第11話 2月22日に灰ネコをひろう
病院から出た後あと下心がありつつも、
それを乗り越えて彼女に電話番号を渡しておいて良かった。
私は自分を褒めた。
雨が降り出しつつあったからだ。
賢明な人なら私が電話番号を渡した時点で気がついていたかも知れないが、
彼女の電話番号の申し出を断った私の紳士的な行為は無意味だった。
病院の中ではマナーモードにしていて気がつかなかったが、
彼女と思われる不明な電話番号から何件か電話が来ていた。
2件目まではガッツリ電話番号が出ている。その後は非通知だ。
3件目から非通知にした、その時の彼女の気持ちを知りたい。
私は交友関係を極端に狭くしている。
その不明な電話番号は絶対と言って良いほど、彼女の電話番号だと言える自信があった。
すぐに彼女の電話番号だと分かってしまう自分の交友関係の狭さに感謝しつつ。
彼女の電話番号を思いがけず知ってしまった動揺と喜びをから、
交友関係は自分の意思で狭くしてるんだからね、広げようと思えば広げられるんだからね。
誰に対してだか分からない、妙な意地を貼ってしまった。
だがどうしようか?電話番号を知り得た事は喜ばしいが、それは逆に私の行動を制限する。
かけ直すのは良いが、そこには確実に下心がある。
ネコの事で仕方がなく彼女に電話するとしても、そこにはお知り合いになれる。
お近づきになれる。そんな私欲が働いていて それは彼女に伝わってしまうだろう。
もしかしたら彼女は、
(さっきの人、私が電話番号を教えるのを紳士的に断ったけど、
実は計算だったんじゃないかしら?電話すればナンバー通知されちゃうんだから、
最初からそれを狙っていたんじゃないかしら?)
既にそう思っているかも知れない。
それは違うんです、本当にそこは計算じゃないんです。下心は無いんです。
言い訳をしたくて電話したくなったが、
ならば言い訳する時は下心が無いのかと言えばそうではない。
結局 電話すると言う行為に下心は付いてまわるのだ。
どうしようか?私は答えを求めるようにキャリーバックの中の仔ネコを覗きこんだ。
場所は病院の近くのコンビニの軒下だ。仔ネコは「寒いよ」「腹減った」しか言わない。
しかし、それが私がどうすれば良いかの回答であり解答だった。
自分の私欲を恥じて行動出来なくなって、仔ネコの幸せを潰してはいけない。
この仔を助けるには形振り構っていられないのだ。
人はすぐに信念、行動指針を忘れてしまう。
大切なものを見失わずに生きて行くには誘惑が多く、また邪念が多過ぎるのだ。
いまさら祓い切れない邪念を抱いたまま、私は彼女に電話をした。
コールをタップした瞬間、
ネコが、「下心の何が悪いニャ?」「私は本能に忠実ニャ」「お腹すいたニャ」と3回鳴いた。
私はキャリーバッグに手を入れ、小さな頭を撫でた。
彼女は2〜3コール目ですぐに出てくれた。
向こうの環境音が騒がしい。
「もしもし?」
返答が無い。
「もしもし?」もう一度尋ねる。
周囲の音が静かになっていく、どうやら彼女は場所を変えているようだ。
「もしもし?申し訳ありません、静かな場所に移動していたもので、対応に遅れてしまいました。失礼ですがどちら様でしょう?」
私は彼女の生の声を聞くのは今日が…5時間くらい前が初めてだ。
動画などで喋っているのは何度か聞いたことはあるが、違う声を出されて…
例えば他所行きの声を出されたら、彼女かどうか判別する自信は無い。
だが違う女性だ。直感が囁いた。
無礼さも横柄さもないが押し出しの強いブレのない話し方だ。
別人か、予想外だった。
心当たりの無い交友関係があるなんて自分の交友関係を舐めていた。
だが、心当たりが無い交友を交友関係と呼んで良いのだろうか?
交友関係以外だと、保険の営業?担当は男性だ。
会社の事務?今日は土曜日だ。
対に彼女だと思っていた私は不自然なくらい間をあけた。
「もしもし?」
向こうから圧のある声が聞こえてくる。
「もしもし、この電話番号から着信があったので折り返しお電話させてもらったんですが…」
私は不明な電話番号から電話がかかって来た時の対応をした。
普通、不明な番号に折り返しの電話などしないが、不明だが心当たりのある場合は、
稀に折り返し電話する時がある。
相手の女性も予想外だったようだ。
「えっ?そうなんですか?」
自分の電話を耳から離し電話を見つめでもしたのだろうか、声が少し遠くなった。
「大変申し訳ございません、間違って操作して掛けてしまったのかも知れません。
わたくし諏訪と申します。よろしければお名前頂戴できますでしょうか?」
彼女ではない事が確定した。
彼女にしては…
違う、彼女の事は知らない。
私の思い描く漫画家の人物像と比べると、最初から話し方が事務的な対人折衝に慣れた話し方だった。
各出版社に原稿を持ち込む機会の多い漫画家の方が、不特定多数の不明な電話番号から、
無碍に出来無いの連絡を受ける事が多いだろう。
そうであれば、キチンとした電話の受け答えも、自然 身に付く。
このスワさんレベルの対応も簡単にこなすかも知れない。
しかし、私のイメージとしては漫画家はもっと、しどろもどろしていて欲しい。
最初から彼女では無いと諦めてはいたが、スワ、諏訪だろう。
その名前を聞くまで私はまだ一縷の期待を持っていたようだ。
諏訪と名乗られて肩を落とした自分に気付いた。
彼女は本名をペンネームにしている。
彼女ではない事は分かったが、諏訪、お前は誰だ?
