第23話 3月29日に初めての投稿をする

 足掻いても、足掻いても、繰り返される、そこから抜け出せない恐怖。

 私は足掻いた訳では無いが、公園から部屋までの道のりを思い出して、近くにあったトイレの扉のドアノブを、必要以上に強く握り締めてしまった。トイレに行きたかった訳では無い。何かに掴まっていないと、彼女が「みんな転生したがっているんだねぇ」そう言った時の公園まで、時と場所が巻き戻されるような気がしたからだ。

 彼女も、もっと、こう。「話しは元に戻るけどさ、」とか、「何度も言うけど、」みたいな枕詞か、もしくは、そんな声音で話してくれれば良い物の、至って普通の声で話し始めるから、異様な感じを受けてしまうのだ。

 本当にタイムリープするとは思わないが、もしかして失念している?短期記憶障害を疑ってしまった。

「今、チョット さっき言った異世界物の話しを読んでたんだけど、ここまで有名にならなくても、投稿した人達は本当に転生できたと思うんだよね。あのぉ、沢田さんに さっき言ったような意味じゃなくて、現実がさ、リアルの生活も変わったと思うんだよね」

 また、幕が上がる。

 彼女はいつも何かを考え、何かを想っているのだろう。

 想い、湧き上がる言葉を独り占めしていても、誰も幸せに出来ない。少しでも、誰かの心の中で生きて、出来ればその人が一歩を踏み出す勇気となるように…

 だから、彼女は喋るのだろう。私はそれに耳を傾ける。


「沢田さんも、なんか変わったと感じない?」

 変わったと言えば、投稿してからではなくて、アメを拾ってからだ。それも、生活が変わったと言うよりも、私の心の持ちようが変わった。そう言った方が正解に近い。生活も激変したが…

「あぁ、アメちゃんを拾ってからか。なるほど。投稿してから、読まれるかどうか、とか、批評とか気にしなかった?」

 それは無かった。私は 只々、彼女から連絡があるかどうか。それだけを気にしていてたので、他の事は気にならなかった。

「ふぅん、そう。わたしはさぁ、わたしはリアルでボッチなんだけど、沢田さんの投稿した物を読む限り、沢田さんもボッチでしょ?だって、登場人物が少なすぎるもの。しかも、登場して来る人は、わたしを含めて3人いるけど、3人とも沢田さんの知り合いじゃ、無い」

 私も、それは気にしていた。友人が少ない事では無くて、登場人物が少ない事を気にしていた。けれども、ある程度、事実を反映させると、どうしてもそうなってしまうのだ。

 私は長物ながものを書くのは、これが初めてだ。若い頃に書いていたのは、詩や童話、ショートストーリーだ。慣れない長編で、現実には居もしない友人を無理にでっち上げて描写すれば、何処かに綻びが生まれてしまうだろう。

 書くにあたって、私は登場人物をいっそ出来る限り少なくしようと心がけた。

 これからも増やすつもりは無い。書くに値する出会いが無ければ。

「沢田さんと親しい人って、まともに出て来て無いけど、この尚記ってお兄さんと、こっちの2人は親しいのかも微妙だけど、五郎さんと房子さん、だけでしょ?私はバカだから、登場人物は少ない方が、に没頭出来て良いけどね。

 あっ、でも、キャラが多いのもワクワクしますよね。新撰組とかって、一番隊から、活動の時期によって変わって来るけど、十番隊まであって、どの人も個性的で、新撰組を知らなかった頃は、新しい人物が登場するたびに、この人はどんな人なんだろう。沖田さんみたいに天然だけど強いのか。はじめさんみたいにストイックで、隊の為に汚れ仕事を背負う人なのか。土方さんみたいに切れ物で、優しいけれども非情な人なのか。近藤さんは……近藤さん。拳が口に入る人です。

