三
翌日、朝。神奈川県警捜査一課の警部、小林武信は部下を引き連れ、とある殺人現場にいた。
「変死体の次は“これ”かよ……」
小林は辺りに漂う“臭い”に顔をしかめながら愚痴った。
現場は見通しの良い鶴見川河川敷の草むらの中で、周りに障害物となるものは一つもなかった。ただし民家もない。
遺体は成人の焼死体で、焼け焦げてめくれ上がった唇からのぞかせる歯は、何故か犬歯が二つともなかった。
辺りの雑草も黒く焦げたあとがある。所持品はなかったが、その焼け跡の中に真っ黒に焦げた犬歯と思われる歯が二本見つかった。焼かれたのはここで間違いないのだが、本当に焼かれて死んだのか? それとも証拠隠滅のために焼かれたのか?
焼死体は錦野監察医総合病院に運ばれることとなった。
午後、錦野監察医総合病院にて。
病院裏口に警察の大型車両が到着し、捜査員数人が横長で大きなバッグを慎重に運び出した。それをこの病院の監察医、錦野誠一郎が出迎えた。
「よう、錦野!」
小林が誠一郎に駆け寄った。
「お疲れ様。今回は焼死体か……」
誠一郎はため息をついた。
「俺らが注視してるのは、ご遺体の身元と、焼身自殺か殺人か……ってところだ」
「分かったよ」
遺体の入ったバッグを乗せたストレッチゃーと誠一郎は病院内へと入っていった。
司法解剖を終えた誠一郎は遺体を小林に託した。
「じゃあ錦野、結果の方よろしく」
「明日には持っていくよ」
小林たちは錦野監察医総合病院を後にした。
深夜、錦野邸にて。誠一郎は書斎でパソコンと本日の司法解剖の資料を交互に見ながら報告書を打ち込んでいた。
机や床、ソファーに医学書や参考書が無造作に置かれてある。それらは全て、誠一郎が先ほど本棚から引っ張り出してきたものだった。
……あの焼死体は殺人で間違いない。何せ気道に煤が付着してなかったし。心臓付近の肋骨に鋭利な刃物で刺されたあともある。ということは、心臓を一突きされ、死亡した後に焼かれた……。ただ……。
誠一郎は椅子の背もたれにもたれ掛かった。
「心臓が……なかったな……。胃の内容物はレバーか? 否……焼けて固まった血液……? それに何だ? 犬歯が異常に長い……」
誠一郎は深いため息をついた。
……奥歯に治療痕があったから身元分かるだろうか……?
「……そう言えば……場鳥も、犬歯長いな……」
誠一郎は立ち上がると、カーテンを少し開け、外を眺めた。
見えるのはいつもと変わりない、闇に包まれた裏庭だと思っていたのだが、今夜は違った。
黒い小さな人影みたいな物が素早い動きで裏庭を通り過ぎそのまま生垣を越えていったのだ。
誠一郎はまばたきをした。
……場鳥?
誠一郎は書斎を出ると、足早にミナ子の部屋へと向かった。そしてドアをノックする。
「場鳥? 夜遅くにすまない。私にコーヒーを持ってきてくれないか?」
中からの返事はない。誠一郎は不安を覚えた。
……まさか、家出?
