第13話 2月22日に灰ネコをひろう

 結末は予想通りで、彼女もそのヘビのストラップをスマホに付けていたそうだ。

 

 ソワソワ焦り始めた彼女は立ち上がり、窓の側に行って雨の様子を見た。

 そして戻って来て諏訪さんの隣に座り、

 諏訪さんが右側に置いたスマホを自分の物だと思い込み電話をかけた。

 

 諏訪さんが直前まで使っていたのでロックが掛かってなかったのだ。

 諏訪さんはスマホの壁紙を今日のイベントに合わせて、

 キャラが入れ替わり現れる物にしていたそうだ。


 彼女が同じ壁紙にしていた可能性も0では無い。

 諏訪さんの友達が諏訪さんのスマホを使っている彼女に気付き、

 諏訪さんを小突いて指をさした。


 驚いた諏訪さんは、でもたぶん努めて落ち着いて、自分のスマホであることを主張した。

 彼女は謝ってストラップが一緒だったので間違った事を説明した。

 同じ趣味を持ち、数少ないノベルティグッズを同様に使い、

 ひたむきに謝る彼女に親近感を持った諏訪さんは、

 勝手にスマホを使われたことをあっさり許した。

 そして彼女は小枝や枯れ葉をつけたまま自分のスマホを探して旅立った。

 

 説明を終えた諏訪さんは言った。


「なのでお役には立てそうも無いですね」


「いえ、着信があった理由が分かっただけでも、ありがたいです」


「ところでお探しの方は、有名な方なんでしょう?

 私は存じ上げませんでしたが。連れ合いも、詳しくは知らないようでしたが、

 見たことがあると申しておりましたよ。

 あなたは初対面と仰ってましだけど、ご存知でしたの?」


「あぁ、はい、漫画家だそうです。

 そう言えば、今度そのイベントのスピンオフ漫画を描くとか、何とか」


「えぇ!そうなんですか?あの方が狩野先生なんですか?」

 

 諏訪さんは初めて己を崩した。


「あぁ、知っていたらサインをお願いしていたのに。なんて、迷惑かしらね」

 

 やはり長く話したおかげで、親密度が上がっている気がする。

 私は上がったであろう親密度に甘えて


「ミュージカルを観に行くほどなのに、

 スピンオフを描く漫画家さんの顔を知らなかったんですか?」

 

 ともすれば諏訪さんのプライドを傷つけるような質問をしてしまった。

 諏訪さんは大して気にする事もなく


「えぇ、私はいわゆる固い職業についていまして、あまり大っぴらには…

 まぁ、つまり隠れファンですね、でも愛は本物です」

 

 本物の愛で私の失礼な質問を許してくれた。更にこうアドバイスをくれた。


「でも漫画家さんなら、出版社に連絡をすれば良いのではなくて?

 それにツイッターなどもやっておられのでは?

 お探しの方が公人?公人の側面もあるのであれば、

 そう言った連絡方法も考えられるんじゃないかしら」

 

 考えられないんです。バカだから。

 しかし…


「なるほど、仰るとおりですね」

 

 私は感心して、諏訪さんを上げることで、己の愚かさを隠そうとした。


「それにお会いになってどうするおつもりなんですか?」


「えっ?」


「失礼、なんで落ち合う約束をしたんですか?そのために連絡先をお渡ししたのでしょう?」


 私は黙ってしまった。


「余計な詮索だとは思いますけど、ここまでお話しをさせてもらったので、

 気になってしまって。教えていただけませんか?」

 

 諏訪さん、とんでもありません。その質問がなければ私はまた、

 大切な事を見誤るところでした。

 大事なのは連絡が取れるようにしておく事でも、落ち合う事でも無い。

 私は言葉を絞り出すように答えた。


「ネコを…ネコをどちらが引き取るか相談しようと思ってまして……

 この仔はどちらと暮らせば幸せなのかを…」

 

 言葉に詰まった、どちらと暮らせば幸せか?

 

 その時、まだあどけないぷっくらとした頬の、娘の顔を思い出していた。

 動画で見た彼女の楽しげな姿に励まされてここまで来たが、

 どうやら私の情緒はまだ安定していないらしい。

 

 その後の諏訪さんとの会話はグダグダになってしまった。

 諏訪さんはいぶかしりつつ、それでも、

「じゃあ、お会いできる事をお祈り申し上げます」

 最後まで丁寧に励ましてくれた。


 諏訪さんとの電話を切り終わったあと、私はしばらく落ち合う予定だった場所をブラついた。

 実は電話中に既に着いていて、諏訪さんと話しながら彼女が来ていないか周囲を観察していたのだ。

 

 切り終わったあと着信履歴を見てみると、

 彼女からの電話は13:46に諏訪さんのスマホを使った2回。

 その後、16:52、17:05、17:07に非通知の3回となっていた。

 動物病院を出たのが、詳しく覚えていないが17:00過ぎくらいだった。

 本当にあと、もうちょっと早く出ていれば、連絡が取れていたのか。

 もどかしい思いとキャリーバッグを抱えてグルグル歩き回る。

 

 もしかしたらあそこに見えてる売店の軒下で雨宿りをしているのかも知れない。

 落ち合う予定の場所からは遠くて、しかも軒下は暗くて良く見えないが、

 あの暗闇の中に彼女はいるかも知れない。行ってみようか?

 

 でも、落ち合う場所を離れたあとに、彼女はこの場所に来るかも知れない。

 待ち合わせに良くあるパターンだ。

 私は結婚するまでに元妻も含めて、

 4人の女性と付き合ったが全ての人と同じパターンを経験した。


 経験上、動かない方が良いのだ。

 

 私は落ち合う場所が見通せる、比較的、大きな木の下を選んで突っ立っていた。

 何気なくスマホを取り出し、立ち上げてみる。

 気がつかない内に彼女から電話が来ているかも知れない。

 無い。最新の履歴は私が諏訪さんに発信した時のまま更新は無い。

 

 私は諏訪さんとの会話を思い出し、スマホのメモ機能を立ち上げた。

 そこには娘へ宛てて書こうと思っている手紙のフォルダがある。

 娘へ伝えたいことを、思いついた時に紙とペンが無くても忘れずにいられるように作ったフォルダだ。

 だが娘の名前を書いたっきり、あとは空白のままだ。

 

 何も思いつかない訳では無い。

 生活の中で時折、不意に言葉は降りてくる。

 ただそれを娘の名前のあとに書き留めると、本当にあげたいものはこんなものでは無かった、

 そう気付かされるだけなのだ。

 そして消してしまう。

 

 この気持ちを著す言葉を私は知らない。たぶん言葉では伝えられない想いなのだ。

 けれどさっき、娘の顔を思い出した瞬間の、あの気持ちを書き留める事ができたなら、

 長い間の空白も埋まるのでは無いだろうか?

 そう思って画面を見つめてみたが、何も思いつかない。

 

 言葉のかわりに涙があふれた。


 辺りはすっかり暗くなってしまった。私は待つ事を諦めた。

 ネコは動物病院で貰った大量のタオルと、

 キャリーバッグと一緒に購入した電池式のアンカの温もりに包まれて寝ている。

 けれども2月だ、寒いだろう。

 たびたび様子を見ているが、クルンと丸まって寝続けている。

 あまりに寝ているので心配になって手を伸ばそうとすると、

「寝ているよ」とでも言う風に、ピクンと小さな耳を震わせた。

 

 帰ろう。

 私の家は君を迎え入れる準備はまるで出来ていないが、

 私が責任を持って君を育てよう。

 君は、彼女と私を引き合わせてくれた特別な仔だ。大切にするよ。

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