秋田と桜子
西暦2020年四月。
定年間際の高校教師「
秋田がこの高校に教師として赴任して30年の時が過ぎた。制服はセーラー服からブレザー制服へと変わり校舎も真新しくなっても変わらぬ物がある。高校のすぐ近くにある桜舞い散る並木公園。桜が咲く頃は当時より早まってしまったがこの辺りは30年前と変わらない景色だ。秋田にとって大切な想いが詰まったこの公園は特別だった生涯で唯一愛した「恋人」との思い出の場所。秋田が年甲斐もなく当時に思いを馳せていると優しげな黒い瞳に見覚えのある黒髪の女子生徒を映し歩みを止めた。
舞い散る桜を見上げている見覚えのある女子生徒は秋田が受け持つ2-Bクラスの女子生徒「
「……ぁ」
彼女の勝ち気そうな鳶色の瞳と秋田の黒い瞳が交わった。秋田の口から思わず溜め息が漏れる。
似ているのだかつての「恋人」に春川 桜子は驚くほどに似ているのだ。
風靡く艶やかな長い黒髪を手で抑えながら春川 桜子は鳶色の瞳で秋田を見つめ続けブレザー制服のスカートをふわり揺らして近づいてきた。
「先生いま帰りですか?」
清んだ声も耳に心地よく彼女にとてもよく似ている。身体熱く心臓が高鳴る程に。だが、春川 桜子は秋田の「恋人」ではない。そんなことは秋田もわかっている。髪型も制服も当時の彼女とはまるで違う。ましてや若くしなやかな身体と17という桜子の年齢も彼女ではないと現実は言っている。当たり前だ。彼女であるはずがないのだ。だが、秋田の久しく感じなかった熱い胸の高鳴りは抑えることが難しい。手を伸ばせばそこにいる彼女の……距離。
「先生?」
訝しげな桜子の声に秋田は我に帰る。桜子の瞳は真っ直ぐと秋田の瞳を見つめていて秋田は生唾だけを呑みこんで平静な教師の声を返した。
「ええ、そうですよ」
あまりにも素っ気なかっただろうか。声はうまく紡げたか。桜子は特に気にする様子は無く見つめるままだ。この顔に見つめられると心臓をわし掴まれたようで秋田はたまらない。
「僕の顔に、なにか?」
思わずと顔を触ってそう返すと桜子はふっと笑った秋田もつられて笑う。和やかな空気そんなものが作られたのだろうか。
「先生、時間あるかな少しお話しません?」
「お話……まぁ、構いませんが」
年頃の少女がこんな還暦間際の男と話しをして楽しいだろうか。秋田は疑問を持ちながらも「恋人」によく似ている桜子の誘いを断る気にはならなかった。
「進路相談とかの悩みですか?」
公園のベンチに座りながらそうたずねてみた。年若い女子生徒が年配の教師と話をしたいなぞこの辺りの理由だろうと秋田は思った。
「ううん私、進路ってやつは決まってんだよ。割りと早くにね」
鳶色の瞳を細めてくすりと笑う桜子に秋田は片眉を下げて微笑み静かに頷いた。
「そうですかやりたい仕事、目標があるということは良いことですね。僕が君くらいの頃はまだーー」
秋田は自然と自身の昔話を始めた。桜子ともう少し話していたいという無意識の欲求が長話を選択した。桜子はジッ、と秋田の優しげな黒い瞳を見つめたままに時折相槌を打ちながら彼の話に聞き入った。
「私ね、ちょっと悩んでる事があるんだよ」
一通り長話を終えると桜子が急にぼそりと呟いた。秋田は口をモゴと動かして相談に乗ろうと思った。またもう少し彼女と話ができるのだ断るという気はなかった。
「悩み事なら僕でよければ聞きますが?」
「ううん、今はいいんだよ今は」
だが、桜子は妙な言い回しで話を切って立ち上がった。秋田は別れ際の切なさに襲われる。
「あのーー」
「ーーじゃ、先生またね」
春川 桜子はにこやかに微笑んで去っていった。秋田はその後ろ姿を名残惜しくしばらく見送り、震える手で顔を抑えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます