第16話 2月22日に灰ネコをひろう
「えっ?」
「猫を拾うと、幸に拾われる。そうですよ」
「…そうなんですか?どんな意味なんです?」
なんとなく、ネコを拾うと幸せがやって来る。
小さな命に手を差し伸べると良い事があるよ。
そう言う意味っぽいのは分かるのだが、
この手の格言は額面通りの読み解き方じゃない事もある。
「分からないけど、猫を拾うと幸せになるって意味じゃないかな?」
分からないのか。
「誰に聞いたか、なんで知ってるのかも覚えがないけど、
なんかさぁ、縁起が良さそうじゃ無いですかぁ」
電話の向こうから、グラスの音がする、彼女もハンズフリーにしたようだ。
スマホを置いたまま部屋の中を移動しているのか、
声が遠くなったり、近くなったりしている。
「すいません、飲み物を…取ってきてました」
「あ、どうぞ、どうぞ」
「わたしは漫画家なんですけど…言いましたっけ?」
「はい、教えて貰いましたし、知っていました」
彼女は軽く笑い、既知であった事にお礼を言って、すぐまた話し始めた。
「わたしはこの仔と会うまでさ、漫画を描いていても上手く行かなかったの」
彼女は本来、ストーリー物を描くのが好きだそうだが、
自分自身が納得のゆく出来栄えの物でも、世間は認めてくれなかった。
投稿して発表される漫画を批評するのは一般人だ。
編集者なら言葉を選んでくれるかも知れないが、顔の無い読者は言葉を選ばない。
綺譚のない意見と言えば聞こえは良いが、
中には罵詈雑言、己のストレスの吐口にしているとしか思えないコメントを残す読者もいる。
雑誌に連載を持てるようになった今でも、そう言う人たちは居ると彼女は言った。
誹謗中傷に苦しみ、雑誌で開始した連載も、あっと言う間に打ち切りになってしまった。
そうなると生活もあっという間に困窮した。
貧乏には慣れていたそうだが、いよいよ夢を売り渡さなければいけない時が来たと、
覚悟を決めた。
「そんな時に眠い、と会ってさ」
眠い?ねむい?ネムイ……ネコの名前か!
質問したいのを我慢して、彼女の話を聞く。
「それでさぁ、猫と一緒に暮らす様子を描いたエッセイ漫画を描いてみたの」
飲み物はどうやら、アルコールらしい。
「息抜きのつもりで、人に見せるつもりはなかったんだけどさぁ、
担当がわたしの原稿を待っている間だに見つけて、『面白いじゃない。』って、
『今回の原稿できあがってるじゃない。そんなのよりも、こっちを仕上げてよ。』って、
失礼だと思わない?でも、まぁその目利きは確かだったんだけどさぁ」
酔いが回りはじめたのだろうか?語尾に「さぁ」が多い。
この後しばらく彼女と会話をするが、彼女は「さぁ」の強弱で色々な感情を表現した。
「自分の中でストーリー物に対する拘りがあったんだけどさぁ、
ネムイを育てていくためには、そんな事は言ってられなかった。
バイトしながら漫画描いて、大変だったけど苦しくは無かった。
ネムイの事を描くのは楽しいから、変な拘りも無く描けたし………
『猫を拾うと、幸に拾われる。』って、こう言う感じの事なんだと思います」
漠然としている。漠然としているが、
「そうですね」
あまり細かい事は気にせずに答えた。
だって私は今日からネコと暮らすのだから。
それにしても、私と彼女はどれくらい話しているのだろう、
なんとなく、どちらが引き取るか決まれば、
それでバイバイだろうと思っていたので何も考えずに通話を受けてしまった。
なのにまだ会話は続いている。
最初は私の事を、「あなた」と呼ぶか、
「沢田さん」と呼ぶか迷うような距離感だったのに、
こんなに長く話せるなんて。
ありがとう諏訪さん、諏訪さんとの出来事があったおかげで、
こんなにもたくさんお喋りできているよ。
諏訪さんとの事が無かったら緊張してこんな風に彼女と話せてはいなかっただろう。
キズ眼鏡の先生もありがとう。
先生が居なければ私は為すべき事を見失っていただろう。
仔ネコの行く末をより良いものにする。
その目的が明確でなければ、
下心でいっぱいの私は、こんなに堂々と彼女と話せていなかっただろう。
一度ネムイの事に逸れた話は再び、『猫を拾うと、幸せが訪れる。』的な、
幸に拾われる話に戻ってきた。
彼女は時折、妙に艶めかしい
「……で、なんだか肩の力が抜けて、上手く行くようになって、
そしたら今度ストーリー物を描く依頼が来たの。
しかも、わたしが大好きなシリーズのスピンオフ作品を描いて良いって。さぁ!」
次に向けて彼女が息を吸う、私の頭の中に警報が鳴った。
多分だいぶ前から鳴っていたのだとは思う、でも私は彼女と喋っていたい気持ちもあり、
聞こえない振りをしていた。
私は見ることが出来事ないが、きっと彼女はあの瞳になりかけているはずだ。
ハイライトが消えた虚空を見つめる瞳。
彼女が息を吸うのと同時に私のスマホのマイク部分に向かって、
私の部屋の空気も吸い込まれて行くようだった。
私は慌てて割り込んだ。
「でも、完全なオリジナルじゃないですよね?
