十一

 翌日、早朝。神奈川県藤沢市川名某霊園に小林と八坂がやって来た。

 小林と八坂は黄色く目立つ規制線をくぐり、墓地に入った。

 遺体の周辺には既に鑑識標識が立ち並んでいる。

 小林の視界に、近くの墓石がポッキリ折れているのが入った。

……何か……ぶつかったのか?

 首をけしげつつ、遺体の元にしゃがみ込むと、八坂とともに合掌した。

「……若いな。これ学校の制服だよな……?」

「そうですね……」

 小林の呟きに八坂が静かに返した。

 小林は白手袋をはめた指でそっと遺体の唇を押し上げた。

「同じ殺され方だな。胸を一突き。犬歯を引っこ抜かれてる……」

「ですが、横浜市からいきなり離れましたね。もしかしたら模倣犯……」

 八坂は顎に手を当てた。

「遺体を鎌倉医科大に運ぶぞ!」

「「はいっ!」」

 小林のかけ声で捜査員たちが慌ただしく行動を開始した。


 鎌倉医科大学付属病院の裏口に警察車両数台が到着すると監察医の長谷川が出迎えてきた。

 捜査員たちは遺体の入ったバッグを運び出し、長谷川が用意していたストレッチャーに乗せた。

 小林と八坂が長谷川に駆け寄った。

「長谷川先生、朝早くにすみません。今回もよろしくお願いいたします」

 小林と八坂は頭を下げた。

「分かりました。ただ……」

 長谷川は少々険しい表情を浮かべた。小林と八坂は内心不安になった。

……まさか、もう依頼しないでほしい……とか?

「今日の明朝に入院されていた患者さんが亡くなりまして……その方の解剖もありますので、今日中にご遺体をお返しするのは難しいかと……」

 長谷川は申し訳なさそうに言った。

 理由を聞いた小林と八坂はふぅ、と胸を撫で下ろした。

「では、終わり次第ご連絡下さい」

「分かりました」

 遺体を長谷川に託すと、小林たちは鎌倉医科大学附属病院を後にした。


 朝。ミナ子の部屋で誠一郎はゆっくりと目を覚ました。

……昨日は確か……。

『……わたしは……養子にはなれません……』

 昨夜のミナ子の言葉が蘇り、戸惑いと悲しみが込み上げてきた。

 ミナ子にはまだ養子の話なんてしていないのに、と誠一郎は項垂れた。

……場鳥は……俺のことが嫌いなのだろうか……?

 ぼやけてた視界が次第にはっきりとし、自分の正面にぐっすりと眠る青白い顔が見えた。

……場鳥。戻ってきてくれたのか……。

 誠一郎は小さな安堵のため息をつくと、手を伸ばし、いつもの如く“眠っている”ミナ子の横髪をそっと耳にかけた。

……冷たい。

 指がかすめ触れたミナ子の頬はひどく冷たかった。

「……なぁ、場鳥……。君は――」

……あの時の女の子か……?


 朝七時。ダイニングルームにて誠一郎はテーブルにつき、朝食が運ばれるのを待ってる間、新聞を読んでいた。と、いってもほとんど読むフリで、ミナ子が来るのを待っていた。

「失礼します」

 ミナ子が朝食を乗せたワゴンを押してやって来た。

 誠一郎はすぐさま新聞を折り畳み、脇によせると、かしこまったようにテーブルに手を組んで置いた。

 ミナ子は淡々と誠一郎の前に朝食のサラダやトースト、ヨーグルト、ドレッシング、ジャムを並べていった。最後にコーヒーカップを置くと、ポットからコーヒーを注いだ。

 全てを出し終えたミナ子はワゴンを押してダイニングルームを出ようとした。とっさに誠一郎が慌てた様子で引き止めた。

「場鳥っ……」

 ミナ子が振り向いた。

「はい」

 その表情は少し疲れてる様子で、元気がないように見える。

 誠一郎は何と切り出そうか少し考え、ゆっくりと口を開いた。

「昨夜――」

 どこに行ってたんだ? 養子になれないって……どうして養子の話を知ってるんだ? と、聞きたかったのに、これ以上言ってしまうと、ミナ子が自分の元を去ってしまうのでは? そんな不安がよぎった。

