第66話【幸せの色】

 そして、その日の夜――リョウはベッドの上でナナの事を考えていた。


 今までナナという人間に会った事は無いのに、どこか懐かしさの様なものを感じる。俺はどこかでナナに会った事があるんじゃないかと思えてならない。しかし、そんな事を覚えてはいない。だから、ただの勘違いなのだろう。


 昼間にナナの頭を撫でた時――ずっと昔に誰かにあんな事をした気がする。それと同時に思い出すのはナナの後頭部に出来た『縫い目の跡』


 ――何かの病気なのか? それは、治る物なんだろうか? 


 柄にもなくナナを心配している自分自身に笑みが漏れてしまう。自分らしさなんてかっこいい物を持っているつもりは無いが、離れた考え方をするつもりも無い。


「らしくないな……」


 らしくないと言えば、思い出す記憶が一つだけある。


 俺は高校時代に、自殺しそうになったどこの誰だか分からない少女と話したことがある。その少女は俺から見ればとても綺麗な姿をしていた。――外見何て意味を成さない本当の意味でカラフルな色をした少女だ。


 光の三原色と色の三原色の違いを知っているだろうか?


 色は混ざる事で黒に近づいていき、光は重なるごとに白に近づいていく。違いがあるとすれば、本物の色か偽物の色か。反射した光に対して偽物と表現するのは主観的な意見かもしれないが。


 『光の三原色は【赤】・【青】・【緑】が重なることにより【白】が生まれる』もしもここに【黒】が重なれば、きっと影のような色になるに違いない。こんな説明をどこかの誰かがしていたが、それは今からもう少し未来の話であり、すでに語った出来事である。


 リョウにとってその少女は色でなく光に見えていた。


 ――今思えば、あの選択は間違いだと気づける。気の迷いとその場の空気に身を任せた結果であり、そこから先の見えているはずの未来を見ようとせず、圧倒的な後悔が自分に降り注いだ。何も残らない結果は不幸しか生まない。


 ――あの瞬間……俺の全ては失われた。手元に残るものなど何もない。


「くだらない事で学校を辞めた。――あんな失敗はもうしない」


「っ!?」


 ガラガラ……ドン!!


 瞬間――扉が勢いよく開き、夜中の病室にナナは目を見開いて両足を骨折しているリョウの上に飛び乗る。勢いよくリョウの腹に座り込んだナナに状況を理解できないリョウは困惑したように「え! えぇ? なになに!? っガっは!」などと声を上げながら、ナナの肩を掴んで距離を取ろうとする。


「くだらなくなんてない……」


「な、何でここに? 意味がわからねーよ」


「くだらなく何て、無いです」


「分かったから! どいてくれよ」


「全然分かって無いですよ! ――どれだけ……どれだけ、あの瞬間が私にとって、あれが、あれが私にとって……奇跡だったんです。そんなの私は認めない。あなたがくだらないって一言で片付ける事だけは、しないでよ」


「奇跡?」


「ずっと……ずっと探したんです。あなたに一言伝えるまでは、頑張ろうって……頑張って頑張って、あなたに笑顔で……ぅぅ」


 そう言いながら泣き出してしまったナナに言葉が詰まってしまい、リョウは状況を全く理解できないまま……ただただ泣いているナナを見つめる事しか出来なかった。何度も何度も細い腕でリョウの胸を叩くが、しっかりと握られていない猫の様な手では手首を痛めてしまうと思い、両腕を掴んで困惑した表情のまま口を開いた。


「おい……どうしたんだよ?」


「うるざぁい! ばか……」


「――……」


 それから数十分ほど、泣き崩れてリョウの胸でうずくまっているナナに声をかける事など出来ず、上を向いたまま天井を眺めていた。かっこいい主人公なら優しく背中を抱きしめたり、頭を撫でてあげたりするもの何だろうが、それは良くない事だと思ってしまった。


 泣いている理由すら理解できていない自分がそんな事をしても……人形に抱かれるのと意味は変わらないのだから。自分だけが救われるような偽善者じみた行動を避けた。それが自分にとって都合が悪い事だと分かっているのに。


「――ごめんなさい」


「あぁ」


「――自分勝手……でしたね」


「そうだな。どうしてここにいるのか聞いていいか?」


「星をリョウさんと見たいと思って、病室を抜け出しちゃいましたね」


「ここは男性専用だぞ? どうやって来たんだよ……それに外は曇ってて星なんて見えない」


「別にいいんです……見たという事実があれば、それでよかったんです」


「そうかよ……じゃぁ、どいてくれ」


「ぇ……」


「星、見るんだろ?」


「――はい!」


 病室の窓から覗く空は曇っており、やはり星は一つも見えなかった。雲を眺めながら泣いているナナを思い出し、少しでも元気になってほしいと思いながら視線で星を探す。


「見つからないな」


「そうですね」


 立つことが出来ないリョウは病室のベッドを椅子代わりにしてナナと隣り合わせで座りながら静寂な時間を共に過ごす。普段は子供らしい態度とテンションの高さが売りのナナが静かだと、変な違和感を抱いてしまう。


 ――月の光が少しだけリョウとナナのいる病室を照らし、その眩しいまでの色をリョウは知っていた。いや、思い出したと言うべきだろうか?


「そういう事か」


「何がですか?」


「いいや、何でもない。それより、病室を抜け出すほどの意味はあったか?」


「意味や理由が必要ですか? 私は満足ですよ。後はここに豚の角煮があれば完璧でした」


「そこはお餅じゃないのかよ……豚の角煮か。俺も食いたいな」


「じゃぁ、いつか作ってあげます! そしたら次は星が出ている日に食べましょう」


「また抜け出す気か?」


「そうですね! ――リョウさんに会うためだったら、何度でも抜け出しちゃいます。だから、だから代わりに願いを一つだけ聞いてください」


「何だよ?」


「そのぉ……男性に抱きしめられたり、キスをするのって幸せって言うじゃないですか?」


「まさかとは思うが、やめてほしい願いもあるんだぜ?」


「あれ、嘘だと思ってます。それは女性を人間で無くすための呪いです。――最低最悪のこの世に存在していい風習じゃないと思ってます」


「そ……そうか? 別にそんなことも無いと思うが?」


「じゃぁ、じゃぁですよ」


「な、なんだよ?」


 ゆっくりと真っ赤に染まった顔をリョウに近づけ、震えたような口調でナナは鼓動に手を当てて……一言「今、それを証明してくださいね」っと言い残して黙り込んでしまった。


 体中が震えており、少しでも触れれば壊れてしまうような危うい状態。


「なんでそんな事言い出すんだよ?」


「だって、嫌じゃないですか。――皆はそれを幸せだと思って生きているのに、自分だけそんな考え方をしなくちゃならないなんて」


「はぁ~、意味や理由が必要ですかって自分で言っといてそれかよ……周りに囚われないナナが俺はいいと思う」


「初めて、名前を呼んでくれましたね」


「かぁぁぁ……そこはツッコムなよ。分かった……後悔するなよ? 傷つくから」


 女性を抱きしめるのは別に初めてじゃなかったが、何故だろう? ここまで緊張するような事だっただろうか? 顔が近くなるごとに緊張感は高まっていき、全然キャラじゃないナナの言葉一つ一つが普段からは想像も付かないほど魅力的に見えてしまった。


「私は、幸せですね!」


 ナナは嬉し涙を流しながら、満面の笑みでそう言い残して病室を後にした。それから2日間――ナナがリョウのいる病室を訪れる事は無く、3日後に桜井ナナが死んだ事を知った。

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