第7話 middle phase 2 ~謎の電車の噂~

「だから! 噂は本当なんだって!」


 2時間目の授業前。


 ルチルたちの教室で、一人の男子生徒が声を荒げていた。


「嘘つけ。この町には駅がないんだから、電車が停まるワケないだろ」

「だけどあるんだよ! ちゃんと録音もできたんだ!」


 ルチルたちが振り向くと、自称“探偵”を名乗る男子生徒が友人たちにICレコーダーを翳しているところだった。


「どうか、したんですか?」


 それを不思議に思ったしずくが声をかけると、興奮したような様子で彼が振り返る。


「よくぞ聞いてくれた吊舟さん! ついにオレは、噂の証拠を見つけたんだよ!」

 

 男子生徒は印籠のように翳したICレコーダーを机に置くと、音量を最大にして再生ボタンを押した。


「オレはついに、この町の地下を走る電車の謎を突き止めたんだ!」

「電車……?」


 しずくが目を瞬かせるのと同時に、ICレコーダーからガタンゴトンと電車の走るような音が小さく再生される。


「……何これ」

「しっ。黙って」


 しずくの肩越しに顔を覗かせたルチルが男子生徒に尋ねるが、彼はICレコーダーを睨みつけながら人差し指を口元にあてた。


 するとレコーダーからガタゴトという音が段々と小さくなっていき、キキーっというブレーキ音が微かに聞こえてきた。


「…………ね!?」

「え、だから何が?」


 爛々とした目で男子生徒が顔を上げるが、しずくたちは何が何だかさっぱりだった。


「まさか二人とも知らないの!? “月虹町を走る地下鉄”の噂!」

「うん、全然」

「初めて聞きました」


 信じられないと言わんばかりの顔で男子生徒が尋ねるが、二人はほぼ同時に首を振った。


「そもそもこの町って線路はあるけど駅ないし、電車ないじゃん。地下鉄なんてそんなもの通ってるワケないよ」


 ルチルの言う通り、この町には線路は通ってはいるが、何故か駅がないのだ。


 直ぐ近くの隣町まで行けば電車に乗れるのでさして不便ではないのだが、何故駅がないのかはルチルたちもよく知らなかった。


「ふっふっふ、そこなんだよ。莟さん」


 男子生徒は自慢げに人差し指を二人の前に翳す。


「この町の七不思議! 真夜中になると海に通じる秘密の電車が、この町の地下を走ってるんだよ!」


 バッと仰々しく両手を挙げた男子生徒だったが、ルチルをはじめクラスの皆がしぃ~んと静まり返ってしまう。


「…………いやますますガセだよね、それ」


 クラスを代表して、ルチルが冷めた目でついツッコミを入れてしまう。


 この町は住宅地のさらに奥、西の山間にある巨大な湖――皆は“クジラの目”と呼んでいる――のせいで地盤が緩く、新興住宅開発の時に地下鉄を引こうとしたが、泣く泣く断念した事がある。それは町の誰もが知っている話だった。