 誠一郎はため息をつき、何でもない……。と、静かに終わらせると、ミナ子が歩み寄ってきた。

「先生……」

 誠一郎はミナ子をそっと見た。

 ミナ子は表情を綻ばせると、誠一郎の背中を優しく擦った。誠一郎は目を丸くした。

「変な夢でも見ていたんですね。大丈夫です。わたしは何かない限り、ここにいたいと思っています。その“何か”とは詳しくは言えませんが……」

 ミナ子は誠一郎をなだめるかのように、柔らかな口調で言った。

 誠一郎は憂いを帯びた表情を浮かべた。

……また、はぐらかされたのか……? 否、きっと夢だったんだ。場鳥が養子の話なんて知るよしもないし……。

 小さな女の子になだめられていると思うと、誠一郎は少し情けなさを感じた。

……場鳥の方が年上のようだな……。


 錦野監察医総合病院の外来。

 誠一郎は診察の合間に自分のノートパソコンを開いては今朝、藤沢市でおきた刺殺事件の記事を読んでいた。

「……今度は藤沢か……」

 誠一郎は深いため息をついた。

……長谷川も大変だな……。

 誠一郎はふと、医学生時代の頃を思い出した。

 誠一郎と長谷川は大学の同期で、初めの頃はあまり話しをしたことはなかったが、親が同じく医者ということもあり、自分と同じく長谷川も自然と医者を志していた、と。

 長谷川は頭も良くて大学を首席で卒業し、卒業生代表として壇上に上がり、卒業証書をもらっていた。


 夕方。鎌倉医科大学附属病院地下、遺体安置室前。

 長谷川は入院中に亡くなった患者の解剖を終え、この度藤沢市川名で刺殺された青年、横浜市青葉区在住の渡辺明、十六歳の遺体が入ったバッグを放射線技師や看護師数人とともにストレッチャーで運び、放射線科へと向かう。

 渡辺の遺体を数人がかりでCTの寝台に乗せ、遺体の断層撮影を行った。

 断層撮影を終えると、遺体を解剖室へ運んでもらい、長谷川はそのままCT操作室で渡辺のCT画像を一早く眺めた。

 マウスで頭頂部から肩の方へ断層画像をスクロールし、頚椎に差し掛かったところで長谷川の指が止まった。

……何だこれ……?

 頚椎の骨の下の部分から放射線状に広がる“白い影”を見つけたのだ。

……メタルアーチファクト……? 手術でもしたのか?

 首をけしげつつ、腕を組むとうむ、と唸った。

……それとも、怪我をした際に異物が入って、取り残された物とか?

 長谷川は以前救急外来で診察をしていた時、素足で縫い針を踏んでしまった患者を診たことがあったのだが、レントゲンで撮影すると、骨と骨の間にくっきりと鉄製の細長い物が写っていたのを思い出した。

