第79話【イカレタ女は魅力的】

 笑いながらサチはゆっくりと視線をうろつかせ、正面に立つ化け物に笑みを送る。森根サチの住んでいた家は、2階を丸々横で真っ二つにしたように綺麗な切り口で地面に崩れ落ち、1階リビング前の窓ガラスや壁もその影響を受けていた。


 物置部屋から見渡す空は化け物が飛び交い、横から見えるコンクリート道路には腕や頭を破損させたゾンビがうろついている。


 警察や何だと馬鹿みたいに考えていた自分が滑稽で仕方がない。朝起きて、気付いたら世界がパンデミック……殺人や窃盗に国や警察が動く状況はすでに過去のものとなっていた。


 それなら話は早い――ここからは何をしても問題として扱われない。空を飛んで人を2人ほど殺した目の前にいる化け物は、この世界では正しい事をしていたのだと再認識する。


「はぁ~はぁ、笑いつかれたよ。それにこれ、こんな芸当が出来るとか……マジで無理ゲーだよねぇ。私はこれを殺すって確定させてたけど、正直、死ぬのは私なんだよね」


 そんな独り言を口にしながら、どんな技術を使用すればこのような芸当を可能に出来るか少しばかり考えてみたが分からなかった。切り口は父の部屋だった場所を中心に斜めに入っており、サチのいた物置部屋から屋根がスライドするように地面に落ちていた。


(つまりこの化け物、やろうと思えばすぐにでも私を殺せるって事だよね? 道具や武器を持ってるようには見えないけどなぁ。一体どうやってこの家を切り裂いた?)


 化け物はゆっくりと羽を羽ばたかせて辺りにある物やサチが、その風圧に襲われる。サチは体勢を低くしながら、その羽から『壁を切り裂いて出たであろう粉』が羽の風圧で舞い上がる光景を見て、この化け物の武器が羽であることを確信には至っていないが、本能的に理解していた。


 しかし、激しく上下に動く羽でサチはその場を動けない。風が強く、物置部屋に置いてある段ボールや私物は地面に落ちていく。体を隠すためのバスタオルだけは飛ばされないように体に巻き付け、切り残されたクローゼットの壁際に身を隠している。


(ちょっとちょっとちょっと……やばい、嘘でしょ? 動けないんですけど!)


 化け物は羽を動かしながら時計の針の様に「バキ……バキ……バキ」っと首を一定のリズムで180°回転させ、口を大きく開けた。遠目でサチはその光景を視認しながら「気持ち悪!」と声を上げる。


 その後に口から出た音は異常だ。まるでジェットエンジンの様な音……体の向きをサチに向けた瞬間に何をするのか予想できてしまい、背筋が凍り付くような予感を働かせた。


「嘘でしょぉぉおおお!?」


 サチは激しい風に逆らわず、腰を上げて身を投げ出す。体が宙に浮いた数秒後――音が遅れて届く。地面をえぐりながら目で追えない程の速度で一直線に突撃する化け物。並んでいる住宅地を数十軒ほど貫通させて、目の前から姿を消した。


 サチはというと、5mほど上空を不規則に舞う。


 風に身を任せて腰を上げた瞬間にサチは吹き飛ばされてしまい、そのあと直進してきた化け物によって生み出された小型台風に飲み込まれた。まるで洗濯機の中に入れられた様に身を動かすことも出来ず、体が言う事を聞いてくれない。


 引き千切れそうなほど腕を風の流れに持っていかれ、激しい痛みに襲われながらも生きている。


 そして頭から落下した。


「きゃぁぁぁああああ! ――ちょ、え? うそでしょぉぉおおお!?」


 ベランダの方まで飛ばされてしまい、真下には車が置いてある駐車場。頭から落下すれば流石に死ぬ高さ。サチは慌てて左手でベランダの手すりを掴んだ。そのまま壁に激突して背中から車に着地する。


 ――ドン! という激しい音と共に背中を強打し、体中を猫の様に丸めて……呻き声をしばらく上げていた。その後ゆっくりと腰を上げる。


「っつ! あぁ、痛いっつぅの……マジでヤバい……」


 左肩が外れてしまったが、それ以外に目立った外傷は無く――かなり運がいい。右手で左腕を抑えながら、ゆっくりと指を動かしていく……どうやら神経は切れていないらしい。


(ラッキーだけど、流石にこれじゃ使えないよね……覚悟決めますか)


