八
夕方。小林と八坂は“吸血鬼さん”こと、失踪届が出されている被害者宅に聞き込みをしていた。
三人目の被害者橋本奈々の部屋を、今見せてもらっている。
橋本奈々の部屋の壁には、今時のビジュアルバンドのポスターや、本棚や机にはマンガの本で溢れていた。
床には、食べた残骸のお菓子の袋や包み紙、脱ぎっぱなしの部屋着や学校の制服にストッキング、靴下、下着など、思わず目を背けてしまうほどの散らかりようだった。
小林と八坂はきっと同じことを思っただろう。二人そろって口をあんぐりと開け、仰天した様子だ。
……き、きったねぇぇええっ!
そこへ、橋本奈々の母が少々やつれた面持ちで、申し訳なさそうに顔をのぞかせてきた。
「あの……刑事さん方」
小林と八坂が振り返った。
「どうされましたか?」
八坂が進んで橋本奈々の母に伺う。すると母が頭を下げてきた。
「奈々を……見つけてくれて、ありがとうございました……。失踪する前あの子、反抗期になってしまって、しょっちゅう衝突してました。不登校にもなって部屋に閉じ籠ってはスマートフォンとかパソコンとか、ネット依存になって……そして……」
橋本奈々の母が泣き崩れた。すかさず八坂がその肩を支えた。
「大丈夫ですかっ? お気を確かに……」
「お願いします……お願いしますっ……。奈々を殺した犯人をっ……」
橋本奈々の母はわんわん泣き叫んだ。
橋本奈々の母が退室し、小林と八坂は白手袋をはめ、机の上のパソコンを立ち上げていた。その横にはスマートフォンもあった。
「ネット依存ね……。そのわりにはスマホ置いてったんだな?」
小林はキラキラにデコられたスマートフォンを眺めた。
「スマホの位置情報で場所が“われる”からでしょうか?」
「なるほど。……まさか、失踪した奴等って、何か掲示板の書き込みでも見て失踪した、ってか?」
小林は持論を展開させた。
パソコンが立ち上がると、八坂がパソコンを操作し始めた。
ネット検索エンジンのアイコンをクリックし、ウィンドウを開く。
「“お気に入り”は……」
八坂はウィンドウ上部の星マークをクリックした。
別のウィンドウが現れ、八坂と小林がのぞき込むも、『お気に入り』ウィンドウには何もなかった。
二人は深いため息をついた。
「失踪するなら証拠は残さない、ってかっ?」
小林は悪態をついた。
「アクセス履歴は……」
八坂は『履歴』をクリックした。新たにウィンドウが現れるも、ここも真っ白だった。
八坂と小林がまたため息をつく。
「入力予測変換からは……」
八坂はぶつぶつと呟きつつ、キーボードを順番に打っていった。
「あ、あ……。あ、い……。あ、う……」
数十分後。小林は床に散乱したゴミや荷物をどけて、あぐらをかいては大あくびをした。
八坂は画面をまじまじと見つめつつ、ただひたすらに黙々とキーボードを順番に打っていく。
「き、あ……。き、い……。き、う……。き、え――ん……?」
『きえ』と入力したところで、予測変換一覧の上部に“消えたい”と出てきた。
「“消えたい”……?」
八坂は“消えたい”で検索をかけた。すると、ウィンドウには検索結果がズラリと並んでいる。
主に心の相談窓口や自殺願望者の書き込み掲示板などが多かった。
ウィンドウ内を下にスクロールしていくと八坂の手が止まった。
『消えたい人の掲示板』というタイトルで、“2019/12/20にこのページにアクセスしました”と小さく出ていた。
「先輩! 先輩っ! これ!」
「何かあったか?」
八坂が指を差す先を見た小林は身を乗り出してのぞき込む。
「八坂、クリックだ」
「はい!」
八坂は『消えたい人の掲示板』をクリックした。読み込み中のマークが出て来て、少しすると、ウィンドウ内が真っ黒になり、気味の悪い赤文字でタイトルが現れた。
小林は目頭を押さえた。
「パソコンって、目に来るな……」
「先輩、もう老眼ですか?」
八坂がニヤリと、からかうように言い、小林を見上げた。
「おめぇ、若いんだから、見れっ!」
小林はプンプンしながら、八坂の頭を掴むとパソコンの画面に向けさせた。
掲示板の書き込み時期を去年の一月まで遡り、八坂と小林は書き込み内容を一つずつ読んでいった。
「……どれもこれも、“死にたい”とか“消えたい”とか“遠くへ行きたい”ばっかりっすね……。命を粗末にするだなんてっ……」
八坂の熱のこもった口調に、小林は静かに、そうだな……。としか返せなかった。