「よし、解剖するか」

 長谷川は放射線科を後にした。


 地下の解剖室にて、長谷川は手術衣をまとい、手術台に横たわっている渡辺の遺体と対面した。

 脇には解剖するための道具が揃っている。

 長谷川はまず、遺体の外部を検視し、外傷の有無を確認した。

……外傷は胸部の刺されたような傷と、犬歯を抜かれているぐらいか。

 長谷川は人体図に書いていった。

 遺体をゆっくりと横に転がすと、背中を露にした。

……首の異物が気になるな……。

「では、始めよう」

 脇のメスを握ると、長谷川は遺体の頚椎に沿って切開していった。


 深夜。司法解剖を終えた長谷川は遺体を安置室に戻すと、その近くの診察室で一人黙々と電子カルテやノートパソコンとにらめっこしながら司法解剖報告書に打ち込んでいた。

 長谷川の手元には、渡辺の遺体から摘出された、謎の米粒ぐらいの大きさの、表面が透明で中の基板やコイルが確認出来るマイクロチップのような物がペトリ皿に乗っていた。


 鎌倉医科大学附属病院、夜間救急玄関。

 玄関脇の詰所に男性警備員が一人待機しており、病院内、周辺の防犯カメラを眺めてはあくびをし、伸びをした。

 そこへ。

「助けてくれっ……」

 夜間救急玄関をくぐってきたのは二人の青年だった。

 一人は黒いつば付き帽子とパーカー姿で、もう一人は学生服姿で頭から血が流れ出て、学生服のブレザーが真っ赤に染まっていた。

 黒いパーカーの青年が血まみれの青年の腕を支えて詰所の窓口にバタバタと歩み寄ってきた。

「助けてくれっ! 友人が転んでっ……」

 黒いパーカーの青年が必死に警備員に説明する。

 警備員はすぐさま詰所から出て来て、青年二人に駆け寄った。

「大丈夫ですかっ?」

 警備員が看護師に連絡しようと肩の無線機に手を伸ばした時だった。

 突然警備員の顔面にスプレーの中身が吹かれ、警備員はぐっすりと眠ってしまったのだ。

 警備員が眠ったのを確認した青年二人はスクッと立ち上がった。

 山田はつば付き帽子のつばを後頭部に回し、学生服の青年は顔の血糊をブレザーの袖で拭い取った。

「さ〜て、“回収”しに行きますかぁ」

 黒いパーカーの青年、山田と学生服の青年二人はニヤリと口角を上げた。その唇からのぞかせた犬歯は異常に長く、尖っていた。

 二人はヘラヘラと笑いながら非常階段から地下へ降り、安置室を目指す。

「イヤ〜まさか、入り込むのこんなに簡単とはな?」

「渡辺のヤツなんかちゃちゃっと回収して、終わらせちまおうぜ?」

 軽快な足取りで階段を降り、地下の踊り場に着くと、そっと防火扉を開け、通路に出た。

 地下一階は薄暗く、この深夜には誰も寄り付かないだろう、という冷やりとした空気が漂っていた。

 壁の案内表示を頼りに安置室の前に着くと、早速金属製の重たそうなドアを開けようとした。が、ビクともしなかった。

「はあ? 何でだよっ! こんなドアなんかにっ!」

 学生服の青年が苛立ちを見せ、ドアを思い切り殴った。ドアには多少のへこみが出来た。

「そうかっかするなって。きっと何かICカード的なものが要るんだ」

 山田が学生服の青年をなだめると、ドア横のカードリーダーを指差した。

「くっそ! めんどくせーよ」

 学生服の青年は悪態をついた。

「誰かいないかなぁ〜?」

 山田が安置室の周辺を見ると、廊下の手前の一室から光がもれ出ていた。

 二人は互いを見合い、ニヤリと笑った。


 長谷川はまだパソコンに司法解剖の報告書を入力している最中だった。

 ふと、手元のペトリ皿に乗るマイクロチップを眺めた。

……これは……発信器か何かか?

