第5話 決行
欠伸をしながらお弁当箱にご飯を詰める。
食べ盛り中学生男子二人と中年男性のお弁当だ。朝っぱらから五合炊きの炊飯器が空っぽになる。昨日に作り置きしておいた煮物とタコを模して切ったウィンナーやら玉子焼きを詰めてもまだ余る空間に、冷凍食品をぐいぐい入れてどうにか隙を無くした。
色違いの唐草模様トートバッグが三つテーブルに並ぶと、家を出る時間に従ってそれが消えていく。最後の一つが持って行かれた時、
「ああ、明日弁当いらない。客先でいただくことになってるから。」
と声がかかった。
「そうなの。いってらっしゃい。」
玄関から夫を送り出し、きっちりと施錠する。
梨華が速足でキッチンへ戻って自分のスマホを探した。見つからない。寝ぼけて朝の家事をやっていると時にやらかすポカの一つだ。自分の携帯電話の置き場所を忘れてしまう。
焦っているので自宅の固定電話で携帯にかけてみるが、まったく音が聞こえない。
長くため息をついた後、仕方なく出しっぱなしだった朝食時の食材を冷蔵庫にしまっていて、目を剥いた。自分のスマホが冷え冷えとチルド室に入っていたのだ。
冷蔵庫の外に出すとスマホの画面が急に曇るので、慌てて拭って通話の画面に切り替える。
「・・・お早うございます。向井です。はい。明日動くかと思われます。」
『そうですか。準備しておきますね。お家を出られるのは何時頃ですか?交通手段、わかります?』
「ついさっき出て行きましたから、明日も一緒です。交通手段は、多分公共交通機関です。主人は、車の運転免許を持っていないので。」
『免許をお持ちでないとは今時珍しい。もっとも、都内では必要ないですからね。了解しました。当日、念のために会社への電話連絡で確認をお願いします。』
「不在確認ですね。・・・バレませんか?」
『何か適当に保険の外交とか不動産セールスとか名乗っても大丈夫ですよ。居留守使うとしても、電話口の様子でわかるでしょう?』
「なるほど。わかりました。」
『では、明日。』
「よろしくお願いします。」
震える手で、スマホをシンク台の上に置く。
画面には、岩崎尚人という名前と、通話時間一分11秒という表示が残っていた。
駅までの道を歩いていると、背後から永原杏奈が声を掛けてきた。
「主任、お早うございます。」
「やあお早う。」
喜色満面で頼人にすり寄ってきた彼女は、今にも腕を組もうと手を伸ばしてきそうなくらいに馴れ馴れしい。
それが嫌なわけではない。むしろ嬉しいくらいだが、人目がある。自宅からそう遠くもない最寄り駅までの道すがらにそんな真似をされては困るので、頼人は素っ気ない風を装った。
杏奈の方はそれを気にした風もなく、ご機嫌な様子で鼻歌を歌っている。
「明日が楽しみで、今夜眠れなかったらどうしよう。」
「遠足前の小学生か。」
「だって、嬉しいんですもの。」
「夢の国がそんなに楽しみかい?」
「主任が一緒だからに決まってるじゃないですか。」
可愛い事を言う。
こんな風に言われて悪い気はしない。やっぱり杏奈は可愛い女だ。どうして彼氏がいないのか逆に不思議である。
付き合いだした時に、『身体目当てだから』と言ったのは勿論自分が本気ではないということを伝えるためだったけれど。
杏奈に本命の彼氏が出来たら、頼人に未練なくそちらの彼氏の方へ行って貰えるためでもあった。
都合のいい考えかもしれないが、相手の事を考えているつもりである。不倫の男よりも、ちゃんとした独身の男を取ってもらいたいという優しさだ。
頼人の方こそが、杏奈の都合のいい遊び相手であるつもりで付き合う。そのくらいでなくては、のめり込んでしまうかもしれない。
「眠れなくなったら困るから・・・ね、今夜も。」
媚びを売る風情の年下の同僚は、今日も一緒に居たいらしい。
今夜も一緒に居たいなんて言葉は、もう何年も梨華から聞いたことが無い。寝室こそ同じで一緒に寝ているが背中を向けている。
それが寂しいのだが、わかってもらえない。
だから、益々杏奈が可愛くなる。
頼人は黙って頷いた。
翌日は梨華の公休日だった。コーヒーショップに定休日はないが、シフトで休みが定められている。
偶然だが、休みだったことは幸運だ。いつも公休日には仕事が無くても銀行へ行ったり買い物をしたりと普段出来ない事に時間を割いている。
こまめに記帳してお金の出入りを確認し、支払いの必要なものは早めに済ませる。残高もネット上で確認済みだ。
いつものように早朝に朝練へ出かけていく息子二人と、出勤する夫を見送った梨華は、すぐに岩崎へ電話を掛けた。
「今出ました。」
『確認しました。駅に向かって歩いて行くのが見えます。職場の電話確認は?』
「あと三十分ほどしたらかけます。今の時間はまだ繋がらないので。」
『行き先などの見当つきそうですか?』
「わかりませんが、昨日現金を6万円おろしています。泊りになるとは聞いてませんし。」
『その金額ではそんなに遠くには行かないですね。近郊かな?』
「だと思います。検索履歴は千葉と神奈川あたりの観光地ですね。交通機関を調べてないので、そこまではなんとも。」
『また、ご連絡します。』
忙しなく話すと電話を切る。移動中なのだろう、岩崎の邪魔は出来ないので梨華もスマホを置いた。
激しい動機と、ガンガン痛む頭に眉を寄せる。
梨華は玄関先でうずくまった。
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