第4章【ステージ1.4/リョウ&ナナ】

第64話【きっかけは気付かぬ内に】

 これは信条シンヤが無理ゲーを始める1年と半年ほど前の話であり、オブ・ザ・デットというゲームが都市伝説としてネットで話題になっていた時期でもある。


《チャット(リア):あなたが5人目のプレイヤーですね。【ロノウェ】さん、これからよろしくお願いしますね!》


《チャット(ロノウェ):他にもプレイヤーがいたなんて知りませんでしたよ!?》

《チャット(カイト):やっと半分まで来ましたね。後5名でボスに挑めます》

《チャット(サッチ―):おぉぉ! 燃えてくるぜぇよぉ!》

《チャット(バルベラ):後5名ですか……長いですねぇ》


 【ロノウェ】――特に意味のある名前では無い。


 私という一人の人間に許された唯一の才能があるのだとすればこれなのだろう。それがゲームでも構わない。たった一つ、与えられたこの才能が世界の役に立たない物でも、ここにいる4人の背中をほんの少し押せるのであれば、それは私にとって生きている意味になるんだから。


 そしてこれは【桜井ナナ】と【熱意リョウ】の恋物語と言えなくもない。


■□■□


【《約1年半前》8月6日(火曜日)/0時51分】


 赤色の髪・鋭い目・鍛えられた体――熱意リョウは不良と言えなくもない。


 電話越しで聞こえる【トオル】の声は、酒で酔いつぶれたように呂律が回らない口調で楽しそうに言葉を並べている。行くとは言っていないのだが、断ろうとするとあれこれ理由を付けられてしまい、気付いた時には家を欠伸交じりに出ていた。


 生暖かい夜の風とゴミの様に浮かんでいる大量の星。『白黒の世界』が自分を覆い隠すように世界を囲んでおり、目に見える星は全て同じものに感じられた。


 『喧嘩が理由で高校を中退』してからというもの、まるで世界が小さくなったように毎日を一歩また一歩っと歩いていく感覚は、時々心臓の高鳴りとなって漆黒の海へと沈んでいくような焦りと不安で心の重みを増していく。


 気付いた時には20代。


 そんな気持ちを変えるためにリョウという人間には友人が必要だった。別に形は友人じゃなくても構わないのだが、それが最も手軽で、言い訳や理想を語るのに適していただけだ。


 ――つまり俺は、あの頃から一歩も進んでいない。


 そんな自分を変えたいとは思っている。でも変えるための『きっかけ』がリョウという人間に落ちて来ないのだから、変えられない現状でやれる事をやらなくちゃいけない。


「――他人任せだな」


 自分から動こうともしないくせにきっかけを求める自分が嫌いだ。友人で集まった時に理想を語る自分が嫌いだ。偽り続けて、世界を白黒と表現してしまう感受性のない自分自身が、死ぬほど嫌いだ。


 そしてたどり着いたのは廃墟となっている使われなくなった倉庫。倉庫の中には黒塗りの車やいかついバイクが何台か止まっており、それが友人達の物であると理解したうえで中へと進んでいく。


 転がる酒瓶にドラム缶でキャンプファイヤーをしながら大爆笑で円を囲っている集団。リョウが声をかけると同時に、待ってましたと言わんばかりに手招きをしながら急かす様に声をかけられる。


「うぉおい!! 待ってましたぁ~リョウのご到着でぇ~す!」


「どいつもこいつも出来上がってんじゃねーかよ。トオル、酒は残ってるのか?」


「ウォッカとウィスキーどっちが良い?」


「じゃぁハイボール」


「リョウはウォッカとウィスキー割のウーロンハイがご所望だ! 誰かリョウに作ってやってくれ! 俺はもうダメだぁ! リョウがおせぇから潰れちまったよ」


「「「「「「フォォぉおおおおお!!」」」」」」


「死ねよ」


 この明るい空気は居心地がいい。この集まりはトオルと【ダイキ先輩】が高校時代に作ったグループである。高校を途中で中退してしまったリョウではあるが、トオルと仲が良かったこともあって、何とか居場所を与えてもらったような感じだ。


 トオル以外と話す機会は少ないが、基本的にはお酒を飲んでいれば何も言われずに楽しくやれるのだから、気楽にいられるという一点のみでここへ足を運ぶ事は多い。歩いて20分程度で付いてしまう所も、ポイントが高いと言わざるおえないだろう。


 それから1時間ほど大爆笑しながらタダ酒を飲んでいたリョウは、火の上がっているドラム缶からは少し離れた場所で、月明かりに照らされている少女に軽く視線を向けた後に何もなかったかのようにお酒を進めるが、リョウの口は少女の事を聞いていた。


