第30話 悔いはない

 タローはアビゲイルに連れられて、中央制御室へと来ていた。

 無数のモニターとコンソールが並ぶその部屋は、アーコロジー・ピラミーダの中枢だ。


「……このおじさんは?」


 コードでぐるぐる巻きになって転がっていたのは、見た事のない中年男性だった。

 なぜか点滴を受けているが、病人には見えない。


「ロナルド・マイヤーさまといって、ピラミーダの事実上の支配者です」


 マイヤーはタローの顔を見ると一瞬目を丸くしたが、やがて自嘲的な笑みを浮かべた。


「君がタローか」


「うん」


「ほどいてくれるか」


 一瞬だけタローは考えた。

 アビゲイルがこの男を縛り上げたとすれば、それなりの理由があるはずだ。

 三原則に則って考えると、この男がタローに対して何らかの危害を加えるおそれがあると判断したのだろう。

 男は続けた。


「何もせんよ。逃げも隠れも、な」


 男の眼に嘘は無さそうだった。

 理由はわからないが、そんな気がする。


「アビゲイル。ほどいてあげて」


「しかしタローさま。この男を解き放つのは危険ですよ。今度こそ人類を滅ぼす恐れがあります」


「だいじょうぶだよ」


 根拠など無かった。

 何の根拠もない直感というものはロボットには無いので、アビゲイルは顔をしかめる。タローは繰り返した。


「ね?」


「……はい。わがあるじ」


 不満そうな顔をしているが、本当に機嫌が悪いわけではないのだ。

 不機嫌な表情を見せる事で、間接的にタローに警告しているだけに過ぎない。

 アビゲイルはマイヤーの傍らに膝を付くと、縛めを解いた。


「ありがとう」


 マイヤーは立ち上がると、タローの正面に立った。

 タローよりも頭一つ分背が高い。


「タロー君、単刀直入に言おう。アビゲイルを僕にくれないか?」


「どうして?」


「愛しているからだ。僕は彼女のためなら何だってするし、実際にしてきた。あらゆる犠牲を払い、泥をすすり、この手を汚して、な」


 マイヤーはじっと見つめていた手を握りしめた。


「愛……ねえ。ぼくは彼女いない歴=年齢のドーテーだからあんまり大きな事は言えないのだけれど。たぶん、おじさんは思い違いしてる」


「思い違い? 愛する女のために何だってやってやろうというのは、そんなにおかしなことか?」


「いや」


「僕ならアビゲイルに何不自由ない暮らしをさせてやれる。酷く嫌みに聞こえるかもしれないが、現実というのは非情なものだ。貧しさゆえに愛までも失われる事は多々ある」


 ピラミーダでは、ロボットが歩いているのを見た事が無い。

 タローの父はアビゲイルを買うために全財産をはたいたと聞いている。

 工房が焼失したとも。


「でもさ、きっとぼくたちの考える愛ってやつと、アビゲイルが考えるそれは、丸っきりの別物なんだ。ねえ、おじさん。自分の価値観をひとに押しつけちゃだめだよ。だって、それじゃまるで――」


 一瞬、アビゲイルに目をやる。

 服装こそボディスーツだが、向けてくる表情はいつもと同じだった。

 生まれてから今まで、ずっと一緒に過ごしてきたアンドロイドが何を考えているのか、何を感じているのか。

 それはタローですらわからない。

 いや、理解できる人間など存在しないのだ。


「アビゲイルを人間扱いしてるじゃないか」


 マイヤーは一瞬あんぐりと口を開けていたが、片手で顔を押さえて笑いはじめた。


「ハハッ……ハハハハッ! そうか。そういう事か! とんだ茶番だ。タロー君、君はこう言いたいんだろう? アビゲイルを――ロボットを人間ごとき下等生物と一緒にするな、と! 確かにそれは失礼だな。滅亡の危機を前に愚かにも殺し合い、ここまで数を減らしてしまった人間ふぜいが! と」


「……そこまでは言わないけどさぁ。ぼくも人間だし」

 

 *


「よろしいのですか?」


「ああ、悔いは無い。僕の負けだ」


 アビゲイルに促され、マイヤーは控え室に戻った。

 抵抗はしなかった。

 また、抵抗する意味も無かった。

 ワインセラーを開くと、一本のワインを取り出す。

 合成品で、労働者向けの安物だ。

 常識的にはマイヤーのような富裕層が飲む物ではない。

 ラベルには製造年月日が書かれていた。

 十五年前のあの日、アビゲイルと初めて出会った日だった。

 封を切り、ワインオープナーでコルクを抜く。

 グラスに注ぐと決して悪くはないが、あくまでも値段なりの香りが鼻孔を包んだ。


「……マズイ、な。しょせん安物か。だがあの時の僕には、これが精一杯だったのだ。これを味わう日を夢見て、あらゆる手を尽くしたというのに」


「アタシにもいただけるかしら?」


「セリーヌか」


 ドアは閉じられたままだ。どうやら、最初からこの部屋に居たらしい。


「ああ、歓迎するよ。一人酒は味気なくてね」


 グラスをもう一つ出すと、ワインを注ぐ。


「あの時の事を、許してくれとは言わない。君の怒りは当然のものだ。どんな報いも受けよう。……もう、何もかもどうでもよくなった」


 セリーヌは香りを嗅ぐと、口を付けるでもなく言った。


「ぶん殴ってやろうと思ってたけど……これで勘弁してあげるわ」


 セリーヌはまるで鞭でも振るうようにグラスを振った。

 赤い液体が顔中に浴びせられる。


「さよなら」


 そのままセリーヌはドアに向けて歩き、ドアノブを握った。


「……ねえ、ロナルド。アビゲイルは本当に優しい子なのかしら? もしかしたら、アタシたち人間が過剰に戦闘的なだけで、本当はあのくらいが普通なのかもね」


「さあ、な。だとしたら、カイザーを神とあがめる蛮人も、案外バカにできん」


「ふふっ」


 十五年ぶりの笑顔だった。その後は沈黙の時間が少しだけ。

 十秒だろうか。あるいは一分。いや、もしかしたら永遠かもしれない。

 絡み合う視線の始まりと終わり、セリーヌの瞳に映る世界は今までに見たどんな宝石よりも美しかった。

 今やっと、マイヤーはセリーヌの本当の美しさに気付いたのだ。

 もし、もう一度やり直す事ができたら。


「セリーヌ、僕は君を――」


 セリーヌはマイヤーに向き直り、鬼のような形相で全力疾走してきた。

 避ける暇も無い。

 顔面に靴底がめり込み、鼻血が吹き出し、前歯は砕け、マイヤーは一瞬で意識を失った。


「さっきの、やっぱ無し。女の敵には顔面ドロップキックよねぇ。……聞いてないか。んじゃホントに、バァイ」

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