 こんな風に、色々と考えて、ときめいていたのを覚えてます。また記憶を無くして、最初から読み直したいですね……」

 話の入り口と、出口が違うのだ。彼女はこう言う話し方を良くする。

違う出口から出て、周りを見回してから慌てて

「で、この五郎さんと房子さんは、沢田さんの…」

 育ての両親である。言う必要の無い事だが、彼女が私の書いた物を読み続けてくれれば、私のウッカリから、いつか分かってしまう事かも知れない。

 機会を得た今、直接 伝えてしまった方が良いだろう。

「ん?そうなんですね。色々あったんですね」

 若いうちから社会に出ていたからだろうか、もっと、謝ったり、動揺するかと思ったが、彼女はイメージと違って、卒の無い対応した。

 そのあと、これもイメージには無かったが、それとなく話題を変えると言う、気遣いをしてくれた。

「お兄さんは尚記さんって言うんですね…沢田さんは何て言うんですか?トウって言うのは本名じゃないでしょう?」

「トウは…そうですね。裕記です」

「ヒロノリ?…で、トウは?」

 彼女は私が言いかけて止めた事を、見逃してくれなかった。

 これも、特に隠すような事では無いが、「トウ」と言う呼び方は、尚記が私を弟扱いする時の呼び方である。何となく それを彼女に伝えるのが嫌であったし、彼女に何度もトウと呼ばれると、尚記の顔がチラつき、上手く言えないが、こそばゆくなる。早く話題を変えたかった。

 

 彼女は潜在的にS体質なのであろう。私の思いとはウラハラにトウを連呼した。

「あのぉ、呼び方を変えたいんです。ペンネームを見た時に、あっ、これだ、って思ったんですけど、トウだと、トウさんになっちゃって、それだと、おトウさんになっちゃうでしょ? かと言って、トウくん?これもイマイチ。でも、流石にトウって呼び捨てには出来ないし、それにトウ。だけだと、なんか掛け声みたいで、変じゃ無いですか?トウ、トウ!…ねっ?そもそも、トウって何なんですか?何でトウにしたんです?」

「尚記が、たまに呼ぶんです」

 たったコレだけ答えて、済ます。

 言葉数が違いすぎて、彼女に対して申し訳なく思う。

「トウってですか?ヒロノリなのに?お兄さんは何でトウ、沢田さんの事をトウって呼ぶようになったんです?」

 私はおトウトのトウトの部分が由来である事を伝える。

「トウト?最初はトが入ってたんですね。トウト、良いですね。他には?」

 欲しがり屋さんだ。けれども、求められると嬉しい。彼女は誰に対してもこうなのだろうか?

 誰に対しても態度を変えずにいて欲しいと願うが、誰に対しても欲しがる姿を見せていると思うと、堪らない。

 男は独占欲と支配欲の塊だ。

「ヒロとか、ヒロノリとか、ですかね。ごく一部の友人には、今でもヒィって呼ばれたりします。でも、歳を取ると、アダ名のような物では、あまり呼ばれなくなりますよ」

 彼女が押し殺したように笑っている。歳を取るとあまりアダ名で呼ばれない。そんなセリフが爺臭かっただろうか。

「なんか、掛け声とか、悲鳴みたいな呼ばれ方なんですね」

 そこが面白かったのか。箸が転がっても、と言う年頃でもないが、まだまだ毎日は楽しい事でいっぱいだろう。微笑ましく、羨ましくもある。

「無理しないで下さい。友人なんて見栄張って、笑っちゃいます」

 そっちが面白かったのか。門前位置を成すと言うほどでは無いが、まだまだ私の元を訪れる友人も、いっぱいでは無いが居る。彼女に取っては、羨ましかろう。


「分かりました。決めました」

 さて、私は転生して沢田 トウになり、そこから更に何になるのだろう?

