第29話 カイザー死す

「え……? なんだ、ここ……?」


 タローは目を疑った。

 頭を打ったか、変な幻覚ガスでも出ているのか、あるいは最初から全部夢で、タローは布団の中で眠っているのか。

 草を一本摘んで匂いを嗅ぐ。

 本物だ。間違いない。


「ぼくは知ってるぞ。こういうのを『草生える』って言うんだ。で、この藁を並べるんだ」


 辺り一面、見渡す限り緑の世界だった。

 全面緑の草で覆われ、たくさんの樹も生えている。

 天井の人口太陽は第五層や第四層と同じだが、それ以外は全部森と草原だ。


「……なんで建物の中に? 訳わからん」


 とりあえず、誰か人が居ないかと歩き始めた。


「お待ちしておりました。お元気そうで何よりです、タローさま」


「えっ……」


 懐かしい声。

 聞きたかった声だ。

 タローはこの声を聞くためにここまで来たのだ。

 だが、姿は見えない。


「どこ? どこにいるの? ……アビゲイル!」


 声は上から聞こえるようにも、下から聞こえるようにも思えた。

 タローはようやっと気付く。館内放送だ。


「タローさまに一刻も早くお会いして、ギュッてして、ヨシヨシしたいのですが……残念ながらタローさまの居る位置まで、最短であと九分三十秒ほど掛かります。ですから――」


 出てきたマンホールから、金属音が響く。

 振り返ると、どこかで見たようなペンチの手と蛇腹の腕が見えた。


「――お手数ですが、それまで自力で生き残ってくださいね~」


 カイザーのバケツのような頭が見えると同時に、タローは手近な樹の陰に飛び込んだ。

 幹が乾いた音を立てて、はじけ飛ぶ。


「あと九分生き残って頂ければ、必ずお助けしますからね~。ああ、それから――」


 続いて発射されたプラズマキャノンが、今度は樹そのものを吹き飛ばした。

 タローは情けなくも四つん這いになって、茂みにころがり込む。


「カイザーはタローさまを殺す気満々みたいです。タローさまが死ねば、私の所有者が空白になりますからね~」


「だろうな!」


「あと八分! ECMを入れてますから、頑張ってくださいね。ファ~イト」


「ECM? ええと、妨害電波か! ……が、頑張るけどさぁ!」


 またプラズマキャノンが飛んでくる。

 妨害電波が出ていなければ直撃し、消し炭になっていただろう。

 人間のタローには電波を感知することはできない。


「聞けカイザー! クラートゥ――」


 言い切る前に、ビームで焼き払われた枝が落ちてきた。

 慌てて避けるが、肩口に火傷をしてしまう。

 この緊急停止コードは、明確に殺意を持っている相手にはあまり意味がない。

 言い切る前に次の手が飛んでくるからだ。

 おまけに相手はスタミナも無尽蔵、知恵比べでは絶対に敵わない。


 どうする、どうする、どうする……?


 タローはレオンシオの言葉を思い出した。

 すなわち、人類最高の頭脳をもってしても、ロボットを出し抜くことはできない。

 力押しのゴリ押しこそが最も合理的、と。

 武器はない。

 この場合取れるゴリ押しな方法とは。


「逃げるんだよーっ!」


 後ろから撃たれるかもしれないが、情けないかも知れないが、かっこ悪いかもしれないが、尻尾を巻いて逃げるしかない!


