第5話 2月22日に灰ネコをひろう
結果から言うと奇跡は起きたのだ。
驚きで言葉を失った。言葉というか思考を失った。
彼女は公園の茂みから突如として現れた。そして私を睨んだ。ように見えた。
睨んだ訳では無いだろうが、眉間に皺を寄せたままの顔で私を見てきたので、
結果、睨まれているように思えたのだ。
私に対して敵意や不信感、その他、眉間に皺を寄せたくなるような要素があったわけでは無い。と思いたい。
風呂には入り、ハンドクリームを塗り、歯も磨いた。
人を好きになるのは良い事だ。身嗜みをきちんとする。
身嗜みをきちんとすると、自分の中身が駄目な事を知っていても、見た目はましになったなと多少は自分を許せる。
眉間の皺の理由はたぶん茂みの中に居たせいだ。
よく見れば彼女の白いセーターには枯れ葉や折れた小枝が突き刺さっている。
思考を失ったのは彼女に出会えたからと言うよりも、その状況に驚いたからの方が大きい。
驚きで思考を失いながらも、彼女だと認識できたのは、彼女がいつもと同じタイプの帽子をこの日も被っていたからだ。
彼女はスッピンに近かった。
化粧の力は恐ろしい、まさに化生のごとくだ。
彼女は季節に関わらず帽子を被っている事が多い。
自身が露出される仕事では、クライアントからの要請がない限り帽子を被っているのではないだろうか?
残念ながら似合わな……くは無いのだが、帽子のセンスがいまひとつ。
素材はニットの物を被っている事が多いが、普通にニット帽と言われて、想像できるそれでは無くて、彼女のかぶるニット帽はとても浅い。
頭にちょこんと載っている感じだ。
強いて言うなら、どんぐりの帽子、正式には
その、大手通販ショップで検索しても出て来ない帽子姿も可愛いのだが、
そもそも帽子をかぶっているより、かぶって無い方が魅力的なのだ。
以前、同業の人に似合わないと言われて、酷く傷ついたとコメントしていた事があったが、その人も帽子をかぶって無いほうが魅力的、そんな意味で言ったのではなかろうか。
世の中、ストレートに褒めるのが苦手な人もいるだろう。
まぁ、私がその同業者をフォローする必要はないし、本人が好きな格好をすれば良いと思う。
なにしろ彼女は漫画家なのだ。
私の勝手なイメージだが、手塚氏の影響も受けているだろう。私は思い込む質だ。漫画家はおしなべて手塚氏を尊敬しているはずだ。
さて、雑に公園と言ったがイベント会場周辺には複数の公園がある。
私が彼女に出会えたのはイベント会場に1番近い公園で、隣接していると言っても良い。
イベント会場は海に面している。
海を背にイベント会場を見て、右に行くと
そのまま右手に歩いて行くと、カラフルな木の実をつけている樹木のオブジェがある。
そのオブジェを左手に見ながら直進すると広場になっていて、
ベンチが広場の周端上、座ると広場の中心を見るような配置で幾つか置いてあり、
その広場には、茂み、に見える手入れの行き届いていない垣根がその広場を囲うように、
所々 植えられてあった。
少し時間を巻き戻す。
横浜には午前中に着いていた。公園には正午過ぎに着いた。
イベントは二部公演で構成されており、一部目の開演は13:00、二部目の開演は18:00。もしも彼女が見に来るとしてもどちらを見に来るのかは判らない。
私は本気で逢えると思っていたわけではないので横浜散策を楽しんでいた。
イベント会場に1番近い駅は、マップで見ると「みなとみらい駅」のようだ。
みなとみらい駅には横浜駅で乗り換えれば良さそうだが、しかし私は少し先の石川駅で下車して、中華街を通り、山下公園経由と言う、横浜散策の定番のようなルートを通ってイベント会場に足を向けた。
山下公園からイベント会場へ向かう途中にプロムナード…遊歩道が敷かれている。
この日の横浜はかなりの強風が吹いていた。全国的に強風だった。
少し早い気もするが春一番だったのかも知れない。
海沿いの遊歩道は真っ直ぐ歩くのが困難なほどの風にさらされていた。
朝方はそうでも無かったのだが、昼に近づくにつれ、電車のダイヤが乱れるほどに強くなり、
その情報は中華街の店のTVから速報として流れていた。ダ
イヤが乱れる前に着いて良かったと思う。
話はそれるが、私は電車に乗るのが苦手だ。得意と言う人は少ないのではないだろうか。
「僕は、私は、電車に乗るのが得意です」と言う人にお目にかかった事がない。
そもそも何を持って得意とするのか?やはり目的地までいかに無駄なく早く乗り継いで行けるかだろうか?運賃をどれだけ抑えるかも、得意かどうか判断するには重要な要素だろう。今の世の中コスパは大事なのだ。
しかし電車に乗るのが苦手な私は、多少遅くても、高くても、なるべく乗り換えの少ない簡単な路線を選んで行く。
乗り換えが多いと何番線のホームに行けば良いのか分からなくなるし、早いからと言ってうっかり乗車すると、快速で目的の駅に停車しなかったりするからだ。
ダイヤが乱れて、『お急ぎの方は◯番線から発車する、ホニャララ行きの、ナンチャラ快速に乗って下さい』と言われても、スムーズに辿りつけなかっただろう。
そもそも快速だの、急行だの……いや止めよう。
取り敢えず私の人生の岐路に立った際の選択基準も、概ね電車の路線選びと似たようなものだ。
ダイヤに詳しく、電車での移動のエスコートが上手な知り合いが居るが、任せて安心と言う頼もしさがあり、この人に付いて行こうと思わせるオーラがある。
それでもその人が、電車に乗るのが得意だと言っているのは聞いた事がないが…
その人も私もレールの上を走っているのは同じなのだが、その中でより良い選択をしようと意識しているかどうかの違いはある。
それにその人は多分、停滞 もしくは遅滞していると判断したら、迷わずレールから外れてタクシーで目的の場所へ行くことを選択するだろう。
アクティブ&アグレッシブである。
私は、私もレールから外れる選択はすると思う、そこまでは一緒だ。
しかし私は多分、歩いて行くのだ。
そのまま乗っていた方が早く着いただろうに、バカみたいにテクテクと景色を楽しみながら、もしくは雨風に煽られながら歩くのだ。
目的地に着く頃には、目的の事は既に終わっている状態で、
歩いた疲労感だけを得て、また歩いて戻るのだ。
アクティブでアグレッシブな人にはなれない。
脱線はもう少し続く。
私は鈍臭く頼りがない、その上、理解しがたい価値観で突拍子もない選択をすることがある。
別れた妻もその辺に耐えられなくなったのだろう。最初のうちは良かったのだ。
母性本能をくすぐるのか、それでも良いと言ってくれていた。
しかし生活を日々、共にするとなると話は別なのだ。
例えばポテチの袋を開けるとき、うまく開けられずに中身をばら撒いてしまう。
最初は良いだろう、特に付き合い初めならイチャイチャできる良いタイミングかも知れない。
けれど回数が重なったら?
例えば私の手はなぜかタッチパネルに反応しない…タッチパネルは私の手に反応してくれない。
電車で切符を買ったりチャージする時に、かなりモタつく。
後ろの人がソワソワと体を揺すり始めるくらいに時間がかかる時もある。
そのソワソワが私に伝播して、さらに私の行動をモタつかせるのだ。
更に後ろの人のイライラは、一緒にいる人、例えば妻に伝播して、雰囲気の悪いまま車両に詰め込まれる。電車が嫌いな理由の一つでもある。
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