第3話
「でね。みんなは、『幽霊だ』『お化けだ』『妖怪だ』なんだの騒ぎ立てるわけ」
あきれた様子で、それでも不安を隠せない谷崎。
「集団ヒステリーみたいな状況だな」
榊原は興味なさそうに、濃目の珈琲を一口飲む。
「幸い、紙を入れられた――ああ、『妖怪に襲われた』という意味では、ウチは大丈夫だったのよ。あと、もうひとつの学区も、だったかしら。その被害にあったのは――全部ではないけれども、それでも半分以上の学区かしら、ね」
記憶を探るかのように谷崎は、コーヒーカップの縁を撫でる。
「もちろん、警察は動いているのよ。でもね」
その事件以来。相変わらず不審者『目撃』情報が配信されてはいたのだが、事件はそれ以上に発展しない。『妖怪』を逮捕できずにいる警察は、ただ苛立ちを募らせていた。
「『サッカー選手の死に乗じた愉快犯』じゃないのか?」
「そうかしら。でも未だ、不審者情報は流れ続けているのよ」
「――まだ『妖怪』は出没している、と」
「いい加減にして欲しいわね」
不快な音はさせないものの、谷崎は苛立たしげにコーヒーカップをテーブルに戻す。そこから谷崎は、一気にまくし立てた。
再来月の七月には少年サッカーの大きな大会があること。それは『市長杯』と呼ばれ、市内の小学生のクラブが全部集まって、一日がかりで予選と決勝を行い、栄誉を競い合う。例年、どのクラブも凄く力を入れているのだが、この騒ぎで保護者がうるさいこともあり、今は練習は自粛せねばという風潮になっている。それは当然のこととはいえ――。
「大会に向けて一生懸命頑張っている子供たちのことを考えると――不審者が『出る』のは困るのよねぇ」
うつむき加減で聞いていた榊原。心の中で、やられた、と感じた。優作や早見の顔を思い浮かべてしまった時点で、もはや谷崎のペースに飲み込まれていた。
「でね、サカキ」
「――俺に『お化け』を退治しろというのか?」
苛立つ榊原をいなすように、谷崎は朗らかに笑う。
「あら。お察しのよいこと」
榊原の腹を見透かしたかのように、谷崎は押し込んでくる。
「さっきまでここにいた――良い子達でしょ? 子供も、コーチも。筋が通っていて、まるで貴方みたい」
遠くにネオンの浮かび上がる夜の街並み。窓の外の景色へと視線を逃がすも、余計に、優作や早見の顔が浮んでくる。堅く目を閉じ、軽く頭を振る。
「――続けてくれ」
「あら助かるわ。さすが、頼りになるわね」
それでね――。
谷崎が事務所を後にしたのは、21時を過ぎた頃だった。
応接室からオフィスに戻ってきた榊原は、事務室の椅子に腰掛け、デスクに足を投げ出す。煙草の煙を大きく吐いた後、両手で顔を覆いながら後ろに大きくのけぞる。
「シノ。ざまぁねぇな――一方的に押し切られた」
腕を組み壁に寄りかかる篠宮が、笑って皮肉を言った。
「なんだか嬉しそうに見えますが」
榊原はいろいろと呆れかえるように両手を伸ばし、頭の後ろで組む。どうも落ち着かないのか、机の上に置いた早見の名刺を手に取り、何度も表裏をひっくり返しながら眺める。そうして片眉と両肩を少しつり上げたあと、自分でも可笑しいくらいに丁寧な仕草で、そっと名刺フォルダにしまった。
しばらく榊原と篠宮が煙草を燻らせ珈琲を飲みながら、谷崎たちのことや『妖怪』のことなどで話をしていると、場を離れていた木村が篠宮の後ろに近づく。篠宮は頃合いを得たようにうなずき、あからさまに何かを思い出したように話の方向を変える。
「そうだ。ところで、サキさん」
「どうした?」
「先ほどのお話の最中、『妖怪』と思われる不審者情報の履歴を洗っていたのですが」
「随分と準備がいいな――それで、何か分かったか?」
木村が二人に向けて地図を広げる。
「ここに――出没した地点をマークしました」
固まったり離れたり、そんないくつもの印が蛍光ピンクのマーカーで描かれている。それぞれ、やはり小学校の近くに多く、均等で、傾向もなさそうに見える。
数秒の後、篠宮が身を乗り出す。
「実は少し気になることが」
篠宮が地図上の一転を指し、それを中心に円を描く。
「このあたり、『山手』では・・・地域柄、警察が日常的にパトロールしています。『妖怪』以降、特に小学校などは警官を常駐させるほどの警戒を行っていますね」
「『山手』か――やけに詳しいじゃねぇか」
「顔が広いですから」
悪戯っぽく笑う篠宮を、榊原は肘で小突いた。
「まぁ、不審者情報は出ているんだろ?」
「ですが、それだけ警官がいても『妖怪』は見つからない」
「『妖怪』だからか?安っぽいミステリーだな」
「もはや怪談に近いですね。これだけ厳重なら、『愉快犯的な不審者』なんて、そもそも目撃情報からして出ないはずです」
「不審者情報ってのは、通報のあった事案が警察から市役所に転送されているのか?」