小林は、八坂の憤りを帯びたような表情に違和感を覚えた。
ページ内を下にスクロールし、二〇一九年十二月十八日の掲示板に辿り着くと不思議な書き込みを見つけた。
『保"之由宇千由宇。久呂伊止礼尓千己ー止乎機天末天。介伊多伊八於伊天伊介。加奈加"和介尓加和散機之加和散機久比加"之於宇機"之末××××××……』
「何じゃこりゃ?」
「文字化け……ですかね?」
二人はそろって首をかしげた。
「パソコン、鑑識課に依頼しますか……?」
二人は橋本奈々の母に承諾を得て、パソコンを押収した。
橋本奈々のマンションを去り際、八坂がパソコンを眺めながら小林に言った。
「飯塚さんと安田さんのパソコンとかスマホも気になりますね」
「そうだな。もしその二人も例の掲示板にアクセスしていたら絶対あの書き込み見てると思うしな……」
夜。連続失踪者殺人事件被害三人の親族から聞き込みを終え、捜査本部がある都筑警察署に小林と八坂が戻ってきた。
押収したパソコンやスマートフォンを鑑識課に託し、小林はようやく一息ついた。
「八坂、お疲れ様。今日はもう休め」
ネクタイを緩めながら小林が言うと、八坂はえっ……。と表情を曇らせた。
「休める時に休まないと、体がもたないぞ? それにお前、まだ着替え持ってきてないだろ? 一回帰宅したらどうだ?」
小林の言葉に促され、八坂は肩を落とした。
「……はい」
八坂の落ち込んだ様子に小林は目をぱちくりする。
……八坂はホント、変わらず熱心だよな……。見習わないとな……。
「明日の捜査会議は九時からだからな? 遅れるなよ?」
小林は微笑を浮かべた。八坂はきょとんとしたあと、にっこりと笑った。
「はい!」
東京都某所、とある施設。
八坂はため息混じりにガラス張りの玄関をくぐると、スーツや白衣を来た所員たちに出迎えられた。
「この度の事件……やはり“同族”がらみっぽいですか?」
平然とした口調で言ってきたのは厚生労働省の職員バッジを胸元につけたスーツの男、千葉だった。
八坂は鋭い眼光で、千葉をじろりと睨むと、苛立ちを帯びた口調で言い返した。
「同族? 僕は“今でも”人間です。不愉快ですね」
「今でも人間? 笑止っ!」
千葉は先ほどとは打って変わって冷笑を浮かべた。八坂の表情が歪んだ。
「だってそうだろう? 君のような三途の川を渡り損なったゾンビが人間? 笑わせるな」
千葉の言葉に八坂はうつむいた。
千葉は続ける。
「血液しか食することの出来ないお前らに、“同じ生き物”だなんて言われたくないね」
八坂は目の前にいる千葉に、今にも飛びかかりたくて仕方なかった。
……僕だってっ……。
歯を食い縛り、八坂は千葉からの罵倒に耐えるのであった。
……今襲いかかれば、首の機械を作動されてしまうっ……。
「ああ、そうだ」
そう呟いた千葉は上着のポケットに手を入れ、何かを取り出すと、八坂の足元にそれを放り投げた。
「腹減っただろう? さっさと“檻”に入って、その気持ち悪いものでもすすってなさい」
千葉は大口を開けて嘲笑うと、他の所員たちを引き連れ、立ち去っていった。
八坂は不本意ながら、足元に放り投げられた使用期限切れの輸血バッグを拾い上げると、とぼとぼとエレベーターに乗り込んだ。
地下の隔離室があるフロアに着くと、八坂はガラス張りの何もない隔離室内に入った。
本当はこんな隔離室にだなんて入りたくない。
以前のように敷きっぱなしの布団にごろんと横になって、眠くなるまでドラマやマンガを観て読み漁って寝落ちして、朝はギリギリに起床して、慌てて朝食を食べ、朝支度をして出勤したい。
たった二年前のことを、八坂は追懐した――。
二年前。東京都内で女子大生殺人事件がおこり、八坂が所属する警視庁捜査一課二係が担当していた。
その時既に八坂は三十代で警部補だった。大卒の国家公務員として入ったからである。
その殺人事件は証拠物件が少なく、防犯カメラで被害者女性を執拗にストーカーしている怪しい男に目星をつけ、捜査を進めていた。
科警研での防犯カメラの解析により、ストーカーは神奈川県に逃走したことを突き止め、警視庁は神奈川県警に捜査協力を要請したのであった。
八坂にとっては初めての合同捜査で、人が亡くなっている事件なのに不謹慎だとは思っているのだが、高揚感を覚えた。
八坂たち捜査一課は神奈川県警を訪れた。
皆で協力して、犯人を捕まえましょうっ!
