十五
八月上旬。梅雨の時期はあっという間に過ぎ、蒸し暑い季節が本格化してきた。
誠一郎は以前の生活を取り戻し、いつも通り診察も行っていた。
とある昼、ジメジメした医局内で一人、誠一郎は長袖の白衣やワイシャツの袖をまくり、ネクタイを緩め、内輪をあおぎながら昼食を食べていた。
窓の外からひっきりなしに聞こえてくるミーンッ、ミーンッ! という蝉の鳴き声に、嫌というほど今が夏だということを痛感させられた。
他の医師はいうまでもなく、窪はまだ外来から戻ってきていないようだ。
外来や待ち合いの一階は患者がいるので、冷房は効いているのだが、病院職員しかいない二階は省エネのため、窓や出入口を全開にし、半袖のワイシャツや白衣を着込む医師もいた。因みに誠一郎はどんなに暑くても長袖派だった。
こんな暑い日はどうしても、あの、横浜中華街での“迷子事件”が思い出される。
誠一郎は苦笑した。
……たしかあの時も八月だったか?
ふと、窓の外を見ると、眩しく晴れ渡った空が見えた。遠くに入道雲が見える。
もしかしたら、ミナ子がまた医局の窓に現れるのでは? そんな思いが一瞬、誠一郎の頭をよぎったかと思うとゆっくりと首を振った。
……こんな陽射しの良い日に、ミナ子が外に出れるわけないか。
誠一郎は深いため息をついた。
誠一郎の中でミナ子との数ヶ月間の出来事や思いではもう遠い記憶となってしまっていた。
思い出されるのはミナ子が静かに涙を流す姿や、錦野邸での事件の狂気じみた姿。そして、子供の頃の遠くほろ苦い記憶の中の女の子――。
……そう言えば、ミナ子の笑ったところを見たことがないかもしれない……。もう、ミナ子に会えないかもしれない……。こんなに待っているのに――否っ!
誠一郎は突然ぶるっと体を震わせた。
「待っているだけじゃダメだっ!」
……ミナ子は、男爵に処刑された“カーミラ”なんかじゃない、“場鳥ミナ子”だっ!
誠一郎は決心した様子で昼食の弁当をガツガツと急いで平らげた。
「誠一郎……?」
振り返ると忠明がいた。
「親父、どうしたの?」
忠明はやるせなそうな面持ちで紙袋を手渡してきた。
誠一郎は目をぱちくりし、紙袋を受け取ると、紙袋の中身をそっと見た。
「これ、何?」
「お前の好きなヤツ。一日早いが、明日はお前の誕生日だからな」
忠明の言葉に誠一郎は卓上カレンダーを持ち上げるとじっと見つめた。
……明日は八月十五日……。うわ、明日で俺、四十四歳か……。
誠一郎は苦笑しながら卓上カレンダーを元に戻すと、弁当箱をしまい始めた。
忠明は近くのキャスター椅子を寄せてくると、ゆっくりと腰かけた。
「誠一郎……まだ、待っているのか? あの子のこと……」
忠明は改まって誠一郎に目を向けた。
誠一郎は穏やかな表情で首を横に振った。忠明ははっ! と目を見張った。
「もう、諦めてしまったのか……?」
「いや、違うよ。今日の診察終わったら、探す。手当たり次第」
忠明は安心した様子でうなずいた。
「そうか。今度は“手を”離すなよ?」
「えっ?」
忠明は何かを含んだような笑みを浮かべると、医局を後にした。
誠一郎は呆然とした面持ちで忠明の背を見送った。
……手を離すな……?
