第4話 opening phase 4 ~登校編~

 三人のいつもの待ち合わせ場所は、商店街手前の十字路だった。


 三本の道はお互いの家に繋がっており、残りの一本は月虹商店街と月虹市立中学校に通じていた。


 その十字路から一番近いのは、しずくの家だった。


 最初に到着したしずくは二人が来るまで本でも読もうかと鞄から文庫本を出した直後、目の前で黒のベンツが停車した。


 眼鏡をかけたオールバックの運転手が運転席から出ると、いそいそとしずくの前で後部座席のドアを開ける。


「おはようございます、るりさん」


 しかし、しずくはそれに全く驚く様子もなく中から出てきた少女に声をかける。


「おはよう、しずく」


 そうにこやかに返事をしたのはしずくの親友の一人、鴨跖草るりだった。


「今日も、ここまでわざわざ黒塗りの車で来たんですか……?」


 十字路で停車した黒塗りの高級車に、通り過ぎていく学生やサラリーマンが時々こちらに注目するのが分かった。


 その質問に“何を言っているのか分からない”と言わんばかりにるりが小首を傾げていると、斜め後ろで待機していた燕尾服姿の男性が恭しく頭を下げた。


「気を付けて、行ってらっしゃいませ。お嬢様」

「えぇ、ありがとう」


 そう気さくにるりは返事をするが、このやり取りだけで“住む世界が違う”と僅かに圧倒されてしまうしずくだった。


「じゃあ瀬馬須さんも、また」


 既に顔馴染みとなった鴨跖草家の執事長――瀬馬須にも声をかける。


「えぇしずくさん。今日も、お元気そうで何よりでございます」

「ありがとうございます。父が、その辺はいつも気を付けてくれていますから」


 オールバックに眼鏡という如何にも執事然とした男性に、しずくは笑いかける。


「あのお父様でしたら、そうでしょうとも。いやいや、良い事です」


 しずくの言葉に瀬馬須もにっこりと微笑み返す。


 切れ長の目と高い背丈から一見冷ややかな印象を受けるが、その実彼はとても穏やかな性格をしていた。


「それに私が病気になると、父が大変な事になるので……」


 過去の何かを思い出したのか、しずくの少し沈んだ表情に瀬馬須もつられて少しシリアスな顔になってしまう。


「それは……責任重大ですな」

「そうなんです」


 その反応に、しずくは肩を竦めながら苦笑した。


「るりさんも、少し大変ですよね。中々このまま、学校の前まで直接乗り付けるワケにもいかないでしょうし」


 僅かにエンジンを吹かした鴨跖草家の車は、今日も顔が映るくらいにピカピカだ。


「えぇ、そうですわね。ちょっと目立ってしまいますし……」


 るりもそれにはずっと前から気づいていたようで、他の学生の迷惑にならないよう十字路で待ち合わせようと提案したのは、他ならぬるりだった。


「ところで、ルチルは今日も遅いんですのね」


 遠ざかっていくベンツを見送りながら少々うんざりしたようにるりが言うと、しずくは肩を竦めながらクスリと笑う。


「多分、今頃こっちに走ってきていると思います」


 するとしずくの言う通り、遥か坂の上から誰かの悲鳴が聞こえてきた。


「………ほええええぇぇぇぇ! 遅刻遅刻ちこく~‼」


 ドップラー効果顔負けの段々と近づいてくる悲鳴に、二人は聞き覚えがあった。


 大急ぎで走ってきた少女が二人の目の前で急ブレーキをかける。


 盛大な土煙の中から現れたのはプリズムガールの三人目、莟ルチルだった。


「おはようございます、ルチルさん」

「おはよう、ルチル。今日もギリギリでしたのね」


 しずくとるりがいつものようにルチルに挨拶をする。


「……あ! しずくちゃん、るりちゃん、おはよう!」


 全速力で走ってきたせいで手に膝を突いて息を整えていたが、顔を上げたルチルはやっと二人に挨拶を返した。


「良かったら、これでも飲んで落ち着いてください」

「うん、ありがと!」


 しずくが差し出したペットボトルのお茶を目の前で一気飲みするルチルに、二人はやれやれといった風に顔を見合わせながら苦笑した。


「今日も寝坊しましたの?」

「ん~、何か変な夢見ちゃって~」

「変な夢?」


 お茶を飲み終えたルチルはしずくに空のボトルを返しながらるりに返事をする。


 変な夢といえば、るりも見たような気がした。


「うん、そうなの。……あれ? どんな夢だったっけ?」


 しかし、るりやしずくと同じく、夢の内容はさっぱり覚えていないルチルだった。


「覚えてないんじゃ、分からないですね」

「へへ、忘れちゃった!」

「まったくルチルは……」


 しかし、そうため息をつくもるりの口元は綻んでいた。


「…………いたっ」


 しかし鞄を担ぎ直した直後、ルチルの顔が僅かに歪む。


「いたたたた、全力で走りすぎたかな……」

「ルチルさん……! やっぱり、まだ痛みますか……?」


 誰にも気づかれないように小さく呟いたつもりだったが、しずくたちにそれは通じなかった。

 