 長谷川はマイクロチップをちょんちょんと突っついた、その時。いきなり背後から両の腕を山田に掴まれ、首筋を思い切り噛まれた。長谷川は断末魔を上げた。

「うわぁぁああっ! やめろぉぉおおっ!」

 山田はじゅるじゅると音を立て、長谷川の血液を吸った。

 抵抗をするのも虚しく長谷川の髪が、黒かったのが毛先からどんどん白くなっていき、身体中の水分が抜かれるように皮膚が萎れ、椅子から落ちるように床に倒れた。

「余計なことに首を突っ込むからだよぉ? ははっ!」

 口元から血を垂らしながら山田は嘲るように笑うと、動かなくなった長谷川の首にぶら下がっていた名札を奪い、口笛を吹きながら部屋を後にした。


 翌日、早朝。小林と八坂は複雑と無念の気持ちで鎌倉医科大学附属病院の地下、安置室の前に立っていた。

 安置室のドアには何かにぶつけられたへこみがあり、無造作に開かれていた。その足元には長谷川の名札が落ちていた。

 先ほど鎌倉警察署より、鎌倉医科大学附属病院で変死体が発見されたと報告があり、まさかとは思っていたが、そのまさかだったのだ。

「変死体の身元ですが、電子カルテのログインユーザー名が|長谷川正芳“はせがわまさよし”となっていたのでこの病院の監察医、長谷川先生で間違いないと思われます」

 八坂は手帳を開き、小林に報告した。

「ログインユーザー?」

「はい。この病院では、職員一人々々にログイン番号が割り振られ、厳重に電子カルテの管理の徹底をしているそうです」

「そうか……」

 小林はしゃがみ込み、額に手を当てると大きなため息をついた。

……まさか先生の殺人に、まして渡辺明の遺体を持ち去られるだなんて……。

「くそっ……」

 小林は床に拳を叩きつけた。

「先輩……」

 八坂もやるせなさそうにうつむいた。

「八坂……」

「はい……」

 小林は顔を上げると力ない声で八坂に指示を出した。

「錦野に連絡を……」

「分かりました」


 錦野監察医総合病院の裏口に警察車両が入ってきた。

 早朝に八坂から連絡を受けた誠一郎は、裏口の前に立っており、警察車両を出迎えた。

 警察車両から小林と八坂が降りてくるや否や、誠一郎が駆け寄った。

「なぁ、小林。藤沢市にも監察医、長谷川がいるだろ? 何で俺なんだ……?」

 誠一郎が不審そうにうかがうと、小林と八坂は眉を寄せ、申し訳なさそうに顔を伏せた。

「実は、錦野……」

 小林は誠一郎に司法解剖依頼書を手渡した。誠一郎は書類に素早く目を通すと驚愕した表情を浮かべた。

「長谷川っ……?」

 誠一郎は呆然とした面持ちで小林を見つめた。小林は深々と頭を下げた。

「すまない、錦野っ! まさか、こんなことになるだなんてっ……」

 小林は自分の膝に拳を叩きつけてはわなわなと体を震わせた。

「先輩……」

 八坂はただ悔しげに震える小林を見つめることしか出来なかった。

「小林……」

 誠一郎は小林の肩に手を置いた。小林がゆっくりと顔を上げると、沈痛な表情の誠一郎が目に入ったが、誠一郎は一転して真剣な眼差しを小林に向けた。

「必ず捕まえてくれよ」

 小林は力強くうなずいた。

「ああっ!」

 小林は振り向くと八坂を見上げた。

「八坂、鎌倉医科大に戻るぞっ!」

「はいっ!」

 八坂は希望を持ったように表情を明るくさせ、うなずいた。

 小林と八坂は遺体を誠一郎に託し、錦野監察医総合病院を後にした。

 誠一郎はそんな二人を見送ると、気を引き締め、長谷川の遺体が入ったバッグを乗せたストレッチャーを病院内へ運んでいった。


「朝早く呼ばれて、何だと思いきや……。まさかCT第一号がご遺体だなんて……」

 窪はガックリと肩を落とし、残念そうに呟いた。

「そんなこと言わずに、お願いですから。レントゲンだけでは見過ごされてしまう場合もあったと思いますので、今度からCTをフル活用させていただきます」

 誠一郎は窪を諭すように言った。

 誠一郎と窪は、遺体が入ったバッグを乗せたストレッチャーを放射線科へ運んでいる最中だった。

 まだ診察開始時間前で放射線科はがらんと静まり返っており、受付事務員や看護師すらいない。

 誠一郎と窪はストレッチャーをCT室に入れた。

 この度新しく設置したCTを誠一郎はほほう、と興味津々に眺めた。

 患者の寝台の頭上に巨大なドーナツ型の機械――ガントリと呼ばれる部分――がそびえ立っている。その“ドーナツ”の内部でX線管と、対極にある検出機が、カバーで覆われているが、寝台の周りをぐるぐると回っているかと思うと、誠一郎は少々恐怖を感じた。