午後の診察を終えた誠一郎は、他の医師たちよりも早く病院を後にした。
病院裏の職員専用駐車場に足早に向かい、車に乗り込むと、エンジンをかけた。
「行き先は……どこだ?」
誠一郎は深いため息をつき、カーナビをいじった。
以前ミナ子と一緒に行った横網町公園の履歴を探す。
「五ヶ月も前だけど……残ってるかな……」
運良く走行履歴が残っていたので、早速行き先を横網町公園に設定すると、誠一郎は車を発進させた。
前回は一般道路を使ったが、今日は違う。
誠一郎は厚木街道から東名高速道路に入った。
……早く横網町公園にっ。
暑さのせいなのか、それとも焦っているせいなのか、誠一郎の額には玉のような汗が流れていた。だがそんなのお構いなしに、誠一郎は徐々に車の速度を上げた。
川崎市、神奈川県と東京の県境である多摩川を越え、数十分走ると浜町インターチェンジで東名高速道路を降りた。
街中を少し走ると隅田川を越え、更に走ると大きな建物のホテルが見えてきた。
……もうすぐだっ。
誠一郎は以前と同じ駐車場に車を止めると、横網町公園に駆けていった。
「ミナ子っ! どこだっ?」
公園に着くや否や、誠一郎はミナ子を探し始めた。
時刻は午後六時。太陽が西の空の少し上で輝いている。
出来れば明るい内に探し出したい。
暗くなるということは、誠一郎にとって不利になり、ミナ子が活動しやすくなるからだ。
公園内を隅から隅まで探すも、ミナ子の姿はなく、誠一郎は花で彩られたモニュメントの前に立ち尽くした。
……ミナ子はどこにいるんだ? ここじゃないのか?
仕方なく誠一郎は車に戻った。
……こうしている間に、ミナ子がどこかに行ってしまう……。
誠一郎はハンドルに額を押しつけると項垂れた。
ふと、忠明からもらった紙袋を開けると、中をのぞいた。
「あっ、横浜中華街のマンゴープリン……」
突然誠一郎の頭に昔の記憶が蘇った――。
「お父さん、僕、誕生日にマンゴープリンいっぱい食べたい!」
「それなら、中華街に行くか!」
「行くっ!」
そして、迷子になった――。
「お父さんっ! どこっ? うえぇぇええんっ!」
「おい、小僧。迷子か?」
……あぁ、そうか。マンゴープリンを買ってもらいに中華街に行ったのか……。
「中華街……」
誠一郎は呟くと、車を急発進させた。
太陽が沈み始め、空はオレンジ色に染まり、金星が空の片隅で輝き出した。
誠一郎は再度高速道路を走った。
料金がどんなにかかろうと、今の誠一郎にはどうでも良かった。
……早く中華街にっ!
真夏の横浜中華街の夜はとても煌びやかだ。
異国情緒溢れる提灯が頭上で列を成してぶら下がり、朱色の淡い光を放っている。
もう夜だというのに、路地を行き来する観光客たちはより一層増え、食事処や雑貨屋からは賑わう声が聞こえる。
ミナ子は薄暗い裏路地で誰にも気づかれず、ただじっと蒸し暑さに耐えながらうずくまっていた。
こんな暑い日は、あの時を――あの時は昼間であったが――ミナ子に否応なしに思い出させ、頭痛がする。
雨風に晒されたミナ子の髪はボサボサで、服はボロボロになって、みすぼらしい姿だった。
時々『みなこ』と呼ぶ声が聞こえ、ふと、反応してしまう。
極度の空腹の中、誠一郎に『ミナ子ぉぉおおっ!』と呼ばれたのをおぼろげに覚えていた。
……もうわたしのことを呼んでくれる人なんて、いないのに。
あの時、誠一郎に声をかけなければ、きっとこんな思い、再びすることはなかったのに――。
何故自分だけこんな思いをしなければいけないのだろうか?
ミナ子は自分に降りかかる理不尽さに嗚咽した。
「うぅ……ひっ……」
もう、独りは寂しい――。
「ミナ子っ! どこだっ?」
誠一郎は観光客の人混みをかき分け、夜の煌びやかな中華街を駆けずり回った――七十五年前に死んでしまっだ少女を探して――。
……もし、ミナ子がひそんでるとしたら、裏路地か?
誠一郎は店の脇の細い通路や路地をのぞいて回った。
「ミナ子? どこだ?」
しばらくして、時刻は十時を回った。
観光客で賑わっていた路地は次第に静けさを取り戻し始めていた。
食事処や雑貨屋も電気を消し、シャッターを閉め始め、店じまいをする。
誠一郎は焦燥感に駆られ始めた。
嫌な汗が額や脇、背中を流れていった。
……ここも違うのか?
