第2話

“魔道士”

 怪奇現象や魔道事件の調査・解決を行う専門職である。時には自ら魔道や霊能力を行使し人々安全を守る危険な職業だ。


 大宮大聖は魔道士なって8年が経つ。

 事務所を開いたのは1年前のことだ。


 元々は大手事務所に所属していたが、堅苦しい魔道士社会に嫌気がさし独立したのだ。魔道士見習いの古城つかさを助手として雇い、事務所の体裁を整えたものの、無名の若い魔道士に仕事が来ることは少なく、持て余した時間に退屈を覚えながら、依頼が来るのを期待するだけの毎日を過ごしていた。


 だから、依田の依頼は大宮にとって僥倖だった。暗い雰囲気の学生が駅からビルに向かってきた時、大宮の心は踊った。手垢がついたような怪奇に悩まされているという、魔道士なら普通狂言かと疑うような依頼にもきちんと対応した。どんな形であれ、やっと入った仕事を逃したくなかったのだ。


「どう? 何か分かった?」


 朝、事務所に古城がやって来ると大宮は、古城の挨拶を遮り尋ねた。


「簡単に聞き込みはしましたけど……、収穫は少ないですね」


「そうか」


 大宮の声のトーンが下がる。

 見習いの古城は21歳、高校生とは歳も近いし聞き込みには期待できると大宮は考えていた。


「何人かに聞いてみましたけど、彼が言ってたような怪奇現象なんて見たことないって、それこそ七不思議くらいでしか聞かないって言ってましたよ」


 古城の聞き込み調査はふるわなかった。

 依田と同じ高校に通うという学生何人かに声をかけて、彼の言っていたピアノや人体模型について何か知っているか尋ねたところ、誰もがそんなもの知らないと答えた。


「だからもう、ホントに大変でした。ただただ怪しまれて……」


 成果が得られなかった上に、尋ねたうちの何人かに、変なことを訪ねる見知らぬ大人だと怪しまれ怪訝な表情を向けられた。結局聞き込み調査は、古城が通報される不安にかられるだけの結果となった。


「じゃあ、怪奇は学校と関係ないのかな」


「けど、彼が言ってたのはまさに“学校の七不思議”って感じでしたよ。“学校”という場に無関係ってのは考えにくいです」


「そうだねえ」


 大宮は黙り込んだ。

 考え込んでいる大宮の姿を見て古城が口を開く。


「怪奇がある前提で話してますけど、そもそも彼の嘘かもしれませんよ」


 人の気を引こうと、子どもがこうした嘘をつくのは特別珍しいことではない。

 大宮は黙り込んだままだ。

 間が持たなくなった古城はコーヒーでも入れようかと、給湯室に向かった。

 そして、2人分のコーヒーを用意して戻った時、大宮が口を開いた。


「よし。じゃあ、学校に行ってみようか」


 大宮はジャケットを羽織り、携帯用簡易魔道書を胸ポケットに入れた。

 古城は突然の決定に驚いたが、依頼に前向きな様子を見て表情を緩ませた。淹れたばかりのコーヒーをぐいっと飲み干す。


「分かりました。学校に連絡しておきます。ちゃんと考えてるようで安心しました」

 事務所にはコーヒーの匂いだけが残された。





 依田が通う高校は、古い校舎が学校の歴史を感じさせる地域では名の知れた私立の進学校だ。

 昼前の到着になったせいか、教室の外に出ている生徒はいない。


「古い校舎ですね。正直、いかにも何か出そうって感じの」


「うーん。けど何も感じないけどなあ」


 校門から校舎全体を概観してみたが、特に怪しい気配は感じない。


「まあ、行ってみようか。現状何もわかってないしね。とりあえず守衛室から」


 大宮と古城は守衛室で手続きを済ませ、入校証を受け取ると校長室に向かった。


「電話した限り、歓迎はされなさそうな感じでしたよ。魔道士が来たってなると変な噂立つかもしれませんし」


 校長室に通され肘掛け椅子に腰をかけるとき古城は大宮に耳打ちした。

 古城の言い分はもっともだ。魔道士の仕事は怪奇現象の調査、学校に魔道士が出入りしているとなると保護者から反発があるのは想像に難く無い。


 校長は眼鏡をかけた小柄な高齢の男性だった。白髪混じりの毛髪は頭頂部が薄くなっており、どこか頼りない印象を受ける。


「忙しい中ありがとうございます。連絡もいきなりだったのに対応していただいてすみません。こちら名刺です」


 簡単に社交辞令を済ませ、大宮は名刺を渡した。

 名刺を受け取った校長は少し不安そうな様子を見せる。


「こんな突然魔道士の先生がいらっしゃるなんて……」


「お気になさらず。こちらの高校の生徒に頼まれまして、ホントにちょっとした調査だけですから」


「ええ。しかしうちの高校には魔道士の先生が調査するようなことは何もないと思いますよ。…誰なんです?その調査を依頼した生徒っていうのは?」


「それは、お答えできません」


 守秘義務がありますからね、と古城が口を挟んだ。


「そうですか……」


 魔道士相手に弱気になっている様子の校長を見て、大宮はちょっとカマをかけてみようかと考えた。


「ところで、こちらの高校には何か七不思議みたいな怪談話が伝わってたりしますか。職業柄気になるんです。例えば、音楽室のピアノがひとりでに鳴る、みたいな話ですよ。なにかあります?」