「場鳥? 入るぞ……?」
誠一郎がドアを開けると、室内は真っ暗で、開け放たれたままの窓から射し込む月光だけが頼りだった。
「場鳥……?」
誠一郎は恐る恐る電気を点け、室内を見渡したが、ミナ子はいなかった。
翌日、朝。ダイニングルームで誠一郎は新聞を読むふりをしてミナ子を疑いの目で見つめていた。
因みに新聞の見出しには『鶴見川河川敷で焼死体が発見される』と書かれていた。
当のミナ子は、柏木とともに運んできた朝食をテーブルに乗せていく。
先ほどからの誠一郎の視線にミナ子は、鋭い視線を返した。とっさに誠一郎の方が目を背けた。
……うむ……どうも場鳥の目力は強すぎる。
誠一郎は心の中でため息をついた。
玄関にて、いつものように柏木が誠一郎のカバンを持ち、誠一郎の見送りをする。
「……場鳥は……?」
「ミナ子ちゃんはキッチンにいます。あ、旦那さまにお願いがあるのですが……」
「ん?」
すると、柏木は声を潜めた。
「ミナ子ちゃんのペンダント、多分アクアマリンだと思うんです。と言うことは、来月誕生日かもしれないので……聞いていただけないでしょうか?ミナ子ちゃんの誕生日を……」
「場鳥の? あ、あぁ。分かったよ」
「ありがとうございます。いってらっしゃいませ」
誠一郎は車に乗り込むと、捜査本部のある都筑警察署へ向かった。
昨日徹夜して作成した司法解剖結果を持っていくためだ。
都筑警察署受付前に、誠一郎は司法解剖結果の入った封筒を持って立っていた。
「よう! 錦野!」
そこへ小林が駆け足でやって来た。
「小林! 待たせたな」
誠一郎は小林に封筒を手渡した。
「すまないね、錦野」
小林は早速封筒の中の結果を眺めた。
「殺しか……」
小林は深いため息をついた。
「今回は間違いない」
誠一郎は自信を持って答えた。
「まあ、歯の治療痕で分かるだろう?」
「多分……。あ、犬歯だが本当に焼死体のか――」
「DNA鑑定だろ? 任せろ。まあ、こちらとしては、あまり重要視していないが……ありがとな、錦野」
小林は誠一郎の肩を叩き、走り去っていった。
誠一郎は細長いため息をついた。
「さて……俺も戻ろうか」
誠一郎は都筑警察署を後にした。
夕方。誠一郎が帰って来た。
柏木とミナ子がそろって出迎えた。
「お帰りなさいませ」
「ただいま。はぁ……今日は疲れた……」
誠一郎はカバンを柏木に渡しつつ、ネクタイを緩めた。ふと、視線を感じた。その視線の主は柏木だった。
柏木は誠一郎を見た後にミナ子をそっと見た。
誠一郎はまばたきをした。
……誕生日ね……。
誠一郎は苦笑いを浮かべた。
ダイニングルームに、誠一郎がつくテーブルに柏木とミナ子が晩ご飯を運んできた。
「旦那さま、お待たせしました」
「ありがとう」
柏木とミナ子がダイニングルームを去ろうとした時だった。
「あ、場鳥。少し良いか?」
誠一郎がミナ子を引き止めた。
「……何ですか?」
ミナ子が少々険しい表情を浮かべた。
「ミナ子ちゃん、先に戻ってるわね」
柏木はそう言い残すとそそくさとダイニングルームを後にし、キッチンへ続く通路のドアを閉めた。
残されたミナ子は突っ立っていた。
「場鳥、座りなさい」
誠一郎は自身の向かいの席をトントンと指した。
ミナ子は恐る恐る席に着いた。
「何でしょうか? 先生……」
「君のそのペンダントはアクアマリンだと思うんだが、誕生日が三月なのか?」
誠一郎の問いにミナ子は肩を落とした。
「……そうですが……」
ミナ子は後ろめたそうに返す。
「三月の何日だ?」
誠一郎の問いにミナ子は鋭い視線を向けた。誠一郎は目を眉をひそめる。
「聞いて何になると言うんです?」
ミナ子が鋭い口調で言った。
「あ、イヤ……来月だろう? だから――」
誠一郎は慌てた様子で弁解した。そんな誠一郎にミナ子は大きなため息をついた。
「失礼します」
そう呟くと、ミナ子は席を立った。
「あっ、待ちなさい場鳥! 昨日の夜、どこに行ってたんだっ?」
誠一郎の新たな質問にミナ子は目を丸くして振り返った。
「……なっ……!」
