第65話【運命は……ずっと前から】

【《約1年半前》8月20日(火曜日)/13時00分】


 17日の昼間に声をかけられてからというもの、熱意リョウと桜井ナナの会話は日課となっていた。毎日突拍子の無い事を話しているだけだが、それがリョウの小さな楽しみの一つになっていた事は間違えない。


「こんにちは! 今日も来ちゃいましたね」


「よぉ!」


「今日は私が大好きなゲームについてリョウさんを調教してやりたいなと思って、来ちゃいましたね。私の病室にはノートパソコンが置いてあるので、最近は病院のWi-Fiを使い潰してるんですよね! ね!」


 そう言いだしたナナの片手には、リョウのベッドから入り口まで長々と地面に垂れ下がっている充電ケーブルと、可愛らしく両手で抱き込むようにノートパソコンが握られていた。首にはヘッドホンが付いており、腕にはマウスのケーブルが巻かれている。


 何と言えばいいか――もうちょい、いい運び方があったんじゃないのか?


「何て言うか……頑張ってんな」


「えっへん! リョウさんと遊ぶために持ってきちゃいましたね!」


「ご苦労な事だな」


「そうなんです! 苦労しました……イエス・キリストの様に十字架を運び続けた気分ですよ」


「そうだな……コードが地面に垂れ下がってるぞ? それはキリストの真似事か?」


「んな!? ――あぁ、私の愛しのコードよ! 痛かったでしょう……ごめんなさい。これもすべてリョウさんが酢豚な人だからね」


「えっと、喧嘩売ってる?」


 ――それとやっぱり豚肉料理に俺を例えるんだな。この女の習性か? そう言う生物なのか? めちゃくちゃ失礼な発言って気付いてないのか?


「バーゲンセール並みの大安売りですよ。シュッシュ……シュッシュ……昨日パソコンでボクシングとホストの動画を見ましたね! 今なら誰にも負ける気がしません」


 リョウは軽くナナのおでこにデコピンをした。


「はぅ! ――ん~……や、やるな。なかなかいい勝負だったぜ?」


「誰の真似だよ? もう一回するぞ?」


「おいおい待てよ~。――ノンノンだぜ? レディーには優しくしろってぇ~赤ちゃんの時にママの乳首を強く吸い過ぎて怒られると同時に学習しただろぅ?」


「どんなキャラだ!? ――意味わかんねーよ!!」


「だからさぁ~俺の頭を優しく撫でてくれても、良いんだぜ? ね?」


「ほら」


 リョウは冗談交じりに決め顔を決めているナナの頭を軽く撫でた。


「んっな!? ちょ、――……んぅ~」


 リョウに優しく置かれた大きな手にナナは驚愕した表情を浮かべながらも、頬を赤らめながら頭に置かれたぬくもりが全身に広がりを感じる。少しだけ黙って、しかし嬉しいとリョウに気付かれるのが恥ずかしくて、酸っぱいものを食べたように、顔に少しだけ力を入れてしまう。


 ――そ、それは、ズルいです。キスなんかよりも『何倍も嬉しい事』を平気でこの人は私にするんです。何時もそうやって、私の事を……ズルい。


 それはナナが冗談半分で口にした事だが、まさか本当にしてくれるとは思わず、ただただ戸惑いと笑みが漏れ出てしまう。懐かしい記憶と共に、私は過去の事を少しだけ思い出していた。


 恥ずかしさは消え去り、思い出したように頬から流れるのは――『涙』


■□■□


 私は高校時代――『いじめ』を受けていた。


 多分、他の人よりも少しだけ違う明るさを持っていたからかもしれない。楽しい女子同士の会話の中でみんなは、私という人間の小さなズレを見逃してはくれなかった。


 小さな歯車のズレは全ての関係を脅かし、気付いた時……私はいじめを受けているんだと自覚してしまった。最初はただの悪ふざけ……学校での立ち位置がいじられ役になる所から始まり、それはエスカレートしていじめに変わっていく。


 それからしばらくして、久々に友達と呼んでいた人間から遊びに誘われた。


 私はそれがすごく嬉しくて、遊ぶ一日前からドキドキしながら服を選んで、少しだけお化粧もしたり、それでまた仲良くなるために最近話題の芸能人なんかも調べたりして。


 翌日に男子の先輩達がいた事には驚いたけど、それでもいいと思えてしまった。


 しばらくはとっても楽しかった。――前に戻った様に笑い合えるこの瞬間が、人生で最も輝かしい瞬間だと本気で思えた。だからここから、またやり直せるかもしれないと感じたんだ。


 ――友達と呼んでいた人間から、友達に戻る瞬間……


 しかし。


 私を残してカラオケから先に帰ってしまった友達だと思っていた人間。そして私はその場にいた先輩達に、体の関係を迫られた。暴れる私のか弱い力なんて何の役にも立たず、結局……個室に置いてあるカメラから警察が到着するまでの間、私はいろいろな体験をすることになる。