「市役所でも通報窓口は設けています。学校からなどもあわせて、独自に受けた通報も『不審者情報』として乗ってくるかと」
「――シノ。警察署のツテ、当たれるか?」
「もちろん。既に電話した結果が、今の話ですよ」
冗談めかして、どうだとばかりに胸を張る篠宮。榊原は思わず吹き出し、木村も混ざって、重苦しい空気が一気に軽くなった。
「とにかく、警察の情報は助かるな。他に何か聞けたか?」
和んだ笑顔から一転、篠宮は真顔に戻る。
「それが――結構、キナ臭いですよ」
「どうした?」
「単刀直入にいえば――『妖怪』の件、『山手』は怪しい」
篠宮が聞いたところ。この『妖怪』に関しては実際、警察にも何度も通報が入っている。そして都度に通報者への聞き取りする事が多く、これらがデマという可能性は低い。すなわち、『妖怪』自体は市内のどこかで実際に出ていると考えるのが妥当だという。
「ただの怪談じゃなさそうだ」
「ただ、問題はここからです。木村が印を入れてくれた地図を眺めながら話をしていたのですが、どうも様子がおかしい」
不審者情報と、警察への通報。つきあわせると、その地域に違いがでてくる。不審者情報は地図のように地域に関係なく均等にでているが、警察に通報だとそうはならない。
「極端な例が『山手』です。この地域で『妖怪』に関する警察への通報は一件もありません。不審者情報で配信されているだけです。あれだけ警戒されているのに『妖怪』は出ない。だけど不審者情報は出続ける」
「『山手』には『妖怪』が出ていない可能性がある」
「そうかも知れませんね。そう考えた場合、今度は『不審者情報』自体が怪しくなる」
「ガセも混ざっている可能性がある――か」
「ガセだとすれば、不審者に関して、嘘が市に通報されているのか、もしくは市が嘘をついているのか――ただ通報を受ける窓口は、あからさまな嘘は怪しいと判断できます。通報元の記録くらいはしているでしょう。ただ、不審者情報をメールで配信する担当者は、原稿をそのまま流すだけです」
「警察は怪しいと思ってないのか?」
「ここで我々が怪しいと思うくらいです、さすがに動いてますね。責任者として、市長に事情聴取をしています。ただ今のところ、不審者情報の配信に関して、プロセス含めて何ら問題はない、というのが市長から得られた見解のようです」
「市長が嘘をつかない限り、か――」
榊原は珈琲を飲み干す。一息おいて、篠宮が続ける。
「あと、『山手』以外にも、警察に通報が無い地域があります」
「どこだ」
「谷崎さんとこの学区です」
夜も更けた頃。榊原は篠宮と木村に礼を言って、その事務所を後にした。
大きな川に面して、後ろには抱え込むような山々が連なる扇状地。川沿いの市内の中心部から、徐々に密度を薄めながら山々へと広がっていく市街地。その端の近く、街並みを抱きかかえる山々の懐。谷崎達のクラブが拠点としている小学校から、学区でいえば二つ向こうあたり。市民がみな『山手』と呼んでいる小高い丘は、昔からの高級住宅街でもあった。
土曜日。その『山手』の中心にある小学校の駐車場。サッカークラブへの送迎のために並んでいる数々の高級車。
駐車場の真ん中あたり、校舎の切れ間からグランドの見える位置。運転手風の男を従えた、仕立ての良い淡いグレーのスーツを着た老人が、クラブの責任者と見える男と三人で、グランドでボールを追いかける子供達を眺めながら並び立っている。
「お孫さん、頑張っていますよ」
責任者風の男が、老人に話しかけた。
「そうですか、それはそれは。ところで、再来月の――」
「『市長杯』、ですよね」
「そうです。昨年はあと少しで三位を逃す――そう、タイトルが取れず、大泣きして帰ってきましたからね。一昨年も似たような感じでした。また、今年も泣かれてしまっては、私もつらいので――今年こそは勝って欲しいものです」
男は、また姿勢を正した。
「団の名誉にも関わりますので、全力を尽くします」
「まぁ、それはさておき。とにかく子供たちの笑顔が一番です」
老人は人の良さそうな笑顔で微笑みながら、強く念を押す。
「まぁ今年こそは――お願いしますね」
「分かりました。全力を尽くします――それにしても。おかげさまで、あの『妖怪』騒ぎとは我々は無縁でいられます」
校門の方を向き直る。そこには警官が3人ほど、まさに睨みを利かせて立っていた。
運転手風の男が、老人に近づく。「お時間です、市長」
学校を後にする車の中。市長は後部座席に深々と腰掛け、宙を眺める。灰色のスエード調の天井、その輪郭が薄れて、昨年の記憶が夢を見るかのように浮かび上がる。大粒の涙。地に膝を付け下を向く小さな頭から、大きな嗚咽の度に、とめどもなくこぼれ落ちていく。もう、あの涙、あの姿は見たくない。今年こそは――。
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