第10話 2月22日に灰ネコをひろう
竦んで立つ私と覇気を放つ先生との間に、何も知らない看護師が、つーっと歩いて入っきて、ミャオミャオと鳴く仔ネコをゲージに入れて、また、つーっと、控え室に戻って行く。
私はそれを目で追うことも出来ず、気圧されるように「はい」と答える。
それを聞いたお医者さんは看護師にダメ出しをされる、隙の多いもとの顔に戻って、
「お飼いになるんですよね?」
そう聞いてきたので、私は当然だろうと思いながら肯定した。
「はい、一緒に生活して行こう思います」
見捨てるつもりなら、最初から動物病院などに連れては来ないだろうに、
なぜそんな事を聞くのか不思議に思ったが、考えて見れば助けたい気持ちはあっても、
そのあと住宅事情などにより、一緒に住めない人も居るのかと思い当たった。
それにこの仔ネコは私と彼女が奇跡的に出会った、
と一方的にこちらが思っている、
特別な仔ネコだ。
お医者さんは成り行きを知らないから、引き取るかどうか確認して当たり前だが、
その確認は大袈裟に言うと、
私にとって侮辱に等しい行為と言っても良い。
だからと言って別段、嫌な顔をしたり語気を荒げたりはしないが。
お医者さんは聞いたっきりで、私の答えに対してのリアクションはせず、
パソコンに何やら入力している。
しばらくしてから、
「猫をお飼いになるのは初めてですか?」
パソコンに向かって話しかけた。
私はお医者さんの横顔に向かって答えた、
「いえ、以前ハチワレと一緒に生活してました」
ハチワレと言う言葉を使ってどの程度、ネコに馴染んでいるのか示そうとしている感じがして、そう言う言葉の選択をする自分に軽く心の中で舌打ちをした。
「以前?今は居ないんですね?」
肯定する。
「先住猫は無しと。…避妊について考えるのはまだ先の話しですが、キチンと考えて早めに決断して下さい。手術の時にネコちゃんに与える負担が違います」
失念していた未来の話しをお医者さんはした。
そうだった、ヒメの時も散々悩んだのだ。
「失礼ですが、ご家族と一緒に住んでます?それともお一人ですか?」
突然、家族構成ついて聞かれ、会話の流れに疑問を感じながらも、
「はい?はい。えぇ、一人です」
と受け答える。
「ご自宅でのお仕事ですか?それとも通勤なさってます?」
そう言う事かと納得しつつも、今は動物病院でここまで確認を取るものなのかと驚いた。
「会社に勤めています。私の居ない間はネコは実家へ。と考えてます。小さい間は…」
が、なにか?問題が?努めて問題の無いような顔をして答える。
お医者さんはお医者さんの顔のまま、
「ふーん……猫は家につくって言いましてね、ご存知かと思いますけど…だからあまり行ったり来たりは、あの子のストレスを考えると、お勧め出来ない」
私に実家など無い。
実家のような存在はあるが、もうこれ以上、五郎さんと房子さんに迷惑をかけたく無い。
頼れるとしたら兄の尚記だ。
お医者さんの横顔を見ながら私は黙った。
「ご両親は猫を飼った経験は?」
特に疑っている節はない、声の調子は柔らかいままだ。
質問しながら、PCから目を離して私の方を向いた、見えてなかった傷ついたレンズ側の目が私を見つめる。
今度は私を射抜きはしなかった、優しい目だ。
その優しい目を見て私は理解した。
そうか医者としての尊厳を守った時の傷ではないのか。
小さな命を守ろうとした時の傷なのか。
今も、小さな命の行く末を案じているだけなのか。
私は謝るしかなかったが、なんと言って謝ったら良いか分からず、口につくまま
「あっ、いやスイマセン。
実はあの仔を見つけた時に、もう1人、知り合い…では無いんですが、
偶然、一緒に発見した人がいまして、
私が無理な時はその人が引き取るかも知れません」
預けられるツテなど確保していないのに、自分が引き取りたいが為に、実家などと嘘をついた事に対してのスイマセンだが、
相手は何に対してスイマセンと言っているのか伝わってないだろう。
もう一度あのレンズの傷の下の目で見られたら、その時は洗いざらい話して謝ろうと思っていたが、先生が見ているのは仔ネコの行く末だけだったようだ。
「ふーん、その人は?」
仔ネコに幸せな環境を提供できるの?と言う質問だと解釈して、私は答えた。
「ネコを見つけた時、偶然一緒にいた人です。ネコと暮らしているそうです。今現在」
言い終わってから、
「後で近くの公園で落ち合う予定です。その人は用事があったもので」
と付け足した。
先生はチラッと私を見て
「偶然、偶然。そう、知り合いじゃないってことね?」
確認を取ったあと、
「じゃあ、何かあったらまた来て下さいね。その人が飼うのが…引き取るのが無理なら里親を探しますんで」
そう言って唐突に診察を終わらせた。
それからPCに向き直って何やら確認していたが、退室しようと立ち上がりかけた私に、
「何かあったら、ここじゃなくてもいいんで、ご自宅の近くの病院へ行って下さい」
至極、当たり前の事を言った。
私は「はい」と答えてから、そう言えば診察を受ける前に、問診票に住所を書いたことを思い出した。
少し遅れて理解した私に、追い討ちをかけるように先生は、
「あなたが引き取る事に反対してるわけではないですよ?あなたが飼う、引き取る事になったら、多分あなたは良い飼い主に…パートナーになりますよ」
その声、その口調は優しく。
何と言うか医者としての物では無くて、一人の人間としての個人的な感想を述べているようだった。
なぜ先生が私を持ち上げるような事を突然言うのか、これはさっぱり理解できなかったが、
「はぁ、ありがとうございます。」
理解出来なかった分、中途半端に頭を下げて退室した。
お会計の時に看護師に、しっかりとご飯を与えること。
そのご飯は柔らかくし、胃に負担を与えないこと。
蚤がまだいるかも知れないので連れて帰ったらもう一度見てあげること。
もしも洗う必要がある時は、耳に水が入らないようにすること。
でもお風呂はそんなに入れる必要はないこと。
そんなことを注意され、もうちょっとで頭をパンクさせそうになった時に、最初の1週間はご飯に
「これを混ぜてね」
そう言って栄養剤と抗生物質を兼ねた薬を出された。
動物病院にはネコ関連の商品が売られていたので、ひとまずキャリーバックなど、必要と思われる一式を買って外に出た。
17:00を過ぎている。
物語は始まってもいないのに、帳が降りてくる。
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