 次の日――私の写真が学校中に出回っていた。


 男性教員から写真を使った脅迫。男子生徒から向けられる視線と女子生徒から聞こえる笑い声。私の居場所は、その日を境に消えてしまった。


 楽になりたいと思ったんだ。


 何故かドアが壊れている屋上へと向かい、そこで最後に小さな復讐をしてやろうと思った。自殺何て考える人間の気持ちなんて理解できなかったけど、今ならはっきりと理解できる。


 ――何も考えられず、真っ白な頭で……しかし笑い声や視線だけが体中に突き刺さる感覚。そして眠気が体中を包み込んで、どんな痛みも感じないと理解できる。今ならここから落ちても絶対に痛くないと分かってしまえる。


 世界はこんなにも白黒な世界だった。私だけが色を理解していて、他者はそれを全く理解せずに白黒の世界の内面を理解しない――壊れた人間たちの世界。


 ――こんな世界……


「なぁ? 自殺何てくだらない事……やめたほうが良いぞ?」


「――……何でここに人が?」


「そりゃ~お前……ここは俺の大好きな場所だからだよ」


 お互い黒い髪に学生服。しかしいじめを受けていた女子生徒はスカートのウエスト部分が切られており、上履きも履いていない。Yシャツのボタンは上から3つ目が引きちぎられており、下着がちらちらと見えてしまえる。


「――何で?」


 聞き取るのに苦労する小さな声と、今なら人が殺せてしまえるような視線に男子生徒は少し考える素振りをしながら、口を開いた。


「色を見るため? ん~難しいな……ただ、今のお前がとってもカラフルで綺麗なのは確かだ。少なくともこの学校にいる白黒な人達よりは何千倍も生きている様に見えるぜ?」


 白黒という表現に親近感を抱いた女子生徒は、乾いた笑みを浮かべながらポロポロと涙を流して、――最後ぐらいぶちまけてみるのもいいと思った。


「ねぇ。スカートを切られて男子生徒に性的な目で見られて、抵抗したくても力が無くて、それが出来ない気持ちってどんなだと思う? 体を自由に動かせないで、嫌な温もりを感じるのってどう思う? シャッター音が鳴るたびにどんな気持ちになると思う? 友達だと思っていた人間に頭を踏まれるのってどんな気分だと思う? 学校の教師が写真を見せつけて奴隷やペットの様に人間を扱う気分は理解できる? 無理やり抵抗も許されずに周りから女性の価値を落とされていく感覚が理解できる? 家族に今日も学校は楽しかったよって、言う気持ち……分かる? ねぇねぇ、あなたは……私をどう思える?」


 ――誰でも良かった。少なくともこの人間に私という人間を刻み込むことが出来た。ただ死ぬのは寂しい。自殺する理由も簡単だ。――私という人間を忘れさせない為。


 でも、本当は。


 誰が、……だすげで。もう……やだよぉ……優しく……してよ。


 それは死んだ魚の様な瞳から、口にするたびに止まらない。表情は凍り付いたように固まっているのに、しかしその熱を感じる瞳はどうしても止まらない。


 瞬間――ポンっと頭に置かれる優しい温かみ。少し困った様に、ため息をつきながら……まるで貴重な時間にとんでもない事に巻き込まれちまったとでも言いたそうな顔をしながら。


「これも嫌か? 俺と喋るのも無理か? これなら体を動かせるだろ.? 嫌なら動かして逃げればいい……力は入れてないぞ? それに高校生で1度もやった事が無い奴の方が恥ずかしいぜ? シャッターの数はお前の魅力の数だと思え。学校の教師ならクビにさせちまえばいい……お前の気持ちを理解できる本当の教師になれるかもしれない。学校が全てじゃないぜ? 家族には本当の事を話したほうが良い。遠くに引っ越して、1からやり直すのもありだと思う。そして最初に言っただろ? ――お前はカラフルで綺麗だ」


「っ! ――じゃぁ、友達と話す時に……静まり返った時のきもぢは?」


「そりゃぁ、お前……そいつがギャグセンス皆無なだけだろ?」


「じゃぁじゃぁ、……豚みたいに家畜の様な扱い……」


「馬鹿野郎! 豚を舐めるなよ? 俺の知る限り、世界最高の豚は空を飛ぶんだぜ?」


「ふふ、面白い、ね!」


「おぉ、今の『ね』の発音いいじゃねぇーか? これから語尾に『ね』を付けてみたらどうだ? それを聞けば、どんな奴でも心開くと思うぞ?」


 しばらくの間――いろいろな話をその人は聞いてくれた。最後の方は泣きながら、何を言ったのか分からないぐらいぐちゃぐちゃな鼻声で、ずっと……ずっと……私が屋上で寝てしまうまでずっと。


 その日――その男子生徒は一部の生徒に暴行を加えて、教師に手を出して退学処分になってしまった。私はその人のズレすぎた考え方がとても私に似ていて、でも……私はその人のおかげで今も生きています。


 再会があんな形だったのは驚いたけど……それでも私は。


■□■□


「えっへん! 今回も私の方が、スコアが高いですね! ね!」


「くっそぉ!! ――マジかよ……また負けた」


 病院のベッドの上で熱意リョウと桜井ナナは、ノートパソコンでゲームを楽しんでいる。それがどんなジャンルのゲームなのかは知らないが、まぁ……この時間を邪魔する者はいなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る