第22話 3月29日に初めての投稿をする

 図にしてみると、社長と鼻垂れの上下が入れ替わる。見方を変えれば価値が変わる事を言いたいのなら、価値観が「ぶち壊れる」ほどでは無い。そもそも基準軸が違う。片方は組織内での階層の上下であり。もう片方は働く度合いによっての上下だ。

 私が思ったことを伝えると

「人数も違うでしょ?最初に言ったけど偉い人ほど少なくなる。社長は大抵1人でしょ。それにコピーしか取れない人も少数でしょ?沢田さんも気づいてると思うけど、極論なの。騙したい訳じゃなくて、判りやすくしたいから。コピーしか取れない人って現実味がないけど、少数でしょう?」

 私は少し先回りをして、案内人の前を歩こうとした。

「稀少性について言いたいんですか?」

「そう」

 珍しく彼女が短いセンテンスとも呼べない返答をする。

「あっ、ん〜、どうだろ。そう…少ないって価値がある」

 私が前に出てしまったので、案内人は道を見失ってしまったのだろうか?余計な事をしてしまった。申し訳ないと思いつつも

「少ないってだけでは、価値は生まれないんじゃないですか?」

 案内人が指し示している方角に疑問を呈した。

「どうして?コピーしか取れないって珍しくないですか?」

 珍しいが、やはり詭弁なのだ。

「コピーしか取れない人が存在するのは珍しいですが、やっている事は珍しくありません。稀少性の話で言うならその人は稀少ですが、その人のやっている事の価値は…お給料にしたら幾らも貰えないと思います」

「なんで?」

「コピーを取る事を馬鹿にする訳では無いですが…部数が多くなれば実際大変ですし。けれど、さっき狩野さんが言っていた、『まともに、手を抜かずに、一生懸命に利益を出している人って意味で』の対価は、低くなります。コピーしか取れ無い人にそれ以上は望めませんし、変化への対応も期待できません。カブトガニやシーラカンスは珍しいですが、パフォーマンスを発揮してもらわないと困ります。輪をくぐりぬけたり、ボールを鼻の上にのせて泳いでみたり。会社はその人の稀少性にお金を出す訳ではないので」

「イルカショーでは?ってこと?」

 私は突然イルカショーを引き合いに出したことを詫びた。

「じゃあ、観覧用の水槽でただ泳いでるだけなら?イルカとシーラカンスのどちらの水槽の前に人だかりが出来そう?もしくは水族館内課金が出来そうなのはどっち?」

 水族館内課金。追加料金を取られても、見に行く人がいるのはシーラカンスの方だろう。イルカで追加料金を支払うならイルカショーだ。

 彼女の質問は相変わらず矢継ぎ早だ。また私が答えるより先に次の質問が来た。

「沢田さんならどっちがいいですか?イルカとシーラカンス。見るんじゃなくて、なるんだったら」

「なるんだったら?」

「そっ、なるんだったら、観客の前で一生懸命トレーナーの指示に従って、一生懸命覚えたことを披露するイルカと、ただ泳いでるシーラカンス、どっちがいい?」

「シーラカンスです」

「やっぱり。イルカを選ぶなら、アメちゃんのお世話をする為だけに会社を休んだりはしないと思うもの。イルカを選ぶ人は仕事を手放さないと思う、ネコの世話をする…あっ、こら。にしても。ごめんなさい、ネムイが服の中に、あっ、あっ、」

 私は思わず、万が一にも音漏れがしないように、イヤホンを耳の上から押し付けた。音漏れがしないようにだ。

 イヤホンを押さえつけると、彼女の乱れた息と共に、またソファの軋む音が聞こえる。


「もう、ごめんなさい。今年はなんか寒いですよね、4月も間近なのに。ネムイの環境を春仕様に変えちゃったから、あったかい所に入りたがるんです」

 ネムイの気持ちはよく分かる。私も入りたい。

「で、シーラカンス?そう…ですよね。コスパもいいですからね。ぁたらしい事を覚えなくていいし、変化も期待されて…ぃなぃ、他の魚でも、誰でも出来る泳いでる姿を見せていればいい。なんっ、せ1億2千年前と同じ事をしていればいいわけですから」

 詭弁だ。

 詭弁を言う彼女の声は安定していない、所々に吐息のような息遣いが混じる。

ネムイが落ち着いてくれないのだろう。私も落ち着かない、興奮気味に言う。

「1億2千年間、同じであり続けられる事が、す、凄いんです」

「ずっと、コピーを取り続けられる事が凄いわ…あっ、んっ、こらダメ」

 私は価値観と理性を守っていた壁に罅が入った音が聞こえた。

「こうやって言っても、コピーしか取れない事に価値は見出せませんか?無理強いはしませんけど、沢田さんは水族館から海に出ちゃったんです。ネットの海は広大です。沢田さんに取って価値のない事でも価値を見いだす人はいるんです」

 彼女の声は安定してしまった。ネムイは、何処でかは分からないが、落ち着いたようだ。残念だ。

「それに、こうやって詭弁を弄して議論を吹っかけてくる輩は腐るほどいるんです。それらに沢田さんが一々反応していたら身が持ちませんよ?」

 確かに彼女は、私が再び壊れないようにと言ってた。

「わたしは特に沢田さんに対して、マウンテンを取ろうとか、そう言う意図があってやってる訳じゃないですけど。中にはホント困らせて楽しんでる、悪意の塊みたのもいるんですよ」