 しかもこの町は海からかなり遠い。


 はるか遠い海にまで直通の電車など、ましてや地下鉄など、この町に通っているはずがないのだ。


「本当なんだって! その証拠にほら、この音!」


 必死になった生徒がまた再生ボタンを押しブレーキのような音を聞かせるが、クラスの皆は首を捻るばかりだった。


「……猫か動物かが飛び出して、電車が急ブレーキかけたんじゃね?」

「いやだから! オレが録ったこの時間に地上の電車は走ってなかったんだよ! 深夜の2時だぜ!?」

「じゃあ一体何処で録ったんだよ」

「よくぞ聞いてくれたっ! 聞いて驚けっ! それは“クジラの目”のみずう――」


 ルチルたちにくるりと背を向けた男子生徒は友人と話し合っていると、ガラリと教室のドアが開いた。


「ほら、席に着け。そろそろ2時間目のチャイム鳴るぞ」

「あ、先生」

「雪ちゃん先生!」


 チャイムと同時に教室に入って来たのは、短く切った黒のショートヘアが似合う涼やかな目元が印象的な女性――このクラスの担任、鈴原雪先生だった。


「……何だこれは。勉強に関係のないものは学校に持ってきちゃいかんだろ」


 机の上に置かれたICレコーダーに気が付いた鈴原先生は、ひょいと取り上げる。


「あ~先生~! オレの探偵調査の成果が~!」

「……? 一体何を言ってるんだ。とにかくこれは没収だ、大城。返してほしかったら、後で職員室に来なさい」

「そんな~……」


 ICレコーダーを取られたあからさまに生徒は肩を落とすが、鈴原先生は気にもせず教卓に向かう。


「さて、今日から新しい範囲入るからな。朗読から始めるぞ」


 席に着いたルチルたちは机の中から国語の教科書を取り出した。


「18ページを開いたか? では……鴨跖草、さっそくタイトルから読んでくれ」

「はい」


 先に席に着いていたるりは立ち上がり、教科書を繰る。


「……“挨拶”」


 るりの上品な声が、静まり返った教室によく響く。


「“上野公園に古くからある西洋料理店へ、ルロイ修道士は時間どおりにやって来た。桜の花はもうとうに散って、葉桜にはまだ間があって……”」


 桜の季節という事は、このお話は今のような季節だったのだろうか。


 るりの朗読を聞きながら、窓際の席のルチルは勝手に先を読み進める。


――あ、オムライス。洋食屋のオムライスってバターたっぷりで美味しいんだよなぁ……。


 もちろん家のも好きだが、とルチルは授業と全く関係ない自身の好物に思いを馳せる。


――そういえば“謎の地下鉄”かぁ……聞いた事なかったな、そんな噂。


 そもそも彼の言っていた“町の七不思議”とは一体何なのだろうか。


 もしかして、その七不思議の中に自分たち“プリズムガール”も入っているのではないか。

 

 それを考えると、ルチルはぷっと吹き出してしまった。


「……ぼみ、つぼみ。……莟!」

「――へ? は、はい!」


 先生に呼ばれていたのに気づかなかったルチルは、思わず声が上ずってしまう。


「彼は、今度故郷に帰る事になったと言っている。この時、どのような思いがあったときみは思うかな?」

「え、え……え?」


 話を聞いていなかったルチルはテンパりながらも教科書を目で追いかける。


「えっと……えっと……! この書いた本でたくさん稼いで、お腹いっぱいご飯を食べたいんだと思います!」


 何故か作者の心情と勘違いしたルチルは、頓珍漢な回答を笑顔で口にする。

 

 少なくとも国語の授業で答えるべきではない珍回答に、流石の鈴原先生もこう来るとは思ってなかったようだ。


 先生が目を瞬かせる中、周りのクラスメイトは「また莟が頓珍漢な回答してる」とクスクス笑っていた。


「……そういう、見え方もあるか」


 むしろ斬新だ、と感心さえしてしまい、鈴原先生はルチルの答えに深く頷いてしまう。


「私の期待していた応えではなかったけれど、それも間違いじゃない。他の人がしない発想が出来るという事は、別に悪い事じゃない。それは莟……きみの長所かもしれないな」

「へへへ~」


 まさか褒められるとは思いもよらなかったルチルは頬を染めながら頭を掻く。その仕草に鈴原先生はふっと笑ってしまった。


「だけど、これがテストだったら点数はやれないな」

「えっ!?」


 その見事なオチにクラスがどっと笑い声に包まれる。


「この作者だけではなく、この主人公である“わたし”やルロイ修道士の気持ちも、よく考えておくように」

「は~い」


 だが、どんな生徒の意見や感想であっても、それを尊重する鈴原先生の授業は、どの生徒からも人気だった。


 ルチルが着席すると、何かが陽の光を遮るのに気が付いた。


 ここは2階の教室なのに、鳥か何かだろうかと窓の方に視線を逸らす。


 そこには――半透明のミドルンが、謎のハンドサインを必死に送っていたところだった。

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