 しずくに心配されたルチルの背がギクリと強張る。


「いや、大丈夫だって! 走りすぎちゃったからちょっとズキッてしただけだって!」

「ルチル、誤魔化してもダメですわ。少しでも痛みを感じたらすぐに言うって約束したでしょ?」

「そうですよ、ルチルさん。でなきゃ、私の父さんがまた心配しますから」


 事の発端は春休みのスキー旅行だった。


 るりとルチルはしずくの家族と一緒にスキーに行ったのだが、その時ルチルは滑っている最中に崖から転落し、両手両足を捻挫してしまったのだ。


 幸い骨折には至らなかったものの、大事を取ってルチルはしばらく入院。

 

 スキー旅行後の休みは両手両足ギプスという大変不便な生活を送る羽目になってしまった。


「これは……放課後に先生に診てもらわなきゃですね」


 しずくの提案に、ルチルから思わず「え」と声が漏れる。 


「それは……それは、大丈夫だよ! その代わり、明日ぜったい行くから!」

「いけませんわ、ルチル。痛みを覚えたら、その日のうちにすぐに行くって約束したでしょ」


 しずくの発言に肩を持つるりに、ルチルはたじたじになる。


 今日は寝坊したせいで顔も洗ってないし髪もぐしゃぐしゃだ。

 

 しかも肌の調子は悪いし頬にニキビが二つも出来ている。


 こんな最悪のコンディションで、絶対にには会いたくはなかった。


「ルチルさんを思って言ってるんですよ」

「そうですわ。あなたも私たちのどちらかが怪我をしたら、同じことを言うでしょ? ルチル」

「ん~、分かったよ……学校の帰りに診てもらうよォ」

 

 二人に詰め寄られ、ルチルの小さな身体がさらに縮こまる。


 に会うなら寝坊なんてするんじゃなかった、とルチルは肩を落とすが、ルチルの頬は心なしか赤かった。

 

 十字路から先はほぼ一本道で、この道を抜けると学校はもうすぐだ。


 三人は三日月を乗せて眠る鯨と、虹を模したポップなアーケードを潜り抜ける。


 ここは街のメインストリート。

 

 街で唯一の商店街“月虹商店街”は、朝から開店準備で大忙しだった。


「おや。おはよう、今日も皆んな元気だね。しずくちゃん、今朝春キャベツが入ったよ! 帰りに買ってくかい?」

「おはよう、三人とも。今日の夕方からメロンパンが半額よ。良かったら寄ってって」


 顔見知りの色んな大人たちが、今日も気さくに声をかけてくる。


「おはようございます」

「おはようございます。はい、帰りに寄らせてもらいます」

「メロンパン!? ぜったい買います!」


 るりとしずくが丁寧に挨拶する隣で、ルチルが元気よく返事する。


「はは~ん、この時間に登校ということは……ルチルちゃん、ちょっと寝坊したね?」

「そ、そんな事ないもんっ!」


 慌てて否定するルチルだったがパン屋のお姉さんに図星を突かれ、るりとしずくの二人は苦笑するしかなった。


「ルチルちゃん、しずくちゃん、るりちゃん。今日は鰆が安いから、帰りに買ってくといいよ。安くしとくよ!」

「ありがとうございます。では、買っていきますね」

「おう、毎度あり! って……るりちゃんには、そういう買い物は必要ないかもしれないがなァ。るりちゃんは、鰆とか食べた事あるのかい?」


 魚屋のおじさんが苦笑しながら声をかけてくるが、るりは小首を傾げながら笑顔で答えた。


「えぇ、たしか……ブレゼとポワレ、それとヴァプールなら」


 聞いた事もない料理名がるりの口から飛び出し、魚屋のおじさんとルチルたちは揃ってフリーズしてしまう。


「ぶ……ぶれぜ?」

「うちのシェフが、作ってくれた事がありますわ」

「そ、そうかい……シェフかぁ……」


 魚屋のおじさんが感心しながらうんうんと頷いていると、奥から干物を持ってきたおばさんが、おじさんの頭を軽く叩いた。


「何言ってんだい。ウチではアタシがシェフだろ」

「お! これは一本取られたな~」


 昔ながらの、しかし人情味溢れる暖かい商店街。


 これが月虹町の日常だった。


「ねぇ……やっぱり通らなきゃダメ?」

「ダメですよ、ルチルさん」

「ここを通らなきゃ学校にも行けないですわ」

「ん~、やっぱりダメかァ……」


 学校が近づくにつれ、3人がコソコソと話し合う。


 その先には――ルチルの”憧れの人”が待っていた。

 

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