一瞬驚いた素振りを見せたミナ子だったが、いつもの無表情な顔に戻ると、一言。
「……先生、徹夜で寝ぼけてたんじゃないですか?」
「何っ……?」
誠一郎の顔が歪んだ。ミナ子はふぅ、と長く息を吐いた。
「……東京大空襲で……一番人が死ん――」
「黙りなさいっ」
誠一郎がテーブルにドンッと手を置いた。それに珍しくミナ子がびくついた。
誠一郎は続ける。
「『死んだ』とか、言うもんじゃない! 場鳥、明日の朝から庭の草むしり、一人でやりなさい」
ミナ子の表情が歪んだ。
「……分かりました……」
消え入るような声で返事をしたミナ子はすたすたとダイニングルームを後にした。
一人残された誠一郎は項垂れた。
……『東京大空襲』だぁ?……こんなハズじゃなかったのに……。
「俺は……話を聞き出すのが下手くそだ……」
誠一郎は深いため息をついた。
翌日、朝。誠一郎は出勤の準備をしていた。因みに今日の朝はまだミナ子の姿を見かけていない。
「柏木さん、場鳥は……?」
「ミナ子ちゃん? ミナ子ちゃんなら庭の草むしりを……。旦那さま、ミナ子ちゃんの誕生日は……?」
柏木が誠一郎にカバンを渡しつつ尋ねた。誠一郎はきまりが悪そうに首をかしげた。
「実は……まだ聞けてなくて……」
「そうですか……。旦那さま、いってらっしゃいませ」
柏木が誠一郎に会釈した。
「行ってきます」
錦野邸裏庭でミナ子は息を切らしながら地面の草をむしっていた。
二月の朝は少し肌寒いものの、今日は太陽がさんさんと輝いており、暖かかった。
ミナ子にとっては、それはとても苦痛だった。
……太陽が……痛い。
真夏の焼けつくような暑さでもないのに、額からだらだらと汗が流れ、息を切らし、挙げ句の果てには膝を突き、その場にうずくまってしまった。
……お父さん……。このままだったらお父さんのところに行けるかな……?
錦野監察医総合病院に急きょ、小林から司法解剖の依頼の電話が来て、誠一郎は病院裏口で待っていた。
数分もしない内に警察車両が入ってきて、裏口前に止まった。
警察車両から降りてきたのは小林だった。
「錦野! すまねぇ突然。今日の明け方、変な通報があってな? 胸を一突きされた遺体が発見されて……」
「変な通報?……胸を一突きなら司法解剖せずとも、殺人で……」
誠一郎は首をかしげた。
「まあ……遺体を見てもらったら分かる」
小林は真剣な表情だ。
遺体の入ったバッグを乗せたストレッチャーと誠一郎が病院内へと入っていった。
昼、錦野邸にて。お昼のまかないを作り終えた柏木は、未だに庭で草をしてるであろミナ子の元にやって来た。
「ミナ子ちゃん、そろそろお昼――ミナ子ちゃんっ!」
ミナ子が倒れていた。柏木はすぐさま駆け寄った。
「ミナ子ちゃん! しっかり!」
ミナ子は意識朦朧としているのか、玉のような油汗をかき、か細い荒い呼吸をしていた。
柏木はミナ子の両脇に腕を回すと引きずるように引っ張っていった。
錦野監察医総合病院、地下の解剖室に手術衣とキャップを身につけた誠一郎がいた。
解剖室は床一面青緑色で、壁は白い。
手術台が五つ並んでおり、手術台の足側の壁には解剖器具の入った棚と、その隣に洗い場がある。そして、部屋の隅には大きな換気扇が天井へと続いていた。
誠一郎は、手術台に横たわっている若い、きっと高校生ぐらいであろう男性の遺体の口元を呆然と見つめていた。その脇にはペトリ皿に入れられた犬歯と思われる異様に長い歯が二つ。
……何だ、この歯。前の焼死体と同じじゃないか……。
今回の遺体は綺麗な状態だった。死後間もないだろう。
誠一郎は人体図の前側、後側の描かれた用紙をクリップで止めたボードとシャープペンシルを持ち、遺体の様子を人体図に書いていった。
一通り、遺体のは外部の状況を書き終えると、ボードとシャープペンシルを置き、マスクを装着するとメスを構えた。
「では始めます」
誠一郎はメスを遺体の腹部に入れていった。
司法解剖を終えた誠一郎は病院裏口で遺体が入ったバッグが警察車両に乗せられるのを見送った。