……ガントリの中身が高速回転しすぎて吹っ飛ぶなんて……ないよな? イヤ、吹っ飛んだら大変だ。

 ストレッチャーをCTの寝台横につけると、誠一郎は固唾を呑み、遺体が入ったバッグのジッパーをゆっくりと開けた。

 遺体の顔が見えたとたん、窪が甲高い悲鳴を上げた。

「ひぃっ! 聞いてた年齢と違うんですけどっ?」

 誠一郎は深いため息をついた。決して窪に呆れてるわけではない。

 大学の同期で、年齢も同じ人間が、こんな風に老化して亡くなっていることに誠一郎は落胆を感じたのだ。

 誠一郎と窪はストレッチャーから慎重に、CTの寝台に遺体を移動させると、隣の操作室へ入った。

「では、始めます」

 窪が操作コンソールをいじり、CTが動き出した。

 遺体を乗せた寝台がガントリをくぐっていき、ものの一分もしないうちに全身を撮り終えた。

「早速見てみますか?」

 窪の問いに誠一郎はうなずき、二人はモニターを見下ろした。

 窪がマウスで頭頂部から足の方に断層画像をスクロールしていき、下顎部分に差し掛かると、突然口腔内に放射線状に広がる“白い影”が出現した。

「「メタルアーチファクトだ……」」

 誠一郎と窪はそろって呟いた。

 因みにアーチファクトとはCT撮影時において、金属や、患者が撮影中に体を動かしてしまったことなどによって起こる現象で、メタルアーチファクトの場合、体内に金属があったことによってX線が阻害され、その部分の情報が正確に得られず、金属部分を中心に放射線状に白抜きになってしまう現象である。

「銀歯……ですかね?」

 窪が誠一郎に問うと、誠一郎は否……と、声をもらした。

「銀歯じゃない……と思います」

 誠一郎はモニターを指差した。

「これは……舌下……ですね」


 鎌倉医科大学附属病院、夜間救急玄関脇の詰所に小林と八坂はいた。

 今、昨日勤務だった男性警備員から話を聞いている。

「昨日の深夜は……?」

 八坂が問うと、警備員は慌てふためいた様子で喋りだした。

「午前一時五十分だったと思います。黒い服の青年が血まみれの学生服の青年を支えてやって来たんです。『助けてくれ』って。それで駆け寄って、看護師を呼ぼうとしたら突然、顔にスプレーをかけられて……。その先は分からないです……」

 警備員は話す声に、次第に力を失い、肩を落とした。

「昨日の防犯カメラの映像を見せてください」

「はい。こっちです」

 警備員は詰所の奥に小林と八坂を案内した。

 警備員は休憩室の奥のパソコンをカタカタといじり、画面を小林と八坂に向けた。小林と八坂は画面に目を向けた。

 パソコンの画面の中で何分割かに分けられた画像を警備員が指差した。

「あっ! この二人です!」

 小林と八坂は画面を食い入るように見つめた。

 画面は夜間救急の玄関を写しており、黒いつば付き帽子の青年が学生服の青年の腕を支えて入ってきたところだ。

「止めてください」

 八坂に言われ警備員は防犯カメラの動画を一時停止した。

「先輩、この学生服で学校が特定出来ますよね?」

「そうだな。八坂、撮っておけ」

「はい」

 八坂は自身のスマートフォンを取り出すと、パソコンの画面を撮影した。

「ご協力ありがとうございました」

 小林は警備員に頭を下げると、行くぞ、と八坂に言い、休憩室を後にした。

 八坂は画面の黒い帽子の青年を一瞥した。

………東扇島で見た奴か……?