誠一郎が諦めかけた時だった。
「……うぇ……うぅ……」
かすかに聞こえた、誰かの泣き咽ぶ声に誠一郎は振り返った。
視界に映った裏路地に真っ直ぐ歩み寄り、そっとのぞくと、小さなみすぼらしい姿の少女がうずくまって肩を震わせていた。
誠一郎は安堵のため息をつくと、少女の元にしゃがみ込んだ。
「やあ、お嬢ちゃん。迷子かな?」
誠一郎が囁くように言うと、少女が驚いた様子で顔を上げた。
みすぼらしい姿の少女はミナ子だった。
「どっ、どうして……ここがっ……」
ミナ子の顔は涙や鼻水でぐちょぐちょに濡れていた。
誠一郎は微笑んだ。
「どうして、って……俺とミナ子が“初めて”出会った場所だからね」
誠一郎の言葉にミナ子は目を見張った。
「覚えてたんですか……?」
「覚えてた、と言うよりかは、思い出したんだ」
そう言うと誠一郎は手を伸ばし、ミナ子の手を握った。ミナ子の手が一瞬震えた。
「……あの時は手を離してしまったが、もう離さないよ……」
誠一郎はミナ子の手を引くと、暗い裏路地からミナ子を引っ張り出し、抱き締めた。
「俺だって寂しかったよ」
「わたしは……目が赤くて不気味ですよ……?」
「そうだね。とても綺麗な色だよ、宝石みたいで」
「わたしは主食が血液の、吸血鬼ですよっ……?」
ミナ子が絞り出すように、静かに言うと、誠一郎はうなずいた。
「知ってるよ。それがどうした」
誠一郎はゆっくりとミナ子を離すと、ズボンのポケットからある物を取り出した。
「これ、ミナ子の。返すよ」
誠一郎は立ち上がると、ミナ子の背後をのぞき込み、ミナ子の首に何かをつけた。
ミナ子が胸元を見下ろすと、そこにはペンダントが下がっていた。ペンダントの鎖には見知らぬ、艶っとした、まるで朝露の水滴のような、水色の石がはめ込まれた小さな金の指輪が通されていた。
「これは……」
ミナ子は不思議そうな面持ちで指輪を眺めた。
「本当はもっと早く渡したかったんだけど、ごめんね、遅くなって。……気に入ってくれた……?」
誠一郎が恐る恐る問うと、ミナ子は深くうなずいた。
「なんか、プロポーズしてるみたいだな……」
誠一郎はあはは、と笑うと、ミナ子は耳まで真っ赤に顔を染めた。
「な、何をっ……」
「ん? だって、ミナ子は俺より年上なんだろう? うん、大丈夫だ。これは犯罪にならない。……多分」
誠一郎は真剣そのものの表情で言った。
「そう、ですか……」
ミナ子は苦笑しか出来なかった。
「帰ろう。また一緒にお風呂にでも入るか?」
ミナ子は恥ずかしそうにコクコクとうなずいた。
錦野邸に帰ると、柏木がすぐさまミナ子を抱き締めた。
「ミナ子ちゃんっ、お帰り!」
ミナ子は困惑しつつも柏木を静かに抱き返した。
「た、だいま……」
「まあ、こんなに汚れちゃって、さっ! お風呂に入って!」
柏木はミナ子を浴室の方まで押していった。その背後を誠一郎が追いかける。
「あ、柏木さん――」
柏木は肩越しに振り返った。誠一郎を見るその目付きはどこか軽蔑しているようだった。
「旦那さま、まさかとは思いますが、自分が一番年下だからと言って、ミナ子ちゃんと入浴する気ではありませんよね?」
誠一郎は肩をびくつかせた。
……ええっ! そんな……。
後日、錦野監察医総合病院に小林がやって来た。
小林は受付で誠一郎を呼ぶと、二階の医局から誠一郎がやって来た。
誠一郎の長袖のワイシャツと白衣姿に小林は目を見張った。
「お前、それ、暑くないの?」
すると誠一郎は、何言ってんの? と、言わんばかりに袖をまくり上げ、白衣の袖で額の汗を拭った。
「俺だって暑いけど……」
「じゃあ、半袖着れよ……」
小林はつっこむのも気だるそうに呟いた。
誠一郎は小林を連れ、外来の処置室へ向かった。
処置室に入ると、壁の棚には消毒綿やガーゼなどの医療道具が納まっており、部屋の中央には細長いテーブルが一つ。
テーブルの上には採血道具の蝶々針やチューブ、血液を入れる透明のバッグが乗っており、傍らに丸椅子があった。
丸椅子に座るよう促され、小林は固唾を飲んだ。
