第28話 3月29日に初めての投稿をする
「漫画ができるまでってどういう意味?
経緯ってこと?まちがえた、経緯っていうか、システムってこと?」
この時、彼女はまだこちらの世界の彼女だった。それでも、早口にたくさんの情報を手早くまとめて、教えてくれた。
「良く分かんないけど、取り敢えず、箇条書き的に行くよ?
・描く、
・応募したり持ち込んだりして目に留めてもらう、
・編集者さんが、描いてみましょうって言ってくれたら、いろいろ相談してくれるから取り掛かる」
だいたい想像していた事なので、彼女の語るペー
スは早くても、私の理解は追いついた。
だが、彼女はそこまで真っ直ぐに語って来ていた話しの方向を急に変えた。
急に変えたと言っても、いきなり直角に曲がった訳では無い。車線を変更する様に変えただけなので、私はこれにもなんとか食い付いて行く事が出来た。
「あっ、わたしの描いた物が初めて単行本化されたのは、情報誌で賞をもらったからだよ。
今みたいに漫画を連載している雑誌じゃなくて、漫画家を目指す人達向けに情報を発信していた雑誌で賞をもらったんだ。
内容は両親とわたしの事を描いた。
タイトルは『魔女とティシーの教え』って言うの。ペンネームもちゃんと考えた。え〜と、忘れちゃった。でも当時はちゃんと考えたの!」
私は今以て、彼女が連載中の漫画に興味は無かったが、なぜだか『魔女とティシーの教え』は読みたいと思った。
「中学生の時だった。調子に乗った私は高校にも行かないつもりだったけど、『高校くらいは出ておこうか』って、両親に言われて高校には行ったんだ。
わたしはその頃、描くのが楽しくて、応募したのも賞の対象になっているなんて知らなかったから、賞を取って単行本化されるって言われても、ふーんって感じだった。
そもそも両親や知り合いに描いた物を褒められるのは嬉しかったけど、知らない人に褒められても、あまり嬉しいと思わなかったんだよね。
あの頃は世間知らずだったと思う。だって、打ち合わせがあるから、指定の場所に来て下さいって言われた時、なんで向こうから家に来ないんだろう?って思ったから。
これから話す事は、わたしが世間知らずくらいの歳の話しだと思って聞いてね」
少し情報量が多くなって来たが、この時はまだ夕食の盛り付けをしながらでも、話しを聞いていられる余裕があった。
「今は打ち合わせもネットで出来るから、ネット環境は整えておいた方が良いよ。初期投資って言うの?それはかかるけど、後々の事を考えると絶対に楽。
特にトウさんは海のない所にいるんでしょ?都内まで毎回出て来なきゃいけないのは、それだけで試練だわ。
どうしようも無い時は東京に行く必要があるかも知れないけどね。
交通費は自腹。なんでも自腹だった。
ウチの両親はたぶん厳しい方だと思うけど、わたしはお小遣いをやり繰りしながら通った記憶がある。
打ち合わせが終わったら、打ち合わせた内容で書き始める。
わたしは子供だったから、今思えばすごい駄々をこねたわ。
自分が書いた物にアレやコレや手直しが入るのが、作品を汚されているようで嫌だったんだと思う。
でも指摘が入った点をなおすと、確かに良くなっていく事もあって、
ムゥって思いながら直してた。
この頃は結構、コピーを取った記憶がある。コピー代も自腹。それもお小遣い。
最終的に原稿が出来たら、置いてくれる本屋さんに挨拶行くとか、何かポップを書くとか頼まれるかもしれない。
ハイ、おわり」
彼女は何でそんな事を聞くの?と言う風に話を締めた。
私は手間のかかる事はたくさんあるが、それ等は自己責任でやらねばならず、また、かかる費用も自己負担である事を理解した。
彼女があちら側に行ってしまったのは、きっと、私の次の質問がトリガーになったのだ。
「どうなるか分からないけど、描写の参考にしたいんです。自分は…大抵の人は自分の創作した物が書籍化された事なんて無いと思います。だから参考にしたくって。知りたいのは、なるべく大した事がないエピソードです。編集さんの髪型が変だった。とか、打ち合わせで通う途中、印象に残った物とか、お店とか。覚えてる事はありますか?」
「あー!なるほどね。ん〜、思い出すからちょっと待ってね。 じゃー、順番にいくね」
長音の三段活用のようなことをして、彼女は話し始めた。
「受賞の電話を取ったのは母だった。『おめでとうございます』って言われたみたいだけど、いたずら電話だと思って一回切っちゃった。
編集の人がもう一度かけ直してくれなかったら、わたしの人生は変わっていたかも知れない。母ぁ…キライ。
受賞した人は1ページとか載せてくれるんだったか、その時点で出版が決まってたんだか忘れたけど、○月○日に出版社まで来てもらえますかって言われたの。
何をすれば、何を描けばいいのか分からなかったけど、とりあえず描いた物を持って行ってみた。
生まれて初めての渋谷だったから、辿り着けるかどうかが心配だった。
渋谷はムズかし過ぎ。
駅から近かったから、何とかなったけど、出口とか、なんで分かったのか、記憶にない。
ウチの親は放任主義で、『わたし自身の事なんだから、自分で最後までやり遂げなさい』って言って、付いて来てはくれなかった」
彼女は中学生くらいか、それでも両親は心配しただろう。
「思ったよか小さいビル。今だったら怖くて入らないような、中も本当に許可を得て営業しているのか分からないような雑多な事務所がいっぱいあった。前もって内線で呼んでくれって言われてたけど、内線のかけ方が分からなくて、違う所にかけちゃった。
繋いでくれた担当の編集者さんがちょっと慌ててたから、突拍子もない所にかけたか、内線のかけ方も分からないの子供なのかと思ったか。でも かけたのは本当に子供だったんだけどね」
おっちょこちょいな所も有るのだな。今はしっかりしてるように見えるけど、中学生の時の話なら、内線の掛け方に戸惑うのは当たり前か。
「最初に電話をくれた時に女性だとは分かってたけど、色のついた眼鏡かけてたり、超ロングの派手な髪の色の人とかだったらどうしようかな。って思いながら待つ。
苦手な感じとか、こわい感じの人だったらイヤだったから。
実際は、少しぽっちゃりめで、前髪を全部あげてひとつに結えた、サッパリした感じの明るい人が来て安心した。
何月くらいか覚えてないけど、寒かったのは覚えてる。
でも、その人は半袖だったから凄く驚いた。
ピタッとした素材の服で、袖口の部分は隙間なく二の腕を覆っていたの。
分かってくれるか分からないけど、その柔らかそうな二の腕と、袖の間に指を入れたら気持ちいいんじゃないかなって、そんな誘惑と戦いながら話しを聞いていたのは覚えてる」
徐々に回転数が上がってきたが、今までがアイドリングだったのなら、アクセルを踏んだらいったいどうなるのだろう?
