第5話

 全てが明らかになりつつあるのに、心の霧は晴れない。

 大会前なのに工事でグランドの使用が制限される。もちろんグランドなんて小学校の校庭だけでなく、運動公園などの市の施設なども当然、使えたりはするのだろう。だが谷崎が言うには、サッカー少年を狙った『妖怪騒ぎ』で、どこも二の足を踏んでいる。結局のところ、大会が間近に控えた今。サッカーの練習ができるのは、あからさまに特別な恩恵を受けている『山手』だけなのだ。状況証拠だけを集めても、『妖怪』であれ『工事』であれ、その差配ができる者とその立場を考えれば、構図は明らかではある。その安易な推察で良いのなら、『妖怪』に関しては、やるべきことは簡単である。谷崎から頼まれたように『妖怪を退治』すれば、『工事』には関係なく、大会まで何も出来ないということはなくなる。だが、そんな簡単なことでいいのか――。

 降り続く雨。迫る夕闇。事務所の机。ほぼ解決したはずなのに、榊原は苛立たしげに吸い殻を灰皿にねじ込んだ。

 救いを求めるつもりはない。だが、名刺フォルダの中から1枚を取り出し、受話器を上げた。


 国道沿いのファミリーレストラン。雨垂れの向こうに見える夜の街は、乱反射して一向に掴み所を見せることはない。ただ、目の前の男のおかげだろうか、それほど不快な時間ではない。

「聞きたいのは――『山手』のクラブについて、だが」

 テーブルの向こう。早見は食事の手を止める。

「いいクラブですよ。ウチに似て、勝ち方にこだわる」

「勝ち方? 勝ちに――ではなく、か」

「はい。試合結果としての勝ちではありません。勝ち方、ですね。アチラはお金持ちが多いので、『紳士たれ』って感じでしょうか。ウチは代表があんなのなので、どことなく『任侠』っぽくもありますね――いずれにせよズルはしないし、そんな狡い相手こそサッカーでぶっ倒すんだという気概が似ています。『正々堂々、威風堂々。我ら常に勝者たれ』って感じですかね、すみません僕のセリフです――あ、煙草、大丈夫ですよ。どうぞどうぞ」

 サッカーに関しては饒舌になるのだろうか。榊原は思わず笑みがこぼれた。ただ『山手』を悪く言わないのは少し意外でもあり、一方で救われたような感じもした。捨てなくてはならないのはこちらの先入観であり、どうもその先入観は早見には似合わない。榊原は半ば早見に勧められるかのように煙草に火をつけ、窓に向けて煙を吐いた。

「『山手』は、おっとりして、また素直な子が多いんですよ。下町っ子が多い、やんちゃだけどやはり素直な子が多いウチと、意外にペースが合うんですよ。試合では、爽やかで、やたらと良い勝負をするんです。まぁ、ライバルみたいなもんですかね。もちろん、ちゃっかりしてる子も多いんですよ。だけど上手く育てている。嫌味な感じがない。そこらの子に多い『蹴落とす』という感じではなく、ただ純粋に『勝ちにいく』んですよね」

 早見の口振りからは、谷崎から聞いた羨望・嫉妬の対象としての『山手』、その姿とは随分とズレがある。それを確かめるため、今の状況、すなわち『妖怪』の出没、週末の『工事』、そのいずれも『山手』が優遇されていることを、早見に対して説明した。

 早見は一部始終を聞き終わると、ハンバーグを切り分けたまま考え込むように止めていた手をようやく動かした。

「状況だけを見ると、口が悪い人達は『そんなの狡い』って言うでしょうね。ただ、クラブのカラーとしては、そんなインチキは『あり得ない』と思います。事実は分からないし本当なら残念ですけど、ただ僕は、彼らのクラブは関係がない、そう信じたいですね」

 意図を尋ねるように僅かに首を傾げた榊原。分かりますよとばかりに早見は胸を張り、ゆっくりと身を乗り出した。

「だって、彼ら――特に子供達は、正々堂々と勝負したいって思ってますよ、絶対に」

 高笑いする早見を見て、榊原も思わず笑った。的外れな答えなのに、胸に刺さった棘が取り除かれたように感じた。

 早見は続ける。

「『翌檜(あすなろ)』って木、ご存じですか?『明日檜』とも書くらしいんですけど、その名は、真っ直ぐ、明日には檜のように育つという願いが込められているそうなんです。僕は、子供達にもそうであれと願いたい。正々堂々、威風堂々。フィールドに立ち、戦い続けて欲しい。そして僕らは今日も明日も明後日も、明日檜のように育っていく彼らを支え続けるんです」