ホラ、設定とかは決まってるんじゃないですか?」
「そうなんですよ。でも、そっちの方がわたしはやり易いです」
そう言うものなのだろうか?そう言うものなのだろう、
本人が言っているのだから。
しかし納得はいっているのだろうか?
100%オリジナルじゃない自分の作品に。
「わたしはさぁ、ずっとボッチだったんですよ」
彼女はご存知でしょ?と言う風に話し始めた。
ハイライトは戻ったようだ。
「だから、わたしはわたし以外のキャラを作るのが下手なんです。
わたしの描く漫画のキャラは顔だけ違って、中身がみんな同じなんです。
だって友達が居なかったんだもん。
自分以外の人が、楽しい時にどう言うリアクションをするのか分からないじゃんか」
想像以上に重症のボッチだ。
描くキャラ全部に自分を投影してしまい、
他の個性を投影したキャラが描けなくて悩んでいたのか。
「みんな同じ時に笑って、同じ出来事で泣いて。
元気で快活なキャラを描いてみても、
所詮は陰キャが夢想した陽キャでしかないなくてさぁ。
なんか乖離しちゃうんですよ、そのキャラと言動が…さぁ」
てっきり画力が足りない事で悩んでいるのかと思っていたが、
実は違うらしい。
絵を叩いてくるのは素人だと思って相手にしていない。と言っている。
彼女云く、絵は読者がイメージする物を補足しているに過ぎない。
面白い漫画はネームの段階で面白いらしい。
読んだだけで、勝手に絵や構図が浮かんで来る物らしい。
「ネームってなんですか?」
この当時は専門用語を使われても分からなかった。
「あぁ、ごめんなさい。吹き出しのセリフ部分と、
人っぽい物や適当にその他のオブジェクトを描いた段階の原稿のこと。
あと、擬音を入れる人もいるかな」
「人っぽいもの?」
「そう、人によるだろうけど、シルエットとも言えないような代物よ。
んーっ、小さい楕円を頭部、
その下の大きな楕円を体に見たてたくらいで済ます時もあるんだけどぉ、
イメージ伝わるかな?」
私はマトリョーシカを思い浮かべた。
「キャラの設定がしっかり固まってると、ネームも捗るの、わたしは。
勝手に喋ってくれるからね、キャラが」
私は漫画を描いた経験が無いのでよく分からないが、
キャラが勝手に喋り出したら困るのではないだろうか?
「勝手に喋ったら、ストーリーがめちゃくちゃになりませんか?
伏線の回収とか。
それは勝手に行動しちゃうって事でもあるんですか?」
「そう!だから面白いの!描いてても先の分かってる話なんて面白くないでしょ?」
確かにそうかも知れないが、素人からすると、
ある程度、先の展開まで決めてから描くものだと思っていたので、
創作は意外と刹那的な物だと言うことに驚いた。
「沢田さんは妄想とかしませんか?漫画とかアニメとか、映画でも良いです。
自分ならこうするって、ifストーリーを考えたことありませんか?」
別の世界線の話し、バットエンディングをハッピーエンドにする。
確かに想像した事はある。
「楽しくないですか?版権さえ気にしなければ、
楽しんで何が悪いのか?楽しく描いていると、描くのも楽しいんです」
人はなぜお酒を飲み、酔うのだろう?
私には飲酒の習慣がないから分からない。
『楽しく描いていると、描くのも楽しいんです』
彼女は当たり前のことを楽しそうに言っている。
聞いている私も愉快になって来る。
その時、私の頭の中に、プロである彼女に対して身分不相応な、
非礼とも言える ある一つの考えが浮かんだ。
私は非礼さも顧みずに思わず口にしてしまっていた。
「もしも私の書いた物語が面白かったら、そこから妄想して漫画を描いてくれますか?」
「えっ?はい!面白そう!いいですよ」
なぜお酒を飲むのかは分からないが、お酒は決断を早くする作用があるのは分かった。
いろいろと余計な思考を洗い流して、清めてしまうのだろう。
それから私達はしばらく喋り、
私が明日の、いや、今日の仕事は睡眠不足でやらねばな。
そう覚悟した頃に電話を切った。
こうして私はネコを託され、私と彼女の物語は紡ぎ出され始めた。
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