第15話 情報収集 ~るりと氷の女王~

「……あ、帰ってきた。おかえり~、しずくちゃん」


 エメラルドの扉から出てきたしずくに、ルチルが声をかける。

 世界の狭間はこの人間界とは時間の流れる速度が違う。そのため、ルチルたちからすればしずくはほんの1分少々いなくなった程度だった。


「どうでした? しずく」


 機体に満ちたるりの質問に、しずくは困ったように力なく笑うしかなかった。


「……しずくちゃん?」

「それが……“にじのうつわは、にじのくじらを目覚めさせるのに必要な色”という、相変わらずふんわりとした事しか分からなかったです。ごめんなさい、二人とも!」


 いきなり頭を下げるしずくに、2人はぎょっとする。


「ど、どんまいだよ。しずくちゃん」

「けど、少しでも前に進みましたわ」


 フォローを入れる2人の優しさに、しずくの胸はズキズキと痛んでいた。


「そうだよ。それにしずくちゃんが悪いんじゃないよ。すべてはミドルンに何も教えなかった長老が悪いんだよ」

『ミド!?』


 またもや批判の矛先を再び自分に向けられたミドルンは、ショックを隠せなかった。


「ルチルさん、そんな事はないと思うんです。きっと妖精さんたちも、空白の使徒に故郷を攻撃されて大変だったと思いますし……」

「けどね、それをこんな15歳の女の子たちに丸投げするのは、絶対に良くないと思うよ」

『うぅ、ルチルも辛辣ミド……!』


 歯に衣着せぬルチルの物言いに、ミドルンは立つ瀬がなかった。


『けど……皆んな、頼りにしてるんだミド……』


 メンタルをボコボコにされ意気消沈のミドルンに、流石にやり過ぎたかとルチルも内心焦る。


「だ、大丈夫です! きっと、最後はるりさんが全部調べてくれますし」

「そ、そうそう! るりちゃん家の瀬馬須さん、ネットワークすごいし!」


 半ば無理矢理話題を逸らしたしずくに、ルチルもうんうんと深く頷く。


「けれど、妖精の事情を瀬馬須たちが知っているのかしら……」


 二人に頼られたはいいものの、少し不安に駆られるるりだった。


「ですがやっぱり、妖精さんに聞いた方がいいかもですわ」


 今度はるりがポケットから“くじらのしおり”を取り出す番だった。


「まだ時間はありますわよね? 今度は自分が行かせてもらいますわ」


 るりが腕時計で確認すると、昼休みが終わるまでまだ余裕があった。


『大丈夫ミド! るりは誰の所に行くミド?』


 ミドルンに尋ねられ、しおりを翳したるりは高らかに宣言する。


「……“雪の女王様”のお城に行きますわ」


 それを聞いたルチルとしずくから「え!?」と驚きの声が上がった。


「るりちゃん、大きく出たね~!」

「確かに、あの女王様なら色んな事を知ってそうですが……!」


 前に会った時、かなり気難しかった女王を嫌というほど覚えているルチルたちは、それでも会いに行くるりの度胸に目を見張った。


「きっと大丈夫ですわ。私は気に入られているようですし」

「確かに……るりちゃん、女王様にすっごく気に入られてたよね。マナーがなってないってめちゃくちゃ怒られたあたしと違って」


 ルチルのぼやきにるりはふふっと笑うと、ミドルンの前に翳す。


「では、お願いしますわ!」

『分かったミド~!』


 ミドルンが再びくるりと一回転すると、るりの目の前にエメラルドの扉が現れた。

 るりが扉を開けると、4月の暖かさとは無縁の猛吹雪が扉から入り込んできた。

 戸惑う事なくるりは扉の奥に吸い込まれていくが、残された2人と1匹は固唾を呑みながらそれを見守っていた。

 



