十二

 錦野邸のリビングで、木幡は暇そうにテレビを眺めていた。

 大あくびをかき、ソファーでくつろいではテレビのチャンネルを意味もなく回す。

「ニュースばっかし。つまんないなぁ……」

 結局ニュース番組にチャンネルを合わせると、退屈そうに頬杖を突いてニュースを眺めた。

『次のニュースです。昨日深夜、神奈川県鎌倉市の大学病院で変死体が発見されました。死亡してたのはこの大学の医師、長谷川正芳さん四十三歳で、遺体の状況から神奈川県警は、神奈川県で起きている連続変死体殺人事件と関連つけて司法解剖を――』

 木幡はテレビの電源を落とすと、ソファーにごろりと横になった。

「あーあ、ホントつまんない……」

「小幡さんっ!」

 木幡はふと、顔を上げると険しい表情をした柏木が仁王立ちしていた。

「何なの……?」

 木幡は億劫そうに柏木を見上げた。

「何なの? じゃないわっ! あなたは居候じゃないでしょうっ! 真面目に働きなさいっ!」

「うるさー……。やる気が失せちゃった」

 木幡は気だるそうに言うとソファーから起き上がり、そそくさとリビングを後にした。

 柏木はふんっ! とそっぽを向き、キッチンへ向かった。


 木幡は自分の部屋に戻ると、優雅に手の爪を磨いていた。

 今ごろ柏木とミナ子は錦野邸の部屋という部屋を清掃しているであろう。

「ホント、ここに引っ越せて良かったぁ。ババアとガキがウザいけど。ま、ここだったら借金取り来ないしぃ」

 磨き終えた自分の爪をふっ、と吹いて削りカスを床に落とし、ツヤツヤになった自身の爪をうっとりと眺めた。

「最近よく“働いた”から指の乾燥がヒドいわぁ……」

 ろくに家事もせず、ただ誠一郎のカバンから書類を引き抜いただけなのに木幡は、ほんの少しのささくれが出来た指先を見つめてはため息をついた。

 その時突然、ベッドの上に、充電器のケーブルを挿したままのスマートフォンが着信音を鳴らした。

 木幡は早々とスマートフォンを拾い上げると、番号を確認した。

……伊藤?

 木幡は咳払いをし、声の調子を整えるとスマートフォンの画面をスワイプし、呼び出しに応じた。

「もしもしぃ? 美樹ですぅ。あなたから電話をくれるだなんて、どうしたのかしらぁ?」

 木幡はわざとらしく言うと、電話の向こうの伊藤は少々苛立ちを帯びた声で話始めた。

『お黙り。いちいち調子こいてるんじゃないの。あなたにやってほしいことがあるのよ』

 木幡は眉をひそめ、心の中で悪態をついた。

……ちっ。何がお黙り、よ。

「……何なの……?」

 木幡が静かに問うと、伊藤はあぁ、と呟いた。

『ちょっと計画変更。今夜錦野先生が帰ってきたら、あなた、先生を家から連れ出してくれない? あ、出来ればババアとガキもね。良いかしらぁ?』

 木幡は口をへの字に曲げた。

「めんどくさー。実はそろそろあなたへの協力断ろうかなぁ、と――」

『鎌倉医科大のニュース見たかしら?』

 突拍子のない伊藤の質問に木幡はええ、と返した。

『あなたも“ああ”なりたいのかしら……?』

 伊藤は威圧するような口調で言ってきた。木幡ははぁっ? と声を荒らげた。どうやら信じていないようだ。

『お金と“永遠の命”……欲しくないのぉ?』

 電話越しで伊藤が煽るように言ってきた。木幡は図星を指され、動揺する。

「……永遠の命……ホントなんでしょうね?」

 木幡が疑わしそうに問うと、伊藤はフフッ、と笑った。

『あらぁ? 私は嘘はつかないわよぉ? じゃあ、よろしく』

 伊藤の声が遠ざかり、木幡は慌てた様子で待って! と呼びかけた。

 電話の向こうから大きなため息が聞こえた。

『何? 私の言ったこと、理解出来なかったぁ?』

 電話越しの伊藤の物言いに木幡は目くじらを立てつつ、冷静を装ったように言った。

「違うわよ。……どうやって、家から連れ出せばいいのよっ?」

 木幡の質問に、再度深いため息が聞こえた。

『そのぐらい、自分で考えたら?』

「はぁ? ちょっ――」

 言いかけたところで、伊藤に電話を切られた木幡は歯をギリッ! と食い縛った。

……何様のつもりよっ!

