第6話
雨に濡れる昼間の街。『薬屋』と『妖怪』である『患者』は落ち合い、影を求めるように路地裏へと入り込んでいく。まだ目覚めには遠い繁華街、その中程にある半地下のゲームセンターに入る。
ゲーム機のある大部屋を通り過ぎ、トイレのある廊下へ消える。間引かれた上に、幾つかが点滅している蛍光灯。黴臭いヤクザ映画のような暗がりが、緊張感を高めていく。
二人はあらかじめ決められたように、廊下を一つ曲がった突き当たり、トイレの前まで辿り着く。二人を音もなく追跡し、その曲がり角の手前まで尾行した、木村あわせて数名。目配せだけの合図で一斉に飛びかかり、一瞬で売人達を抑え込んだ。
「テメェら! 何モンだ! ただじゃすまねぇぞ!」
押さえつけられ、猛る売人。木村の向こう、足音が近づく。
「おとなしくしろ」
動かした目線の先、リーゼントの男が無表情で佇んでいた。
「――シノ! 篠宮じゃねぇか!」
篠宮は幾分ならず見下したまま、木村に首の動きだけで合図をする。木村は後ろ手を掴んで自由を奪ったまま、押し倒した男をゆっくりと立ち上がらせた。
「――テメェ。こんなことして、俺のバックが黙ってるとでも思ってんのか?」
負け惜しみのようなセリフを吐き捨てる男の前に、無言で立ちはだかる篠宮。
その後ろ。今度は、足音がゆっくりと近づく。
「――黙ってねぇとは思うが、話くれぇはさせてくれんじゃねぇかなぁ」
男は大きく目を見開いた。
「アンタ――『若』!」
「そんな呼び方するなよ。『本物』に怒られちまうぞ」
榊原を目にした男は、観念したかのようにうなだれた。
「なんなんだよ、一体。アンタらまで出てきちまって――」
「それは残念だったな。で、俺たち以外に『誰』がいたんだ?」
「思いだしたくも無ぇよ。先月――そう。五月の末、だ。アンタらのいう『妖怪』の一人が攫われちまって――あそこには出るなと言ったのにな。とにかく連れ去られて殺されそうになって、洗いざらい吐いちまった。その後、遠くに逃げちまったがな」
あの消えた『妖怪』のことだろう。
「どこに出た? そして誰に捕まり、何を喋った?」
「どこに出て誰に捕まったかは、アンタなら分かるだろ? ――おかげで、俺も『家』では危ない立場になっちまった」
今、取り巻く構図が見えてきた。やはり『誰か』が、さんざんかき回している。そして、それは――。
「話を変えるぜ。『妖怪』は全てオマエの仕切りか?」
「違う。他にもいる」
「じゃあ、ここでオマエを脅しても――『妖怪』が全部止まる訳じゃねぇな」
「そうだ」
「――オマエの後ろは誰だ?」
抵抗の意志のなさから既に木村から解放されていた男は、降参するかのように軽く両手を挙げた。
「アンタに隠しても仕方ねぇ。下手にぶっ込まれても困るからな――佐々木さんだよ」
佐々木か―。
榊原が『家』に居た頃、様々な思惑と利害を巡って、半ば『殺し合い』のような凌ぎ合いをしてきた相手である。今更、話し合いなんて出来るのか。いや、あの頃のように――。
「すまねぇが、電話で佐々木を呼び出してくれるか」
しぶしぶ言われるままに男は佐々木を呼びだし、榊原に代わる。電話の向こうから、警戒心を露わにした低い声が流れてくる。
「――誰だか知らねぇが、何の用だ?」
「よぉ、ササ。久し振りじゃあねぇのよ」
「サカキ? サカキじゃねぇか! それこそ一体、何の用だ?」
「ああ。ちょいと『妖怪と庭師の話がしたい』んだがな」
一瞬の無言。悪態とあきらめの混ざった声が漏れ出す。
「――ちっ。てめぇ――分かったよ。時間と場所は?」
ネオンで輝く二十一時過ぎの繁華街。その中通りから横道に入り、雑多に光る看板を横目にしながら暫く進む。中通りと並行する筋を一本だけ越えたあたりにある、古ぼけたビルの二階。
