第26話 外壁のたたかい

 タローたちを見送ったソフィアは、どこへともなく消えていった。

 元々猫のように気まぐれな彼女のことだ。

 きっとまたふとした拍子に戻ってくるだろう。

 エアロックを通り、イソポーダ号は外に出る。

 外の世界は少し肌寒く、十メートル先も見えない深い霧が立ちこめていた。

 ピラミーダの上層すらも見えない。


「ん?」


 タローは辺りに生い茂る、背の低い草に気付いた。


「どうかしたのか、タロー」


 タローに並んでレオンシオが膝を付いた。


「これ、ジャガイモだ」


「ジャガイモ? なんだそれは」


「食べ物だよ。ほら」


 周りの土を手で除けると、拳大の芋がいくつも出てきた。


「これが食えるのか?」


「うん。とっても美味しいんだ。これがあるのに、どうしてみんな食べないの?」


「これが食べ物だなんて、言われなきゃわからないだろ。泥だらけだし」


 タローは芋を埋め直した。


「後で……アビゲイルを助けたら、コロッケを作ってもらうよ。とっても美味しいんだよ」


「ふうん……? ま、当てにしないで待ってるさ。そろそろ時間だな」


 書類には開始日時も書かれていて、天候も計算されていた。


「日光浴って訳には行かねぇか。タロー、お前もこんど入るか? オレの『日光浴クラブ』に」


「やだ。全裸で外を歩くなんて、変態じゃないか」


「バカヤロウ、人間は誰しも変態なんだ。お前も例外じゃねえ。方向と深さがそれぞれ違うだけだぜ! まあ、無理強いはしねぇよ。……さあイクぞ!」


 ヨーゼフはエンジンをレッドゾーンまで回し、勢いよくクラッチを繋いだ。イソポーダ号の前の脚二本が持ち上がり、外壁に張り付く。


「あぁ~イクよイクよイクよ、アッー!」


 ちょっと黙って欲しかったが、とにかくイソポーダは勢いよく外壁を登り始めた。


「すごいなぁ! このためにすっごく高いタイヤに換えたってレオンシオが言ってたよ。たしかにちょっとゴム臭いけど」


 ファイルを見て、ストップウォッチを見て、他にも色々な計器を見てレオンシオが指示を飛ばす。


「あと五秒でブレーキ。同時に右に切れ」


「はいよォ!」


「スロットル、プラス一〇パーセント。ハンドルちょい左」


「ヨーソロ!」


 モニターを見ると、もう半分以上登っている。ピラミーダを登るなら、これが一番早いのだ。


「あれ?」


 ピラミーダの外壁にはところどころメンテナンス用の足場が出ており、それを目安にイソポーダ号は進んでいた。

 見間違いかと思ったが、違う。


「人が居るよ! ヨーゼフ!」


「なにィ!?」


 すれ違う瞬間、確かに見えた。

 燃えるような赤い髪。

 湖のように青い瞳まで見えた。

 白いマントが風にはためき、肩に担いでいるのは大きな筒。


「タチアナ? まずい! ブレーキ、ブレーキ!」


 太い煙を吐きながら、イソポーダを追い越して前に何かが飛んでくる。


「あれはロケット砲だな」とレオンシオ。


「おう、もっと早く言えや! 遅えよ!」


 ちょうどイソポーダの真下で爆発が起こり、身体がシートに押しつけられる。

 宙に浮きながらセリーヌはタローの頭をガシガシと撫でた。


「な~んて顔してんのよ、たかがロケットでしょお? ヨーゼフ!」


「ほいさぁ! ロはロケットのロ!」


 ヨーゼフがコンソールのスイッチを入れると、背もたれに身体が押しつけられる。

 イソポーダにはロケットブースターが付いている事を思い出した。

 空を飛べるわけではないが、ノズルを下に向ければ軟着陸ができるのだ。

 着地と同時に火が付いたままのブースターが切り離され、あさっての方向へ飛んでいく。

 固体燃料だから途中では止められない、とレオンシオが言っていた。

 とにかくイソポーダ号は無事に着地、ふたたび全力で坂を上り始める。

 タチアナの姿はもう小さくなっているが、今度はもっと厄介なやつが出てきた。


「カイザー!」


 ドラム缶のような胴体の蓋が開き、奇妙なパラボラアンテナが飛び出していた。


「まずい! プラズマキャノンだ!」


 ペリスコープを覗くレオンシオが、拳銃に似た引き金を引くと、轟音とともに駐退機が下がり、大きな薬莢が排出される。

 さすがに徹甲弾の威力は凄まじく、カイザーの胸にはえくぼのような凹みができていた。


「って、全然効いてないじゃないか!」


「レオンシオ。ヨーゼフ。何とかおし」


 セリーヌはこんな時なのにマニキュアを塗っている。

 レオンシオは書類をまとめたファイルをめくると、右手に見えた穴を指さした。


「あれだ。あの穴に入れ」


「おうよ、だが、な~んか嫌な予感がするぜ。追い込まれてる、っつーかよ。やっぱ罠なんじゃねーの?」


 ヨーゼフも気付いていたようだ。だが、他に選択肢は無い。


「この不安定な足場より、中に入ったほうがまだやりようがあるでしょ。早くおし」


 セリーヌは右手の指にマニキュアを塗り終わっていた。こんどは左手だ。


「まったくもう、のんきだなぁ……っと」


 穴に飛び込んだからか、気圧の変化で耳が一瞬キーンとなった。


「ヒエッ」


 これは第三層と第二層の間にある作業用の通路だ。

 イソポーダ号が、いや車両が入る場所ではない。

 上下、左右はイソポーダ号が通れるギリギリの狭さ。

 ただでさえ狭いのに、内部には大量に樹や草が生えていた。

 脚を上下させることで車高を調整できるイソポーダ号の他に、ここを走れる車両はない。

 少しでもずれたら、コンクリートにぶつかって動けなくなってしまうだろう。

 それに、カイザーが後ろから迫ってくるうえ、距離もどんどん迫ってくる。


「こんくらいで怖がってんじゃないよ、ヨーゼフを信じな」


 セリーヌは素知らぬ顔で、マニキュアを今度は足の指に塗っている。

 足の場合はペディキュアというらしい。

 ホットパンツの裾から下着が見えそうだったが、見えない。


 どうせ思春期の少年など、そういう事しか考えないものである。

 雨が降ったり風が吹いたりするのに善意も悪意も無いように、これは『現象』に過ぎないのだ。

 幸か不幸か、それが余裕を生んだらしい。


「ヨーゼフ! あれ見て!」


 壁にあるのは、第二層から伸びる梯子だ。

 あれを登れば、どこかのマンホールに出るはずだ。


「よし、タロー行け!」


 イソポーダ号の上部ハッチが開き、タローは外に転がり出した。

 セリーヌが長い髪を掻き上げ、投げキスなんて頂いてしまう。


「ここはアタシらに任せな!」


「ありがとう!」


 タローが梯子を登り始めると、イソポーダ号はそのまま奥の方へと走り去る。

 やけに重く、なんだか内側にスライムの付いたマンホールを押し上げる。


「お、重いっ!」


 腕だけでは上がらないので、全身のばねを使って肩で持ち上げる。

 このスライムは雑菌のコロニーであり、可及的速やかに全身を洗う事が望ましい。

 身体を持ち上げると、そこは第二層だ。

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