に突然の森。

 そしてそれは、明らかに何かを囲むような形をしていた。


「あそこまで突っ走るよ…!!」

 僕はソウを器用に乗りこなし、建物の間を縫って森へと走った。



 *



「本当に人っ子一人いやしない…」

「人っつーか仔竜もおらんぞ」

 なんなんだこの地は…

 やっとの事で森を前にした僕らだが、道中、人の気配一つせず、仔竜の気配まで何も感じなかったことを不思議に思っていた。


「それにこの森も、本当に薄っぺらい森だ…」

奥行おくゆきってもんがあらへんな」

「木の密集度はフェクヌリカ並だけど…」

 ゆっくりと周りを警戒しながら森を進んでいて気づいたが、本当にこの森、奥行きがない。

 ぺらぺらで、見たところまるで城壁だ。

「…って、また住宅街…」

 抜けたところで森が囲んでいたのはまたしても住宅街。

 こんなので本当にレリがいるのだろうか……

「まぁ…進むしかないわな」

 カフの言葉につられて、出来るだけ足音を殺して中心へと近づく。


 …そしてやっとの思いで視界が開けそうになった瞬間の出来事だった。


 ビュンッ!!!!


「っ!?」

「下がれ…っ!!!」

 何か黒くて大きなものが視界を埋めつくし、爆風を運んだ。

(な、なんだ…!?)

 僕らは思わず元来た道へ下がり、建物の裏へ隠れた。



 今、姿を見たら殺される。



 そんな恐怖が、二人と二頭の脳を支配した。

 が、次に飛び込んできた声で脳は動きを止めた……

「リド」

「!?」

 ヴィルさんの声が聞こえたのだ。

「ネオ」

「ペレ」

「イオ」

「サラ」

 次から次へと、聞き馴染みのある声は大好きな兄さんや姉さんの名を紡ぐ。

 そんな、まさか、ヴィルさん、兄さん姉さんは…っ!?


「…レリ」


「「…っ!?!?」」

 思わず僕とカフの目が見開かれた。

 レリ。

 確かにヴィルさんは今……

『レリ』と言った…


「またダメでしたね」

「全く、貴方のおかげで強豪がまた五人消えました」

「レリったら、本当によく出来た子。皮肉なものね」

「次も戦ってもらわなければ困るわ」

「…と言ってもきっと××の××くらいしかあなたを倒せないでしょうけど」


 ───もう、何も言葉が出なかった。


 僕もカフも。

 鼻に届いた濃い血の匂いと、風に飛ばされてきたリド兄さんの香りのする髪の毛の束、ネオ兄さんの服の切れ端。


 16歳の子供を二人、黙らせるにはあまりに十分だった。


 僕は風で飛んできた物を持っていこうと震える手を伸ばしたが、カフに「証拠に繋がるもんは持ち帰んな」と一声掛けられ、彼の乗るウトに支えられながら共に乗せられて、心配するソウと併走してフェクヌリカまで帰った。





 そしてエンゲルの大門を閉める直前───



『またうたのう』



 夢で僕に語りかけてきたのと同じ、妖しい女の声が頭にギンと響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

題名未定です 早瀬 @rain13

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