第2話 opening phase 2 ~るり 日常編~

 夢。


 夢を見ている――と鴨跖草つきくさるりは気づかない。


 空は夕暮れで真っ赤に染まっていた。


 しかし今この場に両親と妹が傍に居ない事が、何故かたまらなく不安だった。


――お父様……お母様! さんご!


 焦りと不安を覚えたるりは、枯れた林の中を駆けて行く。


――お父様! お母様!?


 必死に声を張り上げようにも何故か声が出なかった。


ただただ、喉を空気が通るだけだった。


 かさり、と枯れ葉を踏む音が背後で聞こえる。


るりが咄嗟に振り返ると、そこには両親がいた。



 否――それは両親“だったもの”だった。



 血溜まりの中で倒れ伏し、還らぬ人となったるりの家族。


 その想像を絶する惨状に、やっとるりの喉から悲鳴が突き上げた。



 昨夜の悪夢を断片的にしか思い出せないまま、鴨頭草るりはいつものように朝を迎えた。


 月虹町でも一際目立つ大豪邸――鴨跖草邸。

 それがるりの家だった。


 朝7時半――寝不足を誤魔化すように何度も顔を洗ったるりは身支度を整え、ダイニングルームへと向かう。


「おはようございます、お嬢様」

「おはようございます」


 執事やメイドたちはるりの姿が見えると廊下にずらりと整列し、恭しく彼女に一礼した。


「おはようございます」


 だがそんなメイドや執事たちに、るりは偉ぶることなく一人一人丁寧に挨拶を返す。


 人間の基本は挨拶から――資産家である父の家訓だった。


 執事たちに囲まれながら、るりは家族の待つダイニングルームへ向かう。


「おはようございます、お嬢様。モーニングティーでございます」

「ありがとう、瀬馬須せばす


 るりが席に着いたダイニングテーブルには、既に朝食が用意されていた。


 執事長の瀬馬須が淹れてくれたモーニングティーを楽しみながら焼きたてのクロワッサンを食べていると、隣に妹のさんごがガタッと音を立てて座った。


 しかし、いつも「お姉ちゃん、お姉ちゃん」とるりを慕ってくる可愛らしい自慢の妹が、ここ最近はどこか冷たかった。


「おはよう、さんご」


 今日もるりが挨拶をするが、ちらりと目線を合わせたさんごはわざとらしくプイッとそっぽを向いてしまった。


 一体どうしたのだろうとるりが妹の態度に首を傾げると、るりの向かいの席に座っていた母――鴨跖草夫人がクスクスと笑っていた。


「あらあら、るりちゃん。嫌われちゃったみたいね」

「え! 私、さんごに何かしたかしら」


 おっとりではあるが、穏やかではない母の言葉にるりはぎょっとする。


「何かした、というより……るりちゃん、最近あなたがルチルちゃんとしずくちゃんたちとばかり仲良くしてるから、拗ねてるんですよ」


 それを聞いたるりは改めてさんごを見つめる。


「拗ねてないもん……」


 さんごは頬を膨らませながらギコギコと不機嫌そうにナイフでオムレツを切っていた。


「そうだったのね。さんご」

「ん~、だから違うって~!」


 決して目線を合わせずに、さんごはオムレツをフォークで何度も突き刺しながら反論する。


しかし、決して目を合わさないという事は、母の推理が正解というのを顕著に物語っていた。


「ごめんなさいね、さんご」


 るりはやんわりと笑んでみせると、うっと何も言わなくなってしまう。


さんごは、この姉の微笑みに弱かった。


「でもあなたは私の大切な妹よ。あなたとの時間も大事にするわね」

「……ほんと?」

「えぇ勿論。本当よ?」


 るりが微笑みながら答えると、さんごはやっとるりと目を合わせる。


「じゃあ今日……一緒に夜遊んでくれる?」


 おずおずとるりの様子を伺いながら、さんごは久しぶりのお願いをしてみる。


「そうね。久しぶりに一緒に遊びましょう」


 妹の可愛いおねだりを断る理由はどこにもなかった。


 それを聞いたさんごは顔を落としたかと思うと、ふるふると微かに身体を震わせる。


「……やったー!」


 フォークとナイフを持ったまま両手を大きく広げ無邪気に喜ぶさんごに、るりと鴨跖草夫人はふふっと同時に微笑んだ。


「こらこら、はしゃぎすぎだぞ。さんご」


 上座で英字新聞を読んでいたるりたちの父親――鴨跖草氏が窘めるが、口元は綻んでいた。


「約束だからねっ。お姉ちゃん!」


 すっかり笑顔になったさんごはオムレツを大きな一口で食べ、椅子に掛けてあったランドセルを片手に「行ってきます!」と元気よくダイニングルームを飛び出していった。


「行ってらっしゃい、さんご」

「元気いっぱいね、さんごちゃん。あなたもそろそろ、待ち合わせの時間じゃないの? るりちゃん」


 鴨跖草夫人に声をかけられ、るりは時計を見る。


鴨跖草夫人の言う通り、そろそろ家を出て“待ち合わせの場所”に行く時間だった。


「では、私も行ってまいります。お父様、お母様」


 立ち上がったるりが挨拶すると、両親は挨拶の代わりに穏やかに微笑む。


「行ってらっしゃいませ、るりお嬢様」


 壁際で控えていた使用人たちにも一人一人丁寧に挨拶し、るりはダイニングルームを後にする。


 庭を一望できる大きな窓から、朝の日差しが降り注ぐ。


背中まである青の長髪を朝陽に受けながら、るりは瀬馬須と共に玄関へと向かっていった。



 鴨跖草るり、十五歳。“プリズムガール”という秘密以外は、裕福で愛情に満ちた家庭で育つ中学三年生。


彼女の一日は、こうして幕を開けた。

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