第15話 2月22日に灰ネコをひろう

「それで、どうします?」

 

 問いかけたのは彼女だ。

 私は仔ネコの観察に夢中になって、少し黙ってしまった。

 もう少し本題から逃げて、彼女と喋っていたかったがしょうがない。

 夜も深い、彼女も忙しいだろう。


「自分は引き取るつもりで一緒に帰ってきました」


 私は今のところ、この仔に幸せな環境を提供できる状態ではない。

 そう言った意味では引き取る資格は無いのかも知れない。

 けれども私には、私が引き取って幸せにする義務があるように思えたのだ。


「そう…ですよね」


 彼女は残念そうに言った。

 彼女が引き取ると言えば、私は容易く手の平を返して、この仔を彼女の元へ届けただろう。

 その方がこの仔も幸せなはずだ。

 

 どちらが引き取ると良いのか?

 その事を考えると否応なしに、離婚した時の事を思い出す。

 そう言った思い出は、油断していると突然現れ、憂鬱の海の底へ私を引き摺り込む。

 

 まだ小さな子供にとって、母親の愛が必要なのか?父親の愛が必要なのか?

 

 身を引くのは子供のためである振りをして、

 実は母親の愛を超える愛を与える自信が無いせいではないのか?

 

 実家の援助が期待できない私より、和気藹々と家族で暮らす妻の手で育った方が

 情操教育上良いのではないか?

 父親ひとりで育てようと、愛があればそんな事は関係ないのではないか?

 

 子供を引っ張り合って、先に手を離したのは私の方だ。

 しかしそれは、愛が有ったからではなくて、覚悟が無かったからだ。

 

 長い間、覚悟が無かった自分を認める事が出来なかった。

 私は今、思う存分 娘を抱きしめたい。


 産着に包まれて、産着の袖の裾から見える生まれたばかりの小さな手

 私の小指を近づけるとキュッと握ってきた

 愛おしくとも握り返すには、あまりに小さな手。

 

 押し寄せる当時の想いの波に攫われ、海の底に沈んで行く私を、

 彼女の声がしっかりと繋ぎとめた。


「幸せにしてあげて下さい」


 彼女の声が聞こえる。

 まだ想いの波に攫われ、

 後悔や自責、憎悪、

 そう言った海の底に沈んで行く途中だった私は、

 彼女がなんと言ったかも判然とせぬ間に

 溺れて沈んで行く人が、最後に手を伸ばすかのように声を出した。


「わかり……ました」


 そして彼女は言った。


「一緒に幸せになって下さい。」

 彼女は私の意識をしっかりと手に取って、現実に私を引きずり上げた。

 目の前に仔ネコがいる。

 ご飯に満足したようだ、前足を舐めている。


「一緒にですか?」

 

 現実に戻ってきた、自惚れ者の私は、

 その意味を愚かにも履き違えて受け取り、ひとりで勝手にドキドキした。


「はい、その仔と」

 

 ですよね。


「わたし最近思うんですが、ひとりで幸せになるのは簡単だと思うんです。

 だって誰にも邪魔されないもの」

 

 確かに最近は自立している人が多い、個人で生活が成り立ってしまう。

 昔は役割分担があり、協力し合って生きていかねば幸せ云々よりも前に、

 生活が成り立たなかった。のだと思う。

【ひとりでは幸せになれないよ】は、ただし書きが必要だ。

【ひとりでは''生活するのが大変だから''幸せになれないよ】

 もしくは、

【ひとりでは幸せになるのには遠回りだよ】

 だったと思う。

 

 だが昨今では、便利な電化製品があり、料理が苦手な人でも自炊をしようと思えば出来る。

 大きな視点で言えば、制度やインフラのおかげで、

 社会を構成する最小単位が家族から個人になっている。

 他人と生活すると言う事は人生に彩りをつける付加価値的な要素が強い。

 離婚を経て私はそう思うようになった。


「誰かと一緒に生活するのって大変ですけど、

 自分のためだけに生きてるのとは張りが違いますよね」

 

 彼女はまだ若い、その"大変さ"が見合わなくなってしまう時があるのだ。

 

 こんなに大変なのに、この人はなんでソファで寝ているのかしら?

 こんなに大変なのに、なんでこの人の脱ぎ散らかした靴下を集めなきゃいけないのかしら?

 大変なのはこの人のせいじゃないのかしら?

 本当はそんなこと、思いたくないのに、私はそんなに性格悪くないはずなのに。

 こんなに苦しい思いをするのは、この人のせいじゃないのかしら?

 

 好きと言う気持ちだけでは、補い切れない時がやってくる。

 彼女は、まだそんな事を知らないだろう。

 そう勝手に決めつけていると。


「わたしはネコを飼ってるんですが、やっぱりお世話は大変です」


 彼女は言った。ネコと住んでいる事は公言しているので知っているのだが、

 初めて知った振りをした方が良いだろうか?

 迷ってるうちに、私のリアクションを待たず彼女は続けた。


「今日も突然、撮影があって寂しい思いをさせちゃいました」

 

 ネコの声が今度は向こうから、聞こえた。


「ご飯とかは、今は自動のやつがあるから大丈夫なんですけど、

 家を空ける期間が長いと、トイレとか、寂しいんじゃないかとか、

 何しろ自分が会いたい!とか思って、行動は制限されちゃいます。

 仕事終わりにスタッフと飲みに行くのも、ネコを優先させちゃう時があります……

 マネージャーには怒られますけど。人脈を大事にしろって」

 

 撮影?スタッフ?マネージャー?

 漫画家ではないのか?彼女が別世界の人間であった事を思い出した。


「たまに思っちゃうんです。この仔がいなければ、

 もうひと眠りできるんだけどなぁ、とかって。ごめんね」

 

 最後のごめんねはネコに向けたものだ。

 私の方の仔ネコは、胡座をかいて座っている私の大事な部分の上で寝てしまった。


「でも、居なかったらどうなんだろうって?

 居なかったら、わたしはちゃんと有意義な時間の使い方をしていたのかな?って」

 

 もしかしたら、していないかも知れないね。

 最近までの私のように無為にボーッと時間が流れるのを、

 ただ黙って見ていただけかも知れない。

 

 でも、それはマイナスじゃないんだよ。

 無為な時間が必要な時もある。

 マイナスなのは誰かを憎んだり、恨んだり、妬んだり。

 それらは自分自身も傷つける。

 彼女に救われるまでの私がそうだった。

 

 彼女は彼女自身がネコを憎むなんて姿は想像できないのだろう。

 どんなに彼女が大切にしている物をチョイチョイして、落として壊してしまっても、

 徹夜で描いた原稿の上に、インクを倒されても許せてしまうだろう


 相手がネコなので。


 可愛いは正義なのだ。

 

 相手が人の場合はそうはいかない。

 毎日顔を付き合わせていると、ストレスは日々、塵のように降り積もり。

 降り積もった塵の下で愛が憎しみに変質して行くのに気付かない。

 人は小さなマイナスに、支出に気付かない。

 気付いた時にはもう手遅れなのだ。

 愛は簡単にくすんでしまうから、掃除は少しずつでも毎日しないといけない。

 愛は勝手に無限に湧き上がらないし、備蓄の利く物でもない。

 だから貯金は計画的にしなければならない。


 私が無意味に愛の比喩を考えていると。


 彼女は唐突に言った。

「猫を拾うと、さちに拾われる」

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