第12話 2月22日に灰ネコをひろう

 それは私が、ナンバー通知に気が付いた時点で、非通知でかければ良い訳だから、

 狩野さんが諏訪さんの電話を使ってかけて来た説は有り得ない。

 そう一人で納得した瞬間だったので、私は何の違和感もなく聞き流した。


「分かりました」

 諏訪さんは名探偵のように言う。


 そうですか、私も分かりました。

 狩野さんが諏訪さんの電話を借りて掛けて来たってのは、有り得ない。って事がね。

 こっちは謎が深まるばかりですが、そちらは謎が解けたようで何よりです。


 って、え?


「何か分かったんですか?」

 私は勢い込んで聞く。


「はい。推測ですが」

 推測でも良い、聞かせておくれ。


「と言っても、これしか思い当たる節がありませんので…

 わたくしのスマホからあなたのお電話に着信があった理由は、

 今日のイベントでの出来事が理由かと存じます」

 

 イベント⁈一旦は喪失した彼女の香りが、また仄かに漂ってきた。


「わたくし今日、とあるイベント…ミュージカルを観に行っておりまして」

「横浜の?横浜で公演された?」

 私は抑え切れず、バカみたいに早口で問うた。


「あっ、はい?そうです。知ってらっしゃるんですか?」


 諏訪さんは感嘆符をつける程では無いくらいの驚きの声を出した。

 驚いても自身をコントロール出来ている、品の良い驚き方だ。

 

 諏訪さんの落ち着きを見習って、私も落ち着いて伝えた。


「一緒にネコを見つけた人の用事は、そのミュージカルを見に行く事だったんです」


「あぁ、なるほど。では多分、私の会った方と同一の方ですね、

 白いセーターを着た、お綺麗な人ですよね」

 

 見えた!一度は見失った彼女の後ろ姿を捉える事が出来た。


「そう!……です。失礼しました」

 あまりに大きな声を出したので、歩いていた通行人がこちらを見た。


 それから諏訪さんはイベントでの出来事を話してくれた。


 

 友達と2人で行った諏訪さんは、ワクワクしながらホール内で開演を待っていた。

 友達は諏訪さんの左側に座り、諏訪さんの右隣は空いている。

 そこへ彼女が現れ、空いている右の席に座った。

 諏訪さんは一瞬で印象に深く残ったそうだ。


「一目見て、お綺麗な方だなと思いましたね。お一人でお見えになってました。

 白いセーターも良い素材の物で、お値段も相応の物だろうなと感じました。

 でも、お召し物や、持ち物の全部にお金をかけている訳では無くて、

 今の若い子にしては珍しく、イヤリングをなさっていましたが…ピアスじゃなくて。

 それは可愛らしい物でした。紫色の、多分アメジストでしょう。

 下はベージュのワイドパンツ、今はスカンツって言うのかしら?を履いて、

 靴は白色に近いスニーカー、手には帽子を持っていましたね」

 

 紫のイヤリング?下はパンツだったのか、スカートだと思っていた。

 靴に関しては記憶がない。


「お探しの人にお間違い無いですか?」

 なるほど確認のために、外見をわざわざ事細かに伝えてくれていたのか。


「それと、あれは、ファッションなのかしら?枯れ葉や小枝をたくさん付けていました」

「彼女に間違い有りません。」


「そう、良かったです。それが印象深くて、

 失礼かと思いつつ横目で様子を見させてもらっていました」


 諏訪さんによると公演はすぐに開演されなかった。

 空調機材のトラブルで、ホール内に異臭が漂ってしまい、いったん席に着いた観客達は外に出ることになった。


 エントランスロビーにもベンチはあったそうだが、とても観客が全て座れるような数ではない。

 諏訪さん達はガラス張りの渡り廊下の、ガラスを支える基盤部分の出っ張りに腰を掛けた。

 開演を焦らされている事さえ楽しみながら、パンフレットを広げ、友達と情報交換を行なっていたそうだ。

 

 その楽しい情報交換中に諏訪さんの友達が、諏訪さんの知らない情報を教えてくれた。


「知らない情報って、何だったんです?」

 私は思わず質問してしまった。


「そこ、教える必要ありますか?」

 しかし、諏訪さんは溜息をついてから教えてくれた。


「推しって分かりますか?」

 推し?…かろうじて分かる。

 馴染みは無く、あまり口にする言葉では無いが、意味は知っている。

 大雑把に言って、いわゆる好きな人、好きなキャラの事だ。


「推し」と言う言葉を日常使う人の中では、「好き」だけではない感情も含まれるだろうから、

「推し」=「好き」とすると怒られそうだ。

 