「なぁ、あそこにいる女は何だ?」


「ん? ダイキ先輩のナンパを断った馬鹿女。俺も手を出そうか迷ってたんだが、酔ったからもういいや。俺の楽しみは酒と親友」


「なるほど、お前が気持ち悪いって事だけは理解できた」


「あっれぇ~いい事を言ったつもりなんですけどぉ……zzz」


 酔いが回って眠ってしまったトオルを横目に、少女へと再度視線を向ける。


 その少女は衣服などを一切着ておらず、股を開いた状態で身動きが取れないように縛られており、下を向いたまま絶望した表情を浮かべて涙の粒を一滴ずつ地面に注ぎながら子供の様に泣いていた。それを助けようとする人間などいない。逆にうるさい野良犬にしつけをするように口にガムテープを雑に張られ、汚い靴が少女の頭の上に置かれて鳴り響くのはスマートフォンのシャッター音。


 手を出しているのはトオル達後輩組ではなくダイキ達先輩組のやっている事だが、そこに介入する空気は用意されていない。ここで一歩を踏み出すような英雄は存在しない。


 ――馬鹿だな。どんな断り方したらダイキ先輩にここまでの仕打ちを受けるんだよ? きっと男は女に手を上げない何て理想を抱いて、強気な態度を取っていたに違いない。理解力の足りない馬鹿が辱めを受けているだけ……そう、それだけだ。


「そろそろ中に入れちゃっていいかぁぁぁああ!?」


「「「うぃぃいいい!!」」」


「公開プレイをしっかり撮影してやっから!」


「よろしくでぇ~す」


 テンションの上がっている先輩達の空気に便乗する者、気にせず話している者、そして何もせずにただその光景を眺めている者。しかしその場で少女に手を伸ばしてあげる者はいなかった。


 だって仕方がないだろ? 相手はトオルと仲がいい先輩だ。他人と友人の友達……どっちの意見を尊重するのか何て考えるまでもない。お前は他人のために友人を犠牲に出来るか? 出来るわけ無いだろ? それが間違っている事でも、ここで口を挟むような空気が読めない奴になるつもりは無い。


 ――馬鹿な女が1人、見えない傷を負ってここにいる数十名の一時的な幸せになれるならそれでいいじゃないか? 勝手に死んだらそれはその人間がただ弱かっただけ。


 しかしその視線は何度も少女と重なる。ボサついた黒い髪の隙間から覗かせる視線は、他の誰でも無くリョウを見ていた。まるで理想を押し付けたようにこの人なら私を救ってくれると期待するような視線だ。それは体中を触られながらも、しかしその視線が外れる事はない。


 ――最後の最後……そして壊れかけの最後の希望を見ているみたいだ。


「っ! ――っち」


 鳴り響くのはリョウの舌打ちをする音――しかしそれは先輩達に対してでは無く。こういう時に理想を形に出来ない自分の弱さと、他人任せで自分に似ている少女に対しての怒りである。


 その怒りの表情は少女へと注がれるが、しかし……それは勘違いを生んだ形で、周りはリョウが少女を犯そうとしている自分たちに舌打ちをして睨みを利かせている様にしか見えないわけで……


「あぁ? 何だてめぇ?」


「おいおい、何こっち睨んでんだ!? 中卒の馬鹿がこっちに喧嘩売ってんぞぉ?」


「ひゅ~、女のために戦う俺かっこいい的な奴? 20代にもなって中二病?」


「マジで空気読めない奴が1人~」


「あのさぁ、邪魔するなら帰ってくんない? お前に関係ないから」


 浴びさせられる罵詈雑言。リョウからしてみれば別に先輩に対して何かした訳では無いが、ブッチリと切れた一本線と共に、握るのは近くに置いてある鉄パイプ。関係ない事でここまで言われた事に納得がいかず、ただでさえイライラしていたのに煽るように言われれば考えるまでもない。


「てめぇらに舌打ちした訳じゃねぇ~んだよ。馬鹿どもが!! ――ぶっ殺すぞ?」


 リョウの怒鳴り声に一部の人間はヒソヒソと会話を始める。


「やべぇ、リョウがブチギレたぞ!? ――高校と同じ事になるんじゃねーの?」


「絶対だりぃー事になるぞ、これ……俺は帰るわ」


「ちょ、ま……俺も帰るわ」


 高校時代に喧嘩で退学処分を受けたリョウを知っている後輩組は、空気を読むようにしてその場から少しずつ消えていき、残るのはダイキ先輩達の率いる人間のみだ。数十名いる人間に走り出して、鉄パイプを遠慮なく振り回す姿は正に鬼に金棒。


「殺す殺す殺す殺す殺す……ぶっころ!!」


 リョウが突き刺した鉄パイプはダイキの目玉を目掛けて狙っていたのだが、それを慌てて避けたダイキは、背後の壁に突き刺さった鉄パイプを見てガチで殺しに来ている事に冷や汗を流した。


「こいつ、完全にぶっ壊れてやがる」


「マジでイカレタ野郎かよ」


「さっさと取り押さえちまえ、ダイキに手を出しやがってクソが!!」


 結果――両足の骨折と共に1ヶ月の入院が決定した。何が起きたのかイマイチ覚えていないが、寝ていたトオルが助けてくれなければ死んでいたらしい。


 熱意リョウ――他人のために動く人間ではない。何より自分から事を起こすような人間でもない。しかし、我慢をする事が出来ない人間だ。その暴力的な性格は仕事や人間関係を今まで多く傷つけてきた。


 そんな自分自身が、大っ嫌いだ!!