 木幡は不貞腐れながらバッグを漁ると、以前伊藤から渡された新聞紙の塊を出した。

 新聞紙の包みを剥がすと、現れたのは拳銃だった。

 木幡はうっぷん晴らしに拳銃を構えると、バンッ――と呟いた。


 夕方、誠一郎が帰宅した。

 玄関で待ち構えていたのは柏木とミナ子だった。

「おかえりなさいませ」

「おかえりなさい」

「ただいま」

 誠一郎は少々疲れぎみに返すと、何故かミナ子の頭を撫でた。

「先生……?」

 ミナ子は不思議そうな面持ちで誠一郎を見上げた。

 誠一郎はあっ! すまない、と言い、手を引っ込めた。

「……小幡さんは?」

 誠一郎の言葉に柏木はため息をついた。

「……自分の部屋にいます」

 柏木の様子に誠一郎は後ろめたそうに、そうか……と呟いた。

……三ヶ月とは言ったが、やっぱり……。

 誠一郎がカバンを柏木に渡そうとした時だった。

「誠一郎さ~ん! おかえり~っ!」

 階段を、我が物顔で降りてきた木幡は、柏木やミナ子をひょいとよけ、誠一郎に歩み寄ってきた。

 これから外出でもするのか、木幡は奇抜な私服姿だった。

「た、だいま……。小幡さん、これから外出?」

「今日あたし、誕生日なの〜! だぁかぁらぁ、どこか連れってってよぉ? 良いでしょぉ?」

 木幡の媚びるような口調と内容に誠一郎たちは唖然とした。

「アレ……? 小幡さんの誕生日って――」

 誠一郎は、お手伝いさんの募集で提出された木幡の履歴書を思い起こした。

「たしか――」

「ああっ! 早く行きましょっ! 柏木さんも早く着替えてっ!」

 木幡は急かすように柏木とミナ子の背をぐいぐいと階段まで押していった。

 柏木とミナ子は目を丸くし、振り向いた。

「小幡さんっ! 強引よっ!」

 柏木は険しい表情で、肩越しに言った。木幡は切羽詰まったように言い返した。

「良いのよ! 早くしてっ!」

 柏木とミナ子は階段の前で立ち止まると振り返り、誠一郎を見つめた。誠一郎の意見を待っている様子だ。

 誠一郎は仕方がなさそうに肩をすくめ、うなずいて見せた。すると柏木とミナ子も諦めたようにうなずき二階へ上がっていった。

「それで、小幡さんはどこに行きたいんだい……?」

 誠一郎が尋ねると木幡はえっ! と意表を突かれたように目を丸くした。それもそのはずだ。今日は小幡の誕生日ではないのだから。

「えっとぉ……イタリアン……?」

 木幡は今思いついたように答えた。誠一郎は腕時計を眺めると、参ったな、と言ったような表情を浮かべた。

「六時からか……。並びそうだな……」

「良いの、良いのっ!」

 そうこうしているうちに柏木がジーンズに爽やかなグリーンのブラウス姿で階段を降りてきた。

「柏木さん来たわね! 場鳥ちゃんはまだっ?」

 木幡は二階に向かって叫んだ。その様子を誠一郎と柏木は不思議そうに眺めていた。

「木幡さん……どうしたんだ……?」

 誠一郎は柏木に耳打ちすると、柏木も誠一郎に耳打ちした。

「何か変ですね……」

「ばっ、とっ、りっ、ちゃ〜んっ!」

 木幡の必死の呼びかけに、ようやくミナ子が降りてきた。先ほどと同じ、いつもの黒いワンピース姿だった。

 誠一郎は首をかしげた。

「その格好で行くのか……? 他に――」

「わたし、行きません。お三方で行ってきて下さい」

 ミナ子の言葉に誠一郎と柏木は眉をひそめた。

「ミナ子ちゃん……?」

「場鳥、食事代くらい出すよ」

 ミナ子は眉間にシワを寄せ、頭を振った。誠一郎は眉尻を下げた。

……小幡さんの食事に行くから怒っているのか……?

「場鳥――」

「早く行って下さいっ! どうせわたしは何も食べられないんですっ……」

 ミナ子は先ほどと打って変わって険しい表情で言った。誠一郎は申し訳なさそうに肩を落とした。

「あ、すまない……」

「誠一郎さん、早く行きましょうっ!」

 木幡は誠一郎と柏木の背を強引に押していった。

 誠一郎は後ろ髪引かれる思いで玄関を出た。

 誠一郎と柏木を玄関から出すと、木幡はミナ子を一瞥し、ドアを閉めた。

……せいぜい指を咥えて待ってれば? まぁ、“無事でいられるか”分からないけど?