そう一人意気込んでいた八坂だったが、神奈川県警の捜査一課刑事たちと顔合わせすると、何故か二係の皆の表情が険しいし、まるで愚弄しているかのような目付きだ。
一方、神奈川県警捜査一課の刑事たち、とくに今回合同で捜査をしてくれる当時四係係長の本田はどこか面倒臭そうな表情を浮かべては、つっけんどんに対応してきた。
「お宅ら、天下の警視庁捜査一課さまが犯人を我々の“島”に逃がしちまうたぁ、目も当てられませんなぁ」
本田の挑発に、同じく当時二係係長、八坂の上司であった戸田が額に青筋を浮かび上がらせながら静かに返した。
「すみませんねぇ。何せ証拠がこれっぽっちもないほど、犯人が用意周到でしてねぇ?」
ともに定年間近の二人の係長の間で見えない火花が飛び散るわ、周りの捜査員たちはそんな二人を煽るわ、八坂はとんでもないことになってしまったと内心ヒヤヒヤしていた。
……まるで某刑事ドラマの、川に浮いてる変死体を取り合う湾岸署と勝どき署のいがみ合いみたいじゃないかっ!
八坂がアワアワしていると、遅れてやってきた刑事が一人。
「本田係長! 何ですか? この騒ぎは……」
「あぁ、イヤ……。書類終わったか? 小林」
本田は、戸田との言い争いをすんなり終わらせると、小林と呼ばれた刑事に歩み寄っていた。
この遅れてやってきた刑事こそが、二年後に八坂の上司となる刑事だった。
……すごい……。本田係長を一気に鎮めた……。
当時小林は四十代で警部補、四係の係長補佐だった。次期四係の係長になることは間違いない。
因みに小林は地方公務員だ。
地方公務員は国家公務員と違い、階級が巡査から始まる。どんなに頑張っても警部補までが精一杯とよく聞くが、四十代でもう警部補の小林は人望のある敏腕刑事に違いない。八坂はそう悟った。
捜査方針が決まり、八坂は小林と組むこととなった。
相手は先輩刑事で次期係長。たとえ同じ警部補であっても、地位が違いすぎる。
……きっと僕は邪険にされるっ……。
八坂は内心震えつつ、ため息をつくと、腹をくくって自ら小林の元へ出向くことにした。
ぎこちない足取りで歩み寄っていくと、小林が八坂に気付いた。
八坂の心拍数が一気に上がった。
「あっ! あのっ! こ、この度小林刑事と組ませていただきます、八坂守と申します! まだ半人前ですがっ、よろしくお願いいたしますっ!」
シュバッ! と敬礼をすると、小林が目をぱちくりし――破顔したのだ。
八坂は呆気にとられた。
……あれ?
「お前が八坂か。俺は四係係長補佐の小林武信だ。よろしくな」
小林が手を差し出してきて、八坂は恐る恐るそのいかつい手を握った。
二人は握手を交わした。
これが八坂守と小林武信の出会いだった。
捜査は難航し、とうとう警視庁はストーカー殺人容疑の男を全国指名手配し、防犯カメラの画像を公開した。
全国指名手配してから東京都内からの通報が多くなり、警視庁は神奈川県警との合同捜査を呆気なく解散させた。
「じゃあな、八坂。頑張れよ?」
「小林先輩……短い間でしたが、ありがとうございました……」
八坂にとってはとても惜しい別れであった。
少しして。
とある日の夜。目撃情報を元に同僚とともにストーカー殺人容疑の男を目前に追いかけてた八坂だったが、突然男が立ち止まった。
八坂は男に突進した。
「確保っ!」
男の腕をがっちりと掴んだ時だった。
グシュッ……。
生々しい音とともに腹部に燃えるような痛みが襲ってきた。とっさに腹部を押さえた。
……え……?
訳が分からず地面に倒れ込み、腹部を押さえてた手を見ると、真っ赤だった。
男はナイフを捨て、足早に去っていってしまった。
「あっ……」
「八坂っ!」
同僚が八坂に駆け寄るも、八坂は痛みに堪えながら叱咤する。
「何してるんですっ? 犯人をっ――早くっ!」
同僚に犯人追跡を頼のみ、同僚が追いかけていくのを見送ると、八坂は痛さのあまりうずくまった。
……痛い……。これ、絶対死ぬな……。
そう悟ると、急に体が軽くなったようにふわふわする感覚を覚えた。
……眠い……。最後に小林先輩に会いたかったな……。
ふと、脳裏に小林の姿が見えた。
……犯人逮捕して、胸を張って小林先輩のところに行って、誉めてもらって……。一緒に銭湯とかも行きたかったな……。
視界がだんだんぼやけていき、八坂は目を閉じた。
眩しさで目を開くと、よく医療ドラマで見る手術用ライトが煌々と光っているのが見えた。
……え?