誠一郎の隣に小林が寄ってきた。
「錦野、どうだった?」
「死因は前の焼死体と同じく鋭利な刃物で胸を一突き。心臓まで達してた。即死で間違いない。犬歯だが死ぬ寸前に抜かれたと思う。歯茎から少量の出血が見られた。あと……胃の内容物が……」
誠一郎は検体の入ったバッグから、赤黒いドロッとした液体の入った試験管を取り出し、小林に見せた。
「遺体の血液か?」
小林は興味なさげに試験管を眺めた。誠一郎は首を横に振る。
「違う。多分他人のだと思う……。だから科警研で調べてほしいんだ。それと……偶然だと思うんだが、この遺体の犬歯の距離が、前の変死体の首の傷穴二つの距離と一致した」
誠一郎の話に小林は顔をしかめた。
「犬歯の距離が一致? 成人なら皆同じじゃないのか?……おいおい、お前はこの遺体の男が“吸血鬼”とでも言いたいのか?」
「イヤ、そうとは言ってないぞっ? そんなファンタジーなもの……ドラキュラとかカーミラで十分――」
誠一郎は手を横に振り否定した。
「……でも、歯茎からの出血であんなに血が胃袋に溜まるとは思えない。遺体は消化器官を負傷してなかったし、遺体の血液とは別だと……。焼死体の方にも胃に血液かレバーか、焼けて判断できなかったが、似てると思う。犬歯が抜かれてるしかり、胃に血液的なものがあるしかり……」
誠一郎は腕を組み考えた。
「じゃあ、犬歯が抜かれたのは犯人からのメッセージだな?」
小林が手をぽんと叩いた。
「イヤ、そこまでは……でも……。変死体の傷の形状……調べてみたらどうだ……?」
誠一郎の言葉に小林は目をぱちくりした。
午後、誠一郎は二階の医局で司法解剖の報告書をパソコンに打ち込んでいた。そこへ、この病院の院長であり一般内科・小児科と時々誠一郎の代わり(誠一郎が司法解剖に入る際)に循環器内科を受け持っている誠一郎の父、錦野忠明がやって来た。
「誠一郎」
誠一郎は振り返った。
「親父」
忠明は誠一郎の隣に椅子を持ってきて座った。
「最近忙しいな……。横浜市でたった二ヶ月でこんなに事件が起きるとはな……」
忠明はため息をついた。
「そうだね……。あ、親父」
「どうした?」
「俺を育てるの……苦労した? 俺、小学生の頃ヤンチャだった?」
忠明は目をぱちくりした。
「どうした? いきなり子供の頃の話とは」
「実はさ――」
誠一郎はミナ子との出会いや今までの経歴を忠明に話した。
「ほう! お前、結婚すらしてないのにもう子供が出来たのかい!」
忠明は面白おかしそうに笑った。その反応に誠一郎は小さくため息をついた。
「学校は? 小学生っぽいんだろう?」
忠明の問いに誠一郎は頭を振った。
誠一郎の様子に忠明は首をかしげた。
「“学校にはもう行った”って言ってたんだ……。家のことを進んでやってくれるのは良いけど……何か、働かせてるみたいで……」
誠一郎は椅子の背もたれにもたれ掛かると深いため息をついた。
忠明は腕を組んだ。
「そうか……。じゃあ、お稽古させるとかは? まだヴァイオリンあるだろう?」
“ヴァイオリン”と言う単語を聞いたとたん、誠一郎は苦笑いを浮かべた。
「イヤ……俺は結局下手くそなままで終わっちゃったし……三十年以上前のことなんて忘れちゃったよ……」
誠一郎の返事に忠明は残念そうにまぶたを閉じた。
……無駄になるとは、嘆かわしい……。
忠明の様子に誠一郎も思うものがあった。
……イヤ、俺からヴァイオリンやりたいって、言った覚えはないからな?
誠一郎は眉間にシワを寄せた。
「今度、その場鳥ミナ子ちゃんに会わせてくれるか? 是非とも会いたいね」
忠明は気を取り直して尋ねると、誠一郎は良いけど……。と、呟いた。
「でもちょっと変わった子だよな……。おませさんというか、自分のことをあまり言いたがらない……ツンデレ?」
「つんでれ? なんだ、甘えてるところもあるんじゃないか」
「そうでもないんだよなー……」
誠一郎は昨夜のことを思い出した。
……場鳥の言ってた『東京大空襲で一番人が死んだ……』って『一番人が死んだ日』ってことか?