 誠一郎たちが出ていったのを見届けたミナ子は、背後から薄汚れた白鞘の短刀を出した。

 ミナ子は深呼吸をした。その表情はどこか不安げな様子だ。


 どれくらいの時間が経っただろう。

 ミナ子は階段に座っていた。

 短刀を持ち上げ、鞘から短刀を抜刀した――刹那。

 ガシャンッ!

 リビングの方からガラスの割れる音がした。

 ミナ子は短刀を構え、リビングに忍び足で向かった。

 リビングのドアをそっと開け、室内をのぞき見ると、窓から七人の、黒い帽子に上着、手袋、マスクの黒ずくめの青年たちが土足で入り込み、最後にパンツスーツ姿の女、伊藤も土足で上がり込んできた。

 青年たちの中に黒いパーカー姿の山田と黒いトレーナーを着た市原良太の姿もあった。

 ミナ子は歯を食い縛った。

……土足で上がり込んでっ……。掃除大変なんだぞっ!

 黒ずくめの青年たちはマスクを外し、室内を舐め回すかのように見渡した。

「良いところ住みやがって」

「ムカつくぜ」

「金目の物とかも盗もうぜ?」

 青年たちがリビングの物を物色しようとすると、リーダー格と思われる山田が怒鳴った。

「おめぇら、遊びに来たんじゃねぇぞ?」

「そうよ。さっさとあの“チップ”を見つけてっ! 警察に渡ったら大変よっ!」

 山田の隣で伊藤もそろって叫んだ。

 青年たちの唇からのぞかす長い犬歯にミナ子は目を見張った。

……女以外全員……。

 伊藤の言葉に黒ずくめの青年たちは面倒そうに返事をすると、一人の青年がドアの方へ向かってきた。

 ミナ子はすかさずその場を離れると、階段の脇に身をひそめた。

「俺、二階見てくるわ」

 青年はミナ子の前を素通り、階段を上がっていった。

 ミナ子は短刀を構えると、青年の後を追った。

 のんきに階段を上がる青年の背をとらえたミナ子は音を立てることなく駆け出し、高く飛躍すると青年の心臓に狙いを定めて背中に短刀を突き立てた。

「ぎゃぁぁああっ!」

 ミナ子に背中を刺された青年は断末魔をあげ、階段をごろごろと転がり落ちていった。

 玄関前にドシャリ、と生々しい音を立てて到達した時には、青年の首はあらぬ方向に曲がり、もう息をしていなかった。刺された箇所から血がだらだらと流れ、玄関フロアの床をぬらしていった。

 ミナ子は素早く短刀を回収した。そこへ慌てた様子で黒ずくめの青年たちと伊藤が玄関前にやって来た。

「何事な――。これは……」

 伊藤は、階段から転がり落ちていった青年の成れの果てを目にして、開いた口が塞がらない。そして、ミナ子を睨んだ。

「あんたが殺ったの……?」

 伊藤は低い声で鋭く尋ねると、ミナ子は伊藤を睨み、短刀を構えた。

「ガキも連れていけ、って言ったのに……。あのバカ女……」

 伊藤は大きなため息をつくと、ミナ子を指差した。

「見られたからには、あなたを生かしておくわけにはいかないわ。“仲間”も一人殺られたわけだし」

 伊藤の言葉に、山田を筆頭に青年たちが身構えた。

 ミナ子は眉をひそめ、短刀を強く握りしめると黒ずくめの青年たちに向かって駆け出した。


 誠一郎はみなとみらい方面に向かって車を走らせていた。

 誠一郎の運転する助手席に木幡が、後部座席に柏木が座っている。

 誠一郎は少し気落ちした様子だった。

 バックミラー越しに柏木を盗み見ると、柏木も落ち込んだような面持ちで窓の外を眺めていた。

……場鳥には申し訳ないことをしたな。帰りに何か――。

「あっ! 誠一郎さん、あたしあそこで食べたーいっ!」

 突然木幡が道路沿いのレストランを指差した。

「あ、うん……」

 誠一郎はウィンカーを出すとレストランの駐車場に車を入れた。

 そのレストランはフランス料理の店だった。

……待った。小幡さんはその格好でここに入るつもりなのかっ?