 サチは歯を食いしばって、叫び声を上げながら左肩を力任せにはめる。骨がパキ……っと鳴り、激しい痛みがサチを襲う。骨折に似た感覚だ。


「はぁ、はぁ……うぅ。あぁぁぁっぁぁぁぁ! 『パキ!』――はぁ……OKかなぁ? 死にかける体験は、流石に生まれて初めてだよぉ。はは」


 弱々しい声と左腕に力は入らないが、肩を動かせることに安堵した。妙な違和感は残るものの、先程よりは全然マシと言った感じである。ゆっくりと体を動かしながら、玄関に置いてある雷切の元まで向かおうとした。


 しかし、「アァ……あぁ……Aa」――乾いた複数の声が聞こえる。そして血だらけで、腕や足を所々破損させたゾンビ達がサチの前に群がる。大人数に囲まれ、冷や汗を流しながらパッチリと目で確認する。


「嘘? ゲームですか、これ……難易度の調整、間違ってない?」


 痛みと纏まらない思考――次々に襲われる展開の速さにさすがのサチも対応しきれない。理想通りの展開にならない事に多少のストレスを感じながらも、クスクスと笑ってしまう。ここまで激しい運動をしたのは小学校の運動会以来だ。下手をするとそれ以上かもしれない。


 そして何より『こんな展開を待ち望んでいたんだよ』って……心が叫んでいる。


 サチはゆっくりと車の屋根から降りて、その足を駐車場の後ろに設置されている花壇へと向けた。そして右手でレンガを持つ……後ろから1体のゾンビが走り込んできた。殺すのは初めてで、心拍数が跳ね上がる。


 ――あぁ、まるで初恋。


「ちぇりお!」


 可愛い声と共にレンガをゾンビの口の中へと叩き込む。口が裂けると同時にレンガを喉の奥までぶち込み、ゾンビは倒れ込んだ。血を肌で感じるのは初めてで、とても興奮する。そのままゾンビの上にまたがり、手に届く距離にあるレンガで指を潰していく。


 頬を赤らめ、トロトロに溶けた表情はとても魅力的でエロい。下半身は濡れてしまい、体中が震えるように気持ちい。サチの口からは液体が流れて、息が荒い。


 最初はゆっくりと指を潰していたのに、頭を潰す辺りからは壊れた人形の様に激しく激しく、そして激しく振り下ろされるレンガで頭蓋骨が割れる感覚。それは続いて、続いて、時間と状況を忘れて(次はこうやってみよう……こうしたらどうなるかな? 刃物が欲しいな)なんて考えるようになる。


「次! ――あれ、もういないの?」――それは以外にも15分ほどで終わっていた。


 ゾンビはピクピクと動いており、死んではいない。しかし足や腕は指の先までズタズタになっており、歯も全て割れ落ちて3体のゾンビが寝ころんでいた。喉も潰されており声を出す事も無い。


 血の海で吐息を激しくさせながら、体がムズムズするのを感じる。腕を反対方向から力強く押すと、意外と折れる事に気付いた。足は硬い。喉仏は柔らかいから指でも意外と潰せる。目玉は意外とヌルヌルしてた。内臓は長いね。カエルの解剖が大好きな人間の気持ちを多少理解できたサチは、割れたレンガブロックで駐車場の正面にある窓ガラスを叩き割る。


 手にはいくつも豆が出来ており、皮が剥けていた。しかし痛みを感じない……きっとアドレナリンが大量に出ているのだろう。返り血を浴びた自分の体を見ながら、自分自身を抱きしめる。先程の温もりを思い出しながら、今すぐにでも一人っきりになって部屋のベッドでうずくまりたい。


「はぁん! いい、この感じ……好きかも。いや、好き、大好き、今が幸せ……ちょっと物足りないけど、こんなに気持ちいのは初めてだよぉ。ハマっちゃいそう」


 次の瞬間――何かに気付いたサチは、1歩、2歩、3歩とステップを踏むように後ろに下がり、サチが立っていた場所に何かが突撃してくる。目に見えない何かはそのまま通り過ぎていき、後からやって来る風に体勢を崩した。


 尻もちを付いて、背後に置いてある車のタイヤに足をかけて吹き飛ばされないように体と車を密着させる。サチがレンガブロックで正面の窓ガラスを割った事で、風圧に耐えきれなくなったリビングへ続く窓ガラスが散乱するように割れてしまった。


 右肩に大きな切り傷が出来る。乙女の肌に傷をつけられた事に舌打ちしながら、風が収まると同時にリビングへと突入して玄関へと走り出す。通り過ぎて行った謎の物体が何者なのかを何となく理解しながら、玄関に落ちている雷切を手に取った。


「これこれ……また、雷落ちて来ないよね?」

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