「保留にしましす」

 一番意外な答えがやって来た。呼び名など適当で良いだろうにと思うのだが、彼女に取っては重要な事なのだろう。

 保留にします。と言いながら、電話の向こから、「ヒロ、トウ、サワヒロ」思案している小声が微かに漏れて来る。姿は見えないけれど、遠くの森の中で鳴いている小鳥の囀りのようだ。

 私は自分の事を語るのが、それほど得意では無いが、彼女は放っておくと、トウの由来を聞いてきたように、今度は裕記の由来を聞いて来るかも知れない。答えるのは吝かではないが、聞きに回る方が性に合っている。先に彼女に何かを訊かれて答える羽目にならないよう、こちらから質問した。

「狩野さんは、親しい人から何て呼ばれてるんですか?」

「ひっどーい!」

 反応の速度の早いこと、早いこと。

「書いてあっだけど、沢田さんは本っ当に、わたしの事を多少しか知らないんですね。わたしの愛称はカリンです。カリノンだったりもしますけど。狩野から取って、カリンです」

 しかし、私が彼女をその愛称で呼ぶことはないだろう。あまりにも歳が離れ過ぎている。若さと美しさに、心惑う事は否定しないが、人として、大人として、一線は引かねばならない。

「沢田さんもカリンって呼んでください」

「はい」

 引かねばならない一線とはなんだったのか。

 慌てて訂正をする。

「あっ、やっ、ちょっとそれは、恥ずかしいです」

「恥ずかしい?そうですか。でも、それだといつまで経っても、距離が縮まりません」

 天然なのか、計算なのか、彼女の言葉に血圧が乱高下する。「距離が縮まりません」 その言葉に血圧は勢い良く上がった。

「狩野さんはこの距離感では遠い?と?」

「いえ、ちょうど良いです」

 そして、下がる。

「でも、沢田さんと呼んだり、狩野さんと呼ばれる度に、詰めた距離がまた遠くなります。わたし、実際の縮地法は頑張って練習したんですけど、コミュの縮地はダメなんです。どうしても会得できなんです…実際のも会得できなかったですけど」

 漫画を描く為に、縮地法を会得しなければならなかったのだろうか?確か、古武術とか仙術とか、その類の技の一種だったはずだ。 

 趣味?かな。色々な事に興味を持っていないと、漫画に奥行きが無くなるのかも知れない。

 

 そんな事を考えていたら

「わたしは、友達がいないんです!」

 彼女にカミングアウトされた。

「漫画を描いて、動画に出るようになって、SNS上で繋がっていたり、仕事でお知り合いになる方は、凄い増えました。だから、わたしのコミニュケーションスキルもそれなりに上がったと自負しています。それで言うと、わたしも転生したクチです。それまでボッチで、読まれもしない漫画を描いて、縒れた襟ぐりの黄ばんだTシャツを着て、世間を妬みながら生きてました。でも、漫画を投稿してみたら、酷いコメントも貰ったけど、応援してくれてる人もいるんだって分かって。見失ってた、漫画を描く意義を取り戻せました。

 ここでは…この広い世界では、わたしの漫画にも価値を見出してくれる人がいる。それが分かると、現実での生活も変わりました。だって、ここも現実だもの。顔の見えない誰かは確実に現実の世界に存在してるもの。

 だから沢田さんの現実も変わると思います。わたしの感想だけじゃなく、読んでくれた人の感想、コメントも読んで下さい。もしかしたら…もしかしなくても、沢田さんの言葉から勇気を貰って、一歩を踏み出した人が居るかも知れない。その人からのコメントを読んで、沢田さんは、更にもう一歩を踏み出せるかも知れない。ここは繋がっているんです。良くも悪くも繋がっているんです…」

 彼女は少し興奮気味だ。彼女の、話しの最後を上手く纏められない癖が顔を覗かせている。

 最初に予定していた着地地点から、話しが少し逸れて来てしまっている気がするが、結局、どう繋げて、どう纏めるのだろう?

「それでも、わたしはボッチなんです!」

 繋がっているような、強引に仕切り直したような。彼女は孤独であることを改めて強く訴えた。

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