 会社から海へ、海から山へ。急がしい社員旅行だ。

「それで、三角錐は?」

 最初に登場したきりで、いつ出てくるのか分からない三角錐の登場を私は促した。

「あっ、そうだった。本当は海じゃなくて、宇宙に行くつもりだったんです」

 規模が違う。いきなり宇宙に連れて行かれていたら、彼女の言う通り価値観はぶち壊れていたかも知れない。

「三角錐を思い浮かべて、社長と鼻垂れとコピーくんと沢田さんを、それぞれの頂点に入れて、宇宙に放り出して下さい」

「頂点で良いんですか?」

「はい。上はどちらになりますか?」

「上はぁ…」

 私は宇宙を漂う三角錐を思い浮かべていた。モノリスは長方形だったが。あの映画のワンシーンのようだ。

 惑星の影から恒星の光で照らし出される三角錐。鋭角な陰影は宇宙の景色の中では異様に映るだろう。

 私は、私は何処にいるのだろう。三角錐の頂点に捕らえられているはずなのだが、三角錐を見てもいる。

 私にとって上は頭の方だが、宇宙の中で私の頭の方が上なのかは、定かではない。

 三角錐については言わずもなが、どちらが…どの頂点が上かなんて決められない。

 彼女が言いたい事が何となく分かった気がする。きっとネットの世界は、宇宙のような物なのだろう。自分が定まっていないと、どちらが上で、どちらが下か判らないまま、果てしない空間を漂うばかりになってしまう。

 私に考える時間を充分にくれてから、

「無いでしょう?」


彼女はゆっくりと幕を降した。


 拍手の代わりに、鉄の音が響く。

 私が住むボロアパートの階段の音だ。その音をマイクが拾ってしまったのだろう。

「何の音ですか?」

 幕を降した後の余韻に浸っていた彼女が、問いかける。私は想像の中で、彼女の頭に付いた、ネコ耳がピコリと反応したのを見た。

「部屋に着きました、階段の音です」

 歩いて疲れたのもあったが、彼女の早い言葉の羅列に付いて行き、頭が飽和状態になっている。私は鍵を開けながら、それだけを言うので精一杯だった。

「おかえりなさい」

 彼女としては何げ無い一言だっただろう。しかし、一人寡の男の胸は持っていかれた。

 何処へ?と問うのは愚問である。分かる人だけ分かってくれれば良い。

 私は目を潤ませながら、アメをキャリーバックから解放した。アメは長い間、狭い所に閉じ込められていたので、私に短く文句を言ってから、体を伸ばした。

「ニャッ」

 ネコの伸びは、何故あんなにも気持ち良さそうなのだろう。

 アメは思う存分、伸びをした後、

「アタチを狭い所に閉じ込めてぇ、閉じ込めてぇ、ん〜、意地悪するなんて許さないです」

 とでも言うように、小さな額を、私の踝に何度も何度も擦り付ける。この頃はまだ私を同等かそれ以上に見てくれていた。

 彼女の耳はアメの声も聞き逃さなかった。

「今のってアメちゃんですか?元気ですか?」

 アメは、私と彼女を繋いでいる架け橋でもある。何が何でも大切にすると心に誓っている。

「元気ですよ」

 もっと想いを伝える言葉を口にしたかったが、それだけしか出てこない。自分の口下手さ加減を恨む。

 対して彼女はお喋り上手だ。少しの取っ掛かりから、話しを広げていく。

「ネコって、なんか関西弁な気がしませんか?」

 関西弁?

「三毛猫ならまぁ、でも、アメショとかマンチカンはどうなんでしょう?」

 子供の頃に読んだ漫画に、小鉄と言うネコがいた。三毛猫では無いが、確か彼は関西弁を喋ったはずだ。喋るどころか店の掃除をして、酒瓶の飲み口を手刀で切り落とす事が出来たはずだ。

「ねぇ、やっぱりそうですよね。三毛猫は特に関西弁な気がしますよね。やっぱりお医者さんの影響が強いんですかね?」

「お医者さん?」

 キズ眼鏡の?

「はい、動物の」

 後で私は、彼女が何を言っていたか分かる事になるが、この時、私に取っては、あまりにもスムーズにかけ違いが起きただけだった。

 私は彼女もキズ眼鏡のお医者さんを知っている物だと勘違いして

「いや、標準語だった気がしますよ」

 トンチンカンな返答をした。彼女からの返答が無い。私は奇天烈な動画の名前を言って以降、彼女を黙らせるのは二回目である。

 耳に神経を集中した。彼女の姿は見えないが、耳に神経を集中すれば、彼女が次にどれくらい喋るか分かる気がするのだ。

 耳には、彼女が雑誌か何かのページをめくる音が聞こえた。それと同時に寝返りを打つような音。ソファに寝そべってからは、彼女は動いていないはずだ。

 沈黙が長くなる。

 今日は彼女にどれだけ喋られても構わない。その点に於いて、怖さは無かった。だが、ただ単に沈黙は気まずい。長くなればなるほど、男としての器量が下がって行く気がする。

 私から何か切り出した方が良いだろうか?けれど私は日々、弛みながら生きている。気の利いた話題がすぐに出るほどアンテナは張っていない。

 結局、会話を再開したのは彼女の方からだ。長い沈黙を特に気にする様子も無かった。普通の、本当に普通の声で切り出した。

 その声があまりに普通だったので、私はゾクリとしたのだ。

「それにしても、みんな転生したがっているんだねぇ」

 漫画や、小説、映画などでタイムリープ物と言えば、SFの定番だ。見たり読んだり、その世界観に没入している時の心情を擬音で著すなら、ドキドキやワクワクだと思う。

 けれども、繰り返しと言うのは人に恐怖を与える時もある。悪夢は繰り返される物だし、なんでも無い夢でも、繰り返されたら怖くなって来る物だ。

 彼女は皆が転生したがっている話しを、三度目なのに、まるで初めて話すかのような普通の声で、繰り返した

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