 八坂は警備員に会釈し、小林の後を追った。

「先輩、待ってください!」


 錦野監察医総合病院の地下、解剖室にて誠一郎は手術衣をまとい、手術台に横たわっている長谷川の遺体を悲痛な面持ちで眺めていた。

……今回の事件に関わったから、殺されたのか……? なら、どうして俺はまだ平気なんだ? 実は俺が見落としていたものを、長谷川が見つけたからか……?

 誠一郎はボードとシャープペンシルを持ち、遺体の検視を始めた。

……変死体の共通点は謎の老化、首筋の傷穴二つ、手で強く掴まれた二の腕の痣。それ以外に外傷はなし。

 誠一郎は人体図に記入していった。

「そう言えば……」

 誠一郎はボードとシャープペンシルを手術台の脇に置くと、ペンライトを手に遺体の口をそっと開き、CTでおきた現象、メタルアーチファクトの原因を探った。

 遺体の舌を慎重にめくり、舌下をペンライトで照らす。

……何か金属は――これは……?

 誠一郎はペンライトを置くと、ピンセットに持ち替え、遺体の口腔内にあったメタルアーチファクトの“原因”を摘まみ出した。

 目の前に持ってくると、眉をひそめ観察する。

「……マイクロチップ……?」

……何かの拍子に入ってしまったのか?

 誠一郎はマイクロチップをペトリ皿に入れると、人体図の口に線を引っ張り、“マイクロチップ”と記入した。

……このチップは一体何なんだ?