「……あれ、意外と距離が取れた」


 カイザーは直線的な動きは素早いが、こういう森の中は加速性能を活かせないのかもしれない。

 倒木もあるし、植物の蔓だってあちこちに生い茂っている。

 もしかすると森の中ではタローのほうが速いかもしれない。


「……なんの音だよ」


 ゴゴゴゴゴ、というまさしく轟音は上の方から聞こえるようだ。


「おお、ドラム缶が飛んでいる」


 尻からのジェット噴射で大空を翔るカイザーが、木々のこずえ越しに見えた。

 思わず吹いてしまう。


「だって! だって脚を百八十度開いてるんだぜ!? マヌケにも程があるって!」


 しかし、殺人鬼がピエロ姿で排水溝から覗いているような不気味さがある。

 枝の濃いところで、タローは身を低くした。

 熱感知器を持っていたら無意味かもしれないが、丸見えよりはマシのはずだ。


「あと四分で着きますからね~」


 アビゲイルの声が響く。

 もう少しだ。

 しかし、カイザーからあと四分も逃げ切るのは、なかなかハードルが高い。

 空中からレールガンのアルミ弾体が散弾銃のように飛んでくる。


「私がカイザーの首をねじ切ってあげますから、頑張ってくださいね~」


 緊張感のない声だが、それは仕方がない。


「……?」


 カイザーが撃ってこない。なぜだろうか?

 背中に何かが触れた。

 見ると、墓石のようにそびえるキュービクルだ。

 プレートの文字はかすれているが『原子力電池・取扱注意』と読める。

 タローを殺すために巻き添えでこれを壊すと、放射能漏れの危険があるからだろう。

 ならば、ここから動かなければ良いのではないだろうか。

 ……だめだ。ガッチャンガッチャン足音が近づいてくる。


「そりゃあそうだよなぁ。あのペンチは痛そうだし、逃げよう」


「カイザー、聞こえますか? タローさまを殺しちゃダメですよ~。それならあなたを壊さなきゃです~」


 言っている事は物騒だが、言い方はほわほわしていた。

 アビゲイルは怒りや、憎しみといった感情は持たない。

 タローの頬にとまった蚊を叩くような気持ちに違いない。

 金属質の足音は近づいてくる。


「どうする? いや……考えても無駄か」


 この周りは遮蔽物が多く、壊してはいけないものがあるなら、ビームも弾も撃ちにくいはずだ。

 さて、こんな時ヨーゼフならどうするだろうか?

 タローは転がっていた枝を拾うと、大きく深呼吸をした。

 せめて、一太刀でも。


「キョエエエエエェェェェ!!」


 タローは他人には絶対に聞かせられないような奇声を上げながら、カイザーに殴りかかった。


「あべしっ!」


 巨大なペンチはタローを勢いよく殴り飛ばし、途中の枝を何本も折りながら壁に叩きつけられてしまう。


「いい痛っっっってぇーっ!」


 息ができない。

 心臓が頭に移動したみたいに鼓動がうるさかった。

 やはり人間がロボットに、それも戦闘ロボットと戦うなど無謀だった。

 とても動けそうにない。

 周囲はいつの間にか濃密な煙で覆われていた。カイザーの煙幕だ。

 口から煙が出るなどしょうもない機能だと思っていたが、何のセンサーもない人間にとって視界を奪われるということが、これほどまでに不安だとは思わなかった。

 とくに、このような近接戦闘においては。

 ガチャガチャとした足音がどんどん近付いてくる。


「く、くそう……」


 足音が近くで止まる。痛みをこらえ、顔を必死で持ち上げる。


「ああ……」


 最初はバケツを引きずっているのかと思った。

 しかし、アビゲイルが引きずっていたのはカイザーの首だった。

 光電管の目からは光が消え、ちぎれたケーブルの先からはかすかに火花が散っている。


「タローさま。ご無事でしたか」


「アビー!」


 タローがアビゲイルのことを、アビーと呼ばなくなってから何年経つだろうか。

 だが、今はそんな事はどうだっていい。

 タローは思わずアビゲイルの胸に飛び込んでいた。

 視界は何だか歪んでいて、言いたい事はたくさんあったのに、何一つ言葉にできなかった。


「アビー! アビー! アビイーッ!」


「ごめんなさいね。こんな所まで迎えに来てくださって。大変だったでしょう。ありがとうございます」


 五歳の子供みたいに、わんわん泣きわめくタローの頭をアビゲイルは優しくなで続けてくれた。

 抱き合う二人を照らすように、カイザーの身体が閃光を放ちながら燃え上がった。

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