 誰もいない事務所。雨の滴が流れ落ちる窓の向こう。僅かに照らされた、真っ暗なグランド。黒のスクリーンに映る幻を見続けるように、早見との会話が何度も繰り返される。

「どうしたもんかね」

 伸びをするように両腕を絞り上げた榊原。心に決めたかのように受話器を上げ、篠宮を呼び出す。

 窓ガラスに映る自らの姿に気づき、指で作った銃でソイツを撃ち抜く。まだ平然と生きているソイツに語りかけた。

「結構、楽しんでるだろ?」


 六月も中頃にさしかかっていた。

 いよいよ、『妖怪』を退治する。篠宮達が追っている、街で『男』と落ち合うあの『妖怪』だ。

 尋ねた探偵事務所には、既に篠宮が待っていた。

「どうだ?『妖怪』と『男』、何か分かったか?」

「『妖怪』は『患者』でしたね――『薬』の」

 苦々しい表情を榊原は隠さない。

「――『薬屋』は、どこのやつか分かるか?」

「『家』に繋がりのある、サキさんもご存知の奴です。私が知る限り今は『薬屋』もやっています。それで『妖怪』が『患者』だと判断しました」

 『家』、そして『薬』――。随分と堕ちたもんだ。

「『妖怪』は『家』が絡んでいる、という訳か――」

 榊原は煙草に火をつけ、少し考え込む。そして、何かを決したように顔を上げた。

「俺たちで『薬屋』ごと『妖怪』を捕まえよう」

 立ち上がった榊原に、含みのある顔で篠宮が向き直る。

「警察に通報した方が、一気に片づきそうですが」

 警察に通報すれば、『薬屋』ごと『妖怪』は捕まる。そこから芋蔓式に『妖怪騒ぎ』の黒幕まで捕まり、全ては解決する。何より、『家』と事を構えることもない。そう篠宮は主張する。

「確かにそうだ。だが、そうなる前に捕まえてしまおう」

「何か意図でも?」

「筋違いに見えるだろうが――やはり、何かがおかしい。『山手』と、少年サッカーの関係がね。『あからさま』すぎるだろ? まだ『妖怪』は良いとしよう。羨ましがられるだろうが、警察が守っているのは以前からの話だ。だが、ここに来て『工事』だ。こんな泣きっ面に蜂みたいな状況だと、ばーさんの言うとおり誰もが『山手』は良いわね、『誰か偉い人』の恩恵を受けて、となるのも無理はない。少年サッカーごときで、だぜ?」

「『山手』と市長、という構図ですね。知る者には『市長のお孫さんがいるクラブだから』こそ『市長杯に十分な備えができる』なんて推察も生まれる。恩恵にあずかれずただ怯える者達の心の中で生まれた嫉妬が、良からぬ枝葉をつけて一気に広がる」

「そうだ。そんな簡単な推察を誰もできることが、落とし穴になる。『工事』、そして『妖怪』にも『家』が絡んでいるのなら、こんなアシがつきやすいことはしない。下手を打った可能性がある」

「どういうことでしょうか」

「その推察が問題さ。邪推とも言えるがね。『家』の奴らは困るのさ。嫉妬が化けた邪推が、藪から真実を引っ張り出すことに。市長が『山手』以外の邪魔をしている、『工事』だけじゃなく、もしかして『妖怪も』――そう、『誰かに頼んで』とな」

「その『誰か』の存在が容易に想像できる。工事を受けたのは――公表されずとも、その気になれば調べられる」

「そうだ。そんな邪推の先には、警察が束になって括り付けられているのさ。『妖怪』は、途中までは上手く行ったのかも知れない。だが、今は違う。そして、『工事』でも――『山手』と市長、そして『家』すらも、今は被害者かもしれない」

 榊原は煙草を灰皿に押し込み、立ち上がった。

「誰だか知らねぇが、話をややこしくしている奴が居る。邪推なんぞにやられる前に、奴らを捕まえよう――行くぞ」


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