「なあ、親父」
「何だ?」
誠一郎はためらいがちに忠明に尋ねた。
「東京大空襲で……一番人が死んだ日って……」
忠明は目を見開くと静かに話始めた。
「……親が、お父さんが小さい頃に言ってたな……」
忠明は腕を組み、神妙な面持ちを浮かべた。
「三月十日午前〇時八分、東京が空襲に遭った、と。その日を含め大規模なものが五回もあったそうだ。その中でも三月十日だけで十万人が死亡した」
「十万人っ?」
誠一郎は目を見開いた。
「ああ。その頃の東京は焼け野原でどこもかしこも建物は原型をとどめてなく、あちこちで火災が発生し、逃げ惑った人々がたくさん倒れてたそうだ……。おまけに当時『防空法』というものがあって、それがなかったらもしかしたら死者が十万人を越えることはなかっただろうな……」
「そっか……。ありがとう、親父」
夕方、誠一郎が帰って来た。
出迎えてくれたのは柏木一人だった。
「場鳥は?」
柏木は眉を八の字にした。
「実はミナ子ちゃん……」
誠一郎はミナ子の部屋へと駆け出した。
ミナ子の部屋に着くと、ためらいもなくドアを開け放った。
「場鳥!」
ミナ子はベッドに横になっていた。今は落ち着いてるようだ。ただ、顔が青白い。
誠一郎は枕元に駆け寄った。
「場鳥……。どうして……?」
誠一郎は振り返り、柏木を見つめた。
「ミナ子ちゃん、庭で倒れてて……。ゼーゼーしててすごい汗かいてて。もしかしたら日光アレルギーかも……」
柏木の言葉に誠一郎は項垂れた。
……俺は最低だ。場鳥にはアレルギーがたくさんあるって言ってたじゃないか。日光もその一つだったのかもしれないのに……。俺は最低だ。
誠一郎は恐る恐るミナ子の額に手を当てた。
……熱くはない。逆にすごく冷たいな……。
誠一郎はミナ子の首筋や、かけ布団をめくって手を確認した。
……湿疹は出てない。だからといって油断は出来ない。
翌日、朝。ミナ子はゆっくりと目を開いた。
……昨日はずっと寝てしまっていたか。
足元を見ると、誠一郎がベッドに突っ伏して寝ているではないか。
ミナ子は目を丸くした。
……なっ、何で? 起こすべきか?
ミナ子は恐る恐る手を伸ばし、誠一郎の肩を叩いた。
「……先生。おはようございます……」
誠一郎がむくりと顔を上げた。ミナ子を視界にとらえた瞬間、ミナ子に抱きついた。
「場鳥!」
「ふぎゃ!」
「良かったっ、良かったっ!」
ミナ子は誠一郎の腕から逃れようとするも、今回ばかしは誠一郎の力の方が勝っており、ミナ子は諦めた。
……先生、温かい。
ようやく、ミナ子を解放した誠一郎は申し訳なさそうにミナ子に頭を下げた。
「場鳥、本当にすまなかった。場鳥は日光も苦手だったんだな……」
「確かに苦手です。ですが、帽子があれば平気です」
「そう、なのか……?」
誠一郎は目を点にした。
……場鳥は……大人だな。
「分かったよ。今度買ってあげよう。……場鳥」
「はい」
ミナ子は無表情で誠一郎を見つめた。誠一郎はおもむろに口を開いた。
「君の誕生日は……三月十日か?」
ミナ子の目が見開かれた。
……当たりか?
誠一郎は固唾を呑んだ。
するとミナ子はうつむき、ゆっくりとうなずいた。
「何か、悲しいことでもあったのか……?」
誠一郎が静かに問うと、ミナ子は顔を上げた。その目はかすかに潤んでおり、赤い瞳がより一層鮮やかに、まるで宝石のように見えた。
誠一郎は目を奪われた。
「場鳥……?」
ミナ子が静かに口を開いた。
「……あの時は惨劇でした。まさか、否、噂では近々“落とされる”とは聞いていましたが……。まさかっ……自分の誕生日にだなんてっ……」
絞り出すように言い終えると、次第に震え始め、目から大粒の涙を流し始めた。
「……うぅっ、ひっくっ……どうしてっ……どうして、わたしだけがっ? お父さんっ……」
ミナ子はかけ布団に顔を埋めた。
……お父さんっ……?
誠一郎は、ミナ子の泣き叫ぶ声に心の淀みを感じた。
「……場鳥。辛いことがあったんだな……」
誠一郎は近くのティッシュ箱を差し出し、ミナ子の背を擦った。
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