私は、
「沢田と言います」
そこには名前など、どうでも良いだろう、そんな感情が多分に含まれていたかも知れない。
私とあなたは知り合いでは無い事が、こちらでは確定した。
名前など知っても仕方がないだろう?ねぇ、諏訪さん。
「沢田様?」
様をつけられて呼ばれる身分ではない。
諏訪さんは頭の中で「沢田」を検索しているらしい。
「あの、失礼ですがどちらの?」
ヒットしなかったようだ。当たり前だ。
だが、どちらの沢田かを求めて、まだ喰らい付いてくるのか。
意外に感じ、また感心した。
心当たりが無かった時点でおざなりにしても良さそうなものだが、
このおざなりにしない感じ…
諏訪さんからはしっかりとした企業に勤める、良く訓練された、優秀な人間の雰囲気が伝わってくる。
しかし、私は三流以下の会社に勤めるダメな人間だ。面倒だったのでこう切り出した。
「ネコを拾ったんです」
「えっ?はい?ネコですか?」
諏訪さん、多分あなたは頭が良い、理解力が早いはずだ、ついて来てくれ。
「ネコを拾った時に偶然、一緒にいた人がいたんですが、
私は動物病院に行き、その人は別の用事があったので、後で落ち合うことを約束して、
バイバイしました」
ここまではOKですか?と言う確認のため、一区切りついた。
「えっ?ちょっと待って下さい。まるで話しが見えません。
どう言う事ですか?いたずらですか?」
想定内である。私は諏訪さんを信じて続けた。
そう言えば聞こえが良いが、面倒だから途中で切られても良い。と言う思いと半々だ。
「続きを聞いてもらえれば、ご理解いただけると思います。
ですが、もう一度繰り返しますね?」
そう言って私は「ネコを拾った時に〜バイバイしました」までを先程より、滑舌良く伝えた。
それが諏訪さん自身と何の関係があるのかは分からないようだが、
私の状況は理解してくれたようだ。腑に落ち無い不機嫌な声で、
「それで?」
続きを促してくれた。
「バイバイした時に私は、電話番号を書いたメモを渡しました」
続きを話そうとしたら、間髪入れずに、「誰に?誰にですか?」
質問が飛んできた。
訓練された人間は要所を外さない。
「一緒にネコを見つけてくれた人にです。後で落ち合う約束をしましたので」
「ミャー」
最後の鳴き声は私ではない。私は鳴かない。
何と言う絶妙なタイミングで鳴いてくれるのだろう。
今ので、だいぶ私の信用パラメーターは上がったと思われる。
自信を持って話しを進めた。
「一緒に見つけてくれた相手の方は女性で、私達は初対面だったので、
私は彼女の番号を受け取りませんでした」
また、一区切り入れたが、諏訪さんからの質問は無いようだ。
「動物病院を出た後で、電話を確認したところ見覚えのない番号から着信があったので、
折り返し電話したんです」
さて、理解してくれただろうか?
諏訪さんは理解してくれた。どころか私が気付いていなかった点に一瞬で気付き。
「意味ないじゃないですか」
顔は見えないが諏訪さんは仏頂面であったと思う。
やはり諏訪さんは思った通り頭が良く賢明な人であった。
「意味ないじゃないですか」と即答した速さは、
私が『えっ?何が?』と戸惑うくらいの速さだった。
「そう…なんですが」
そうなんですが、大事なのはそこじゃないんです。
大事なのは番号が通知されて、結局、番号が知れてしまうかどうかでは無いんです。
でも何が大事なのか分からない。人はすぐ大切な事を見失ってしまうのだ。
「まぁ、連絡が取れなくなるよりは、マシだと思いますが」
そう、そうなんですよ。そこなんですよ。大事なのは。
諏訪さんは、諏訪さんにとって私が忖度を必要とする人間では無いと分かったのか、
心の壁を私が登れる高さまで下げてくれた。
壁と言うか、土俵を下げてくれたと言うか、有り体に言えば声の硬さを砕いてくれた。
諏訪さんに理解してもらえ、2人の間にあった、ある種の緊張感もなくなり、
少し余裕を持って考えられるようになった私は、一つの可能性を思いつき諏訪さんに聞いてみた。
「あの、お知り合いでどなたか、今日ネコを見つけたと言っている方はいませんか?」
諏訪さんはもしかしたら1人では無いのかも知れない。
グループで行動しており、その1人が狩野さんの可能性もある。
そして狩野さんは、自分の電話から電話するとナンバーが通知されてしまうと思いあたり、
諏訪さんの…
そこまで考え、その可能性は無い事に気が付き私は思考を止めた。
ナンバー通知に気が付いた時点で、自分の電話から非通知でかければ良い訳なのだから、
それはあり得ないと気がついたからだ。
もう少し考えてから質問すべきだったな。そう思いながら、
私は諏訪さんに理解してもらう為に割り振っていた説明の労力を、
彼女との待ち合わせ場所に移動することに割り振り換えて、通話をしたまま歩き出した。
諏訪さんは少し黙ってから、
「なるほど」
謎を解明したようだった。
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