■□■□


【《約1年半前》8月17日(土曜日)/12時00分】


 病院のベッドで寝ていたリョウは、スマートフォンで大好きなロックバンドの【Nirvana】の名曲――『Smells Like Teen Spirit』を聞きながら、カート・コベインという天才の人生を感じる事に時間を費やしていた。イヤホンから流れる音とその名曲すら罵倒してしまう、自分だけの世界を持ったこの男に親近感を感じる。


 出会いなんて物はゴミの様に落ちている。でもそれは形にすると液体で、手で掬おうとすると指の隙間から零れ落ちてしまう。だから零れ落ちないように液体を凍らせて、溶けない氷を完成させるんだ。


 入院してからトオルからの連絡が一切来ない事を考えると、どうやら俺の友人が1人、液体となって指の間から流れ落ちてしまったらしい。今までは毎日のように鳴り響いていたスマホが壊れたように鳴らなくなる姿は、何とも言えない虚しさを感じさせる。


「Hello hello hello how low……Hello hello hello how low……」


「ね! 何を聞いているんですかね?」


 肩を軽く揺さぶられたリョウはビクっと体を震わせて、腰を上げながらベッドの前で立っている少女と視線を合わせた。そこに立っていたのは水色の患者衣を身にまとった桃色の髪色をした少女だ。パッチリとした可愛らしい顔立ちではあるが、どことなくその視線に心当たりが無くもない。


「うぉ!? 誰だよ?」


「私ですか? 私は桜井ナナって言いますね!」


「――そうか。気負つけて自分のベッドに戻れよ」


「はぅ? あなたの名前を聞いてませんよね。ね!」


「なんでお前に言わなくちゃいけないんだよ?」


「ぅぅ……私も言いましたよね? 教えてくれてもいいんじゃないですかね!」


「ねを連呼するなよ。絶対言いづらいだろ?」


「これは癖なんですよね。はぅあ!? も……もしかしたら、語尾に『ね』を付けないと死んでしまう呪いにかかったのかもしれませんね! ね! それなら説明が付きますね!」


「そうか。だから病院に通ってるんだな」


「なぅ! そ、そうなんですかね!? ねを発音する事が癖になる病気ですか。怖いですね」


「あぁ? ――今、語尾に『ね』を付け忘れてなかったか?」


「付け忘れてないです。ねですもんね!! リョウさんは意地悪ですね!」


「気持ち悪い、それと何で俺の名前を知ってんだよ?」


「ふぅふぅふぅ。病院の入り口に名前の札が付いてます! はい、ざんねんでした! これからリョウさんの事をリョウさんと呼ぶ癖が私に付きましたね。病気一個追加です」


 なんだよ、こいつ? 札を見に行ってないじゃんか。しかもまた語尾に『ね』を付け忘れてんぞ? キャラ付けが適当すぎるだろ。――それにこいつ、俺がどんな人間か知らないのかよ?


「はぁ、俺が何で病院のベッドで寝てるか知らないのか? 他の患者に嫌われる前にさっさとここから消えたほうが良いぞ?」


「――知ってますよ。不良と殴り合いの喧嘩をしたんですよね? 真っ赤に染まった髪の毛。それに折れた両足……ヤンキーって奴ですかね!」


 否定はしなかった。髪の色は人の返り血が目立つのが嫌だったからで、20代に入っても喧嘩と暴力で何度か仕事を変えている。それでも我慢している方なのだが、歯止めは直ぐに駄目になっちまう。


「お前だってピンクっぽい色にしてるじゃねーかよ? ――ヤクザの娘か」


「えっへん! ヤンキーのリョウさんよりも上位に位置する私、かっこいい。でも違いますね。女心の読めない豚野郎にはチンジャオロースになってから出直して来てください。そしたら食べてあげます」


「語尾はどうしたんだよ、おい? それにチンジャオロースは牛肉だろ? いろいろと頭おかしいんじゃないのか」


「ふん! 別に間違えてないんだから! 我が家は豚肉で決まり何だからね! ――ピンクに染めたのも最近なんだから、勘違いしないでよね!」


「何でツンデレ風何だよ!? お前ちょっと面白いな」


「勘違いしないでよね!!」


「ブゥフ!」


 そのキャラ続けるのかよ!? 変なのに絡まれちまった。何が良くてこんな奴と俺は話してるんだ? それにしてもこいつ、元気そうに見えるのに何で病院なんかにいるんだよ。


 リョウはそんなことを思いながらも、気付いた時には内側に入り込んで仁王立ちしながらえっへんと自慢げに笑みを浮かべているナナの姿が見えた。キャラを崩壊させながらリョウの張り巡らせたパーソナルスペースを次々に破壊していくのだから、諦めるしかないだろう。


 だって気付いた時には俺の方が笑っていたんだから。

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