第4話 2月22日に灰ネコをひろう

私は彼女から勇気をもらい、結果、横浜には行くのだが…

この時 の私は今よりも、どうしようも無い程クズだった。


なぜなら、せっかく勇気を貰ったのに それでは足らず、

自分に自信の無い私はすぐに行く事を取りやめたのだ。

更にクズな私は行動を起こせない理由を無理矢理つくり出した。

 

会いに行かないのは、今まで醒めた白い目で見ていたのに、自分が苦しくなった途端に、後光を放つ尊い菩薩のように見え、突然 手の平を翻し、信心深くなり 縋るためにお参りに行く。

私の行為には、そんな浅はかさと疚しさがあるからだ……


大丈夫だろうか?そんな恐れもあるんじゃないか?

救われた途端に、縋って握り締めた物が藁に見えたりするかも知れない。

悶々と救われない日々を過ごしていれば彼女は神々しいままだ、

彼女を侮蔑の対象とさえ見ていなかった頃の自分に戻ることは無い。


それに手はガサつき、体臭に気を配らなくなり、見た目も中身も小汚い。

そんな私に、彼女に会いにいく資格なんて無いだろう。

だいたい「楽しそうな姿を見て救われました」

そんな理由だけで行動を起こすなんて、ヤバい奴だろう。

だからもう少し、歯も磨かずに寝ていよう。

どうせ会えないに決まってる。

 

そう考えて、行動出来ない自分を正当化した。

ただ単に自分に自信がないだけだ。

彼女と会えても声をかける事など出来ないだろう。勇気なんて無いのだ。

せっかく貰った勇気の種も、私の荒廃した心の中では芽吹くこと無く、日の目を見ずに腐るのだ。

 

しかし、どうしようも無いほどクズな私は続く彼女の言葉でアッと言う間に溶けていなくなった。

決心すると言うほどの精神的な労力も必要としなかった。

 

「漫画家を目指したきっかけは?」


彼女がMCに訊ねられた時の答えを聞いて、私は当たり前のように逢いに行く事を決めた。

まるで朝起きて、顔を洗うくらいの気楽さで決められるなと思い。

そんな事を思った自分を自覚して、あぁ、どこかで読んだ事のあるようなフレーズで物を考えているなぁ…

ボンヤリとそう思った事を覚えている。


彼女は質問に答えた。

彼女は何かを喋る時に、考える素振りをあまり見せない。

普通では無い言葉数を淀みなく世界に放りはなっていく。

好きな事となれば尚更その勢いは増す。

 

今回は彼女自身ついての質問だったので、その勢いは多少影を潜めていたが、

MCからの「漫画家を目指したきっかけは?」

その質問に、彼女は誠実に こう答えた。


「わたしは幼い頃から、わたしのを伝えたい欲求があったんだと思います。けれど、わたしには好きを伝える友達がいませんでした。わたしの好きを伝えてバカにされるのが怖くて、クラスの子と話すのが怖かったんです。

もしかしたらそう言う経験を実際にしたのかも知れないけど、記憶に蓋をして見ないようにして、忘れさせたのかも知れないですけど…

たまに1人か2人、共感?と言うか、話しが合う子や、否定しないで聞いてくれる子もいたんですが、わたしは転校が多くて、すぐにサヨナラになっちゃう事が多かったんです。

だから、多分、わたしは期待しなくなっちゃったんだと思います。周りの友達にわたしの好きを伝える事を諦めちゃったんだと思います。

だけど心のどこかに、わたしの好きは残しておきたい。って…あの、心の中って意味じゃなくて、世界のどこかに残しておきたいって気持ちは無意識にあって…あったんだと思うんです」

 

ここで彼女は一瞬、視線を下にそらして、自分の胸元をみた。それは自分の心をのぞきこみ、心の中を確認するような仕草だ。そしてまた話し始めた。


「わたし、さいわい小さい頃から描くことが好きだったんです。絵を…

母に、描いた絵を褒められたのが嬉しくて…いっぱい好きな物を描いてました。

あっ、そう言えば、父の背中にも色々描いてました。父は体が大きくて肌の白い人なので、

小さなわたしからすると、父の大きな白い背中は、まんま大きな白い画用紙だと思ってました。

えっ?そうです。じゃなくて、便利で不思議な画用紙だと思ってました。

父の背中には画用紙がある。と思っていて…多分、母がわたしに要らない洗脳を施していたんだと思います。いたずら心で。


『お前の父親の背中は画用紙で出来ているんだよぉ、このペンでなら何でも描いて良いからねぇ。ただし、他の子に喋っちゃいけないよぉ?喋ったら魔法が解けてしまうからねぇ』とか言って…


みんなに言えない秘密があるのは、ワクワクしましたね。

秘密があることが特別な気がして、

いじめられても、わたしにはこんな秘密があるんだぞぉ、って思ってた気がします。


いじめ?そうです。いじめられてたんですよ。


もう、そこはさっき掘り下げたから、もういいんですよ。


えっ?あぁ、そうですね。言われて見れば、ただ単に壁や床に落書きされるのが嫌だったのかも知れません。


父ですか?父は口では嫌がっていたけど、嬉しそうでしたよ。

背中に描いてあるので見えないはずなのに、『上手だな!可愛いな!』とか…

 

そうですねぇ、動物の絵を描いた事を伝えると、こう、ヒョコヒョコ肩甲骨を動かして、変な声でアテレコをして動物に息吹きを与えて わたしを喜ばせてくれました。


両親は絵ばかり描いて、あまり勉強をしないわたしを 厳しく叱ることは無かったです。

父はアテレコで、母は吹き出しを付けて、わたしの描いた絵に命をくれました。

セリフ一つで全く違う絵に見えるのは、小さいわたしにとっては魔法のようでした。

 

