第14話 2月22日に灰ネコをひろう
帰りの電車の中では幾つもの思念が頭を
また乗り込んでは降りて行く乗客のようでもあった。
私は疲れた体をシートに預け、頭を過ぎる思念と眠気を一緒に揺蕩わせて、
流れるがままに物を思った。
この仔を家に連れて帰るのは良いが、さて果たしてどうしよう。
動物病院では、頼れる実家があるような事を言ったが、
五郎さんと房子さんに甘える気は無い。
頼るのは兄の尚記か。
脳裏に尚記の顔が走った。
尚記の顔は流石に外を流れる風景のようには行かなかった、
すれ違う電車がお互い窓を震わすように衝撃を与え、一瞬、眠気を遠ざけたが、
すれ違う電車が遠ざかると共に、
また眠気は緩やかに近づいて来て単調な音と共に私を包んだ。
尚記には、この仔の事を私が見ていてやれない時に代わりに見てやって欲しい。
それもあるが金銭面でもサポートをお願いしなければならない。かも知れない。
今日もキャリーバッグなどで予想外の出費になった。
前に同居していたネコの生活道具は別れた妻が持って行った。新しく買わねばならない…
あの仔は、ハチワレのあの仔は…
別れた妻がヒメと名付け、妻によく似たその仔は、
私に
私の髭のチクチクが、ヒメにとっては気持ち良いのだろうか、
朝寝ていると頭突きと言って良いほどの勢いで、ヒメはハチワレた額をぶつけて来た。
ゴッ!と言う擬音がたつほどだ。
ヒメも痛いはずなのだが、ゴロゴロと喉を鳴らしている…
ヒメも私もお互い身勝手に愛情を示し、お
互い気の向くまま素っ気の無い態度を取り、
お互い気が向かないのにしつこくされると威嚇した。
お互いではあったが、私はやはりヒメをもっと愛してやれば良かった。
素っ気の無い態度も、威嚇する時も、根底に流れている気持ちはヒメと私とでは違ったのではないだろうか…ヒメ…妻のネコ……
ウトウトしていた私は手に持っていた切符を落とした。
拾おうとしたが、膝の上に置いたキャリーバッグで、上手く前に屈む事が出来ずにいると、
隣に座っていた年配の男性が拾ってくれた。
私は「ありがとうございます。」と言ったが、ウトウトしていたせいで掠れた声になった。
男性は気にしなくて良いよ、その代わりこれ以上は関わらないでくれ、
世を厭うように無言で会釈した。
私はまたシートに体を預け直し、抗えない瞼の重さを心地良く感じながら、
ふと今日出会った……1人は顔を見た訳ではないが…
彼女を含めた3人のことを思い出した。
電車の中でも、色んな人とすれ違い、
中には目的地が一緒の人もいるはずなのに、言葉を交わす事はない。
こんなに近くにいて、こんなに長時間一緒にいるのに…
あの3人は無関係だったのに、
あそこまで親身にならずとも彼等の日常に不足は生まれ無かっただろうに…
電車の中では協力せずとも、無関心のままでも、
流れに身を任せていれば目的地には着く、
目的は過不足なく達せられる…
誰と協力しなくても生きて行く事はできるのだ…
こうやって、ゆらゆら揺れる思考が一定のリズムで過ぎ去って行くのを見送り、
再び意識が遠のきかけた時、電車が大きく揺れて停まった。
どうやら帰って来たらしい、私の愛する未開の地へ。
果たしてその夜、部屋に戻ったあと彼女から電話があった。
その時 私はネコのための仮住まいを……
こういう時は100%遊んでくれると勘違いして、
はしゃぎ回るネコをどうにかこうにか、あしらいながらダンボールで作っていた。
完成した住まいに不備は無いか、
ダンボールの横に作った出入り口から前足を出したり、
引っ込めたりして遊んでいるネコの相手をしつつ、
もしくは相手をしてもらいつつ、
その出来栄えを眺め回していた。
灰色の鞠ような、埃のような仔ネコを見ながら、名
前かぁ、動物病院を出たあたりから、頭の片隅、それも上の方に棚上げしていた問題が、
いつまで棚上げして置くのもいい加減にしろ、とでも言うように落ちてきた。
同時に着信音が鳴った。
見るとそれは非通知であった。
時間は夜の0:00近くである。
普通は出ないが、迷う事なく通話マークをタップした。
「もしもし?」
私が問いかけるより早く、電話をかけてきた相手が問いかけてきた。
掛けて来たのはそちらからなのに、こんな深夜に掛けた電話を受け取るなんて、
この人は非常識な人に違いない。
そんな警戒した「もしもし?」だった。
「はい、沢田です」
そう言えば、私は彼女に名前を伝えただろうか?