 かつん、とるりのローファーが氷の床を叩く。その軽い音は城中に反響し、るりを誘うように奥へ奥へと吸い込まれていった。

 記憶を頼りに、るりは迷宮に近い氷の城の中を突き進んでいく。

 ヨーロッパの大聖堂を思わせるような壮大な城だが、従者の気配すらない城内は、冷たい風が吹き抜けていた。

 焚火などの灯りもないはずの城の中は薄水色の氷が反射し、むしろ明るいとさえ感じた。

 奥の謁見の間まで難なく辿り着いたるりは、誰もいない氷の玉座の前でスカートの裾を摘まんでみせる。


「お久しぶりです。女王様」


 直後、るりが入ってきた扉から風が吹き荒び、扉が勢いよく閉まる。肌を刺すような雪を纏った北風がつむじ風となり、玉座の前で舞い上がった。


「……面を上げよ、エメラルディオの使いよ」


 無人の玉座に向かってお辞儀をしていたるりはやっと顔を上げる。るりの目の前には、水色のドレスを纏った絶勢の美女が腰掛けていた。


「久しいの、青の使いよ。あの大人しい赤いのと喧しい黄色いのは、今日はおらぬのか」

「はい、女王様。今日は私一人で来ましたわ」


 るりの答えに女王は頬杖を突きながらふん、と満足げに鼻を鳴らす。


「左様か。して、今日は何を聞きに来た。妾の気まぐれだが、知っている事なら答えてやろうぞ」

「ありがとうございます、女王様」


 再び膝を曲げたるりの満点の仕草に、氷の女王は再び満足げに微笑んだ。


 こちらから話を進めない限り、るりは決して発言しない。目上の者に対する言葉遣いもマナーも品の良さも百点満点のるりは、氷の女王の一番のお気に入りだった。

 しかも敢えて一人で来たというのも、女王にとっては高得点だった。

 

 あの喧しいルチルとミドルンがこの場に居るだけで、静寂を好む女王の怒りを一瞬で買う事になるだろう。


「女王様は“にじのくじら”が一体何者なのか、ご存知でしょうか」


 るり発したその基礎中の基礎ともいえる質問に、女王は二、三度目を瞬かせる。


「無論じゃ。何じゃ、其方たちはにじのくじらの何たるかも知らされずに、今日まで空白の使徒と戦ってきたのか。エメラルディオめ、これは折檻が必要じゃの」


 あまりに不憫だと言わんばかりの女王の声色に、るりは心の中で苦笑するしかなかった。


「まぁ良い。教えてやろう。“にじのくじら”とは、人々の心の色を守る大精霊じゃ。遥かな昔、にじのくじらはこの世界の心を黒く塗り潰そうとした空白の使徒と戦ったのじゃ。だが尽き果て、其方たちが住まう月虹町で眠りに着いたのじゃ」


 女王は指先を宙でなぞると雪の欠片たちがふわりと舞い、クジラや悪魔のような形に姿を変えた結晶たちが、吹き抜けの天井で戦いを始めた。

 女王の口から知らされた事実に、るりは目を丸くしながら聞き入る。


「その時にじのくじらは、ある“心の色”を源にして空白の使徒と戦った。その心の色が“にじのうつわ”と呼ばれるものじゃ」


 悪魔を打ち払い、力尽きたクジラの後に残されたのは宙に浮く3つの球。水晶にも似た氷の球がるりの前に舞い降りると、きらりと弾けて消えてしまった。


「にじのくじらはこの世界の何処かにいて、今も人々の心を守っている偉大なる存在なのじゃ。そして我らの仇である空白の使徒は、その真逆――隙あらば人々を絶望させる者たちじゃ。彼奴らの手にかかって滅んでしまった世界は数知れず。我らが住まう妖精界も彼奴らの手にかかり、こうして其方たちの手を借りているというワケじゃ」

「そうだったのですか……」

 

 るりは女王の話を聞きながら顎に指を当て、少し考え込む。


 先ほど女王は“にじのうつわ”についてをさらりと話してくれたが、るりたちはそれが何なのかすらも掴めていないのだ。

 

 しかし、これ以上の質問は女王の不興を買うかもしれない。ここは引くのが吉と判断したるりは、深々とお辞儀をした。


「ありがとうございます。女王様」

「もし今度ここに来る用事が出来たなら、そうだな。妾はアレを口にしてみたいの。其方の従者が前に作っていた……そう、”まかろん”とかいう菓子じゃ」


 何と女王から手土産のリクエストまでされたるりは目を瞬かせると、にこりと微笑む。


「畏まりました。今度、必ずお持ちしますわ」

「うむ、再会を楽しみにしておるぞ。その時は茶でも振舞おう。よく勉学に励めよ、青の使いよ」


 氷の女王に相応しからぬ暖かみのある言葉にるりは笑みを湛えながら一礼すると、一瞬で目の前が吹雪で遮られた。

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