カウンターと一つだけテーブル席のある、細長く、品のいい古風なバー。程好さの下限まで落とされた照明は、店内の空気を、世俗と夢想の境界を心地良くも曖昧な微睡(まどろ)みへと変えていた。磨き抜かれた重厚なウォルナットの天板。そのカウンターに乗せられた、ストレートのグレーン・ウイスキー。店の隅、そいつを眺めながら、榊原はマールボロに火をつける。グラスを口元に運び、室内の暗さに沈む淡い琥珀色の水面から立ち上る燻った香り。ふと無心になり、香りに心委ねた。
しばらくすると、ゆっくりとドアが開く。黒に近いダークスーツに身を包んだ、細い眼鏡をかけた長髪の男。流れるジャズにかき消され音もなく歩み寄り、静かに榊原の側で立ち止まる。
榊原は軽く、体を向ける。
「よう、ササ。久しぶりだな」
「サカキ――珍しいじゃねぇか。どうした。こんなチンケなのに首突っ込んできて」
警戒心を露わにしたままの佐々木。榊原は笑って迎える。
「積もる話もなし、か。まぁ、座れよ――俺が出てきた理由は分かってるんだろ?」
「ああ。多少の誤解はあるかも知れんがな」
佐々木は榊原の横のスツールに腰を下ろしながら、バーテンダーにジンを頼む。ダブルで――ああ、ロックでな。ライムをスライスして付けてくれ。
「ササなんかに頼んだのが災難だったな。全てオマエに、むしり取られちまう」
「そう言うなよ」
屈託のない榊原の顔に、佐々木はこの店で飲むことの意味を思い出し、次第に目の力を緩めていく。
「だが、ササよ。上手くはいかなかったんだな」
「軽い仕事だったはずなんだが――」
「お? めずらしく、しおらしいじゃねぇか」
「仕方ねぇよ。この店では、包み隠しは無しだ」
あの頃と同じだな――榊原は安堵する。『家』での命の取り合いのような日々は、それでも互いに『家』のために行動していたのだ。だからこそ闇雲にぶつかり合うだけでは解決しないことが多いのも、互いに肌で感じてはいた。そのため、互いに『家』を離れて話し合わねばという気運が募り、いつしか二人きりで語り合うようになったのは必然でもあった。
それ故に。この店で飲むときは、この場に限り包み隠しは無しにするという紳士協定を結んでいた。おかげで、店を出ると再び敵同士に戻るとはいえ、胸の内に残る互いの『腑』が一定の抑止力となって、争いに自然と歯止めをかけていた。
全ては、『家』のためだった。
「――で、ササよ。どうしたんだ?」
「ああ――しくじっちまった。ちょいと首が回らねぇ」
「『妖怪』が出たんだな、『出てはいけない』ところに」
「はは、お見通し、だな。きちんと躾けたんだがな」
榊原はグラスをあおった。
「『妖怪』は――市長がオマエに頼んだのか」
「そうだ」
「市長は、やはり――孫のためなのか?」
「ああ。爺馬鹿の行き過ぎだ。全く、馬鹿げている。まぁ随分と思い詰めてたからな。やり方も含め、尋常じゃねぇよ」
「しかし――『妖怪』なんて、子供騙しもいいとこだ」
「子供騙しだから、だよ。まずは子供を怯えさすのさ。まずは俺達が『妖怪』を生み出す。市長は『噂』を流し、群衆の中に、さらなる恐怖を植え付ける。今の時代だからこそ、一見下らねぇ恐怖が最も効くんだ。『全て分かる』はずの世の中なのに、馬鹿らしくも全く何も分からない上に、手が着けられないことが出てきちまうんだからな」
佐々木はジンを叩き込み、憂さ晴らしのように話を続けた。