なんで、わたしは自然な流れで漫画を描きましたね。描くようになりましたね。

擬きのようなものですけど…クラスメイトに見つかってバカにされたりしましたけれど…


父はわたしが大きくなって…多感な時期になってからも、たまに背中に絵を描いてくれって頼んできて、わたしを笑わせてくれました。

 

多分、何か気づいていたんでしょうね…

バカにされて落ち込んでいたり、

好きな事が…興味のある事が同世代の女の子とはちょっと違って、

自己嫌悪になってたり、自分は変なんじゃないかってクヨクヨしてるのを…も

しかしたら父はもっと深い所を見ていたのかも知れません。


みんなに認めてもらえるほど描く力が無い。

そんな無力さから目を背けて、無力な自分に気が付かない振りをして、

自分の為だけに絵を描いている わたしを見ていたのかも知れません。

 

なんの時だったか、背中に描いた動物の1匹がいったんです。

わたしはアリスのチェシャ猫を描いたつもりだったんですが、

父は何を聞き間違えたのか、背中のその猫をティシーと呼びました…

勘違いしたまま、普段は低い声をやたら甲高くして、ティシーは言ったんです」

 

そこまで普通の声で話していた彼女は突然ティシーになった彼女の父の真似をして話し始めた。

それは普段 声の高い彼女が、低い声の父を真似しながら甲高い声を出すと言う難しい物で、

多分モノマネのクオリティとしては低いのであろうが(彼女の父を知らないので何とも言えないが…)彼女はクオリティが低いと思われる真似を、堂々としながら話を続けた。


「『お前の個性は世界にたった一つの宝物であり才能だ。

  その個性と言う才能を世に解き放つ勇気を見せておくれ。

  

  お前自身の才能を、お前が独り占めしていても誰も幸せには出来ないよ。

  もちろんその個性は他の誰かの個性とぶつかり、

  ときによっては個性達に寄ってたかって傷つけられるかも知れない。

  お前の個性が知らないうちに、誰かを傷つける時があるかも知れない。

 

  誰かを傷つけ、傷つくのは怖いかも知れないけれど、

  勇気の出ない時は、魔女とこのティシーがほんの少し勇気の種を分けてあげるから、

  傷ついたときは休息のために帰れる場所を守っておくから、

  さぁ、勇気を持って飛びたって、解き放っておいで、そのタ•マ•シ•イうぉー!』」

 

きっと彼女の父もそうしたのだろう、彼女は拳を高々と突き上げて満足げな笑顔を見せた。

動画の中はしばらく静かになった。共演者たちは何のリアクションもしない。

彼女はそんな共演者を見回してから、また口を開いた。


「って、最後はオペラ風におちゃらけて、

でも、その時はなんだか色々と見透かされてる気がして、

素直に感謝できませんでしたが…

『変な声出して、バカみたい。』って言って、ペンを投げつけた記憶があります。

今思えば感謝。両親って偉大ですよねぇ…」

 

今度は彼女が仕事中なのを忘れたのか、MCに声をかけられるまで遠い所を見て黙ってしまった。


「あぁ!すいません。 それで、そう言った経緯で自然と漫画を描くようになって、

家族のおかげで周りにバカにされても、特に挫けずに……

まぁ、これまた幸い友達もいなかったし、

と言うか、漫画を描く私を、周りの子達も敬遠してたみたいだし。

ボッチに時間はタップリあったんです。

タップリある時間を、ドップリ絵を描く事に使いました。

色々描いて、こうして、わたしの思いを残しておけば、いつか誰かに伝わるかもしれないって…

読んでバカにされるかも知れないけど、心の中の想いは世界に解き放たないとのと同じになっちゃう…」

 

一度フェイドアウトするように、言葉尻を下げた彼女だったが、突然ギアをトップに入れて話し始めた。


「そう!どう思われても、誰にバカにされても、わたしのを伝えるのに誰の許可も要らない。

 

好きを伝えるのに資格は要らない!

 

ちょっとでもわたしの思いが伝われば、わたしの好きも報われるって、

幼い…と言っても多感な頃のわたしはそう思ったんだと思います。

わたしは、わたしの産んだ好き達、好きな気持ち達を殺したくない。

ちょっとでも生きて欲しい。

ちょっとでも誰かの中で生きて、出来れば優しい気持ちなれるように、

一歩を踏み出せる勇気になるように、その人の心に働きかけて欲しい。

そんな風に思って…そんな風に思っていたと思います。

多分それが漫画家を目指したきっかけと言うかぁ…

心意気と言うかぁ…えぇ、ご質問に対する答えです」

 

興奮すると、彼女は話の最後を上手くまとめられなくなる質らしい。

ただ、は伝えようとしないと、のと同義であることは伝わった。を伝えるのに資格は必要ない。

伝わらなくても、伝えようとして起こした行動は何かに影響を与えるだろう。

  

彼女は告知の最後にイベントの開催日時を読み上げ、

「わたしも行くかも知れません!」駆け込むように言った。


出来ることなら直接会って気持ちを伝えたい。

バカな私は短絡的に考えた。逢えるかも知れないなら行ってみよう。

彼女が行かない可能性も充分あった。

むしろ、その可能性の方が高かっただろう。

だけど行こう、ありがとうと言う思いを伝えよう。

バカでムダな事をする自分を恥じずに行動しよう。

 

行動を起こす時に何も迷いが無いと言うのは良いことだ。

楽だった。久しぶりに楽しいと感じていた。


そう言うわけで2月22日、少しだけましなクズになった私はイベント会場へ向かった。

電車の中で起きた不思議な出来事と、

それにまつわる女の子の話しは、脱線し過ぎるので今回はやめておこう。

何しろまだネコが出てこない、先を急ごう。

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