「“献血”するのか? しないのか?」
誠一郎のじとっとした目付きに小林は、潔く丸椅子にドカッ、と座り、左腕をテーブルの上のクッションに乗せた。
「アルコールでかぶれたりとかは?」
誠一郎の言葉に小林は表情を固くしたまま首を横に振った。
「通常の採血より針が太いからな? チクッとするぞ」
誠一郎はニヤリと笑いながら小林のワイシャツの袖を少し上げると、二の腕にゴム紐を巻きつけた。
「親指を握って、そのまま」
小林はゆっくりと親指を握った。すると肘の内側に血管が浮き出てきた。
誠一郎は小林の肘の内側をアルコール綿で拭く。
夏の時期にはひんやりとして、小林には爽快に感じた。
誠一郎は太めの蝶々針に持ち替え、小林の腕の血管を指先で探りつつ、狙いを定めるとゆっくりと針を刺した。
小林は下を向き、血液が針からチューブを通って透明のバッグに入っていく様子を見ないようにした。
十五分ほどしてバッグの中は小林の血液で満たされた。
誠一郎は小林の二の腕のゴム紐を外し、針を抜くと、小林の内肘に真四角の絆創膏を貼りつけた。
「はい、終わったぞ。二〇〇ミリリットル採ったから、少し休んでから帰るように。これは八坂さんに」
誠一郎はバッグのチューブを取ると、小林に手渡した。
「サンキュー……」
小林は少々げっそりした様子でバッグを受け取った。
「ちゃんと、肉食えよ?」
誠一郎の言葉に小林は片方の眉を上げ、誠一郎を見上げると言い返した。
「そっくりそのまま、返えさせてもらうぜ。錦野」
「……確かに」
誠一郎は使用済みの針やチューブを専用のゴミ箱に捨てると、あっ! と思い出したように言った。
「俺、引っ越そうと思うんだ」
誠一郎は小林の反応を待ったが、小林の反応はとても薄いものだった。
「フツーあんなことあったら、俺だって住みたくない……」
小林は絆創膏を貼られた部分を気にしながら言った。
「だよな……」
誠一郎は苦笑いを浮かべた。
真夜中、誠一郎はふと、目を覚ました。
室内の電気は点いておらず、薄暗かった。
……あれ……? 豆電球いつも点けていたのに……。
今夜も暑くて寝苦しかったが、決してそれで起きたわけではない。誰かにじっと見つめられている感じがしたのだ。
夢うつつでベッドの脇を見渡すと、暑さのため窓を少し開けていたのだが、そこから生暖かい風がゆるりと入り込んでカーテンを揺らす。その隙間から薄く差し込む月光に照らされ、薄暗がりの中に赤い瞳を光らせるミナ子が突っ立っているのが見えた。
……ミナ子?
ミナ子は無言で誠一郎の枕元に、物音立てずに歩み寄ってくると、床に膝を突き、誠一郎がかけてるタオルケットの中に手をそっと入れてきた。
ミナ子の手が誠一郎の腕をかすめ、その氷のような冷たさに、気温は暑いはずなのに誠一郎は一瞬体を震わせた。
ミナ子は目を細めて誠一郎を見下ろすと、小さな手を伸ばし、誠一郎の頭を撫でてきた。じんわりと心地好さが伝わってくる。
……んん……どうしたんだ……?
「ミナ子……?」
誠一郎が静かに問いかけると、ミナ子はタオルケットを少しめくり、誠一郎の隣にもぐり込んできた。
誠一郎は目を見開きつつ、隣にミナ子を寝かせた。
「……暑くて寝れなかっ――」
誠一郎が言いかけたところでミナ子が誠一郎の胸に寄り添ってきた。
全身にミナ子の冷たさが伝わり、一気に身体中の熱気が奪われていく感覚と、ミナ子に抱きつかれて誠一郎は目を丸くした。
「ミナ子っ……?」
誠一郎は期待と不安に胸をどぎまぎさせながらミナ子を見下ろした。
「……どうした?」
すると、ミナ子がゆっくりと顔を上げた。赤い瞳がまん丸くギラついている。
誠一郎の期待は薄まり、不安がさらに募った。
ミナ子は背筋を伸ばしたかと思うと、顔を誠一郎の首筋に近づけた。
刹那――。
「あっ……」
誠一郎がとっさに声をもらした。
首筋に突然、二本の太い針で刺されたような痛みが生じた。
……噛まれたっ!――。
誠一郎はパッ! と目を覚ました。
そっと視線を窓にやると、まだ夜だった。
……夢……?