 誠一郎はレストランに入ることをためらった。

 結局、レストランに恐る恐る入ると、ウェイターに人数を聞かれ、窓際の席へ案内された。

「ご注文が決まりましたらお呼びください」

 ウェイターはメニューを誠一郎に渡すと、その場を後にした。

「えっと、どれに――」

 誠一郎がメニュー表を広げようとしたところで、横から小幡にひょいと奪い取られた。

「……あ」

 誠一郎と柏木は目を丸くした。木幡は二人にお構いなしにメニュー表を広げると、自分の食べたいものを指差した。

「あたしぃ、これが良いかなぁ?」

 と言いつつ、木幡はページをめくると、あっ! これも良いなぁ! と声を張った。周りにいるお客や従業員の目が小幡に集中した。とたんに誠一郎と柏木は顔を伏せた。

……柏木さん、申し訳ない。

 誠一郎は柏木を申し訳なさそうに見つめた。

 一時間後。

 最後に木幡がアイスクリームを食べ終え、ようやく今晩のディナーが終わった。

 誠一郎は、今日はどうしても早く帰りたかった。

 長谷川の司法解剖報告書を仕上げて、明日の朝小林に届けた後、東京に行ってミナ子の戸籍謄本をもらいに行く予定だ。何としても今夜中に報告書を完成させないといけない。

 車での帰り際、突然誠一郎はとある店の駐車場に車を入れた。

 柏木と木幡が目を見開く。

「旦那さま……?」

「ちょっと……待ってて……」

 誠一郎は車を停めると、足早に店に入っていった。

 木幡はスマートフォンをいじりだし、柏木は窓から店の玄関をのぞき見た。どうやらジュエリーショップのようだ。

 柏木は眉をひそめた。

……旦那さま……? まさか……。

 柏木は心配になり、車を出ると誠一郎の後を追った。

 ジュエリーショップに入ると、誠一郎の姿を探す。

 誠一郎はカウンターのガラスケースをじっと見ていた。

 柏木は誠一郎に歩み寄り、誠一郎の見ているものを背後から眺めると、顔を綻ばせた。

 誠一郎が見ていたのはアクアマリンのアクセサリーだった。

「どうしようかな……?」

 誠一郎は口元に手を当て、ガラスケース内に並ぶ指輪やネックレスのアクセサリーをキョロキョロと見渡している。

「場鳥はペンダントしてるし――」

「旦那さま」

 背後から突然柏木に呼びかけられ、誠一郎は驚いた様子で振り返った。

「柏木さんっ……。イヤ、場鳥に、と思って……」

 誠一郎は恥ずかしそうに頭を掻いた。

「旦那さま、これはどうですか?」

 柏木はガラスケースを指差した。柏木の指の先には小さな指輪――ベビーリングがあった。

「ミナ子ちゃん、ペンダントしてますでしょう? 一緒に着けてもらうんですよ」

「なるほど……。よし、これにしよう」

 誠一郎は顔を上げると、店員に声をかけた。

「すみません、これラッピングして下さい」

 買い物を終えた誠一郎と柏木は車に戻ると、今度こそ、帰宅するため車を発進させた。


「ねぇ、まだ見つからないのっ?」

 伊藤は誠一郎の書斎のソファーに足を組んで座り、机やその引き出し、本棚を漁っている山田たちに苛立ちを見せた。

「探してるって!」

 山田も山田で、引き出しをひっくり返しては、床に落ちたものを漁っている。

 因みにミナ子の姿はなく、青年たちの人数も四人に減っていた。

「もしかして解剖医のヤツがまだ持ってんじゃねぇの?」

 本棚を漁っている市原の呟きに伊藤は大きなため息をついた。

「なわけないでしょ!」

 伊藤は市原に怒鳴った。

「端末で追跡出来ねぇの?」

 山田は伊藤に歩み寄り、伊藤を見下ろした。

 伊藤は面倒くさそうにスマートフォンを取り出すと追跡アプリを開き、マイクロチップの現在地をし確認した。

 表示された地図上のマイクロチップの現在地が動きだし、指し示したのはなんと、保土ヶ谷あたりだった。

……あのバカ女め……。

 伊藤はスマートフォンを目の前のテーブルに叩きつけると、テーブルを思い切り蹴った。

「計画変更。あの解剖医が帰ってくるのを待つわよ」

 伊藤は苛立ちを含んだ口調で言った。

「え? じゃあ、殺っちゃうってことで?」

 山田はニヤリと口角をあげた。

「そういうこと」

 伊藤はソファーのひじかけに頬杖を突くと、フンッ、と鼻で笑った。

……それにしてもあのガキ。子供のクセに“被検体”を“三匹”も殺りたがって……。ま、良いキミね。

 伊藤はほくそ笑んだ。

 一階リビングのドアの前に、胸から血を流してる青年が横たわっていた。

 リビング室内には床にうつ伏せで、背中に短刀が刺さって倒れてる青年と、その隣に肌が青白く老けこけ、真っ白な長い髪を乱し、動かなくなったミナ子が倒れていた。


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