 突然話題を逸らされ、少し困惑したようだったが、校長は口を開いた。


「いえ。そんな話伝わっては無いですね。ただ……」


「ただ?」


「昔から伝わっている、みたいな話は無いんですが、ここ最近そういう話が流行しているらしいというのは聞いています。オカルト研究会だったかな。その辺りの生徒がそういう噂を流しているそうです。噂ですけどね」


「オカルト研究会ですか」


「何をやっているのかよくわからないクラブですよ。変なことをして学校の名前に泥を塗って欲しくないんですけどねえ」


 校長は話を続けるが、大宮はもう聞いていない。

 次に行く場所は決まったな、大宮は口角をあげた。





 昼休みそうそう、依田は教室でパンをいくつか食べると、教室の喧騒を嫌って、図書室へ向かうことにした。特に、今日は教室が騒がしい。生徒たちが「変わった来客が来ているらしい」と口々に噂していて、それが煩わしかった。

 そこで依田は、図書室の静寂に精神の安寧を求めようとしたのだ。


「依田先輩!」


 廊下を歩いていると、後ろから呼び止める声がした。

 声はオカ研の後輩、栗栖秋葉のものだ。

 黒のショートヘアに赤いフレームのメガネ、制服をくずすことなくきっちり着込んだおとなしそうな少女だ。


 栗栖はよく依田を慕っている。栗栖がオカルト研究会に入ったのは友人の誘いであった。そのため、オカルトについての知識に乏しく、肩身の狭い思いをしていた。そんな彼女に初めて優しく声をかけたのが依田であった。


「どこ行くんですか?」


「ちょっと、図書館に」


「一緒に行ってもいいですか?」


「別に構わないけど……」


 依田の返事を聞くと栗栖は頬を緩ませた。


「そういえば、学校に変わったお客さんが来てるみたいですよ。確か……魔道士? の人が来てるみたいで、オカ研としては気になりますよね」


 依田は一瞬目を見開いた。


「そうそう、先輩が勧めてくれた怪談の本読みましたよ。UFOとかUMAとかは正直よく分からなかったんですけど、やっぱり怪談とか都市伝説とかはお話として面白いからいいですよね。わたしはそういうのが好きなんですけど——」


 他におすすめありますか、と栗栖は続けたが依田の返事はない。


「先輩、聞いてます?」


「う、うん。聞いてるよ。本ね、本……」


(魔道士が来てる……? まさか——)


 煮え切らない返事に栗栖は眉をひそめた。

 相変わらず、依田からの返事はない。

 2人の間に気まずい空気が流れる。


 気まずい空間を壊したのは、この空気を作った原因ともいえる人間だった。


「依田くーん」


 依田を呼ぶ声がする。


——この声は。


「大宮さん!」


 依田は驚きと喜びの入り混じった声をあげた。大宮には適当にあしらわれたと思っていたので、学校まで来てくれるとは思っていなかったのだ。声のした方を探すと、学生に遠まきに見られている大宮と古城が目に入った。


「誰?」


 栗栖は依田に少し身を寄せながら尋ねる。


「魔道士の人」


 そっけない、そして全然情報のない返事に栗栖は唇をとがらせる。


「来てくれたんですね。一言教えてくれたらよかったのに」


「ごめんね。急な決定だったからさ」


「仕事はするから、安心して」


 古城は元気付けようと依田の肩を叩いた。


 そこで依田は周囲の注目を集めていることに気づいた。周囲の視線にたじろぐ。


「ありがたいんですけど今はちょっと。すみません」


「そうか、分かった」


 依田の気持ちを察したのか、大宮はあたりを見渡しながら答える。刹那、栗栖と目が合うと、栗栖は依田の後ろに隠れた。


「今日はもうちょっと調べたら帰るよ。……オカ研の部室ってどこかな?」


「はい、部室は……」


 大宮と依田が話しているのを栗栖はじっと見つめていた。





 昼休みが終わり、授業が始まると外に出ている生徒はいなくなる。扉越しにチョークが黒板を叩く音や、先生の話す声が聞こえてくるが、逆をいうとそれ以外に音はない。


 そんな校舎を大宮と古城は歩いていた。


「部室はこの辺りだっけ」


 ある教室の前に立った時、大宮は空気が変わるのを感じた。

 ひやりとした、しかしどこかじめじめと生ぬるい、嫌な空気だ。

 校舎は完全な静寂に包まれている。


「古城、感じるか?」


「はい。大宮先生」


 古城は生唾を飲み込んだ。

 ごくり、という音の後。

 静寂を破る音が響く。



テケテケ テケテケ。



 音のする方を振り向くと、下半身のない女が廊下を這っている。

 女は2人に気づいたのか、顔をあげた。

 黒い長い髪の隙間から血走った目が覗く。


——目が合った!


 大宮と古城はその場から駆け出した。


「先生! あれって! 」


 走りながら古城は叫ぶ。

 走っても走っても廊下が続き、階段も、逃げ込めるような教室もない。さっきまで、授業の音が聞こえていたはずなのに。


「ああ、テケテケ。怪異だな。これまたベタな」


 息を切らしながら大宮は答える。


テケテケ、テケテケ、と女は這っているとは思えないほどのスピードで2人に迫り、どんどん2人とテケテケの距離は縮まっていく。


 大宮は胸ポケットに忍ばせた魔道書を手にとった。


「あんまり使いたくないんだけど……」


「そんなこと言ってる場合ですか⁈」


大宮は小さく舌打ちすると、魔道書の頁を破りとった。

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