何故か八坂は背広ではなく裸で、体をシートが覆っているだけだった。
……ここって……。
ゆっくりと起き上がると、脇から男の悲鳴が聞こえた。
「うわっ! 死体が動いたっ!」
……死体って……?
声のする方を見ると、手術衣をまとい、手にはメスを握った解剖医と思われる男が恐怖の表情を浮かべては八坂を凝視していた。
……僕は……死んだのか?
その日を境に、八坂は目まぐるしい日々を送った。
解剖医の男が連絡したのだろうか、厚生労働省の職員たちや研究者たちがやって来た。その代表が千葉だった。
後日知ったことだが、八坂は戸籍上死亡していないことになり、警視庁から厚生労働省へ出向したこととなっていた。
その後東京都某所のとある施設に連れていかれると毎日のように実験や解剖を受けさせられ、身体はすぐに再生して何の問題もないのに、精神はズタズタに引き裂かれるのであった。
この施設内に八坂の人権など、どこにもなかった。
……死にたい……。どうして僕は……死にぞこなった……? 本当に死んでるのか……?
今まで受けてきた実験や解剖を振り返ると、どれもこれも普通の人間では死んでしまうそうなものばかりだった。おまけに今の食事は血液だ。
八坂は、実験や解剖、そして自分の体に対して恐怖を覚えた。
そんなことが約一年近く続き、施設の方も結局、何故八坂が黄泉返ったのか分からずじまいで、残りの一年弱はほぼ飼い殺される羽目となっていたのだが――。
今までの苦労が報われたのか、今回の神奈川県での連続変死体殺人事件と、それと関連してるとされる連続失踪者殺人事件を厚生労働省は“別件”で危惧しており、この度八坂を神奈川県警に出向という形で使うことにした。
そして現在に至る。
項垂れるように床に座り込むと輸血バッグの封を切り、バッグ内にたぷんと貯まっている黒ずんだ血液を軽蔑の眼差しで見下ろした。
「くそっ……。……はぁ……」
やるせなさそうにため息をつき、ギュッと目をつぶると血液を一気に胃袋へ流し込んだ。
血液特有の鉄の味に気味の悪さと、裏腹に充足感を覚えた。
……畜生っ!
全ての血液を飲み干し、空になったバッグを床に叩きつけると膝を抱えて静かに嘆いた。
……どうして……どうして、僕はっ……これしか飲み食い出来ない? きっと今までに飲食していた物も……何かかしら食べれるはずなんだっ……。
「うっ……うぅ……。早く……朝になって……」
翌日、朝。八坂は目を開くと腕時計を確認した。朝七時だった。
決して眠っていたわけではない。
最近は、夜に眠るのが難しくなってきた。死後まもない頃はいつものように夜に眠れていたのに。
だんだん自分から人間の頃の習慣が抜けていってると思うとひどく嘆きたくなった。
今唯一残ってると言えば日光に耐性があるということだろうか。
しかし、それもいつかなくなってしまうと思うとやりきれない気持ちが沸き上がってくる。
せっかくまた会いたいと思っていた小林に会えたのに。
いつしか自分が小林を襲ってしまうのではないか? そんな不安が頭をよぎるのであった。
……先輩の血って……美味しいかな……?
「うっ! 僕は何をっ!」
ふとした感情に八坂は首を激しく振った。
「おや、もう“起きた”んですね」
ガラスの向こうから聞きたくもない声が聞こえた。千葉だ。
千葉の手には輸血バッグが一つ。
「朝食を持ってきてあげましたよ?」
罵るように言うと、千葉は隔離室のドアを開け、輸血バッグを八坂の足元に放り投げた。
「今日も捜査、お願いしますね?」
千葉は冷笑を浮かべ、去っていった。
八坂は歯を食い縛り、足元の輸血バッグを拾おうとした。が、とっさに手が止まった。
……別に飲まなくたって良いじゃないか。小林先輩と捜査が出来るのと、血液を飲むのとどっちがいい?
「小林先輩っ……」
八坂は顔を上げると、今までの憂いはどこかへと吹き飛ばされたかのように爽快な表情を浮かべ、胸を張って隔離室を後にした。
……僕は吸血鬼の前に、刑事なんだっ!
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