夢の中と同様、窓は少し開いており、そこから入ってくる生ぬるい風にカーテンがゆらりとなびいている。
誠一郎の中に不安がよぎった。じとりと背中や脇が熱くなる。
……正夢になるのか?
ただ夢と違うのは、室内の豆電球の淡い明かりが点いているのと、今夜は夜空に雲がかかっており、カーテンの隙間から差しているのは外灯の淡いオレンジ色の光だけである。
誠一郎は未だ不安を拭えないまま、ベッド脇を恐る恐る眺めた。
誰もいなかった。
誠一郎はゆっくりと起き上がると、暑苦しさにティーシャツの襟元を掴むとバサバサと前後に振った。
……水でも飲んでくるか。
誠一郎はベッドから立ち上がり、静かに寝室を後にした。
長い廊下を進み、書斎、柏木の寝室、そして――ミナ子の寝室の前に差しかかった。
……ミナ子は寝てるのか、それとも……。
誠一郎はミナ子の寝室の前で立ち止まると、そっとドアを開けた。
真っ暗だった。
真夏だというのに、ミナ子の寝室からは異様に冷気が漂っていた。
……あ、涼しい。
誠一郎が室内に顔をのぞかせると、暗がりの中に赤く光る目が二つ浮かび上がった。
「……どうしたんですか?」
ミナ子の声が静かに問いかけてきた。それと同時にパタンと本が閉じられる音がした。
……こんな暗闇で読書してたのか?
誠一郎は驚きつつ、イヤ……と呟いた。
「やっぱり、夜には眠れないよな……」
「そうですね……」
ミナ子が静かに返すと、ペラペラと本がめくられる音がした。
……また、読書かな?
「……何読んでるんだ?」
ようやく夜目がききはじめた誠一郎は、ミナ子が横になって読書をしているベッドに歩み寄った。
「『カーミラ』です」
『カーミラ』という名前に誠一郎は一瞬顔をひきつらせた。
……さっきの夢が……。
ミナ子は本から顔を上げると、誠一郎を見つめた。
「……怖い夢でも見ましたか?」
「えっ! ま、まあ……」
……ミナ子って俺の心を読めるのか?
時々ミナ子に自分の心中を悟られているのでは? と誠一郎は思うのであった。
「一緒に……寝ますか?」
ミナ子の突然の誘いに誠一郎の脳裏に先ほどの夢の内容が蘇ってきた。が、誠一郎は正夢になる不安と裏腹に、ミナ子に添い寝に誘われたことに嬉しさが込み上げてきた。
「えっ!……良いのか……?」
「どうせ、暑苦しくて眠れなかったのでは?」
ミナ子に図星を突かれ――本当は夢で起きたのだが、暑苦しくて眠れないのも本当である――誠一郎は、まるで何も言い返すことの出来ない子供のように、無言でうなずいた。
ミナ子はベッドの脇のテーブルに本を置くと、かけ布団をめくり、自身の隣をポンポンと叩いた。
誠一郎は恐る恐るミナ子の隣に横になった。
ベッドの中はひんやりしていて居心地が良かった。
……あぁ、涼しい。
誠一郎は安堵のため息をついた。
ミナ子はかけ布団を誠一郎と自身にかけると、静かに横になった。
少しの沈黙が続き、誠一郎が囁くように言った。
「おやすみ、ミナ子……」
「おやすみなさい、誠一郎」
少しして、誠一郎から規則正しい寝息が聞こえ始めた。
ミナ子はそっと、誠一郎を見つめた。
……陽の暖かさは苦手だけど、誠一郎の温かさは好き。
ミナ子は顔を綻ばせると目を閉じた。
終わり
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