「その編集さんが『こんにちはー!はじめまして!』って出てきた。
この辺から記憶が曖昧なの。
曖昧っていうか、編集さんの二の腕しか覚えてないって言うか…
初回で結構、話が進んだ気がするようなしないような…
二の腕の編集者さんの他にもう1人、フリーの編集者さん?が担当でついてくれたんだけど、
『フリーの編集者さんを付けますね』
って話を何回目の打ち合わせで聞いたか忘れた。
1回目にしたのか何回目にしたのか、とかの記憶が曖昧。
でも、本を出す話しはしたような気がする」
彼女は今日、ハイライトを失った時の平坦な話し方では無いのだが、それでも喋る。
恐怖と言うよりかは畏怖を感じる。
ものを想う。
辛くても止まる事は無い。好きな事とは言え、他愛の無い事でこれだけ語るのだ。
心を揺り動かすような強烈な体験や、涙が枯れるほどの悲しみを経験したら、彼女のあまり大きく無い体から、想いや言葉は溢れてしまうだろう。
溢れ出る程、物を思わなければ、作品は作れないのかも知れない。
彼女の話しは続く。
「受付は、受付とも呼べないような、エレベーターを降りた奥行き1.5m、横幅3mくらいのスペースにあった。
たぶん床は元は白い正方形の升目のタイルが敷いてあったけど、所々 欠けていて わたしが行った時は時間を奪われたみたいな灰色に変色してた。
もうホント、"ロビー"って感じじゃない。"エレベーター前のスペース"って感じ。
エレベーターの扉が開いたら、目の前に電話が乗った小さい台があるだけの無人の受付だった。
電話台の上にはくすんだ光を放つ蛍光灯があって、昼前だったと思うけど、アレ?いま何時だっけ?ってなった。
その雰囲気がすごい不思議な感じがして色々と妄想したの…
この受話器を上げたら、受話器の向こうに居るのはサングラスを掛けたダンディなおじさんで、いきなり『約束の物は持って来たか?』って訊いてくる…わたしは描いた物を持って来てたから、勘違いして『ハイ』って答えるでしょ。そうすると今まで壁だと思っていたところが開いて、新たに隠れてたエレベーターが現れたらどうしようって…
妄想だけど結構 本気で思って心配したし、他の妄想もして、沢山いらない心配をしたせいで暫く電話とにらめっこしてた。」
古びたビルの鄙びた狭いスペースで、まだ中学生の彼女が電話とにらめっこしている姿を想像した。
そこは時が止まって現実とは隔離されてしまった空間で、受話器をあげれば何か本当に不思議な事が始まるような気がする。
「まぁ、現実では 内線はすぐ隣の部屋に繋がって、そこが編集の人達や関係者が仕事をしてる部屋だったんだけどね。
すぐ隣なのに内線をワザワザしなきゃいけない意味が分からなくて、2回目に行った時は勝手に扉を開けて、失礼のないように元気良く挨拶したら、大人達が凄く困惑した顔でわたしを見た。
アレっ?フロアを間違えたかな?って思ってたら二の腕の編集さんがやって来て、『ここにはまだ見せられない秘密の情報もあるから、勝手に開けないでね?』って、優しく諭してくれた。
わたしは恥ずかしさよりも、その『秘密の情報』って言葉の響きにワクワクした。
やっぱりココはそう言う場所なのかも知れないって思ってね…
この、大人達が仕事してる部屋は、エレベーターを降りて右手にあるの。
やっぱり半袖の人が多かった。
考えてみたらわたしも描く時、袖が汚れるのが気になるから、まぁ、編集の人達もそうなのかな、って昔のわたしは納得したんじゃないかな。
エレベーター降りて左手にはちょっとした談話スペースみたいなのと、その奥に会議室みたいなの。会議室に向かって右手に、更に何かあったけど、そっちには行ったことない。非常口があって、いつか行ってみようと思ってたけど、結局 行かなかったな」
ここまで順調に進んで来ていた彼女だったが、遂に彼女の癖が顔を出した。
「ねぇ、非常口って なんだかとっても魅惑的だと思わない?」
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