 川崎市川崎区のとあるマンションに小林と八坂は防犯カメラの画像の学生服の青年について聞き込みに来ていた。

 玄関前のインターホンを押すと、やつれた女性の声が聞こえた。

『はい……』

 八坂が警察手帳をインターホンのカメラに見せながら名乗った。

「こちら神奈川県警の者ですが、市原良太さんのことで――」

『良太が見つかったんですかっ?』

 小林と八坂は女性の声の変わりように目をぱちくりした。

 小林と八坂はリビングに通してもらい、市原良太の母にお茶を出してもらった。

「どうぞ」

 小林と八坂は会釈した。

「市原さん、単刀直入に聞きますが、良太さんは家出されてますよね?」

 小林の問いに市原良太の母はがくりと頭を垂れた。

「はい……。一月初旬に……」

 市原良太の母は力のない声で答えた。

「ある事件に関与している可能性があります」

 八坂が低い声で言った。市原良太の母は驚愕の表情を小林と八坂に向けた。

「事件……?」

「それで、お願いがあるのですが――」

 小林は続けた。

「市原良太さんの私物を押収させていただきたい」

 市原良太の母は呆然とした表情を浮かべた。

 市原良太の部屋はカーテンが閉めきられ、昼間だというのに薄暗く、じめっとしていた。

 今時の学生の部屋のように本棚や机にはマンガが乱雑に置かれており、床には脱ぎっぱなしのワイシャツやズボン、靴下が放置された伊いた。

「今時の若いのって部屋きたねぇよな……」

「そ、そうですね……」

 小林と八坂はそろって顔をひきつらせながら白手袋をはめた。

 ぐしゃぐしゃに畳まされたかけ布団が乗るベッドの枕元にスマートフォンがあった。

 八坂はスマートフォンを持ち上げると電源ボタンを押してみた。

 もう充電がないのか、スマートフォンはうんともすんとも言わなかった。

「えっと充電器、充電器……」

 八坂は埃まみれのベッドの足元をのぞき、充電器のコードを見つけると、スマートフォンを充電した。

 少しして電源を立ち上げると、八坂は早速インターネットの検索履歴を調べた。案の定履歴はすべて削除されていた。が、今回は八坂も想定内だった。

……だと思った。

 八坂は内心ほくそ笑みながらポチポチと入力した。

「“きえたいひとのけいじばん”」

 虫眼鏡のマークをタップすると検索結果がずらりと並んだ。

 画面を上へスワイプし、検索結果を順番に見ていると、“2019/12/19にこのページにアクセスしました”という文字を見つけた。

「先輩!」

 八坂はスマートフォンの画面を小林に向けた。小林は目を凝らして画面を見つめた。

「んん……。市原良太は今回の連続失踪者殺人事件とも関係あるのか……?」

「かもしれません……」


 昼。医局はがらんとしており、他科の医師たちの姿はなく、外食に出ているかまだ外来で診察中のどちらかだろう。

 誠一郎は司法解剖を終えると、医局で昼食そっちのけで司法解剖の報告書をパソコンで作成していた。

……長谷川の無念は俺しかはらせない。

 誠一郎はいつも以上に専念して資料や解剖所見に目を通しながら入力していた。

 時折、遺体の口腔内にあったマイクロチップを眺めては、これは一体何なのだろうか? と、思考を展開していった。

……鎌倉医科大でこんなチップなんて使うだろうか? 否、名札兼セキュリティカードがあるし。小腸内視鏡? いや小腸内視鏡のカプセルはもっとデカい。

 小腸内視鏡のカプセルは薬剤のカプセル錠剤よりもはるかに大きいのだ。こんな米粒なら飲み込むのにどんなに楽だろうか。

 誠一郎は椅子の背もたれにもたれ掛かった。

「ダメだ……。何なんだろう? 全く見当がつかない。……今日は朝早かったから場鳥に会ってない……」

 誠一郎は小さくため息をついた。

……場鳥に会いたいな……。

 誠一郎は深呼吸すると、意を決したように、よしっ! と呟いた。

……司法解剖の書類を提出し終えたら東京に行こう。そして、区役所に行って場鳥の戸籍をもらってこよう。

「今夜は徹夜だっ!」

「誠一郎」

 突然背後から呼ばれ、誠一郎は振り返った。背後にいたのは忠明だった。

 誠一郎はあっ! と口を開いた。

「あ、親父。明日――」

「大丈夫か? 誠一郎……。今日司法解剖したのは……同期だったんだろう……?」

 忠明が心配した様子で聞いてきた。

 誠一郎はしゅんと肩を落とした。

「うん。だから今司法解剖の書類頑張ってるよ……」

「そうか……」

 忠明は慰めるように微笑むと誠一郎の肩を叩いた。

「頑張れよ」

 そう言うと忠明は立ち去ろうとした。

「親父っ!」

 誠一郎は忠明を呼び止めた。忠明は振り返った。

「どうした?」

「……明日代診してほしいんだけど……」

 忠明は首をかしげた。

 誠一郎は理由を告げた。

「明日、都筑警察署に司法解剖の書類届けたら東京に行きたいんだ」

 “東京”という単語を聞いた忠明は眉をひそめた。誠一郎は慌てて補足した。

「別に遊びに行くんじゃなくて、区役所に行きたいんだ」

「区役所? お前、東京にでも引っ越すのか?」

「いや、場鳥の……戸籍をと……」

 誠一郎は目を泳がせながら声をひそめて言った。

 忠明は目を見開いた。

「ミナ子ちゃんの戸籍?」

「その――」

 誠一郎はためらいがちに続けた。

「場鳥を養子に迎えたくてさ……」

 誠一郎は恐る恐る忠明を見上げた。当の忠明は目を見張ったかと思うと満面の笑みを浮かべた。

「そうか、そうかっ! とうとう俺もおじいちゃんかっ! 誠一郎、ミナ子ちゃんをちゃんと守ってやれよ」

「うん」

 誠一郎は決心したように、力強くうなずいた。


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