 推し、その言葉を使う時は、少なくとも

「応援したい」

 そんな気持ちが割合として多く入っていると思う。

 自分の彼氏、彼女を、好きだし、応援もしたいだろうが、

 フォーマルな場で自分の彼氏や彼女を

「私の推しです」

 とは紹介しないだろう。


 私はただの「好き」世代だ。

 シャア推しです。などとは言わないだろう。

 言ったら坊や扱いされてしまう。

 

 話しを戻そう。

 諏訪さんには推しのキャラが何人かいて、

 2番目に好きなキャラを、諏訪さんは「2推し」と言った。

 諏訪さんの2推しのキャラは設定上、納豆が嫌いな設定らしいのだが、

 嫌いになった理由に深いエピソードがあるような、

 思わせぶりな演出を公式は長いこと続けていた。

 

 そのエピソードが最近、公開されたらしい。


 友達は 「公開されたらしいよ」 と言う情報だけを、諏訪さんに教えてくれた。

 諏訪さんは調べるためにスマホを取り出した。


「わたくしの左隣に連れ合いが座り、先程と同じように、

 私の右側は1人分のスペースがありました。

 そこにまたお探しの方がやって来ました」

 

 諏訪さんは説明中、彼女のことを「お探しの方」と呼称した。


「やはり印象深かったので覚えております」

 二回会っても印象を深く与えるとは、よっぽどだったのだろう。


「お探しの方は時間が経っているのに、まだ小枝や枯れ葉をつけたままでした。

 普通は払い除けると思うのですけど…

 だから、私はファッションかとも思ったんです」

 

 混雑したロビーの中を、小枝や枯れ葉をつけて漂う彼女の姿を想像した。


「そして、私の空いている右スペースに座りました。最初は落ち着いて座っていました。

 小枝や枯れ葉を払いながら」

 

 諏訪さんは中途半端な所で話を止めた。しばらくしてから、


「そう、そう言えば話しは逸れてしまいますが、

 印象深く感じたのはここでの彼女の行動なんですよ」


 諏訪さんは一度、息を整えた。


「途中で諦めてしまうんです。

 まだ、簡単に払い除けられる大きさの枯れ葉が付いているのに、

『まっいっか、切りが無い』と言う風に…

 女の子ですし、もっと自分の外見が周りにどう映ってるか気にしそうな物なのに。

 その周りを気にしない…胆力と言えば良いのか分かりませんが、

 周りと違っているのは当然だから気にならない、異質である事を知っている。

 異質である事を認めてしまっている異質さを感じて、印象を深めたのだと思います」


 異質。その言葉を聞いたとき頭の中で、

 強い風の中、彼女が言葉を構成している様子…

 あの概念を覗き込む不思議な色の瞳が蘇った。


「話しが逸れてしまいましたけど…」


 諏訪さんの声で我にかえり、彼女の瞳に見つめられるのはほんの数秒で済んだ。


「お探しの方は外で雨が降っているのに気がつくと、途端にソワソワし始めました」

「雨、ですか?」


 確かに今 雨は降りはじめているが、たいした事は無い。

 それに動物病院とイベント会場は歩いて行ける範囲内だ。

 13:00過ぎ、雨は降っていなかったはずだ。


「えぇ、今日は風が強かったでしょう?

 海の近くは沖で降っていた雨が風に運ばれたのか、

 それに砕けた波の滴も合わさっていたのか、

 雨が降っているように…

 風向きですぐ止んでしまうのに、

 "降り続く雨"

 のような雨が降っていました。

 お探しの方も錯覚したんだと思います」


「あぁ、なるほど」


「私はソワソワしだした、お探しの方を横目に

 連れ合いから聞いた情報を確かめるため、スマホを操作していました。

 その私のスマホには一目見て

 私の物だと分かるようにヘビのストラップが付いています。

 30cmくらいの」


「ヘビですか?30cmの?」


「はい、ストラップの先にヘビが付いてるのではなくて、

 ストラップ自体がヘビになっている物をイメージして頂きたいです。

 それもかなりリアルな」

 

 30cmはストラップにしては長い。


 私はヘビにグルグルに締め付けられているスマホを想像した。

 諏訪さんはそんな風にして遊んだりするのだろうか?

 そんな私の疑問を掻き消すように諏訪さんは続ける。


「そのストラップはノベルティで、そんなに世の中に出回っている物では無いでしょう。

 私は同じストラップを付けたスマホがあったら、私の物だと勘違いします」


 諏訪さんは途中から一人称を、わたくし、から私に変えていた。

 

 だいぶ長く話した、そして時間を割いてくれた。

 しかし、よく付き合ってくれる。

 諏訪さんもちょっとした非日常を楽しんでいる風だったが、

 非日常を楽しめる心の余裕のある人は少ない。


 結末が見えた私は、話し半分にそんな事を考えていた。

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