あの、茂みから出て来る衝撃的な登場シーンの部分から思い出してみたが、
伝えた記憶がない。
「あの、スイマセン夜分に。私、狩野と言います。
間違っていたら申し訳無いのですが、
今日の昼間にネコを預かってくれた方でしょうか?」
「あぁ、はい、そうです。今晩は」
私は間抜けな返答をしつつ、
彼女が「預かってくれた方」と言ったのを聞いて、
既にネコと一緒に住む気でいた自分は、先走ったかな?
軽く動揺した。
「あぁ!良かった」
彼女は明るい声を出し、夜遅くに電話した事と、非通知であることを詫びた。
「もしかしたら非通知だから出てもらえないじゃないかって、心配していたんです」
「あぁ、それは大丈夫です」
私は諏訪さんとの事を話して、だから、あらかた推測はついていた。
そう彼女に伝え、心ならずも諏訪さんの手柄を横取った。
彼女は爆笑していた。
焦っていたので、その時は自分のスマホだと思っていたが、
他人のスマホなのに通知のままコールしてしまった事を笑いながら恥じた。
笑い終えると、間違える原因となった、ヘビのストラップは「キャット」と言う名のキャラクターである事を教えてくれた。
ヘビなのにキャット、そんな話題でひとしきり小さく盛り上がり、
続けて焦っていた理由を話した。
「だって、あの、あな…た、えーと、サワ…ダ、さん。」
話しが弾んだとは言え、まだ距離感が手探りなのだ。
突然剥がれたメッキと、剥き出しになった初対面感。
普通、怯みそうなところだが、私なら間違いなく怯むが、
彼女は軽々と超えて、更に一歩踏み込んだ。
「雨が降っていても、バカみたいにずーっと待ちそうだからだったから」
バカ⁈ は余計だ。あまりにも清々しくて、電話のこちらで声もなく笑った。
「あ、えーと、一途にって意味です」
私は自分の印象を人から伝えられるのに、新鮮な驚きを覚えた。
その驚きは普段、私が周囲からどのように見られているか、気にしていない事を教えてくれた。
そして連鎖的に諏訪さんが彼女の印象を語った時の言葉を思い出した。
『周りと違っているのは当然だから気にならない、異質である事を知っている』
異質…。異質と言う言葉に意識を奪われながら、私は反射で、
「気にしていませんよ。バカなので、本当に待っていたかも知れません」
軽い意趣返しを混ぜつつ答えた。
今の彼女からは異質さは微塵も感じない。
屈託なく笑い、初対面なのに私が待ち続けるかも知れないと言う鑑識眼を見せた。
それは異質さと言うより、寧ろ諏訪さんに近い、
社会性の高さに必要な要素である鋭敏さを感じる。
意趣返しになってしまったが、私はネコがいなければ彼女の言う通り、
雨の中でバカみたいに本当に待っていたかも知れない。
「ただ、この仔がいたのであまり待たずに帰りました」
1時間くらいは待っただろうか?「あまり」の感覚は人それぞれなのだ。
「とても、元気ですよ」
先程から、ことある度にミャーミャーと鳴いている。
元気だと伝えなくても、彼女には届いているだろう。
「ねぇ、とても元気ですね。お腹空いているのかな?
あのぅ、これ、スピーカーですか?」
スピーカー。ハンズフリーの事を言っているのだろう。
私も彼女と同じ懸念を少し前に抱いた。
この仔はお腹を空かせているのかも知れない。
だからご飯をあげる為にハンズフリーに切り替えていたのだ。
片手でもご飯の用意は出来なくは無いが、
その場合、利き腕である右腕を使いたい。
その為にはスマホを左手で持ち、左耳に当てがうのが自然な形なのだが、
私の左耳は聞こえていないので、ハンズフリーにするのが手っ取り早かった。
昔の受話器の大きさなら、肩口に挟み込んで両手をフリーに出来たが、
スマホは薄くて固定しきれない。
昔は良かった……
しょうもない事で古き良き時代を、ハンズフリーの恩恵を受けながら懐かしんだ。
「そうです。ご飯をあげようと思って。音、聞き取りにくいですか?」
「大丈夫です。……病院では何か言われましたか?」
私は足が分厚いので貫禄のあるネコになるだろうと言うこと。
腎臓が弱いかも知れないと言われた事を伝えた。
すると彼女は、「やっぱり」と呟いた。
「その仔、灰色ですけど、色素が薄いと思いませんか?」
色素が薄い?気にしていなかったが、言われて改めて仔ネコを見回し、
瞳を覗きこんだ、黒だと思った虹彩は濃い紫色だ、アメジストのようだ。
「
自分にはよく分からないです」
そう言いながら、仔ネコの瞳に魅入った。
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