「『妖怪』には、何人もの『患者』を使ったさ。まだマトモな奴らのうち、金払いの悪い奴らを選んだ。さんざっぱら借金で脅して、『薬代』の一部をチャラにしてやる代わりに『化け』させた。別の『患者』には、『妖怪』の隠れ蓑をやらせた。逃げ隠れができるようにな。さんざ『躾けた』ぜ? あいつらは捕まらないように必死だった――だが、考えてみりゃあ、根性のねぇヤツが『患者』になるんだ。テンパって『躾』を破っちまったんだろう。『絶対に出るな』って釘を刺した所に、『化けて』出ちまった。サカキも分かるだろ?『家』も避けるほど面倒なんだよ、あそこは」
溜まった不満を吐き出すかのように饒舌な佐々木に、榊原は追い打ちを掛けた。
「そのサツよりも面倒なやつに捕まった――ってとこだな。故人を愚弄したバチが当たったんじゃねぇのか、それ」
「全くだ。言い訳すら出来ねぇ」
「もう『妖怪』どもは、家に押し込んどくしかねぇな。でねぇと、『成仏』させられちまうぞ」
二人は笑った。
「――で、ササよ。次は『工事』の件だ」
「分かってるよ、サカキ――ご推察だろうが、『妖怪』の見返りに『工事』を市長から引き出したところまでは良かった。いい取引になるはずだったのだが――さっき言ったように、虎の尾を踏んだってとこだ。『妖怪』を捕まえ全てを吐かせたことで、『奴ら』は市長と『家』を強請(ゆすり)に出やがった」
「まさに祟り返し、だな」
「やられたよ」
佐々木は煙草を深く吸い込み、ゆっくり長く煙を吐き出した。
「ササ――『家』は今回の件、どう考えている?」
「もちろん――許さない、とさ」
「仕事自体が全て横取りされたのか?」
「形、だけな。親受けがさらに一枚入った。だが当初とかわらず、こちらに仕事を回してくる。そして金に関してもビタ一文も掠め取られちゃいない。上前すらもはねられず、それどころか受けた価格に色が付いて入ってくる。変な話だがな」
「『分かってる』ヤツの仕業だな」
「ああ、騒がれないように、な――ただ、そうやって色が付いている分、工期を縮めてきやがった」
「今月一杯、って奴だろ」
「そうだ。ウチが引き受けた条件では、コツコツと年末までに仕上げれば良い、ってところだ。それを『奴ら』は市に『同じ値段で月末までに仕上げる』とか言って、かっさらいやがった」
「それは表向きで、『妖怪』をダシに脅されたんだろう――市長がな」
「だから、余計に『許せない』んだとよ」
「脅しの綱引きして負けたようなもんだ」
「まったくだ」
佐々木はジンを飲み干し、グラスを置いた。榊原は合いの手を入れるように、氷でグラスを鳴らした。
「許せねぇのは、『横取りされた』というメンツの問題か」
「サカキも分かるだろ――それがデカいんだよ」
そういう世界だからな。榊原は煙草を灰皿にねじ込んだ。
「ところで、ササよ――これで俺は、オマエをハメることもできるな」
「結構じゃねぇか。どうする気なんだ?」
「首謀者を警察に売って、市長と『家』に一杯食わせる」
「いいね。やれよ。今なら俺が相手でも、警察に行きさえすれば、簡単に解決できるぜ」
「やだね。俺は俺の『お客様』にあわせる」
「だったら、尚更だろうがよ」
息の根を止めようとしない敵に、にわかに苛立つ佐々木。だが榊原は片目を閉じ、悪戯っぽく微笑んだ。
「――相変わらずだな、サカキ。知らねぇぞ、沈められても」
佐々木は呆れたように笑った。
「ササ。聞かせてもらった礼だ、尻は拭ってやる。少し手伝え」
「何をさせる気だ?」
「まずは『妖怪』を二度と出させるな。それと――」
「まだ、あんのかよ」
「市長と、オマエ達の『若』――サトシに会わせろ」
スピーカーからは、老シンガーの枯れた声が流れていた。
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